空の色がオレンジ色に変わる頃こんこんと扉を叩く音が静かな部屋に響くと、家主の許可も得ずに扉は開かれた。部屋に置かれたソファーに腰掛けて分厚い本を開いて読んでいるルシファーはノックの音にも扉が開く軋んだ音にも全く反応する様子も無く、本に視線を落としたままやって来た相手を迎え入れる姿勢も見せなかった。
今まで来訪を歓迎されたことのないベリアルはいつもと変わらぬ反応に安心感すら抱きながら、ルシファーが一人腰掛ける高級な座り心地のいいソファーの方まで足を進めていった。
「ファーさん、座っていい?」
「………………」
「ウフフ、じゃあ失礼して」
返事がないのは了承の印だというこれもまたいつも通りの解釈をしたベリアルはルシファーの横へと腰を下ろした。ふかふかとしたソファーは体重を受けてゆっくり沈み込むが、少し体が揺れた程度で反応を見せるルシファーではなくページを捲ることと瞬き以外の無駄な動きをすることはなく、ベリアルが来る前と全く変わりないのだろう。最初の頃は邪魔をするなと押し退けられたりしていたが、構えば何倍にもなって帰ってくるということをすぐに理解したルシファーは構わない方が邪魔をされないと、よっぽどのことがない限り放っておくことを決めたようだ。
前にどこまでなら許されるかと腰に腕を回して抱き寄せて、頭や頬に口付けを落としていたら調子に乗るなと何の前触れもなく硬い本の角で思いっ切り殴られても離れずにいたら二度も殴られた上に、ルシファーは舌打ちと共に立ち上がって部屋から出て行って戻らなかった。
それから暫くは部屋に鍵を掛けて籠もるようになってしまったため、アレは失敗だったなと思い返す。腰を抱くまでは怒られないのが今までの経験からわかっているベリアルはそっとルシファーの腰へ手を回して自分の方へと寄せた。
ちらりと顔を上げることもなく、こちらに意識を向けることもなくただただ本だけしか目に入っていない、そんなルシファーの表情のない顔を赤い瞳を細めて愛おしげに見つめたベリアルは邪魔をしないようにと視線を前に向ける。
「ファーさん、その本面白い?」
「………………」
「昨日読んでたのとはまた違うみたいだけど、キミの守備範囲ってどこまであるんだい?」
「………………」
「そうだ、オレにキミのおすすめを教えてくれよ。隣で静かに読むからさ」
「……………ベリアル」
「ごーめんて。大人しくしてるよ」
地の底から響くような怒りを滲ませた声を漸く上げたルシファーに顔をこちらに向けることもなく視線だけでぎろりと睨まれてしまえば、漸く口を噤んで大人しくすることにしたベリアルは小さなため息さえも構ってくれているようで嬉しいと口角を上げて微笑んだ。
暫くそうしていたベリアルであったが、不意に肩に衝撃を受けると半身にずしりとした重みと頬を擽るようなふわりとした感覚に驚いてルシファーの方に視線を向けると、手にしていたはずの本が膝の上に置かれていて何の遠慮もなくベリアルに全体重をかけるように寄り掛かっていた。
「ちょ……ファーさん!どうし……」
「すう…………」
耳に届いたのは穏やかな寝息。疲れていたのか、ベリアルがくぎを刺されて大人しくしていたからか普段の険しく皺の寄った表情か何を考えているかわからないほどの無表情からは想像できないほどのあどけない寝顔。胸を上下させてすやすやと甘えるかのようにもたれ掛かっている無褒美な姿を目にしたことがあるのは自分だけだろうとベリアルは思った。というより、他の人が見ていたとしたらその目を潰してやろうと思えるほどに愛しく見える。
「起こさなかったらファーさん、怒るよな」
ベリアルの肩に頭を乗せたまま気持ちよさそうにすやすやと眠っているルシファーを起こしても起こさなくても不機嫌になるのは目に見えているが、後者の方がより怒りを買いそうだということは火を見るより明らかであったが普段からあまりまとまった睡眠を取らずに研究に熱を上げるルシファーなのだから活動限界を向かえる前に少しでも睡眠を取って欲しい。そう自身に言い聞かせるように胸中で言い訳をしたベリアルは安心しきった顔で肩を借りて眠るルシファーの腰に回した手の力を強めるのだった。