巡りて盈月(えいげつ)盈月は漸次、相助なるうえでこそ真に満ちたり。
※盈月(えいげつ)
新月から満月になるまでの月。
東の空より浮かんできた孤月をひとり、たたらばの屋根よりぼうっと眺める。
あたりは次第に夜の帳が下りていき、里の家々には少しづつ明かりが灯っていくのが見える。肌を撫でる風に季節の移ろいを感じつつ、普段なら夕餉の支度を始める時間だが、今夜はひとり。昼食の残りでもあたため直せば済むことだと、自分のことながらどこか他人事のようだ。
今はそんな事よりも、今朝、偶然に見てしまった光景が幾度となく思い出されては、俺の思考を全てうめつくしていく。
ミカドと友人以上の関係…つまりは、恋仲として付き合うようになって、相当の月日が過ぎた。
互いの里を行き来し、寝食を共にすることもよくある光景として、里の皆も見慣れてきたところだ。
互いの里の脅威を退け、ギルドからの依頼もここのところ落ち着いている。小さな騒動はもちろん尽きないが、比較的穏やかな日々を送っていた。
気がつけば、ミカドの事ばかり考えている自分がいる。
それは、共に過ごす時間が長いからだと思っていた。
しかし、最近のミカドに対する俺の感情は、彼と出会ってからの今までとはどこか違うのだ。
想い合うもの同士が共に近しく共に在るという時間だけで、満ち足りた気持ちでいた。
ミカドも同じように感じていてくれていたら、嬉しいとも思っている。この気持ちに嘘はない。
ないのだが、どこかが違う。
その答えが今なら分かりそうな気がするのに、なぜだか積極的に解明したいと思えないのが、自分らしくない。
ミカドはよく俺を「いい男だな」という。
母親似で兄の嘉月と比べるとその面影のせいか、女みたいだなどと揶揄されることが多かった俺に、その言葉はとても新鮮で、偽りなくミカドがそう感じているのを、素直に嬉しいと思う。しかし、男は男だ。
里にまだ兄の嘉月が居た頃、同性を相手に夜を共にする姿を見かけた。子を成す行為のそれを同性相手に向けて何が生まれるのか、正直なところ分からない。
いや、分からないと思っていた。
少なくとも、今朝までは。
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ギルドからの討伐依頼が落ち着いてきたとはいえ、いまだモンスター出没による緊急要請は絶える事がない。
この世界に数多といるモンスターは、常に俺達の生活のそばに存在している。その脅威を身をもって知り、里の安寧を守るために日々鍛錬を欠かさず、対峙してきた。命のぶつかり合いには危険が伴い、一瞬の判断が己を生かす。
ミカドも俺も一人前のハンターとして、互いの里の英雄として、慌ただしい日々の中で偶然に出会い、多くの時間を過ごし、共に歩んできた。
ギルドからも認められるミカドの狩猟能力は俺から見ても凄まじく、振り下ろす超高火力なチャージアックスの攻撃は、俺の使う操虫棍には無い豪快さと華やかさで、毎回息を呑むほどだ。
そんなミカドに劣っていると思われたくないという意地で、必死に食らいついていき、息を合わせて討伐を果たした時のあの高揚感は、彼と出会ったからこそ知った感情だった。
どこか最初は近寄り難い雰囲気を纏った彼の素顔は、守るべきもののために己が盾となりぶつかっていく、どこまでも純粋で真っ直ぐな男だった。
俺はそんなミカドの中に、最初は兄の面影を見ていたような気がした。憧れ、追いかけても追いつけない存在。気安いようで腹の中を明かさない在りし日の嘉月を。
だが、彼の強さの中には彼自身も気づいて居ない脆い部分があり、幾年経とうと決して消化しきれない想いを抱えていた。それでも立ち止まらず、大切なものを失わないために、守ることで強くなり生きてきた。
ミカドの強さは、大切な者に生きて欲しいという願いからだった。
それを知った時、俺は改めてミカドのそばに居たいと強く思ったんだ。そして、自分も強くなりたいと思った。
ミカドの隣に肩を並べて立てる男で居たいと。彼を守るのは、俺でありたいと。
それなのに最近の俺は、少しおかしい。
ミカドとの関係は、悪くない。以前より俺が「触れ合い」に慣れたせいもあるが、2人で過ごす時間は心地いい。たまに、なんてことなく渡される贈り物の値段に驚かされたり、剣を槍のように扱ったりするから苦言を呈するが、思い出す限り大きな喧嘩もない。
なにもないことが幸せなはずなのに、どこかこのままでいいのかというよく分からない焦りが、心の隅にあるにはある。俺はこの焦りがなんなのか分からない。
ミカドはこんな俺の様子に気がついているのだろうか。
余裕な笑みで見つめてくる彼の姿が浮かぶが、こんなことで悩んでいるのを知られたくないとも思う。
俺は一体、何を感じているんだろうか?
