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    okaki32

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    okaki32

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    蛇足のおまけ3篇。捏造設定の寄せ集めです。

    愛を識る人 おまけ以下に十分ご注意の上、危ない空気を感じた方はお戻りください。
    ・きりちゃん総愛され気味(今回結構強めです)
    ・捏造しかない
    ・5年生が出てくるシーンがありますが、口調含めいろいろと迷子です。(ごめんなさい許してください…)
    ・名もなきモブと名前付きのモブが出てきます
    ・時代背景に合わないものがたくさん出てきます


     

     ◆◆大木先生と久作ときり丸の話




    「大木先生ー!」

    きり丸の声に顔を上げた大木は、隣に並ぶ久作の姿を見つけて、げっ、と声を上げた。

    「”げっ”というお声が上がるということは、ぼくたちのご用件はもうおわかりですよね。借りられている本のご返却をお願いします」

    手を差し出した久作に、きり丸はさっと貸出図書の帳面を手渡す。ん、とそれを受け取った久作は、ぺらぺらと三枚ほど紙をめくって、延滞になっている書名を読み上げた。

    「以上三冊!大木先生が学園の図書室から借りられた本があるはずです!全て、返却期限は昨日でした。今すぐご返却ください!」
    「図書の返却早い目に、です」

    息巻く久作の後に一言付け加えて、きり丸はぺこりと頭を下げる。
    それから久作の手から帳面を受け取った。

    「1日や2日過ぎたくらいで…」
    「なんですか?」

    青筋を浮かべる久作は、今にも怒髪天をつきそうな様相である。

    「大木先生、素直に返却された方が身のためかと…」

    横から小声でそっと助言する。

    「わ、わかった。ちょっと待ってろ。ど根性で探してみせる!」

    ど根性ー!!と叫びながら屋内に入っていった大木に、久作はやれやれと言いたげにため息を落とす。

    「ど根性…」

    もう何度も聞いているはずの大木の口癖。それなのに、なぜだかふと引っかかりを覚えた。昔、この言葉を誰かにもらったような───。

    「きり丸?」
    「へっ?あ、はいっ!」

    呼ばれて、何かに辿り着きそうだった思考が霧散する。何を考えていたっけ、と不思議に思いながらきり丸は久作を振り返った。

     「どうした、ぼうっとして。まさかどこか痛むのか?」

    いつになく素直な気遣いを見せる久作に、きり丸はきょとんとして目を瞬かせる。

    「なんだよ、大丈夫か?」

    病み上がりなんだ、無理するなよ。

    極めつけにそう続けて、久作はきり丸が受け取ったばかりの帳面をもぎ取った。

    「えっ、久作先輩、」
    「いい。先生から返却される本も俺が持つから、お前はとにかくしっかり歩け」

    他にも帳面やら古書やら、大木宛の土産やらを背負っている久作とは違い、きり丸は手荷物すらなく手ぶらだった。
    案外過保護なんだなと面食らいつつ、久作の心配がくすぐったいながらも嬉しい。
    ありがとうございます、と小さく言えば、照れたようにそっぽを向いて、うん、という頷きが返ってきた。

    (心配されるって慣れないなぁ…。)

    どうにもこそばゆくてならない。
    きり丸が寝込んでいる時も、随分と心配してくれていたらしい。
    きり丸の様子はどうですか、って毎日訪ねて来てたよ——そう言ったのは伊作だ。
    いつも優しい雷蔵や長次とは違い、久作は基本的にきり丸には厳しい態度をとる事が多い。学年が近いせいもあり、どちらかというと仲は悪い方だったはずなのに。

    (やっぱり、なんだかんだ甘いんだよなぁ。)

    些か自意識過剰が過ぎる気もするが、きっと自惚れではないと今は素直に思えた。
    図書委員で良かった、と思うのは何度目だろう。本人には言ったことも言うつもりもないが──久作が同じ委員会で良かった、とも実は思っている。

    「おーい!あったぞー!」

    大木の声にはっとして、小っ恥ずかしい思いを振り切るようにきり丸は思い切り首を振った。
    本を片手に駆けてくる大木に、久作がすかさず帳面に目を落とす。

    「ほれ、三冊だ」
    「ありがとうございます」

    差し出された本を受け取って、タイトルを順に読み上げる。久作が三冊分、返却に丸を付けた。

    「はい、確かに」

    帳面を閉じて、久作は仰々しくそう言う。
    あからさまにほっとした様子の大木につい苦笑がもれた。

    「では、こちらが学園長先生からのお土産です」
    「ではってお前、そういうものは先に渡せ、先に」
    「本をきちんと全部返却頂いたらお渡ししますと学園長先生にもお伝えしています」
    「げぇーっ!まったくなんちゅーやつだ」
    「当たり前です!図書の返却早い目に!」

