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    弥 永

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    弥 永

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    エキストラAの他のモブ視点

    一応完成したけど気に入らないからこっそりこっちに置いておく。会社員、タクシー運転手、キャバ嬢、コンビニ店員、中学生の5人のモブから見た竜春。

    注意
    モブにかなり自我がある。
    女子中学生が竜に好意を寄せてる。

    最後は時系列順

    エキストラA10月24日 22時50分

    宮下龍一 会社員
     ようやく仕事が終わったと思ったのに再び駆り出されて俺は不機嫌だった。既に人気のない倉庫へと向かい、商品をチェックする。アメリカとの取引でどうしても商品の詳細が必要だったのだ。時差というのは厄介なものでもう日付が変わろうとしているのに、わざわざ倉庫まで来させられた。

     うちの会社では主に小さなネジを作っている。いつもは国内取引だけなのだが、最近海外へ向けても取引を始め、俺はその担当者としてアメリカとの取引をしていた。初めての海外取引ということもあり、何もかもが手探りだが、担当者への抜擢は自分の能力を認めてもらえたようで嬉しかった。

     さっさと、詳細を送って帰ろう。ネジの現物の写真を撮っていると、ガタンと大きな音がした。
     まさか泥棒だろうか。先程、きちんと施錠してきたはずなのだが。驚いて立ち上がろうすると窓ガラスの割れる音がする。新しい方の倉庫は警備会社と契約しているが、こちらの倉庫はあと1ヶ月ほどで取り壊すため契約なんてしていない。俺は咄嗟に机のスタンドライトを消してスマホをスリープモードにした。居直り強盗だけは絶対に避けたかった。慌てて棚の影に隠れる。

     大量の部品とそれを置いた棚の並ぶ倉庫。体育館くらいの広さのそこを、窓から侵入した男が走っているのが見えた。先ほどまで明るい環境で作業をしていたこともあり、夜目が効かない。ぼんやりとしか見えないが、どうやら男は、棚に当たっていくつか部品を落としながらキャットウォークによじ登り、そこを走っているようだ。侵入者の男を追うように、すぐに2人の男が入ってきた。棚の影に隠れているためよく見えないが2人共髪が長い。

    「おい、アホ灰谷!ちゃんと見とけって言っただろ!」
    「しょうがねえだろ、あんな足速いと思わねえし」

     2人は仲間なのだろうか?互いに連携をとりながら逃げる男を追っている。1人の人物がキャットウォークへと上り、もう1人が下から男を追った。

    「撃つなよ」
    「わかってるって」

     撃つって銃じゃないよな?小さく手が震える。警察とかに通報した方が良いのだろうか?でも、この距離だと電話をすれば確実にバレるし……。

     逃げた男が窓の前を通った時、一瞬だけその姿がはっきりと見えた。スーツを着て焦ったような顔をしている。怪我をしたのか脇腹を押さえていた。
     逃亡者を追う髪の長い男も月の光で姿が見える。こちらは明るい髪をしており、前の男を睨みつけていた。とてもじゃないが警察には見えない。追いかけっこなら外でやってくれ。そう願っていると、悲鳴が聞こえてきた。どうやら逃亡者は追いつかれたらしい。

    「離せ!」
    「てめぇよぉ、3000万どこやったんだよ?帳簿の数字が合わねえだろうが、なぁ?」

     ドスの効いた声で逃亡者に問い詰める男。どうやら逃亡者は横領していたらしい。

    「し、知らない!俺じゃないです!」
    「お前以外に誰がいんだよ!裏切り者はどんな目に遭わされるか、新入りのお前でも知ってるよな?」
    「い、嫌だぁぁ!!」

     まるでドラマのワンシーンを見ているようだった。逃亡者は必死に抵抗しているらしく、争うような物音が聞こえてくる。その頃には俺の目も暗闇になれ男たちの姿がぼんやりとではあるが見えるようになっていた。
     狭いキャットウォークの上で揉み合う2人。たっぷり1分ほど取っ組み合いをし、勢い余ったのか掴み合ったままキャットウォークから転落した。すぐにドボンと大きな水音がした。うちの倉庫には工場で使わなくなった貯水槽を置きっぱなしにしてある。どうやら2人一緒にそこへ落ちたらしい。

    「三途!」

     下から逃走者を追いかけていた男、灰谷が貯水槽に駆け寄っていくのが見える。

    「てめぇ、ざけんな。ぶっ殺す」
    「嫌だ!離せ!離せぇ!」

     逃亡者と三途と呼ばれた男はなんとか貯水槽を這い出した。侵入者とはいえ中がただの水で良かったと今更ながらにホッとする。三途と灰谷は暴れる逃亡者を何度か殴りつけると引きずって倉庫を出て行った。

     俺は恐怖から1時間ほどその場を動けなかった。警察に電話しようにも状況がよくわからない。倉庫への侵入は犯罪なのだろうが、横領や「殺す」と言う言葉はどこまで本気なのだろうか。
     でも、まぁ。明日、社長に割れた窓ガラスを俺のせいにされたら嫌だしな……。ようやく正気を取り戻した俺は110番するためにスマートフォンを取り出したのだった。



    11月18日 15時57分

    中野三郎 タクシー運転手
     勤続30年。運転技術に自信があります。今まで仕事ではもちろんプライベートでも1度も事故を起こしたことはありません。とはいえ、決して驕ってはいません。いつ事故に巻き込まれてもおかしくない。そう考えて、できる限り安全に配慮して運転することが、タクシー運転手である私のポリシーです。
     この仕事を続けていると、たまに忘れられないお客様を乗せることがあります。「前の車を追ってくれ」と言う刑事さんに、下関まで行って欲しいと言う泣き腫らした女性のお客様。たまに人ならざるものまで。今日のお客様も、そんな忘れられない人となりそうでした。

     手を挙げた男性を見かけ私は車を寄せました。乗り込んできたのは派手な男性2人組。紫色の髪の男性をピンク色の髪の男性が支えるようしていらっしゃいます。

    「どちらまで?」
    「とりあえず六本木方面行って」

     ピンクの髪の男性は端末を操作しながらそうおっしゃいました。紫の髪の男性は具合でも悪いのか、ぐったりと座席に寄りかかり目を閉じていらっしゃいます。

    「灰谷」

     どうやら紫の髪の男性は灰谷様というそうです。ピンク髪のお客様は灰谷様の額に手を当てると、顔を顰めてまた端末を操作されました。

    「どっか適当にコンビニ入れ」
    「承知しました」

     なんだか強盗のようだな。ぼんやりとそう思いました。ピンク髪のお客様はなんというか、非常に堂々とされている方でした。私なぞ、圧倒されてしまい、時折高圧的に感じてしまうほどです。お連れ様の体調が芳しくなく、余裕がないのでしょうか。

    「んず」
    「っ、大丈夫か?」
    「なんか、気持ち悪い、かも」
    「吐くか?」

     体調を気持ちで管理することなど不可能と知ってはいますが、車内で吐くのだけはやめてくれと、つい、その様に考えてしまいました。そんな私の思いが通じたのか、灰谷さんは「大丈夫」と小さな声でおっしゃいました。

    「やっぱコンビニいいわ。このまま直進しろ」
    「はい」

     左手に見えたローソンを無視して私はタクシーを走らせました。威圧感のある態度とは裏腹に、ピンク髪のお客様は灰谷様の背中を優しくさすってやっていらっしゃいます。お優しい方ですね。目的地であるマンションへは程なく到着しました。釣りはいらないと1万円をお支払いされ、ピンク髪のお客様はお連れ様を支えて車を降りられました。

     この仕事を始めて随分と経ちますが、これほど派手な2人組を乗せたのは久しぶりでした。そして、ピンク髪のお客様の持ち物も。

     お客様は具合の悪そうなお連れさまに自身のトレンチコートをお貸しになっていました。黒のトレンチコートです。きっと普段は常に身につけていらっしゃのでしょうね。コートを脱いだお客様の胸元にはほんのわずかにですが違和感がありました。忘れもしません。20年前、逃亡犯を載せてしまった時と同じピストルの膨らみです。

     ですが、結局お客様方は迷惑をかけるでもなく、むしろ気前良くお足をいただきこちらが感謝しているくらいです。

     本日は都中交通をご利用いただきありがとうございました。またのご利用を心からお待ちしております。



    10月2日 22時22分

    レイカ キャバ嬢
     きしょい、マジ無理なんだけど。太ももに触れようとしてくる手を遮るようにバッグを寄せ、にこやかに笑いかける。ほんと水って心死ぬよね。なんとか学費を貯めたくて、かといって死んでも体は売りたくない私が選んだ仕事がキャバクラ。
     別にナンバーを目指したいとかものすごい額を稼ぎたいなんてわけではない。専門学校の学費さえ貯まればすぐにでもこんな仕事辞めたかった。でも、現実というのはそう甘いものではなく、汚いおっさんの相手をしながら降り注ぐセクハラに耐えていると次第に心が死んでいく。

    「レイカさん」

     タイミング良く黒服に呼ばれて私は席を立った。ラッキー。思わぬ助け舟だ。でも誰だろう、私の指名客はそう多くはないし、今日は誰からも連絡は来ていなかった。新規のお客さんかな?案内された席にはつまらなそうに煙草を吸う男が1人。

    「竜胆さんじゃん、どうしたの?」
    「ちょっとな」

     竜胆さん。ホストに見まごうほどの派手な服装と整った顔。そこそこ金を使ってくれるものの、月に1度か2度ほどしか来店しない変わったお客さん。営業のLINEは全部無視するくせに、決して切れない。その上、竜胆さんは時々店に来るスカウトやその上司と思しきやくざと話していることもあり素性が知れなかった。

    「なあ、ここってもう締めたの?」
    「一昨日締めだって連絡したじゃないですか」

     既読すらつかなかったけど。

    「いやそうじゃなくて。金の回収とか」

     なんとも歯切れの悪い竜胆さんに首を傾げると、「もういいわ」とため息をつかれた。ネクタイを緩め、シャツの胸元を開ける竜胆さんは色っぽくて格好いい。けれど残念なことに私にはまったく刺さらない。何がダメなんだろうな。やっぱ、金落とさないからかな?

     好きなものを頼めと言われたので、そこそこ値の張るシャンパンを頼んでやったが竜胆さんは何も言わなかった。超が付くほど下戸だという竜胆さんは酒が飲めないので、頼んだ酒は嬢が飲まなければいけない。だけど、竜胆さんは私が飲まなくても何も言ってこないし、なんなら話を盛り上げなくても何も言わない。かなりの良客なのだろうが、腹の内が読めず私は苦手だった。

    「なあ、……お前」
    「もう、レイカですよ。誰と間違えてるんですかぁ」
    「……」

     盛り上げてやってんだから乗って来いよ。内心苛つきながらも平静を装い微笑むと、竜胆さんは珍しく俯いた。

    「最近この店にピンク髪のやつが来てるの見た?」

     ピンク髪? はて、そんな嬢いたっけ? あれ? 来てるってことは客?

