とある昼下がり、孔雀が食堂の通路を歩いていると椅子に座って何やら背中を丸めて何やらしているひばりの背中を見つけた。孔雀がひばりの背後にそっと近付いて手元を見てみるとくまのぬいぐるみの汚れを丁寧に拭っているようであった。
「あら、ひばりそのくま…」
「孔雀少将!お疲れさまです!」
孔雀から声をかけられ、ひばりは少々驚きながらも嬉しそうな弾む声で挨拶をした。ここ数日その他の中にあるくまのぬいぐるみを無くしたとかで落ち込んでいたことが嘘のようだ。
「コビーでしょう?それ拾ったの」
「はい、わざわざ私んところまで持ってきてくれて…」
「そんなに喜んでいるならコビーを怪我したかいがあったねぇ」
「……え?ど、どがいなことですか?」
予想外の言葉にひばりは思わず立ち上がり孔雀との距離を縮めた。その反応をみてひばりが何も知らされていないことを理解した孔雀は頬に手を当てて眉尻を下げ困った顔をした。
「聞いていなかったのかい?あー…野暮なことを言っちまったかしら」
「教えてつかーさい!」
海軍本部廊下にて、コビーは目の前の大きな体の男海兵が身を小さくして頭を下げているのを困った顔で見ていた。男は右足に大きな体にふさわしい大きなギプスをはめて松葉杖をつきながら声を振るわせぼたぼたと大きな涙の雫を溢していた。
「コビー大佐、俺を助けに戻ってくださって本当にありがとうございました!」
「いえ、そんな僕は当然のことをしたまでですから」
「あの時もう俺一歩も動けねぇし体もでかいし…置いて行かれても仕方ねぇと…俺…俺…っ!」
「いいですって!ね?僕が勝手にしたことですから」
「ううっ…本当に命の恩人です…」
「大袈裟ですよ。ほら、足の怪我に障りますからきちんと帰って休んでください」
「ありがとうございます…ありがとうございます…!」
男は涙ながらに何度も感謝を伝えながら慣れない松葉杖をついて去っていった。コビーは熱烈な感謝が終わったことに一息をついていると、足早に近付いてくる気配に気がついた。コビーから声をかけるまでもなく、その気配は息を切らしながらコビーを大きな声で呼び近付いてきた。
「コビー先輩!コビー先輩!」
「ひばりさんどうしたんですか?」
ぜぇぜぇと荒い息をしながら目の前で急ブレーキをかけたひばりに声をかけた時、コビーはひばりが握っているくまに気がついた。
「あの、もしかしてそれどこか壊れてましたか?僕が拾った時壊しちゃったかな…?」
「そういうことじゃのうて!」
ひばりはそのコビーの言葉を強く否定すると、びっと勢いよく手に握ったくまのぬいぐるみを突きつけた。
「コビー先輩、これをわざわざ戦場に拾いに行って怪我して上官に叱られたっちゅうんはほんまですか!?」
「えっ!?それをどこで!?」
「本当なんですね…!孔雀少将から聞きましたけぇの」
「しまった…」
うっかり自白してしまったコビーは手で口を押さえ、その後は居心地悪そうにその手で後頭部をかき苦笑いした。
「いやぁひばりさんの耳に入ってしまうとは…」
「なんで!なんでそがなことしたんですか!」
「なんでって…だってそれ、ひばりさん大事にしていたじゃないですか。無くしたってすごく一生懸命探してたし。だから探してみただけです」
「だけですって…」
ひばりはあまりになんでもなく、当たり前のようにそう返すコビーに脱力した。
「でも怪我したっちゅうて…私…申し訳のうて…」
落としてしまった自分の不注意を、そして他の人間から見ればただのぬいぐるみを怪我までして先輩に拾わせてしまった事実にあまりに申し訳なくひばりの目に涙が滲んだ。それをみてコビーは慌てて手を振りながら弁解した。
「けっ怪我は僕が未熟だっただけです!だからひばりさんが何も気に負うことはありませんよ」
「でもっ…」
「僕が勝手にしたことですから」
ね?と少し困ったように笑うコビーにひばりはそれ以上なにも言えなかった。その時遠くからコビーを呼ぶ声がした。