    大木はどうにも久作が苦手らしい。
    二年生の久作を相手に、決まり悪そうに口ごもる大木というのはなかなかに面白い光景だった。思わず緩む口元に、きり丸はそっと視線を逸らす。

    「では、失礼します。きり丸、帰るぞ」
    「はい。大木先生、失礼します」

    歩き出した久作を追いかけて足を踏み出したきり丸を、大木の声が呼び止めた。

    「きり丸」
    「はい」

    呼ばれて、振り返る。真っ直ぐに目が合った。その瞬間、心のどこかが、ざわり、と揺れたような──そんな心地がした。

    きり丸は黙ったまま大木の言葉を待つ。
    少しの沈黙の後、大木は小さく笑って首を振った。

    「……────いや、なんでもない。気をつけてな」
    「はい…。ありがとうございます」

    きり丸、と久作が呼ぶ声に返事をする。
    もう一度大木に向かって頭を下げて、きり丸は久作の元へ駆けていった。

    脳裏に浮かぶ、少しばかり昔の記憶。荒れ果てた合戦場で出会った小さなこども。荒んだ目をしていたあの悲壮な面影は、もうどこにも見当たらなかった。
    きり丸の後ろ姿を見つめて、眩しそうに目を細める。それからふっと息を吐いて、大きくなったなぁ、と嬉しそうに笑った。





    ◆◆とある舞台裏の話①




    草木も眠る丑三つ時。
    痩せた三日月だけが見守る静かな夜に、不穏な動きをする影がひとつ。纏うのは藤色の忍装束。一年長屋へと続く廊下を進む、その影を見つめる視線は、五つ。

    「──こんな時間に、一年長屋に何の用?」

    突然かけられた声に、あからさまにぎょっとしたらしい影が足を止めた。

    「不破…っ!?」
    「どうしたの、そんなに慌てて。しかも忍装束のままなんて」

    平素はごく穏やかな雷蔵の声は、有無を言わせぬ雰囲気を纏っていた。

    「夜間鍛錬にしては、向かう場所がおかしいよなぁ?」
    「尾浜っ!」
    「やっほー。こんな夜更けにこんなところで会うなんて奇遇だね」

    ギリ、と奥歯を噛み締めて影──五年は組の生徒が後退する。後退したその足を、黒い影が掠めた。

    「ひっ」

    キョッキョッキョ、と次いで響いた高い声にぎょっとする。

    「夜鷹のヨッちゃんだ。どうやらヨッちゃんは、どうもお前のことが気に入らないらしい」
    「た、竹谷…」

    少年の背中を嫌な汗が伝う。

    「質問の答えがまだなんだけど。こんな時間にこんなところで何してるのっていう質問が、そんなに難しい?」
    「久々知…っ」

    お前らどうしてここに、と少年の口から引きつれた声がもれた。

    「どうしてここに?そんなこと、お前が一番よくわかってるんじゃないのか?」
    「は、鉢屋…っ!?」
    「そんな芝居がかった反応しなくてもいいだろう?この面子が揃ってるんだ。私がいないわけがない」
    「なっ、何の用だよっ!?」
    「ふぅん。あくまでしらばっくれるってわけね」

    勘右衛門の瞳に剣呑な光が灯る。同い年の同級生を相手に、少年はただ恐怖するしかなかった。

    「お前の目的はきり丸だろ?違うか?」

    思い切り肩を跳ねさせた少年に、三郎がため息をこぼす。

    「お前、それでも私たちと同じ五年生か?わかりやすいにも程があるぞ」
    「三郎」
    「はいはい、ごめん雷蔵。単刀直入に言う。ゲームセットだ。諦めるんだな」
    「な、にが…」
    「”ふぅん?えらく過激派だな?”」
    「なっ、」
    「勘が悪いな。やっと気付いたか?」
    「鉢屋、お前…っ!」
    「おーっと。実技で私に敵うと思ってるのか?」