    「うーん、髪がピンクの人はお客さんにも嬢にもいないですかねえ」
    「オーナーとかとも話してなかった?」
    「……あ!」
    「来たのか!?」
    「来ました。髪ピンクの人!」

     そうだ、ちょうど昨日帰ろうとすると店の前でオーナーがタクシーに向かって頭を下げていた。珍しいなとちらりと見ると車内にいた人の髪がピンク色だったのだ。来店した人物ばかりを思い描いていたので咄嗟に出てこなかった。

    「締め日の翌日か」

     竜胆さんは小さく呟くと嬉しそうに笑った。

    「よし! 好きなだけ酒入れていいぞ!!」
    「ええ? いいんですか?」

     怖いけどたくさん入れておこう。何の仕事をしているのかは知らないが、金だけは持っているようだし、わざわざ遠慮する必要もないだろう。

     この日、私はたった1日で今までの自己月間総売り上げを抜いた。竜胆さんはやっぱり1滴も飲まなかった。


    11月1日 23時35分
     最近1つ気が付いたことがある。竜胆さんは締め日の直後に来る。初めて来店した時もそうだったし、3回目と4回目もそうだった。うちの店は月末が締めだから、竜胆さんは大抵月初めに来店していることになる。

    「竜胆さん、来てくれたんですね」

    『今日行くから』。わざわざLINEをしてきたのも初めてだった。珍しい。竜胆さんは開店直後に来店し奥の席に居座ると、延々と煙草を吸い続けている。

    「竜胆さん、今日お仕事だったんですか?」
    「……」

     無視すんならキャバ来てんじゃねえよ。殺すぞ。酒を入れているから文句は言えないがもはや恐怖の粋だな。竜胆さん用にノンアルコールのカクテルを用意していると、ずっと押し黙っていた竜胆さんがようやく口を開いた。

    「お前って恋人いんの?」
    「えぇ? いませんよ」
    「キャバって恋人作っちゃダメなんだったっけ?」
    「まあ」

     その辺のルールは適当だ。嬢と黒服の恋愛は禁止だけど、嬢に恋人がいたって店にはわからないし、そもそも恋人の定義とは何なのだろう。この世界にいるとそういうことがだんだん曖昧になっていく。

    「竜胆さんはモテるんじゃないですか?」

     事実、顔はいいのだ。なぜこんな場末のキャバクラで金を落としているのかは知らないが、この顔で金もあるとなれば女は放っておかないだろう。

    「俺今好きなやつがいるんだよね」
    「素敵ですね」

     裏返りそうになる声を静めて何とか返した。好きなやつって。そんなピュアなこと今どき高校生でも言わないだろ。可愛らしい言葉が横に座る男から飛び出したことに驚いた。

    「どんな人なんですか?」
    「髪長くて、顔がよくて、金持ってて、俺に全くなびかない」
    「ええ……。竜胆さんの上位互換じゃないですか」

     酒の勢いもあり思わず口を滑らせたが竜胆さんは特に気にも留めない。

    「この前仕事中にあいつが全身ずぶぬれになってさ」
    「何のお仕事ですか?」
    「うーん。悪い奴追いかけて捕まえるサツみたいなやつ?」

     証拠があるわけではないが、絶対に違うと思う。

    「その時夜だったし、家近いから泊ってけよってマンション連れ込んだんだよ」
    「相手の女性よく来ましたね」
    「うーん、まあ。けど、結局服乾いたから帰るってすぐ帰っちまって」
    「そりゃ、付き合ってもないのに警戒しますよ」
    「いや。俺本命には紳士だから。付き合ってもないのに手出したりしねえし」

     いや、出すだろ。こんな遊んでそうですみたいな見た目で遊んでなかったら逆におかしいだろ。

    「あれ、灰谷さん」

     突如かかった声に振り向くと高そうな紺色のスリーピースに尖った靴、ツーブロックのやり手の営業マンみたいな男が立っていた。竜胆さんは驚いた顔をしている。

    「竜胆さんもここ来られるんですね。どうです、うちの店けっこう、」
    「お前だけ? 三途は?」
    「三途さんなら今日は忙しかったから俺が代理で来たんですよ。もっと可愛い子つけさせましょうか?」

     さらりと顔の造形を貶められた気もするがわざわざ歯向かうつもりはない。店長やオーナーと話しているのを何度か見かけたことがある。詳しくは知らないが上の人間とわざわざ関わり合いたくはなかった。そして、やはり竜胆さんもそちら側の人間なのだろう。勘付いていたとはいえ実際に知るとやはり衝撃はある。結構失礼なこと言っちゃったけど大丈夫かな。

    「帰るわ」

     竜胆さんは立ち上がるとあっという間に店を出た。結局何だったのだろう。引き留める間もなく去っていく竜胆さん。キャバもう辞めようかな。


    12月1日 22時48分
     明らかに堅気じゃなさそうな客が来るからと言ってキャバをやめられなかった。学費は高いし東京の家賃も高いのだ。月初めになると竜胆さんは当然のようにやってきた。もはや驚きはしない。普段通りノンアルをだらだらと飲んでいた竜胆さんだが、この日は普段と少し違っていた。突然、シャンパンを飲み始めたのだ。下戸だと言っていたのに珍しいなと思った途端、竜胆さんは茹蛸みたいに真っ赤になった。こんなにわかりやすく酔う人間っているのだなと、もはや感心してしまう。

    「うう」
    「竜胆さん、ほらお水飲んでください」
    「さんずはぁ?」
    「さんず? 吐かないでくださいよ」

     竜胆さんがこんな調子では今日はもうボトルは入りそうにないな。月に1度のボーナスタイムが早々に終わったことを悟り思わず舌打ちしそうになる。

    「さんずにあいたい」
    「もう! だからさんずって誰ですか」
    「俺のすきなひと」
    「へぇ。例の彼女ですか」
    「昨日も飯誘ったけど断られて」
    「脈ないですよ、それ」

     さんずさんがどんな人かは知らないが、こんなわけのわからない男に迫られて可哀想に。髪の長い美人だというさんずさんに心の中で同情する。

    「でも俺は三途のことすげえ好きなのに!!」

     成人男性で泣き上戸ってきっつ! ぎりぎり泣いてはいないのだがグラスを片手に管をまく姿は絡み酒をする女にしか見えない。涙をこぼすのも時間の問題だろう。

    「ほら竜胆さん、ちゃんと起きてくださいよ」

     ソファーにぐったりと凭れる竜胆さんを起こすと、竜胆さんは突然大声で叫んだ。

    「おい! お前! 三途は?」

     竜胆さんの視線の先には驚いたようにこちらを振り返る男。どうやら店の奥で店長と話している男に向かって叫んだらしい。知り合いなのかと首を捻り、1か月前に店で話していたツーブロック男だと気が付いた。

    「あれ? 灰谷さんまたいらしてたんですね。三途さんなら車にいますよ」
    「呼んで来いよ」
    「え? でも、今日お疲れみたいですし」
    「あぁん?」
    「っ、わかりましたよ」

     どうやら竜胆さんの方が上司らしい。やはりこの男只者ではない。というか、さんずさんってもしかして仕事仲間? そちら側の人間なのだろうか?

     程なく、ツーブロック男に連れられてピンク色の髪の男が店内に入ってきた。

    「お前うちの店で潰れんなよ」
    「うわぁ、さんずだー」
    「話聞けよ」

     縋り付いてくる竜胆さんにさんずさんは全てを諦めたらしい。深々とため息をつくとツーブロックに「後は頼む」と言い残し、竜胆さんを連れて店を出ようとする。

    「なあ、三途。お前俺のこと嫌いなのかよ」
    「おー、嫌い嫌い」
    「でも俺は好きだから。一発やらせろよ。ちょっとだけでいいから」
    「……死ね」

     何なのだろう、この光景。つまり、竜胆さんの好きなさんずさんは男で同僚で、今最悪のセクハラを受けてるということになるのだろうか。やっぱり竜胆さんは最低だな。呆気にとられる私の方を竜胆さんは見向きもしなかった。



    12月7日 20時9分
     衝撃の一夜から数日後、月初めでないというのに竜胆さんは店をふらりと立ち寄った。珍しく満面の笑みで次から次へと高い酒を馬鹿みたいに入れる。

    「何かいいことあったんですか?」
    「実は、三途と付き合うことになったんだよ」

     あの最低の状態からよくそこまでもっていったな。さんずさんは珍獣ハンターか何かのだろうか。嬉しそうな竜胆さんは今朝起きたら三途が隣で眠っていたといらない報告までしてくる。キャバ嬢相手に恋バナすんなよと思うが他に話し相手もいないのだろう。仕方なく付き合ってあげることにした。

    「竜胆さんから声かけたんですか?」
    「そうそう。あの後、送ってもらって気が付いたら押し倒してた」
    「ええ」

     反社の恋愛怖。家ついて言った時点で覚悟の上なのかな。いや、でもさんずさん男だったしな。

    「よくそれで付き合おうってなりましたね」
    「なんか、『お前って俺がいなきゃだめだよな』って笑われたから、お前がいてくれなきゃだめだからって押し通した」
    「メンタル強すぎません?」

     この顔面でお前がいなきゃって迫られたら許してやりたくなるものなのだろうか。まあ、何はともあれ、竜胆さんが好きな人とくっついたのならよかった。

    「今日も俺のマンションに帰ってくるんだよね」
    「じゃあ、早く帰ったほうがいいですよ」

     誰かに話したかったのだろう。竜胆さんはにやにや笑うと、もう帰ると席を立ちあがった。今日は滞在最短記録更新かもしれない。私の学費も目途が立ったのでキャバは今月で辞めるつもりだった。多分もう会うことはないけど竜胆さんとさんずさんが末永く幸せでありますように。



    佐藤遥一 コンビニ店員

    10月24日 11時40分
     常連客にオリジナルのあだ名をつけるっていうのは、接客業に従事する人なら誰でもやったことがあると思う。
     毎日マルボロを買っていくマルボロさんに、数日に1度来店すると、店内のピノを全て買い占めていくピノ買いさん、仕事終わりにワインをボトルで購入する男爵。そしてDQN。

     俺の働くコンビニにはよくDQNが来る。六本木のタワーマンションが立ち並ぶ、駅近くの大手コンビニチェーン店。時給の高さに惹かれて選んだこのバイトでまさかこんな人物に出会うとは。紫の長髪に灰色のスウェット。スウェットと言ってもその辺りに売ってあるような安っぽいものではない。ファッションに興味のない俺でも一目で高価なものだとわかるようなおしゃれスウェットだ。さすが六本木。

     DQNは大抵、深夜25時や26時くらいに来る。缶ビールと煙草を買う時もあれば、スナック菓子とミネラルウォーターを買う時もあった。支払いは大抵電子マネーで、いつも颯爽と商品を買っていく。

