Moving in together「場地さんが浮気した!」
バックヤードで叫ぶオレを一虎くんが冷ややかな目で見つめる。
失礼な奴だと思ったが、緊急事態の今そんなことを気にしている暇はない。
勢いよく開けた扉を閉めて、一虎くんが座っているテーブルまで速足で歩く。向かいに座るとあからさまに嫌そうな顔をされた。
「聞いてくださいよ」
「嫌だ」
「聞いてくれないなら給料減らしますよ」
「流れるようにパワハラするな」
悪態をつきつつも操作していたスマホをテーブルに置く一虎くんは、なんだかんだ優しいところもあるのだ。問題があるところの方が多いけど。
「で?場地が浮気したって?」
「そうなんですよ!」
「ありえねーだろ」
鼻で笑う一虎君を睨む。一虎くんはオレよりも場地さんとの付き合いの方が長いから、いつもすぐに場地さんの味方をする。
「本当なんですよ!オレはこの目で見たんです」
「何をだよ」
「場地さんが知らない女と歩いてるのを!」
自分で言っておきながらダメージがでかく、息を切らしながらそう言うオレに一虎くんは「ふーん」と言った。
ふーん、って。浮気されてかわいそうな上司に言うべき言葉はいくらでもあるだろうが。この男にも最近少しずつ人の心が芽生えつつあると思っていたが、そんなことはないということが今分かった。
「おかしいでしょ!オレというものがありながら女と歩いてたんですよ!?」
「別に良くね?何か事情があったんだろ」
「これだからモテないんですよ、一虎くんは……」
「はあ?おかしいのはオマエだろ!」
「オレのどこがおかしいっていうんですか!」
「場地がそんな器用なことできるわけねぇって分かるだろ?あれだよ、仕事で知り合った奴とかだよ」
「オレも最初はそう思いましたよ。仕事の関係者なんじゃないかって」
比較的ペットショップ内での仕事が多いオレと一虎くんに比べて、場地さんは仕事のために外に出ることも少なくない。仕事や打ち合わせのために外の人間と関わることもあるだろう。
そして、今日は場地さんが休みだ。店を空けることができないペットショップでは、交代で休みをとっている。オレと場地さんの休みが被ることもあるが、大抵はどちらかだけが休みであることが多い。
休みであるはずの場地さんが街中で女と一緒に歩いていた。銀行に用事があって外に出た時に偶然見かけたのだ。
休みの日にわざわざ仕事の関係者と出かけることはまずないだろう。
加えて、場地さんはオレに「今日はずっと家にいるワ」と言っていた。状況から考えるに、これは紛れもない嘘だ。だって場地さんが外出しているのをオレは見たんだから。「じゃあ、仕事終わったら場地さんの家に行きますね♡」なんて浮かれてたオレが馬鹿みたいだ。
オレに嘘をついて、オレの知らない女と会っている。これは完全にアウトだ。オレの頭の中にいる審査員たちが全員バツの札を上げている。
「嘘ついてまで会いたい女がいるって……。こんなの浮気でしかないでしょ!」
「落ち着けって」
「落ち着いてられないですよ!長年の片想いが実ってせっかく場地さんと付き合えたのに……あんまりだ……」
「いきなり泣き出すなよ……」
怒る余裕もなくなり泣き始めたオレに、一虎くんはその辺にあったティッシュの箱を渡してくれた。それをありがたく頂戴する。
涙を拭うオレを眺めながら、一虎くんは頬杖をついてため息を吐いた。
「まずは場地本人と話せよ。何か勘違いしてるだけかもしれないし」
「……ううっ……、……も、……てやる」
「なんて?」
「オレも、浮気してやる!」
ガタッと椅子から立ち上がったオレに向かって一虎くんは「はあ!?」と言った。今日聞いた中で一番大きな声だった。
そのまま部屋の出口へ向かうオレの腕を一虎くんが掴む。
「待て待て。どこ行く気だよ」
「適当に相手見つけるんですよ。それなりに遅い時間だしその辺歩いてればひっかけられるでしょ」
「千冬!落ち着け!な!?浮気なんてするもんじゃねぇよ!」
「うるさい!一虎くんには関係ないですよね!」
「自分から巻き込んどいてよくそんなこと言えるな!ここでオマエ行かせたらオレまで場地に殺されるだろーが!」
成人男性二人の大人げない取っ組み合いの末、オレは再び椅子に座らされた。
黙り込むオレに、一虎くんは呆れたように「あのさあ」と声をかける。
「そもそもオマエは浮気なんかできないだろ」
「で、できますよ!オレだって、そのくらい……」
「千冬って場地以外相手に興奮すんの?しないだろ?」
「いやいや、別に体の関係を持つ必要はないじゃないですか。恋人じゃない奴と十秒以上目が合ったらそれはもう浮気なんですから」
「ヤバ。……おい、オマエと話してる時たまに目逸らされる理由ってそれかよ!」
当たり前のことを言っているだけなのになぜかドン引かれてしまった。付き合ってもない奴と必要以上に目を合わせる必要はないから、故意にそれをしたんだったら浮気になるのは当然だろう。たとえ相手が一虎くんであったとしても、無意味に見つめ合えば浮気になってしまう。だから、しない。