    繰り出された拳を軽くいなして、足払いをかける。避けることもできずに足を滑らせた少年が倒れる前に、当て身で縁側から外に押し出した。

    「やーるね、三郎」
    「ここだと音が響くからな」

    受け身を取り損ねたのか、くぐもった呻き声を上げる少年を、冷たい十の瞳が見下ろす。

    「きり丸をどうするつもりだったの?痛い目見させるってどんな風に?」

    雷蔵が抑揚のない声で問いかける。

    「もしお前が罷り間違って忍者になったとして──そうやって同じように、部下や仲間を殺すのか?」

    兵助の問いに、少年は勢いよく首を振った。

    「殺すつもりなんて…っ、」
    「同じだよ」

    口元だけに笑みを浮かべて、雷蔵が重ねる。

    「きり丸は強くて優しい子だよ。お前みたいなゲスに傷つけられる謂れなんて、どこにもないんだ…っ!」

    迷いなくそう言い切って、ぐっと拳を握りしめた。

    「雷蔵」
    「…わかってる」

    気遣わしげな三郎の声に、雷蔵は小さく返事をして目を伏せる。大丈夫だよ、と小さな声とともに拳を解いた。

    「──さて、お前の沙汰は学園長先生がお決めになる」
    「……は?」

    途端に顔を青ざめさせた少年を勘右衛門が不思議そうな目で見やる。

    「当たり前だろ?俺たちの可愛い後輩に危害を加えようとして、何のお咎めもないと思ってたのか?随分とおめでたい頭だな」

    酷薄な笑みを浮かべる勘右衛門に、兵助が短く嘆息した。

    「俺たちが告げ口したと思っていそうだから、ひとつ訂正しておく」
    「なんだ。バラすのか?」
    「知らない方が幸せなこともあったかもしれないのに」

    八左ヱ門と勘右衛門が、あーあ、とさも残念そうに言う。

    「先生方は俺たちが告げるまでもなくご存知だった。この意味くらい、わかるだろう?」

    そんな、というか細い声は震えていた。
    憐れみや同情などわくはずもなく、皆一様に侮蔑の視線を向ける。
    これと五年間も肩を並べて切磋琢磨してきたのだと思うと情けなく、そして同時にやるせなくもあった。抱える思いはそれぞれあって、それはきっと綺麗なものだけではない。醜い気持ちも汚い思いもきっとあって、けれど、それは決して外──まして後輩に向けて良いものではない。それくらい、この学園に通うものなら、誰に教えられずとも理解していくことのはずだった。
    後輩を守り慈しむ。たったそれだけのことを、どうして難しくしてしまうのか。かつて自分もそうやって守られていた。五年間ずっと、先輩の背中を見てきて、どうしてこんなことができるのか。ただただ。それが信じられなくて、無性に悲しかった。

    キョキョキョ、と八左ヱ門を労わるように夜鷹が鳴く。大丈夫だよ、と八左ヱ門が指先で答えた。
    しんとした一年長屋から、時々鼾が漏れ聞こえてくる。この鼾はしんベヱだな、と呆れたように三郎が言って、そうだね、と雷蔵がやっと目元を緩めた。



     
    ◆◆とある舞台裏の話②
     
     

    学園長の突然の思い付きに端を発した、学年対抗のオリエンテーリング。付き合わされるこっちの迷惑も考えて欲しいものだと毎度のことながら思うが、この学園に籍を置いて四年。そんなことは願うだけ無駄である。
    四年生のチームはいろは全組をシャッフルしてくじ引きで分かれた二組。喧しい連中と一緒じゃなくて良かったと思いながら、先ほど見つけた指令書を手に先を急ぐ。
     
    難なく木の上を移動しつつ、目的地まであと少しかと視線を下に向けて、視界に入った井桁模様。氷上はぎょっとして足を止めた。
    ここは一年生が通るようなルートではない。教師からも、この森は基本的に上級生しか使わないと聞いていた。下級生にはここを使う指令書は出していないと。それはすなわち、少々危険度の高い罠を張ってもお咎めなし、という暗黙の了解でもあった。
    何やってんだ一年坊主ども、と内心を悪態をついて、見知った眼鏡に気付く。一年は組か、と小さく呟いた。その中に、自分が最もよく知る人物はいない。そのことに胸が引き攣れるように痛む。氷上は音もなく一年は組の面々を丁度見下ろせる位置へと飛び移った。
    不安げな表情で進むその人数は五人。は組は全員で十かそこらだったはずだと記憶していて、恐らく迷ったに違いなかった。今のところ大掛かりな罠は見かけていないが、無防備にこんなところを歩いていて、いつ引っかかるとも知れない。面倒だったが、目の前で怪我をされても寝覚めが悪い。それに、幾ばくかの罪悪感めいたものが胸の奥にずっと残っていることも事実だった。
     