     ただ、この日のDQNはいつもと様子が違った。客のいない11時40分。眠気を堪えながら商品整理をしていると入店音が響いた。

    「っらっしゃっせー」

     適当に挨拶をしてちらりと入り口を覗くと入ってきたのはあのDQNだった。なんだと拍子抜けした俺だが、すぐに異変に気が付いた。DQNはスーツを着ていたのだ。それも派手な緑色。こいつ定職についていねえのかな。ホストか何かなのだろうか。確実に堅気とは異なる風貌に呆気にとられた。と、DQNの後ろに誰か人がいる。長いピンクの髪を黒いパーカーのフードで隠し、黒のマスクをつけている。男? いや、女か? 背は高いが体は華奢で、髪が長く、とてつもない美人。一体どちらなのだろう。ぼんやりと見つめていると不意に美人と目が合った。慌てて目を逸らす。

    「三途何食う?」
    「ビール」
    「それは食い物じゃねえよ」

     どうやら2人は友人らしい。いや、それにしては少し距離が遠いからよくて知り合いか。

    「あっ、下着買ってくか?泊まるなら」
    「いや。服乾いたら帰るからいいわ」

     美人は缶ビールとゼリー飲料をレジまで持ってくるとポケットを探った。しばらく探すもどうやら財布を持っていないらしい。顔をしかめるとDQNを振り返る。程なく、自分のビールを持ってきたDQNが美人の分もまとめて支払った。
     それにしてもDQNってこんな声だったのか。普段は全く声を出さないため知らなかった。ビールをレジ袋に入れていると、ふと美人のパーカーの胸元のロゴが気になった。そういえばこの服、前にDQNが着ていたのだっけ。有名なブランドのため記憶に残っていた。まあ、泊まるとか泊まらないとかの話をしていたのだし、案外仲が良いんだな。

    「ありゃーしたっ」

     連れだって歩く、と言うには会話もないし距離も遠い。やはり、ただの知り合いなのだろうか。だが、レジ袋を提げて歩くDQNはいつもよりも浮かれて見えた。

    11月18日 16時58分
     あれ、美人じゃん。珍しく夕方にシフトに入っていると、ピンク髪の美人が来店した。今日は美人もスーツを着ている。ピンクのド派手なスーツは、一体どこの会社でなら受け入れられるのだろう。やはりホストだろうか。
     美人はカゴの中にポイポイと商品を放り込んでいった。値段を気にするそぶりもない。コンビニで大人買いってやっぱり金銭感覚が違うな。東京の家賃の高さに負けそうになりながら必死で学生生活を送る俺とは大違いだ。
     ぼんやり美人を見つめていると、突然、「おい」と声を掛けられた。

    「は、はい」
    「果物の缶詰ってねえの?」
    「果物でしたらそちらにパウチされたものがあります」

     冷蔵庫を指さすと美人は大人しくそれに従った。袋に入ったフルーツミックスをカゴに入れ、レジに置く。レトルトのおかゆに水、スポーツ飲料、プリン、極めつけが薬と体温計。典型的な風邪をひいた時用のセットだ。美人の体調が悪そうに見えないから誰かの見舞いに行くのだろうか。美人は懐から1万円を差し出すと「残りはやるよ」と呟いた。

    「お客様、困ります」

     本音を言うとポケットに突っ込んでしまいたいが、いかんせんバイトの身。店のルールを破るわけにはいかなかった。

    「あー、じゃあ、募金でもしとけ」
    「あ、ありがとうございました」

     レジ袋を片手に美人は去っていった。あの人やっぱり睫毛が長いな。女みたいだった。だが声は低いし手も筋張っている。男だったか。

     客の性別など俺には関係ないはずなのに、ほんの少し残念だと思っている自分がいた。


    12月1日 23時12分
    「三途、ちょっとだけ。ちょっとだけだから」
    「しつけえんだよ、てめえ。ぶち殺すぞ!!」

     深夜のコンビニにいきなり下ネタのような言葉と暴言を吐きながら入ってきたDQNと美人。古今東西、「ちょっとだけ」と言って本当に「ちょっとだけ」だった人間を俺は見たことがない。DQNは酒でも入っているのか、真っ赤な顔をしながら美人に縋り付き、「ちょっとだけ、1回だけでいいから」を繰り返している。一体何がちょっとなのだろう。美人はDQNに文句を言いながらさっさとドリンクコーナーへ向かった。DQNはその後をまるで子犬のように追いかけ、美人の機嫌を取ろうとする。

    「絶対痛くしねえから」
    「転んで頭打って死ね」
    「俺うまいってよく言われるし」
    「後ろから女に刺されて死ね」
    「チンコもでか」
    「死ねよ、クラゲ野郎」

     ドゴッと鈍い音がして、DQNは頭を押さえる。どうやら殴られたらしい。それにしてもクラゲとはDQNにはぴったりのあだ名だな。美人は自分のエナジードリンクと煙草を買うとあっという間に店を出ていく。DQN改めクラゲさんも大人しくその後をついていった。

    「っしたー」

     ……今の話ってそういうことだよな? 美人相手に必死でワンチャンをお願いするクラゲさんと、それを歯牙にもかけない美人。俺の脳内にはラブホテルの前でワンナイトを期待する男子大学生とそっけない年上美人が思い起こされた。というか、あれ? あの2人ってそもそも付き合ってるのか? 今までの様子を見ている限りでは、クラゲさんはともかく美人の方は相手に好意を持っているようには見えない。

     ……謎は深まるばかりだ。


    12月19日 23時4分
     今夜のクラゲさんは珍しく1人だった。客足もまばらな23時。欠伸をしながらレジ番をしていると、クラゲさんが入ってきた。接客中のため一瞬しか見えなかったが、今日の格好は妙に気合が入っている。長い前髪をワックスで後ろに流し、クラゲヘアをうなじの辺りでリボンで束ねている。服装も黒いシャツに灰色のスーツ。普段、スウェットで美人にダル絡みしている姿に比べれば、ずいぶんと大人っぽく見えた。

    「ありゃぁしたー」

     おでんを買った客を見送ると、クラゲさんはガムを持ってレジへやってきた。

    「あとホットのブレンド2つ」
    「ホットのブレンドですね」

     いまだにセルフサービスが導入されていないため、うちの店では店員がコーヒーを用意しなければならない。クラゲさん用のミルク入りと、美人用のブラックを渡せば、「え」と小さく呟かれた。

    「あー、悪い。ブラックの方砂糖とミルク入れといて」
    「あ、すみません」

     近頃では、クラゲさんだけでなく美人まですっかり常連となっているため勝手に用意したが、どうやらこのコーヒーは美人用ではないらしい。空回りしてしまい何となく気恥ずかしい。慌ててミルクと砂糖を入れていると入店音が響いた。

    「りんどー、まだぁ?」
    「っ、もう少しお待ちください。今、美咲さんのためにコーヒー買ってるんで」

     ホストか? やはりホストなのか? まだ高校生くらいの少女ににこやかに対応するクラゲさん。というか、未成年って大丈夫なのか?警察とか……。思わずじっと見てしまうとクラゲさんは俺から奪うようにコーヒーを受け取った。

    「竜胆ん家ここから近いの?」
    「家はだめですよ。お父様も心配します」
    「いいよ、私。竜胆なら……」

     浮気なのだろうか。店外へ出た2人を思わず目で追うと程なく派手な赤い車が駐車場を出た。車種までは見えなかったが、おそらくスポーツカーの類だろう。クラゲさんは美人に言い寄りながらも未成年と思しき少女を家に連れ込もうとしているのだろうか。なんだか意外だ。



    12月24日 20時8分
     クラゲさん未成年事件から数日後、クラゲさんは美人とともに来店した。よく同じ店を利用できるな。思わずじっとクラゲさんを見てしまう。

     おや? 2人を見ているとなんとなく違和感を覚えた。なんなのだろう、この感じ……。しばらく見てようやく気が付いた。なんとなくだが2人の距離が近くなっているのだ。以前までは、前を行く美人をクラゲさんが追いかけるのが常だったのだが、今は2人で横に並び、なんとなくだが会話も弾んで見えた。

    「あ、期間限定のやつ出てる」
    「じゃあ買うか」
    「だな」

     この間まではそっけない態度だったのにいったい何があったのだろう。期間限定スイーツと栄養ドリンクを持ってきた美人は「ホットコーヒー2つ」とぼそりと呟いた。

    「ミルクと砂糖どうしますか?」

     俺の言葉に美人は不審そうにこちらを見る。確かに常連でこれまでは勝手に用意していたとはいえ、先日のあれを見た後では無理だろう。

    「……1個ブラック。1個はミルクだけ」
    「承知しました」

     ミルクを入れながら美人の後ろに立つクラゲさんを盗み見ると、必死で1番くじのポスターを見て俺から目を逸らしている。この人案外わかりやすいな。

    「あ」

     美人が小さく呟き後ろを振り返った。

    「竜胆」
    「……」
    「おい、竜胆」
    「え、なに?」
    「まだあったっけ?」

     美人は少し離れた棚を顎で指し示した。主語のない会話だが俺はすぐに気が付いた。美人が示した辺りに売ってあるのは避妊具だ。

     う、うわぁ!!

     まったく親しくもない、かといって何も知らないわけでもない常連客の事情になぜか衝撃を受けた。なんとなくこちらまで恥ずかしい。だがそんな俺とは違い、クラゲさんの方はピンときていないらしい。美人に首を捻っている。美人は大きく舌打ちをすると「もういいわ」とコーヒーを持って行ってしまった。

     固まること数秒。クラゲさんもようやく気が付いたらしい。「あぁ!!」と大声を出すと慌てて棚に駆け寄り、1箱掴むと投げつけるように箱をレジ台に置いた。“極薄0.01ミリ LLサイズ”知りたくもなかった常連客の情報がまた1つ増えた。無心でバーコードを読み取るも、未成年との浮気からの美人と使うであろうコンドームの購入はなかなか衝撃が大きい。思わずサイズを見てしまったことくらい許してほしい。

    「こちら袋は……」
    「いい、そのままで!」

     避妊具の箱を掴むと、クラゲさんはすごい速さで店を出ていった。この様子を見るにどうやら美人が本命らしい。仕事上、仕方がないのかもしれないがホストというのも大変だな。クラゲさんと美人がうまくいくようにと陰ながら祈った。


    12月25日 25時17分
     深夜25時。人気のない店内にクラゲさんが入店した。開きかけの自動ドアの隙間から滑り込むよう入ってくる。近頃はめったに見なくなったスウェット姿で息を切らしていた。ここまで走ってきたのだろうか。そのあまりの気迫に俺は挨拶も忘れてぼんやりとしてしまった。クラゲさんは真っすぐに日用品コーナーへ行くと避妊具を3、4箱まとめて掴んだ。ついでに隣に置いてあった滋養強壮ドリンクを2本持つとレジへやって来る。ポイントカードの有無など聞けるはずもなく、レジ袋については食い気味に「いる!」と言われた。ゴム4箱にドリンク2本って化け物かよ。俺はできるだけスピーディーに袋詰めすると夜の街に駆け出すクラゲさんに心の中で敬礼した。



    黒中美咲 中学生

    12月19日 16時23分
     竜胆はパパの取引先の人だった。家に仕事の話をしに来た時にたまたま見かけて以来、なんとなく気にかかるようになったのだ。私は中学生でヤクザの娘。竜胆は30歳で梵天の幹部。別に私だって自分が本気で竜胆に釣り合うとは思ってない。けれど、少しくらい夢見たっていいでしょ?