「おーいコビー」
「あ、ヘルメッポさんだ。じゃあ僕行きますから。それ見つかって本当に良かったですね」
本当になんでもないことのように言い、手を振って去るコビーの背中をひばりは深々と頭を下げて見送った。
「ありがとうございました!」
コビーが書類を手に持ったヘルメッポに駆け寄るとヘルメッポは肩をすくめてコビーの後ろのひばりをみやった。
「お前まーたなんか人助けしたのか?」
「人助けってほどじゃないよ」
「おーおー言ってら。そんな他人のことばっか助けてて大丈夫かよ。自分のこともちゃんと気にかけろよ」
「分かってるよヘルメッポさん。大丈夫だから」
「どーだかなぁ」
* * *
黒ひげからコビー奪還の後、ハチノスから帰還する船で奪還された本人であるコビーは甲板の床にうずくまり打ちひしがれていた。助けにきたガープと共に帰還することが叶わなかった。よりにもよってそれが他の誰でもないコビー自身の失態によってだという事実に耐えられなかった。
「僕がっ…僕があの時足を止めたから!僕なんかを助けにこなければガープ中将は!僕があそこで代わりに…!」
「コビー!!」
ヘルメッポがうずくまって泣くコビーの肩を掴んで無理やり顔を上げさせた。肩を掴むその手は痛いほど力が入っており、手の主のヘルメッポは怒りのあまり顔を蒼白にさせていた。
「バカ言ってんじゃねぇ!!」
「でもっ僕なんかを助けに来なければ…!」
「お前だから助けに来たんだよ!ジジイも!こいつらも!俺も!コビーだから助けに来たんだ!どうして他の誰が捕まったからってハチノスくんだりまでくるんだよ!お前が捕まってるってんじゃなきゃこんなこと来ねぇし来たかねぇよ!」
ヘルメッポがそう叫ぶとひばりがそうです!と賛同し、リュックについていたあのくまのぬいぐるみを手にとり大事に胸に抱えた。
「私、コビー先輩にこれ拾ってもらいましたけぇ!これ…小さい頃から大事にしちょったのに無くして本当に悲しかったけど、先輩が拾ってきてくれたけぇ私っ…」
「俺もっコビー大佐がご自分よりデカいでくのぼうの俺を担いで助けてくれたから今ここにいるんです!」
ひばりと若干左足を引きずった海兵がそういうなり甲板のあちこちから俺も、俺もとコビーに助けられた海兵が声をあげた。
「大佐が上官から庇ってくださったの俺一生わすれねぇんで!」「コビー大佐に助けに来てもらわなかったらもうとっくに死んでました!」
口々に助けられたことを感謝する声にコビーが圧倒されていると、ヘルメッポがコビーの肩を掴む手を緩めて先ほどとは打って変わって弱々しい声でコビーに語りかける。
「なぁ、コビー。お前がやってきたことがちゃんと返ってきてるんだよ。いっつも言ってたじゃねぇか。『僕が勝手にしたことですから』って…だから俺たちも勝手にコビーを助けに来たんだよ。だから…」
ヘルメッポはコビーの両肩を掴んだまま俯き、震える声を振り絞った。
「だから自分が代わりに死ねばなんて言うなよ…。お前が大事なんだ…英雄だからでも大佐だからでもねぇ。コビーだから助けに来たんだろうが…その気持ちを踏み躙らねぇでくれ…」
「ヘルメッポさん…」
コビーはずびずびと鼻の音を鳴らし俯いたままのヘルメッポを思わず抱きしめた。その肩越しにたくさんの海兵がいて、ヘルメッポの言う通りだと言わんばかりに泣きながら頷いているのが見えた。温かくて、胸がいっぱいで。ふと昔ルフィに言った言葉がコビーの中で蘇った。
『僕のために戦ってくれる人なんて絶対いませんでした』
あの時の僕が今の僕を見たらどう思うだろう。
取り返しのつかないことをしてしまったし、本当に僕は弱いし、愚かで迷ってばかりだけど。それでも、今だけは僕が本当に欲しかったものがここにあったと。
熱いものが胸から湧き上がって喉を詰まらせる。
「…ありがとう…ありがとう…!」
ただそれだけしか言えなくて。