    おい、と声をかけようとして、ふとざらついた何かを感じた。口を閉じて周囲に視線を巡らせる。確証はない。罠の目印もここから目視では確認できない。しかし————嫌な予感がした。
    一瞬の逡巡。けれど、その秒にも満たない短い間にもトラブルを掘り起こしていくのが一年は組、もといその筆頭の眼鏡———乱太郎であった。
    パキと小さな音が響く。小枝でも踏んだのか、そう思いかけて、しまった、と氷上は跳躍する。乱太郎が次の一歩を踏み出したのと、氷上が飛び出したのは同時だった。
     
    「この馬鹿っ!」
    「へっ!?うわぁ!」
    「乱太郎!」
     
    古典的な落とし穴だ。掘ったのは、恐らく。
    落ちかけた乱太郎を半ば体当たりするように穴から遠ざけ、自身を襲ったのは浮遊感。ぽっかりと開いた穴は暗く、かなり深いらしかった。弾かれた乱太郎を同級生が受け止めているのを目の端で捉えて、着地の体勢を整える。ああ、よかった———胸に去来したのは安堵感だった。
     
    難なく、とは言い難かったが、なんとか着地して上を見上げる。思ったよりもずっと深い。これと同じ落とし穴に、ついこの間も落とされたばかりだ。
     
    「先輩っ!大丈夫ですか!?」
     
    穴からこちらを覗き込むのは5つの顔。
    その声は今にも泣きそうで、氷上は苦笑を浮かべた。
     
    「先輩っ、ごめんなさい!わたしのせいで…っ!」
     
    一際涙声なのは予想通り乱太郎である。けれど、皆一様に心配そうにこちらを見つめていて、すっかり毒気を抜かれてしまった。
     
    「怪我してませんか!?今から助けますから、」
    「ばーか、一年坊主が何言ってんだ」
     
    乱太郎の言葉を遮る。
     
    「オリエンテーリング中だぞ。こんなところでちんたらしてないでさっさと行け」
     
    もうすぐ同じチームの奴がくるから気にするな、と付け加えた。
    怪我はしていませんか、と乱太郎が再び聞く。本当は少し足を捻ったような気がしていたが、何ともないと手を振った。
     
    「それに、お前ら道に迷ったんだろう。ここは上級生用のルートだ。ここからまっすぐ、東へ行け。そうしたら下級生のルートに出られる」
     
    こっちの道だった、という声がする。地図もまともに読めないのかと言ってやりたかったが、怒鳴るのも面倒で大きくため息をこぼした。
     
    「本当に大丈夫だから、早く行け。ここで立ち止まられても迷惑だ」
     
    わざと冷たくそう言って座り込む。
    かなり長い逡巡とこそこそとした相談があって、ごめんなさい、ありがとうございます、という声がした。
     
    「氷上先輩、ですよね…?」
     
    乱太郎の声だった。
    一瞬息が止まる。そうだ、と短く返事をした。
     
    「…きりちゃんがいつも、楽しそうに先輩の話をしていました。先輩とアルバイトするとすごくやりやすいし楽しいって。あ…ごめんなさい、急にこんなこと…。助けてくださって本当にありがとうございました。あの、これ良かったら使ってください」
     
    じゃあ、と未練と心配交じりの声がして、軽い足音が遠ざかっていく。
    放り入れられたのは巾着で、開けると包帯と少量の傷薬が入っていた。
     
    巾着を握りしめ、氷上は土壁を背にして片膝を立てる。
    乱太郎の言葉が頭に渦巻いて、どうしようもなく胸が痛かった。
     
    それからふと感じた人の気配。ひょこりと上から顔を覗かせたのは、案の定四年い組の綾部喜八郎で、やっぱりお前かと小さく零す。
     
    「だぁーい成功?」
     
    相変わらず何を考えているのかわからない表情で、綾部がこちらを覗き込む。
     
    「…俺を落とすために掘ったんだろう?違うか?」
     
    不思議と怒りは湧かなかった。
    静かに綾部を見つめ返して、答えを待つ。
     
    「まぁ、そのつもりだったんだけど」
     
    乱太郎を庇うなんて意外だったな。
    綾部の言葉に、嘲笑めいた笑みが浮かぶ。自分がしたことを思えば当然の感想だった。
     
    「…あの日の落とし穴より浅くて助かったよ」
     
    綾部の返答はない。
     
    「今、指令書を一つ持ってる。内容を伝えるからあとは頼んだ」
     
    鍵縄に括りつけて飛ばそうにも、振り回すだけのスペースがなかった。固めて投げて届く距離でもない。
    聞いているのか、そもそも聴こえているのかどうかもわからなかったが、口頭で内容を告げる。
    興味を示した風でもなく、綾部はただじっとこちらを見つめていた。冷え冷えとした瞳。甘んじて受け止めて、静かに視線を返した。
     