     パパに頼んで竜胆にデートを申し込んだ。断られるだろうと思っていたけど、竜胆はディナーと映画に連れて行ってくれるという。もしかしてちょっとはいいと思ってくれたんじゃない?だって、恋人とか好きな人がいたら普通、他の女とデートとかしないよね。大好きな人とのデートに私のテンションは上がりまくりだ。

     時間をかけてメイクをし、普段はあまり使わないカラコンもつける。美容院でトリートメントしてもらった髪はきれいな内巻き。

    「ねえ、どっちがいいと思う?」

     竜胆と同じ30歳の高橋さんに青いワンピースと、オフショルとスカートのコーデを見せると、悩みぬいた末にワンピースを指さした。少しでも大人にみられたくて、義母のパンプスを拝借する。18歳くらいには見えるだろうか。


     竜胆は真っ赤な車で迎えに来た。席が2人分しかなくて左ハンドル。きっと高級な外車なのだろう。

    「悪いね。娘の我儘を聞いて貰って」
    「いえ。会長には日頃からお世話になっていますから」

     スーツを着た竜胆はびっくりするくらい格好いい。けど、どうせならパパと仕事の付き合いがあるからじゃなくて、私とデートしたいからって言ってくれたらよかったのに。なんて、そんなこと思っても仕方ないよね。

    「10時までには絶対に帰宅します」
    「まぁ、信用してるよ」

     玄関の前でパパに見送られ、私は竜胆の腕を取る。ヒールでふらつくから支えてほしいのだ。竜胆は少し驚いたけど優しく笑って車まで私をエスコートした。私はさっきからずっとドキドキしっぱなしで心臓の音が竜胆にまで聞こえてるんじゃないかと怖かった。竜胆の車の窓から見ると見慣れた景色が別の場所のように見える。

    「竜胆、今日格好いいね」
    「ありがとうございます」
    「敬語とかやめてよ」
    「そういうわけにはいきませんよ」
    「私がもっと大人だったら、意識してくれた?」

     女優の美桜ちゃんを真似て小首を傾げてみる。半年前に放映されたドラマで、美桜ちゃんはこうやって担任の先生を落とす役をやっていたのだ。けれど、ドラマと現実は違う。竜胆は「美咲さんは何歳でもきっと素敵ですね」と曖昧に微笑むだけだった。


    12月19日 17時30分
     竜胆が連れて行ってくれたのは、景色の綺麗な素敵なレストランだった。落ち着いた音楽が流れていて、客もギャルソンも皆大人って感じがする。自分まで大人の仲間入りをできた気がしてドキドキした。今日は早めのディナーだけど、きっと夜景になるとさらに綺麗なんだろうな。竜胆、また連れてきてくれないかな。
     そんな私の胸中など知るはずもなく、竜胆は淡々と肉を切り分け口へ運んでいた。竜胆の所作は美しく余計な音もほとんど立てない。私は竜胆に見惚れながら自分も食事を進めた。

    「お口に合いますか?」
    「うん、美味しい」

     パパの仕事の関係か、たまに家族で外食をしても行くのは料亭や和食の店ばかりだった。だからこんなおしゃれなレストランなんて初めてだ。出てくる料理ももちろん洋食でとても美味しい。
     竜胆は今日は長い髪を束ねておりいつもよりも少し大人っぽかった。


    12月19日 21時20分
    「映画面白かったね」
    「そうですね」

     マンガが原作の恋愛映画。高校生の四角関係をテーマにした映画だ。主演の松山千里が可愛かったし、主人公が彼氏と一緒に観覧車に乗るシーンは思わずキュンキュンした。

    「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

     今から映画館を出れば宣言通り、22時までには帰れるだろう。楽しいデートの時間はあっという間に終わってしまう。

    「ねぇ、ちょっと待って。もうちょっとだけ一緒にいたい」
    「ダメですよ。お父様が心配されます」
    「でも、私もう14歳だよ。たまには夜遊びしたっていいじゃん」

     そりゃ、竜胆からしたらまだまだ子供だろうけど、私だって好きな人とデートくらいしたい。けど、竜胆は困ったように「それでもダメです」と言った。
     それなら仕方ない、最終手段だ。私はスマホを取り出し、沙耶香さんに電話をかける。沙耶香さんはいわゆる後妻さんというやつで、私のママが男と出て行った後に家へ来た。21歳の沙耶香さんはお母さんって感じはしないし、私にも強く出られない。若くて子供を産んでいないから、なんとなく家のみんなから軽んじられているのだ。

    「あ、もしもし。沙耶香さん? 私帰るのもう少し遅くなるから。パパにも言っておいてね」

     沙耶香さんの返事は聞かずに一方的に電話を切る。これでもう少し遊べるだろう。パパに怒られるとしたら私ではなく、私を止めなかった沙耶香さんの方だ。

    「ね、これでいいでしょ。もうちょっと一緒にいよう」

     竜胆は小さくため息をついて「日付が変わるまでには家へ送りますからね」と言った。


     行く当てがあるわけではないから適当に車を走らせ、ドライブをした。どこかのお店に入るのも何だかロマンチックだけど、車内で2人きりというのも特別感があって良い。なぜか緊張して小さなハンドバッグ を握りしめる。

    「美咲さんは学校で毎日何してるんですか?」
    「え、と、勉強とか部活とか?」
    「へぇ。何部ですか?」
    「テニス部。年が明けたら練習試合なんだ」

     中学生の私に合わせてそれらしい話題を振ってくれるのは嬉しいけど、どうせならもっとロマンチックな会話がしたかった。

    「ねぇ!竜胆はどんな人がタイプなの?」
    「タイプですか……。うーん、気が強くて、しっかりしてて、俺のこと甘やかしてくれる人ですかねー」
    「ふーん。じゃあ、年上と年下だったら?」
    「年下」

     即答だった。何だか嬉しくなってくる。

    「ねぇ、竜胆。明日仕事?」
    「えーと、どうだったかな?」

     敬語が外れて竜胆の顔がわずかに右に逸れる。ヤクザなのに竜胆は嘘をつくのが下手だ。

    「休みでしょ?」
    「いや、」
    「休みなんでしょ?」
    「……午前中は休みです」

     俯きながらウィンカーを出す竜胆にそれならばと縋りつく。

    「ねぇ、朝まで一緒がいい。ね、お願い」
    「ダメですよ。そんなことしたら俺が会長に殺されます」
    「ケチ」

     竜胆は無言で運転した。窓の外を見ると赤いテールランプが連なって何だか幻想的だった。このままどこまでも連れて行ってくれればいいのに。自分はどうしようもなく子供なのだと思い知らされ、柄にもなく泣きそうになった。


    12月19日 23時1分
    「もう11時ですしそろそろ帰りましょうか」
    「……」

     デートの終わりに不機嫌そうな私に、竜胆は困った顔をしている。困らせたかったわけじゃないんだけどな。無言のまま車はコンビニに入った。

    「なんか飲み物買ってくるんで、ちょっと待っててくださいね」

     竜胆はそう言うと、さっさと車を降りてコンビニへ入って行った。あーあ、もう終わりか。このデートが終われば次はいつ会えるのだろう。仕事で家へ来ても確実に会えるとは限らないのだ。それなら、後悔はしないようにしないと。

    「よし」

     小さく呟くと私は車を降りた。

    「りんどー」

     ちょうどレジで会計をしていた竜胆はこちらを振り返った。


    23時26分
    「じゃあ、これで失礼しますね。お休みなさい」
    「馬鹿娘が無理を言って悪いねぇ」
    「いえ、そんな。俺も楽しかったです」

     家へ行きたいと言ってみたけど結局ダメだった。私の帰りを待っていたパパは竜胆に優しく笑いかけている。約束を破ったのは私のせいだとわかっているから怒ってはいないらしい。

    「美咲さんも、お休みなさい」
    「……」
    「美咲!」

     パパに怒鳴られ渋々口を開く。

    「うん、バイバイ」

     竜胆はペコリと綺麗なお辞儀をして車に乗り込むと、あっという間に去っていった。赤い車の排気音もすぐに聞こえなくなる。

    「竜胆格好良かった」
    「よかったな」
    「またうち来るかな?」
    「いや、この間は三途さんの代理で来ただけだからな」
    「じゃあ、その三途って人しか来ないの?」
    「お前に会いに来るんじゃない。仕事できてるんだぞ」

     パパに睨まれそれ以上は何も言えなかった。また、会いに来てくれないかな。


    1月9日 15時23分
     テスト期間は部活がないから早く帰ることができる。いつもよりも少しだけ早く帰ると家の前にはたくさんの車が停まっていた。

    「美咲さん、お帰りなさい」

     ちょうど玄関にいた沙耶香さんが私を出迎える。

    「お客さん?」
    「うん。和光さんのお仕事の方みたい」

     さっさと自室へ行こうと廊下を歩いていると、ちょうど客間からパパと見慣れない男の人が出てきた。

    「こんにちは」

     声をかけられ軽く会釈をすると、向こうも頭を下げてくる。

    「お嬢さんですか?」
    「ああ、うちの娘だ」

     アニメみたいな派手なピンク色の髪にスーツ。どうやらこの人がお客さんらしい。

    「先日はうちの灰谷がお世話になりました」
    「え、っと、竜胆の知り合い……ですか?」
    「はい。灰谷はうちの部下です」

     どうせならこの人じゃなくて竜胆が来てくれればよかったのにな。せっかく連絡先を交換したのに、忙しいのか竜胆はほとんどLINEに返信をくれなかった。私はお客さんに会釈をしてさっさと部屋に戻る。

     襖の向こうからはパパとお客さんが話しているのが聞こえた。

    『今、竜胆の上司が家へ来たよ(*’▽’*)髪ピンクの人!』

     竜胆にメッセージを送ってみたもののどうせ既読はつかないだろうと、スマホをベッドの上へ放り投げる。だけど、意外なことにすぐに小さく通知音がした。

    『なんか言ってました?』
    『別に。仕事のことはよくわからないけど、私には灰谷がお世話になりました、って言っただけ』

     既読は付いたけど、返信は一向に帰ってこない。スタンプの1つでも送ってくれたらいいのに。
     それにしてもさっきのピンクの人。もしかして、怖い上司だったのかな?今度会えたら聞いてみよう。