「オレはそこまで気をつけてるんですよ。それなのに場地さんは……酷いと思いませんか!?」
「あーハイハイ。酷いねー」
「ちょっと!真面目に聞いてください!」
「聞いてる聞いてる。あ、仕事の電話きたからちょっと外出てくるわ」
オレの話から逃げるように部屋から出ていく一虎くんの背中に「あ!逃げるな!」と放つものの完全に無視されてしまった。
仕事の電話なんて絶対に嘘だ。基本的に取引先との連絡をとっているのはオレか場地さんだから、一虎くんに電話がかかってくることはほとんどない。大方部屋の外でゲームでもしているんだろう。
唯一の相談相手である一虎くんにも逃げられてしまった。もうオレの味方はいない。終わりだ。
テーブルに突っ伏して深い深いため息を吐く。
オレに何かダメなところでもあったかな。これでも場地さんのためにできることはなんでもしてきたつもりだけど。
高校生の時から場地さんにアタックし続けて、大学生になった時にやっと付き合ってもらえることになった。大人になった今では一緒に店やれてて、大変なことも多いけど幸せな生活だと思ってたのはオレだけだったんだろうか。
そもそも告白したのもオレからだし、場地さん本当はオレのこと好きじゃなかった、とか……。
……いや、それはないな。場地さんいつもオレに好きだって言ってくれてたし、部屋にもよく呼んでくれた。今日だって、仕事が終わったら場地さんの部屋に押しかける予定だったんだ。
でも、心変わりした可能性はある。場地さんは世界で一番魅力的な人だから、寄ってくる奴も多いだろう。その中にオレ以上の人間がいたのかもしれない。
いやいや、オレ以上の人間ってなんだよ。オレ以上に場地さんにぴったりな人間がいるわけないだろ。意味もなく自分にキレてみるけど、余計に虚しくなるだけだった。
オレ以外の人と二人で出かけることになった時、今までは必ずオレに知らせてくれていた。事情を説明してくれて、オレも場地さんに迷惑をかけたくなかったから笑って送り出していた。
今回は違う。場地さんはオレに隠して誰かと会っていた。それが無性に悔しかった。場地さんのことでオレが知らないことがあることがショックだったんだ。
どれくらい時間が経ったんだろう。
部屋のドアが開く音が聞こえたけど、顔を上げる気力もない。一虎くんが戻ってきたんだろうな。
一虎くんにも呆れられたかも。何を言われても文句は言えない。痴話喧嘩に巻き込んでしまったお詫びに、オレのスマホのアルバムにある場地さんコレクションを今度見せてあげよう。
「オイ、浮気者」
一虎くんの声よりも低くて、誰よりも聞き慣れた声が耳に入ってきて思わず固まる。
恐る恐る顔を上げると、怖い顔をした場地さんが立っていた。
「ば、場地さん……。なんでここに」
「一虎から『千冬が浮気するって言ってる』って連絡あったから来たんだよバカ」
一虎くん……。てっきり逃げたのかと思っていたけどオレに黙って場地さんに連絡していたらしい。面倒なオレを場地さんに押しつけて逃げたとも言えるけど。
ていうかバカってなんだ。オレがここまで落ち込んでるのは場地さんが原因なのに。
「……バカはそっちでしょ」
「あぁ?」
「場地さんがいけないんですよ!オレというものがありながら……」
「なんだよ」
「…………」
浮気してたでしょ。そう言おうと思ったのに、言えなかった。
もし平然と「そうだけど?」とか言われたらどうしよう。場地さんに限ってそんなことはないと思うけど、オレはもういらないって言われるのが怖い。
黙り込んでしまったオレの頭に場地さんの手が乗せられる。機嫌を取るみたいに、優しくぽんぽんと撫でられた。
「オマエなんか勘違いしてるだろ」
「……え?」
「オレが今日一緒にいたのはパーから紹介してもらった不動産会社の社員。今日は何件か見にいってきた。オマエに黙ってたのは悪かったよ」
「え、え?不動産?え?場地さん引っ越すんですか?」
「引っ越すっつーか……まあ、そうだな」
「え!?オレ聞いてませんよ!」
今日一緒にいたのが不動産会社の人だったってことは納得した。思い返せば相手はスーツを着ていた気がする。場地さんの浮気現場が衝撃的すぎて相手の服装まで意識してなかった。
問題はそこじゃない。場地さんが引っ越すことだ。今の場地さんの部屋にはオレもたくさん行ったことがあるし、大きな部屋ではないけど場地さんの私物で溢れた場所がオレは好きだった。
引っ越すのは少し寂しいけど、場地さんの自由だ。でも、一言くらいオレに何か言ってくれても良かったんじゃないか。
驚いて呆然とするオレを一瞥した場地さんは、大きなため息を吐きながら綺麗な黒髪をがしがしと掻き混ぜた。
「あー、それでさ。よさそうなとこ何個か見つけてきたんだよ」
「……はい」
「だからオマエも今度一緒に選んで」
「え、オレがですか?」
場地さんの部屋なのにオレが選んでもいいんだろうか。
そんな疑問を抱いて場地さんを見上げると、場地さんは照れくさそうに目を逸らした。
「一緒に住も」
珍しく頬を赤く染めながらそう言う場地さんに、オレはつられて赤くなった顔を縦に振った。