    「ぼく、あの子の事気に入ってるんだよねぇ」
     
    いつもと変わらない平淡な声が言う。
     
    「これ以上あの子のことを傷つけるなら、それ相応の覚悟をしておくことをおすすめするよ。きっとこんなもんじゃ済まないだろうから」

    冷たい声。けれど少しだけ温度が交じっているような気もした。
    そうだろうな、と浮かんだ言葉を飲み込む。
     
    「指令書の内容は受け取ったよ。四年生はお前がいなくても大丈夫だから、そこでゆっくりしておいでよ」
     
    じゃあね、とひらりと手を振って、足音が遠ざかる。
    穴の底から仰ぎ見る空はかなり遠い。そう簡単に出られそうにはなかった。
     
    「クソ…、」
     
    悪態が口をついて出た。
    くしゃりと顔を歪めて、俯く。
     
    「きり丸…」
     
    ぶつけた言葉がどんなにひどい言葉だったのか、その自覚はあった。超えてはいけない境界線を踏み越えて、無抵抗だったきり丸をこれ以上ないほど傷つけた。
     
    『…きりちゃんがいつも、楽しそうに先輩の話をしていました。先輩とアルバイトするとすごくやりやすいし楽しいって』
     
    乱太郎が言った言葉が深々と突き刺さっていて、胸が痛くて堪らない。
     
    可愛がっていた。自分が十の時、果たしてこんなに働き者だったかと舌を巻いたし、さっぱりしているきり丸の性格も好ましかった。生意気でちゃっかりしていて、腹が立つこともあったけれど、きり丸とアルバイトをするのは楽しかったのだ。
     
    ———なのに。子供みたいな癇癪と馬鹿みたいな嫉妬をして、なりふり構わず傷つけた。
     
    なかなかうまくいかない実技の授業に、増え続ける課題、難易度の上がる教科のテスト。ろくにアルバイトを入れる時間も取れないのに、授業料の支払い期日はどんどんと迫ってきていて、気持ちには一分の余裕も存在しなかった。
    羨ましかった。先生にも、先輩にも、同級生にも、簡単に手伝ってもらえるきり丸が。大したお願いをせずとも、手伝ってやろうか、なんて寄ってきてくれる先輩がたくさんいることが。
    俺は一人で頑張っているのに。俺は一人きりなのに。
    そんなどうしようもないことが頭から離れなくて、きり丸にひどい八つ当たりをした。
     
    手の中の巾着をぎゅっと握りしめる。
    氷上の頭に過るのは、かつての同室。お節介焼きの保健委員。

    『怪我したらすぐ言ってって何度言えばわかるの!』

    何度そう言って怒られたか知れない。
    余計な心配をかけたくなくて誤魔化して、けれど結局いつだって目敏く見つかっては怒られていた。

    『みなしごの癖して生意気なんだよ』『金持ちのジジイに色目でも使ってんだろ』『お前ツラだけはいいもんな』『なぁ、俺のことも相手してくれよ』

    無遠慮にぶつけられる言葉にも、いわれの無い暴力にも、彼がいたから耐えられた。自分より余程悔しそうに、許せない、と怒りをゆらめかせて憤ってくれたから。
    心を預けられる存在だった。唯一の安らぎとぬくもりをくれる、かけがえのない光だった。

    三年の終わりに彼がいなくなってから、自分はずっと寂しかったのだと今更に気付く。
    広くなった部屋。隣の空いた食堂の席。なくなった他愛のない会話。心から自分を心配してくれる“誰か”。
    ぽっかりと、心に穴が空いたまま、それを埋める術も知らず、心を休める場所を失って、自分はずっと————。
     
    「はは…」
     
    氷上は自嘲して、冷たい土壁に頭を預ける。
    最低だ。なんて自分勝手で、なんて馬鹿げた言い掛かりだったのだろう。憂さ晴らしのつもりで、気持ちなんてひとつも晴れやしなかった。
    ああいうことを言われると、どれだけ心が軋むのか、自分だってそれを身をもって、痛いくらいに知っていたのに。
     
    「…————」
     
    熱い涙が頬を滑り落ちる。
    ごめん、なんて口にする資格もない。許してくれなんて、言えるはずもなかった。
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