    時系列順に並べたもの

    レイカ キャバ嬢

    10月2日 22時22分
     きしょい、マジ無理なんだけど。太ももに触れようとしてくる手を遮るようにバッグを寄せ、にこやかに笑いかける。ほんと水って心死ぬよね。なんとか学費を貯めたくて、かといって死んでも体は売りたくない私が選んだ仕事がキャバクラ。
     別にナンバーを目指したいとかものすごい額を稼ぎたいなんてわけではない。専門学校の学費さえ貯まればすぐにでもこんな仕事辞めたかった。でも、現実というのはそう甘いものではなく、汚いおっさんの相手をしながら降り注ぐセクハラに耐えていると次第に心が死んでいく。

    「レイカさん」

     タイミング良く黒服に呼ばれて私は席を立った。ラッキー。思わぬ助け舟だ。でも誰だろう、私の指名客はそう多くはないし、今日は誰からも連絡は来ていなかった。新規のお客さんかな?案内された席にはつまらなそうに煙草を吸う男が1人。

    「竜胆さんじゃん、どうしたの?」
    「ちょっとな」

     竜胆さん。ホストに見まごうほどの派手な服装と整った顔。そこそこ金を使ってくれるものの、月に1度か2度ほどしか来店しない変わったお客さん。営業のLINEは全部無視するくせに、決して切れない。その上、竜胆さんは時々店に来るスカウトやその上司と思しきやくざと話していることもあり素性が知れなかった。

    「なあ、ここってもう締めたの?」
    「一昨日締めだって連絡したじゃないですか」

     既読すらつかなかったけど。

    「いやそうじゃなくて。金の回収とか」

     なんとも歯切れの悪い竜胆さんに首を傾げると、「もういいわ」とため息をつかれた。ネクタイを緩め、シャツの胸元を開ける竜胆さんは色っぽくて格好いい。けれど残念なことに私にはまったく刺さらない。何がダメなんだろうな。やっぱ、金落とさないからかな?

     好きなものを頼めと言われたので、そこそこ値の張るシャンパンを頼んでやったが竜胆さんは何も言わなかった。超が付くほど下戸だという竜胆さんは酒が飲めないので、頼んだ酒は嬢が飲まなければいけない。だけど、竜胆さんは私が飲まなくても何も言ってこないし、なんなら話を盛り上げなくても何も言わない。かなりの良客なのだろうが、腹の内が読めず私は苦手だった。

    「なあ、……お前」
    「もう、レイカですよ。誰と間違えてるんですかぁ」
    「……」

     盛り上げてやってんだから乗って来いよ。内心苛つきながらも平静を装い微笑むと、竜胆さんは珍しく俯いた。

    「最近この店にピンク髪のやつが来てるの見た?」

     ピンク髪?はて、そんな嬢いたっけ?あれ?来てるってことは客?

    「うーん、髪がピンクの人はお客さんにも嬢にもいないですかねえ」
    「オーナーとかとも話してなかった?」
    「……あ!」
    「来たのか!?」
    「来ました。髪ピンクの人!」

     そうだ、ちょうど昨日帰ろうとすると店の前でオーナーがタクシーに向かって頭を下げていた。珍しいなとちらりと見ると車内にいた人の髪がピンク色だったのだ。来店した人物ばかりを思い描いていたので咄嗟に出てこなかった。

    「締め日の翌日か」

     竜胆さんは小さく呟くと嬉しそうに笑った。

    「よし!好きなだけ酒入れていいぞ!!」
    「ええ?いいんですか?」

     怖いけどたくさん入れておこう。何の仕事をしているのかは知らないが、金だけは持っているようだし、わざわざ遠慮する必要もないだろう。

     この日、私はたった1日で今までの自己月間総売り上げを抜いた。竜胆さんはやっぱり1滴も飲まなかった。

     ○

    宮下龍一 会社員

    10月24日 22時50分
     ようやく仕事が終わったと思ったのに再び駆り出されて俺は不機嫌だった。既に人気のない倉庫へと向かい、商品をチェックする。アメリカとの取引でどうしても商品の詳細が必要だったのだ。時差というのは厄介なものでもう日付が変わろうとしているのに、わざわざ倉庫まで来させられた。

     うちの会社では主に小さなネジを作っている。いつもは国内取引だけなのだが、最近海外へ向けても取引を始め、俺はその担当者としてアメリカとの取引をしていた。初めての海外取引ということもあり、何もかもが手探りだが、担当者への抜擢は自分の能力を認めてもらえたようで嬉しかった。

     さっさと、詳細を送って帰ろう。ネジの現物の写真を撮っていると、ガタンと大きな音がした。
     まさか泥棒だろうか。先程、きちんと施錠してきたはずなのだが。驚いて立ち上がろうすると窓ガラスの割れる音がする。新しい方の倉庫は警備会社と契約しているが、こちらの倉庫はあと1ヶ月ほどで取り壊すため契約なんてしていない。俺は咄嗟に机のスタンドライトを消してスマホをスリープモードにした。居直り強盗だけは絶対に避けたかった。慌てて棚の影に隠れる。

     大量の部品とそれを置いた棚の並ぶ倉庫。体育館くらいの広さのそこを、窓から侵入した男が走っているのが見えた。先ほどまで明るい環境で作業をしていたこともあり、夜目が効かない。ぼんやりとしか見えないが、どうやら男は、棚に当たっていくつか部品を落としながらキャットウォークによじ登り、そこを走っているようだ。侵入者の男を追うように、すぐに2人の男が入ってきた。棚の影に隠れているためよく見えないが2人共髪が長い。

    「おい、アホ灰谷!ちゃんと見とけって言っただろ!」
    「しょうがねえだろ、あんな足速いと思わねえし」

     2人は仲間なのだろうか?互いに連携をとりながら逃げる男を追っている。1人の人物がキャットウォークへと上り、もう1人が下から男を追った。

    「撃つなよ」
    「わかってるって」

     撃つって銃じゃないよな?小さく手が震える。警察とかに通報した方が良いのだろうか?でも、この距離だと電話をすれば確実にバレるし……。

     逃げた男が窓の前を通った時、一瞬だけその姿がはっきりと見えた。スーツを着て焦ったような顔をしている。怪我をしたのか脇腹を押さえていた。
     逃亡者を追う髪の長い男も月の光で姿が見える。こちらは明るい髪をしており、前の男を睨みつけていた。とてもじゃないが警察には見えない。追いかけっこなら外でやってくれ。そう願っていると、悲鳴が聞こえてきた。どうやら逃亡者は追いつかれたらしい。

    「離せ!」
    「てめぇよぉ、3000万どこやったんだよ?帳簿の数字が合わねえだろうが、なぁ?」

     ドスの効いた声で逃亡者に問い詰める男。どうやら逃亡者は横領していたらしい。

    「し、知らない!俺じゃないです!」
    「お前以外に誰がいんだよ!裏切り者はどんな目に遭わされるか、新入りのお前でも知ってるよな?」
    「い、嫌だぁぁ!!」

     まるでドラマのワンシーンを見ているようだった。逃亡者は必死に抵抗しているらしく、争うような物音が聞こえてくる。その頃には俺の目も暗闇になれ男たちの姿がぼんやりとではあるが見えるようになっていた。
     狭いキャットウォークの上で揉み合う2人。たっぷり1分ほど取っ組み合いをし、勢い余ったのか掴み合ったままキャットウォークから転落した。すぐにドボンと大きな水音がした。うちの倉庫には工場で使わなくなった貯水槽を置きっぱなしにしてある。どうやら2人一緒にそこへ落ちたらしい。

    「三途!」

     下から逃走者を追いかけていた男、灰谷が貯水槽に駆け寄っていくのが見える。

    「てめぇ、ざけんな。ぶっ殺す」
    「嫌だ!離せ!離せぇ!」

     逃亡者と三途と呼ばれた男はなんとか貯水槽を這い出した。侵入者とはいえ中がただの水で良かったと今更ながらにホッとする。三途と灰谷は暴れる逃亡者を何度か殴りつけると引きずって倉庫を出て行った。

     俺は恐怖から1時間ほどその場を動けなかった。警察に電話しようにも状況がよくわからない。倉庫への侵入は犯罪なのだろうが、横領や「殺す」と言う言葉はどこまで本気なのだろうか。
     でも、まぁ。明日、社長に割れた窓ガラスを俺のせいにされたら嫌だしな……。ようやく正気を取り戻した俺は110番するためにスマートフォンを取り出したのだった。

     ○

    佐藤遥一 コンビニ店員

    10月24日 11時40分
     常連客にオリジナルのあだ名をつけるっていうのは、接客業に従事する人なら誰でもやったことがあると思う。
     毎日マルボロを買っていくマルボロさんに、数日に1度来店すると、店内のピノを全て買い占めていくピノ買いさん、仕事終わりにワインをボトルで購入する男爵。そしてDQN。

     俺の働くコンビニにはよくDQNが来る。六本木のタワーマンションが立ち並ぶ、駅近くの大手コンビニチェーン店。時給の高さに惹かれて選んだこのバイトでまさかこんな人物に出会うとは。紫の長髪に灰色のスウェット。スウェットと言ってもその辺りに売ってあるような安っぽいものではない。ファッションに興味のない俺でも一目で高価なものだとわかるようなおしゃれスウェットだ。さすが六本木。

     DQNは大抵、深夜25時や26時くらいに来る。缶ビールと煙草を買う時もあれば、スナック菓子とミネラルウォーターを買う時もあった。支払いは大抵電子マネーで、いつも颯爽と商品を買っていく。

     ただ、この日のDQNはいつもと様子が違った。客のいない11時40分。眠気を堪えながら商品整理をしていると入店音が響いた。

    「っらっしゃっせー」

     適当に挨拶をしてちらりと入り口を覗くと入ってきたのはあのDQNだった。なんだと拍子抜けした俺だが、すぐに異変に気が付いた。DQNはスーツを着ていたのだ。それも派手な緑色。こいつ定職についていねえのかな。ホストか何かなのだろうか。確実に堅気とは異なる風貌に呆気にとられた。と、DQNの後ろに誰か人がいる。長いピンクの髪を黒いパーカーのフードで隠し、黒のマスクをつけている。男?いや、女か?背は高いが体は華奢で、髪が長く、とてつもない美人。一体どちらなのだろう。ぼんやりと見つめていると不意に美人と目が合った。慌てて目を逸らす。

    「三途何食う?」
    「ビール」
    「それは食い物じゃねえよ」

     どうやら2人は友人らしい。いや、それにしては少し距離が遠いからよくて知り合いか。

    「あっ、下着買ってくか?泊まるなら」
    「いや。服乾いたら帰るからいいわ」

     美人は缶ビールとゼリー飲料をレジまで持ってくるとポケットを探った。しばらく探すもどうやら財布を持っていないらしい。顔をしかめるとDQNを振り返る。程なく、自分のビールを持ってきたDQNが美人の分もまとめて支払った。
     それにしてもDQNってこんな声だったのか。普段は全く声を出さないため知らなかった。ビールをレジ袋に入れていると、ふと美人のパーカーの胸元のロゴが気になった。そういえばこの服、前にDQNが着ていたのだっけ。有名なブランドのため記憶に残っていた。まあ、泊まるとか泊まらないとかの話をしていたのだし、案外仲が良いんだな。

    「ありゃーしたっ」

     連れだって歩く、と言うには会話もないし距離も遠い。やはり、ただの知り合いなのだろうか。だが、レジ袋を提げて歩くDQNはいつもよりも浮かれて見えた。

     ○

    レイカ キャバ嬢

    11月1日 23時35分
     最近1つ気が付いたことがある。竜胆さんは締め日の直後に来る。初めて来店した時もそうだったし、3回目と4回目もそうだった。うちの店は月末が締めだから、竜胆さんは大抵月初めに来店していることになる。

    「竜胆さん、来てくれたんですね」

    『今日行くから』。わざわざLINEをしてきたのも初めてだった。珍しい。竜胆さんは開店直後に来店し奥の席に居座ると、延々と煙草を吸い続けている。

    「竜胆さん、今日お仕事だったんですか?」
    「……」

     無視すんならキャバ来てんじゃねえよ。殺すぞ。酒を入れているから文句は言えないがもはや恐怖の粋だな。竜胆さん用にノンアルコールのカクテルを用意していると、ずっと押し黙っていた竜胆さんがようやく口を開いた。

    「お前って恋人いんの?」
    「えぇ?いませんよ」
    「キャバって恋人作っちゃダメなんだったっけ?」
    「まあ」

     その辺のルールは適当だ。嬢と黒服の恋愛は禁止だけど、嬢に恋人がいたって店にはわからないし、そもそも恋人の定義とは何なのだろう。この世界にいるとそういうことがだんだん曖昧になっていく。

    「竜胆さんはモテるんじゃないですか?」

     事実、顔はいいのだ。なぜこんな場末のキャバクラで金を落としているのかは知らないが、この顔で金もあるとなれば女は放っておかないだろう。

    「俺今好きなやつがいるんだよね」
    「素敵ですね」

     裏返りそうになる声を静めて何とか返した。好きなやつって。そんなピュアなこと今どき高校生でも言わないだろ。可愛らしい言葉が横に座る男から飛び出したことに驚いた。

    「どんな人なんですか?」
    「髪長くて、顔がよくて、金持ってて、俺に全くなびかない」
    「ええ……。竜胆さんの上位互換じゃないですか」

     酒の勢いもあり思わず口を滑らせたが竜胆さんは特に気にも留めない。

    「この前仕事中にあいつが全身ずぶぬれになってさ」
    「何のお仕事ですか?」
    「うーん。悪い奴追いかけて捕まえるサツみたいなやつ?」

     証拠があるわけではないが、絶対に違うと思う。

    「その時夜だったし、家近いから泊ってけよってマンション連れ込んだんだよ」
    「相手の女性よく来ましたね」
    「うーん、まあ。けど、結局服乾いたから帰るってすぐ帰っちまって」
    「そりゃ、付き合ってもないのに警戒しますよ」
    「いや。俺本命には紳士だから。付き合ってもないのに手出したりしねえし」

     いや、出すだろ。こんな遊んでそうですみたいな見た目で遊んでなかったら逆におかしいだろ。

    「あれ、灰谷さん」

     突如かかった声に振り向くと高そうな紺色のスリーピースに尖った靴、ツーブロックのやり手の営業マンみたいな男が立っていた。竜胆さんは驚いた顔をしている。

    「竜胆さんもここ来られるんですね。どうです、うちの店けっこう、」
    「お前だけ?三途は?」
    「三途さんなら今日は忙しかったから俺が代理で来たんですよ。もっと可愛い子つけさせましょうか?」

     さらりと顔の造形を貶められた気もするがわざわざ歯向かうつもりはない。店長やオーナーと話しているのを何度か見かけたことがある。詳しくは知らないが上の人間とわざわざ関わり合いたくはなかった。ということは、やはり竜胆さんも。勘付いていたとはいえ実際に知るとやはり衝撃はある。結構失礼なこと言っちゃったけど大丈夫かな。

    「帰るわ」

     竜胆さんは立ち上がるとあっという間に店を出た。結局何だったのだろう。引き留める間もなく去っていく竜胆さん。キャバもう辞めようかな。

     ○

    中野三郎 タクシー運転手

    11月18日 15時57分
     勤続30年。運転技術に自信があります。今まで仕事ではもちろんプライベートでも1度も事故を起こしたことはありません。とはいえ、決して驕ってはいません。いつ事故に巻き込まれてもおかしくない。そう考えて、できる限り安全に配慮して運転することが、タクシー運転手である私のポリシーです。
     この仕事を続けていると、たまに忘れられないお客様を乗せることがあります。「前の車を追ってくれ」と言う刑事さんに、下関まで行って欲しいと言う泣き腫らした女性のお客様。たまに人ならざるものまで。今日のお客様も、そんな忘れられない人となりそうでした。

     手を挙げた男性を見かけ私は車を寄せました。乗り込んできたのは派手な男性2人組。紫色の髪の男性をピンク色の髪の男性が支えるようしていらっしゃいます。

    「どちらまで?」
    「とりあえず六本木方面行って」

     ピンクの髪の男性は端末を操作しながらそうおっしゃいました。紫の髪の男性は具合でも悪いのか、ぐったりと座席に寄りかかり目を閉じていらっしゃいます。

    「灰谷」

     どうやら紫の髪の男性は灰谷様というそうです。ピンク髪のお客様は灰谷様の額に手を当てると、顔を顰めてまた端末を操作されました。

    「どっか適当にコンビニ入れ」
    「承知しました」

     なんだか強盗のようだな。ぼんやりとそう思いました。ピンク髪のお客様はなんというか、非常に堂々とされている方でした。私なぞ、圧倒されてしまい、時折高圧的に感じてしまうほどです。お連れ様の体調が芳しくなく、余裕がないのでしょうか。

    「んず」
    「っ、大丈夫か?」
    「なんか、気持ち悪い、かも」
    「吐くか?」

     体調を気持ちで管理することなど不可能と知ってはいますが、車内で吐くのだけはやめてくれと、つい、その様に考えてしまいました。そんな私の思いが通じたのか、灰谷さんは「大丈夫」と小さな声でおっしゃいました。

    「やっぱコンビニいいわ。このまま直進しろ」
    「はい」

     左手に見えたローソンを無視して私はタクシーを走らせました。威圧感のある態度とは裏腹に、ピンク髪のお客様は灰谷様の背中を優しくさすってやっていらっしゃいます。お優しい方ですね。目的地であるマンションへは程なく到着しました。釣りはいらないと1万円をお支払いされ、ピンク髪のお客様はお連れ様を支えて車を降りられました。

     この仕事を始めて随分と経ちますが、これほど派手な2人組を乗せたのは久しぶりでした。そして、ピンク髪のお客様の持ち物も。

     お客様は具合の悪そうなお連れさまに自身のトレンチコートをお貸しになっていました。黒のトレンチコートです。きっと普段は常に身につけていらっしゃのでしょうね。コートを脱いだお客様の胸元にはほんのわずかにですが違和感がありました。忘れもしません。20年前、逃亡犯を載せてしまった時と同じピストルの膨らみです。

     ですが、結局お客様方は迷惑をかけるでもなく、むしろ気前良くお足をいただきこちらが感謝しているくらいです。

     本日は都中交通をご利用いただきありがとうございました。またのご利用を心からお待ちしております。

     ○

    佐藤遥一 コンビニ店員

    11月18日 16時58分
     あれ、美人じゃん。珍しく夕方にシフトに入っていると、ピンク髪の美人が来店した。今日は美人もスーツを着ている。ピンクのド派手なスーツは、一体どこの会社でなら受け入れられるのだろう。やはりホストだろうか。
     美人はカゴの中にポイポイと商品を放り込んでいった。値段を気にするそぶりもない。コンビニで大人買いってやっぱり金銭感覚が違うな。東京の家賃の高さに負けそうになりながら必死で学生生活を送る俺とは大違いだ。
     ぼんやり美人を見つめていると、突然、「おい」と声を掛けられた。

    「は、はい」
    「果物の缶詰ってねえの?」
    「果物でしたらそちらにパウチされたものがあります」

     冷蔵庫を指さすと美人は大人しくそれに従った。袋に入ったフルーツミックスをカゴに入れ、レジに置く。レトルトのおかゆに水、スポーツ飲料、プリン、極めつけが薬と体温計。典型的な風邪をひいた時用のセットだ。美人の体調が悪そうに見えないから誰かの見舞いに行くのだろうか。美人は懐から1万円を差し出すと「残りはやるよ」と呟いた。

    「お客様、困ります」

     本音を言うとポケットに突っ込んでしまいたいが、いかんせんバイトの身。店のルールを破るわけにはいかなかった。

    「あー、じゃあ、募金でもしとけ」
    「あ、ありがとうございました」

     レジ袋を片手に美人は去っていった。あの人やっぱり睫毛が長いな。女みたいだった。だが声は低いし手も筋張っている。男だったか。

     客の性別など俺には関係ないはずなのに、ほんの少し残念だと思っている自分がいた。

     ○

    レイカ キャバ嬢

    12月1日 22時48分
     明らかに堅気じゃなさそうな客が来るからと言ってキャバをやめられなかった。学費は高いし東京の家賃も高いのだ。月初めになると竜胆さんは当然のようにやってきた。もはや驚きはしない。普段通りノンアルをだらだらと飲んでいた竜胆さんだが、この日は普段と少し違っていた。突然、シャンパンを飲み始めたのだ。下戸だと言っていたのに珍しいなと思った途端、竜胆さんは茹蛸みたいに真っ赤になった。こんなにわかりやすく酔う人間っているのだなと、もはや感心してしまう。

    「うう」
    「竜胆さん、ほらお水飲んでください」
    「さんずはぁ?」
    「さんず?吐かないでくださいよ」

     竜胆さんがこんな調子では今日はもうボトルは入りそうにないな。月に1度のボーナスタイムが早々に終わったことを悟り思わず舌打ちしそうになる。

    「さんずにあいたい」
    「もう!だからさんずって誰ですか」
    「俺のすきなひと」
    「へぇ。例の彼女ですか」
    「昨日も飯誘ったけど断られて」
    「脈ないですよ、それ」

     さんずさんがどんな人かは知らないが、こんなわけのわからない男に迫られて可哀想に。髪の長い美人だというさんずさんに心の中で同情する。

    「でも俺は三途のことすげえ好きなのに!!」

     成人男性で泣き上戸ってきっつ!ぎりぎり泣いてはいないのだがグラスを片手に管をまく姿は絡み酒をする女にしか見えない。涙をこぼすのも時間の問題だろう。

    「ほら竜胆さん、ちゃんと起きてくださいよ」

     ソファーにぐったりと凭れる竜胆さんを起こすと、竜胆さんは突然大声で叫んだ。

    「おい!お前!三途は?」

     竜胆さんの視線の先には驚いたようにこちらを振り返る男。どうやら店の奥で店長と話している男に向かって叫んだらしい。知り合いなのかと首を捻り、1か月前に店で話していたツーブロック男だと気が付いた。

    「あれ?竜胆さんまたいらしてたんですね。三途さんなら車にいますよ」
    「呼んで来いよ」
    「え?でも、今日お疲れみたいですし」
    「あぁん?」
    「っ、わかりましたよ」

     どうやら竜胆さんの方が上司らしい。やはりこの男只者ではない。というか、さんずさんってもしかして仕事仲間?そちら側の人間なのだろうか?

     程なく、ツーブロック男に連れられてピンク色の髪の男が店内に入ってきた。

    「お前うちの店で潰れんなよ」
    「うわぁ、さんずだー」
    「話聞けよ」

     縋り付いてくる竜胆さんにさんずさんは全てを諦めたらしい。深々とため息をつくとツーブロックに「後は頼む」と言い残し、竜胆さんを連れて店を出ようとする。

    「なあ、三途。お前俺のこと嫌いなのかよ」
    「おー、嫌い嫌い」
    「でも俺は好きだから。一発やらせろよ。ちょっとだけでいいから」
    「……死ね」

     何なのだろう、この光景。つまり、竜胆さんの好きなさんずさんは男で同僚で、今最悪のセクハラを受けてるということになるのだろうか。やっぱり竜胆さんは最低だな。呆気にとられる私の方を竜胆さんは見向きもしなかった。

     ○

    佐藤遥一 コンビニ店員

    12月1日 23時12分
    「三途、ちょっとだけ。ちょっとだけだから」
    「しつけえんだよ、てめえ。ぶち殺すぞ!!」

     深夜のコンビニにいきなり下ネタのような言葉と暴言を吐きながら入ってきたDQNと美人。古今東西、「ちょっとだけ」と言って本当に「ちょっとだけ」だった人間を俺は見たことがない。DQNは酒でも入っているのか、真っ赤な顔をしながら美人に縋り付き、「ちょっとだけ、1回だけでいいから」を繰り返している。一体何がちょっとなのだろう。美人はDQNに文句を言いながらさっさとドリンクコーナーへ向かった。DQNはその後をまるで子犬のように追いかけ、美人の機嫌を取ろうとする。

    「絶対痛くしねえから」
    「転んで頭打って死ね」
    「俺うまいってよく言われるし」
    「後ろから女に刺されて死ね」
    「チンコもでか」
    「死ねよ、クラゲ野郎」

     ドゴッと鈍い音がして、DQNは頭を押さえる。どうやら殴られたらしい。それにしてもクラゲとはDQNにはぴったりのあだ名だな。美人は自分のエナジードリンクと煙草を買うとあっという間に店を出ていく。DQN改めクラゲさんも大人しくその後をついていった。

    「っしたー」

     ……今の話ってそういうことだよな?美人相手に必死でワンチャンをお願いするクラゲさんと、それを歯牙にもかけない美人。俺の脳内にはラブホテルの前でワンナイトを期待する男子大学生とそっけない年上美人が思い起こされた。というか、あれ?あの2人ってそもそも付き合ってんのか?今までの様子を見ている限りでは、クラゲさんはともかく美人の方は相手に好意を持っているようには見えない。

     ○

    レイカ キャバ嬢

    12月7日 20時9分
     衝撃の一夜から数日後、月初めでないというのに竜胆さんは店をふらりと立ち寄った。珍しく満面の笑みで次から次へと高い酒を馬鹿みたいに入れる。

    「何かいいことあったんですか?」
    「実は、三途と付き合うことになったんだよ」

     あの最低の状態からよくそこまでもっていったな。さんずさんは珍獣ハンターか何かのだろうか。嬉しそうな竜胆さんは今朝起きたら三途が隣で眠っていたといらない報告までしてくる。キャバ嬢相手に恋バナすんなよと思うが他に話し相手もいないのだろう。仕方なく付き合ってあげることにした。

    「竜胆さんから声かけたんですか?」
    「そうそう。あの後、送ってもらって気が付いたら押し倒してた」
    「ええ」

     反社の恋愛怖。家ついて言った時点で覚悟の上なのかな。いや、でもさんずさん男だったしな。

    「よくそれで付き合おうってなりましたね」
    「なんか、『お前って俺がいなきゃだめだよな』って笑われたから、お前がいてくれなきゃだめだからって押し通した」
    「メンタル強すぎません?」

     この顔面でお前がいなきゃって迫られたら許してやりたくなるものなのだろうか。まあ、何はともあれ、竜胆さんが好きな人とくっついたのならよかった。

    「今日も俺のマンションに帰ってくるんだよね」
    「じゃあ、早く帰ったほうがいいですよ」

     誰かに話したかったのだろう。竜胆さんはにやにや笑うと、もう帰ると席を立ちあがった。今日は滞在最短記録更新かもしれない。私の学費も目途が立ったのでキャバは今月で辞めるつもりだった。多分もう会うことはないけど竜胆さんとさんずさんが末永く幸せでありますように。

     ○

    黒中美咲 中学生

    12月19日 16時23分
     竜胆はパパの取引先の人だった。家に仕事の話をしに来た時にたまたま見かけて以来、なんとなく気にかかるようになったのだ。私は中学生でヤクザの娘。竜胆は30歳で梵天の幹部。別に私だって自分が本気で竜胆に釣り合うとは思ってない。けれど、少しくらい夢見たっていいでしょ?

     パパに頼んで竜胆にデートを申し込んだ。断られるだろうと思っていたけど、竜胆はディナーと映画に連れて行ってくれるという。もしかしてちょっとはいいと思ってくれたんじゃない?だって、恋人とか好きな人がいたら普通、他の女とデートとかしないよね。大好きな人とのデートに私のテンションは上がりまくりだ。

     時間をかけてメイクをし、普段はあまり使わないカラコンもつける。美容院でトリートメントしてもらった髪はきれいな内巻き。

    「ねえ、どっちがいいと思う?」

     竜胆と同じ30歳の高橋さんに青いワンピースと、オフショルとスカートのコーデを見せると、悩みぬいた末にワンピースを指さした。少しでも大人にみられたくて、義母のパンプスを拝借する。18歳くらいには見えるだろうか。


     竜胆は真っ赤な車で迎えに来た。席が2人分しかなくて左ハンドル。きっと高級な外車なのだろう。

    「悪いね。娘の我儘を聞いて貰って」
    「いえ。会長には日頃からお世話になっていますから」

     スーツを着た竜胆はびっくりするくらい格好いい。けど、どうせならパパと仕事の付き合いがあるからじゃなくて、私とデートしたいからって言ってくれたらよかったのに。なんて、そんなこと思っても仕方ないよね。

    「10時までには絶対に帰宅します」
    「まぁ、信用してるよ」

     玄関の前でパパに見送られ、私は竜胆の腕を取る。ヒールでふらつくから支えてほしいのだ。竜胆は少し驚いたけど優しく笑って車まで私をエスコートした。私はさっきからずっとドキドキしっぱなしで心臓の音が竜胆にまで聞こえてるんじゃないかと怖かった。竜胆の車の窓から見ると見慣れた景色が別の場所のように見える。

    「竜胆、今日格好いいね」
    「ありがとうございます」
    「敬語とかやめてよ」
    「そういうわけにはいきませんよ」
    「私がもっと大人だったら、意識してくれた?」

     女優の美桜ちゃんを真似て小首を傾げてみる。半年前に放映されたドラマで、美桜ちゃんはこうやって担任の先生を落とす役をやっていたのだ。けれど、ドラマと現実は違う。竜胆は「美咲さんは何歳でもきっと素敵ですね」と曖昧に微笑むだけだった。


    12月19日 17時30分
     竜胆が連れて行ってくれたのは、景色の綺麗な素敵なレストランだった。落ち着いた音楽が流れていて、客もギャルソンも皆大人って感じがする。自分まで大人の仲間入りをできた気がしてドキドキした。今日は早めのディナーだけど、きっと夜景になるとさらに綺麗なんだろうな。竜胆、また連れてきてくれないかな。
     そんな私の胸中など知るはずもなく、竜胆は淡々と肉を切り分け口へ運んでいた。竜胆の所作は美しく余計な音もほとんど立てない。私は竜胆に見惚れながら自分も食事を進めた。

    「お口に合いますか?」
    「うん、美味しい」

     パパの仕事の関係か、たまに家族で外食をしても行くのは料亭や和食の店ばかりだった。だからこんなおしゃれなレストランなんて初めてだ。出てくる料理ももちろん洋食でとても美味しい。
     竜胆は今日は長い髪を束ねておりいつもよりも少し大人っぽかった。


    12月19日 21時20分
    「映画面白かったね」
    「そうですね」

     マンガが原作の恋愛映画。高校生の四角関係をテーマにした映画だ。主演の松山千里が可愛かったし、主人公が彼氏と一緒に観覧車に乗るシーンは思わずキュンキュンした。

    「じゃあ、そろそろ帰りましょうか」

     今から映画館を出れば宣言通り、22時までには帰れるだろう。楽しいデートの時間はあっという間に終わってしまう。

    「ねぇ、ちょっと待って。もうちょっとだけ一緒にいたい」
    「ダメですよ。お父様が心配されます」
    「でも、私もう14歳だよ。たまには夜遊びしたっていいじゃん」

     そりゃ、竜胆からしたらまだまだ子供だろうけど、私だって好きな人とデートくらいしたい。けど、竜胆は困ったように「それでもダメです」と言った。
     それなら仕方ない、最終手段だ。私はスマホを取り出し、沙耶香さんに電話をかける。沙耶香さんはいわゆる後妻さんというやつで、私のママが男と出て行った後に家へ来た。21歳の沙耶香さんはお母さんって感じはしないし、私にも強く出られない。若くて子供を産んでいないから、なんとなく家のみんなから軽んじられているのだ。

    「あ、もしもし。沙耶香さん?私帰るのもう少し遅くなるから。パパにも言っておいてね」

     沙耶香さんの返事は聞かずに一方的に電話を切る。これでもう少し遊べるだろう。パパに怒られるとしたら私ではなく、私を止めなかった沙耶香さんの方だ。

    「ね、これでいいでしょ。もうちょっと一緒にいよう」

     竜胆は小さくため息をついて「日付が変わるまでには家へ送りますからね」と言った。


     行く当てがあるわけではないから適当に車を走らせ、ドライブをした。どこかのお店に入るのも何だかロマンチックだけど、車内で2人きりというのも特別感があって良い。なぜか緊張して小さなハンドバッグ を握りしめる。

    「美咲さんは学校で毎日何してるんですか?」
    「え、と、勉強とか部活とか?」
    「へぇ。何部ですか?」
    「テニス部。年が明けたら練習試合なんだ」

     中学生の私に合わせてそれらしい話題を振ってくれるのは嬉しいけど、どうせならもっとロマンチックな会話がしたかった。

    「ねぇ!竜胆はどんな人がタイプなの?」
    「タイプですか……。うーん、気が強くて、しっかりしてて、俺のこと甘やかしてくれる人ですかねー」
    「ふーん。じゃあ、年上と年下だったら?」
    「年下」

     即答だった。何だか嬉しくなってくる。

    「ねぇ、竜胆。明日仕事?」
    「えーと、どうだったかな?」

     敬語が外れて竜胆の顔がわずかに右に逸れる。ヤクザなのに竜胆は嘘をつくのが下手だ。

    「休みでしょ?」
    「いや、」
    「休みなんでしょ?」
    「……午前中は休みです」

     俯きながらウィンカーを出す竜胆にそれならばと縋りつく。

    「ねぇ、朝まで一緒がいい。ね、お願い」
    「ダメですよ。そんなことしたら俺が会長に殺されます」
    「ケチ」

     竜胆は無言で運転した。窓の外を見ると赤いテールランプが連なって何だか幻想的だった。このままどこまでも連れて行ってくれればいいのに。自分はどうしようもなく子供なのだと思い知らされ、柄にもなく泣きそうになった。


    12月19日 23時1分
    「もう11時ですしそろそろ帰りましょうか」
    「……」

     デートの終わりに不機嫌そうな私に、竜胆は困った顔をしている。困らせたかったわけじゃないんだけどな。無言のまま車はコンビニに入った。

    「なんか飲み物買ってくるんで、ちょっと待っててくださいね」

     竜胆はそう言うと、さっさと車を降りてコンビニへ入って行った。あーあ、もう終わりか。このデートが終われば次はいつ会えるのだろう。仕事で家へ来ても確実に会えるとは限らないのだ。それなら、後悔はしないようにしないと。

    「よし」

     小さく呟くと私は車を降りた。

    「りんどー」

     ちょうどレジで会計をしていた竜胆はこちらを振り返った。

     ○

    佐藤遥一 コンビニ店員

    12月19日 23時4分
     今夜のクラゲさんは珍しく1人だった。客足もまばらな23時。欠伸をしながらレジ番をしていると、クラゲさんが入ってきた。接客中のため一瞬しか見えなかったが、今日の格好は妙に気合が入っている。長い前髪をワックスで後ろに流し、クラゲヘアをうなじの辺りでリボンで束ねている。服装も黒いシャツに灰色のスーツ。普段、スウェットで美人にダル絡みしている姿に比べれば、ずいぶんと大人っぽく見えた。

    「ありゃぁしたー」

     おでんを買った客を見送ると、クラゲさんはガムを持ってレジへやってきた。

    「あとホットのブレンド2つ」
    「ホットのブレンドですね」

     いまだにセルフサービスが導入されていないため、うちの店では店員がコーヒーを用意しなければならない。クラゲさん用のミルク入りと、美人用のブラックを渡せば、「え」と小さく呟かれた。

    「あー、悪い。ブラックの方砂糖とミルク入れといて」
    「あ、すみません」

     近頃では、クラゲさんだけでなく美人まですっかり常連となっているため勝手に用意したが、どうやらこのコーヒーは美人用ではないらしい。空回りしてしまい何となく気恥ずかしい。慌ててミルクと砂糖を入れていると入店音が響いた。

    「りんどー、まだぁ?」
    「っ、もう少しお待ちください。今、美咲さんのためにコーヒー買ってるんで」

     ホストか?やはりホストなのか?まだ高校生くらいの少女ににこやかに対応するクラゲさん。というか、未成年って大丈夫なのか?警察とか……。思わずじっと見てしまうとクラゲさんは俺から奪うようにコーヒーを受け取った。

    「竜胆ん家ここから近いの?」
    「家はだめですよ。お父様も心配します」
    「いいよ、私。竜胆なら……」

     浮気なのだろうか。店外へ出た2人を思わず目で追うと程なく派手な赤い車が駐車場を出た。車種までは見えなかったが、おそらくスポーツカーの類だろう。クラゲさんは美人に言い寄りながらも未成年と思しき少女を家に連れ込もうとしているのだろうか。なんだか意外だ。

     ○

    黒中美咲 中学生

    12月19日 23時26分
    「じゃあ、これで失礼しますね。お休みなさい」
    「馬鹿娘が無理を言って悪いねぇ」
    「いえ、そんな。俺も楽しかったです」

     家へ行きたいと言ってみたけど結局ダメだった。私の帰りを待っていたパパは竜胆に優しく笑いかけている。約束を破ったのは私のせいだとわかっているから怒ってはいないらしい。

    「美咲さんも、お休みなさい」
    「……」
    「美咲!」

     パパに怒鳴られ渋々口を開く。

    「うん、バイバイ」

     竜胆はペコリと綺麗なお辞儀をして車に乗り込むと、あっという間に去っていった。赤い車の排気音もすぐに聞こえなくなる。

    「竜胆格好良かった」
    「よかったな」
    「またうち来るかな?」
    「いや、この間は三途さんの代理で来ただけだからな」
    「じゃあ、その三途って人しか来ないの?」
    「お前に会いに来るんじゃない。仕事できてるんだぞ」

     パパに睨まれそれ以上は何も言えなかった。また、会いに来てくれないかな。

     ○

    佐藤遥一 コンビニ店員

    12月24日 20時8分
     クラゲさん未成年事件から数日後、クラゲさんは美人とともに来店した。よく同じ店を利用できるな。思わずじっとクラゲさんを見てしまう。

     おや?2人を見ているとなんとなく違和感を覚えた。なんなのだろう、この感じ……。しばらく見てようやく気が付いた。なんとなくだが2人の距離が近くなっているのだ。以前までは、前を行く美人をクラゲさんが追いかけるのが常だったのだが、今は2人で横に並び、なんとなくだが会話も弾んで見えた。

    「あ、期間限定のやつ出てる」
    「じゃあ買うか」
    「だな」

     この間まではそっけない態度だったのにいったい何があったのだろう。期間限定スイーツと栄養ドリンクを持ってきた美人は「ホットコーヒー2つ」とぼそりと呟いた。

    「ミルクと砂糖どうしますか?」

     俺の言葉に美人は不審そうにこちらを見る。確かに常連でこれまでは勝手に用意していたとはいえ、先日のあれを見た後では無理だろう。

    「……1個ブラック。1個はミルクだけ」
    「承知しました」

     ミルクを入れながら美人の後ろに立つクラゲさんを盗み見ると、必死で1番くじのポスターを見て俺から目を逸らしている。この人案外わかりやすいな。

    「あ」

     美人が小さく呟き後ろを振り返った。

    「竜胆」
    「……」
    「おい、竜胆」
    「え、なに?」
    「まだあったっけ?」

     美人は少し離れた棚を顎で指し示した。主語のない会話だが俺はすぐに気が付いた。美人が示した辺りに売ってあるのは避妊具だ。

     う、うわぁ!!

     まったく親しくもない、かといって何も知らないわけでもない常連客の事情になぜか衝撃を受けた。なんとなくこちらまで恥ずかしい。だがそんな俺とは違い、クラゲさんの方はピンときていないらしい。美人に首を捻っている。美人は大きく舌打ちをすると「もういいわ」とコーヒーを持って行ってしまった。

     固まること数秒。クラゲさんもようやく気が付いたらしい。「あぁ!!」と大声を出すと慌てて棚に駆け寄り、1箱掴むと投げつけるように箱をレジ台に置いた。“極薄0.01ミリ LLサイズ”知りたくもなかった常連客の情報がまた1つ増えた。無心でバーコードを読み取るも、未成年との浮気からの美人と使うであろうコンドームの購入はなかなか衝撃が大きい。思わずサイズを見てしまったことくらい許してほしい。

    「こちら袋は……」
    「いい、そのままで!」

     避妊具の箱を掴むと、クラゲさんはすごい速さで店を出ていった。この様子を見るにどうやら美人が本命らしい。仕事上、仕方がないのかもしれないがホストというのも大変だな。クラゲさんと美人がうまくいくようにと陰ながら祈った。


    12月25日 25時17分
     深夜25時。人気のない店内にクラゲさんが入店した。開きかけの自動ドアの隙間から滑り込むよう入ってくる。近頃はめったに見なくなったスウェット姿で息を切らしていた。ここまで走ってきたのだろうか。そのあまりの気迫に俺は挨拶も忘れてぼんやりとしてしまった。クラゲさんは真っすぐに日用品コーナーへ行くと避妊具を3、4箱まとめて掴んだ。ついでに隣に置いてあった滋養強壮ドリンクを2本持つとレジへやって来る。ポイントカードの有無など聞けるはずもなく、レジ袋については食い気味に「いる!」と言われた。ゴム4箱にドリンク2本って化け物かよ。俺はできるだけスピーディーに袋詰めすると夜の街に駆け出すクラゲさんに心の中で敬礼した。

     ○

    黒中美咲

    1月9日 15時23分
     テスト期間は部活がないから早く帰ることができる。いつもよりも少しだけ早く帰ると家の前にはたくさんの車が停まっていた。

    「美咲さん、お帰りなさい」

     ちょうど玄関にいた沙耶香さんが私を出迎える。

    「お客さん?」
    「うん。和光さんのお仕事の方みたい」

     さっさと自室へ行こうと廊下を歩いていると、ちょうど客間からパパと見慣れない男の人が出てきた。

    「こんにちは」

     声をかけられ軽く会釈をすると、向こうも頭を下げてくる。

    「お嬢さんですか?」
    「ああ、うちの娘だ」

     アニメみたいな派手なピンク色の髪にスーツ。どうやらこの人がお客さんらしい。

    「先日はうちの灰谷がお世話になりました」
    「え、っと、竜胆の知り合い……ですか?」
    「はい。灰谷はうちの部下です」

     どうせならこの人じゃなくて竜胆が来てくれればよかったのにな。せっかく連絡先を交換したのに、忙しいのか竜胆はほとんどLINEに返信をくれなかった。私はお客さんに会釈をしてさっさと部屋に戻る。

     襖の向こうからはパパとお客さんが話しているのが聞こえる。

    『今、竜胆の上司が家へ来たよ(*’▽’*)髪ピンクの人!』

     竜胆にメッセージを送ってみたもののどうせ既読はつかないだろうと、スマホをベッドの上へ放り投げる。だけど、意外なことにすぐに小さく通知音がした。

    『なんか言ってました?』
    『別に。仕事のことはよくわからないけど、私には灰谷がお世話になりました、って言っただけ』

     既読は付いたけど、返信は一向に帰ってこない。スタンプの1つでも送ってくれたらいいのに。
    それにしてもさっきのピンクの人。もしかして、怖い上司だったのかな?今度会えたら聞いてみよう。
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