そうこうしている間に、ミカドの住まう通い慣れた家のそばまで来ていたことに気づく。
今日は、討伐依頼に出てみると、新米ハンターが依頼主の荷物をどこかに置き忘れたため、討伐よりも時間がかかってしまったせいもあり、夜半に訪れる予定が明け方になってしまった。遅くなることは先にフクヅクが伝えているはずだ。
通ってきた里も薄暗く朝霧がかかり、皆まだ寝ているのだろう。ミカドも確か夜までギルドからの依頼で討伐に出ていたはずだが、帰っていたとしたら既に寝ているだろう。
俺は、物音をなるべく立てないように軒先に担いでいた操虫棍を置き、猟虫に休むよう目配せをした。
湿度の高い密林を探索したせいで、装備している防具が急に重たく感じ始めた。中に入ったら軽く身を清めて少し休もう。朝餉は何にしようか…ミカドが美味そうに味噌汁をすする姿が浮かび、自然と口角が上がるのを感じた。後ろ手で戸を閉め、静かに脱衣所へ向かう。
が、その時。奥の部屋から、なにか呻くような低い息遣いが聞こえたような気がした。不審に思い、装備を脱ごうとした手を止め、息を潜めて耳を済ませた。
「……ふ、……ッッ…」
微かだが、荒い息遣いが聞こえた……気がする。
奥の部屋。
そこは、ミカドが寝室として使っている部屋だ。
ミカドの身になにかあったのか、夢でうなされているのか、心配になった俺は静かに様子を見ることにした。
明け方といっても、まだ日が昇るには早く、薄く開いた部屋の扉からはミカドの様子が直ぐには捉えられない。
いっそ中に入って様子を確認しようと立ち上がったところで、上半身を軽く起こしたミカドを視界が捉えた。
「……ッ…ふッ……(グチッ)…ッ…」
…瞬間。
俺は、咄嗟に扉に背を向け無意識に口元を手で塞いだ。
すんでのところで物音を立てずに隠れたが、ミカドの姿を認識した耳には、やけにハッキリとその息遣いが届く。
「……フゥ…フッ…ッ……ッ……」
ミカ、ド……?
己の溜め込んだ欲を発するための行為であるそれを自分の居ぬ間にしている姿に衝撃を受け、動けなくなった。
ミカドだってハンターである前に「男」だ。生理的な欲求を持て余さないわけが無い。
無いと分かっていても、自覚した途端に俺の中で堰き止めていた何かが、一気に脳内から全身へと駆け巡って行く感覚がした。
(いやだ。)
「……ッ…フッ…ッ……」
(一体、何を考えてるんだ…俺は、ミカドのそばにいられたら…それだけでよかった…そう思っていたはずなのに、俺はいま…)
ミカドが何を思って己の欲をぶつけ、解放しようとしているのか、おかしくなりそうなほど、その欲する「対象」に俺はいま、嫉妬している…。
ミカドとは「触れ合い」こそ時折するものの、決してそれ以上、俺に求めてはこなかった。
それに特段不満はなかった。ミカドの俺を好きだと言う言葉に嘘はなかったからだ。
でも、俺でいいのだろうかという後ろ向きな気持ちが自分になかったわけじゃ決してないが、俺もそばに居たいと心からそう思った。この気持ちにも嘘は無い。
ミカドも男だし、溜め込むことはある程度は俺のように狩猟で発散できてるのかもしれない。でも、それ以外には…と、思考が振れそうになると怖くて、無意識に気付かないふりをしてきた。
そうだ。
俺は、ミカドにこれ以上を求められないのが怖いんだ…これ以上先に進んだとしても失望され、離れて行かれるかもしれないと思うと、耐えられない。
強くなったと思っていたんだ。ミカドの隣に立つ男として。でも、同時に臆病にもなった。
ミカドの存在が俺の中で大きくなるにつれて、失うのがとても、怖い。
怖いと思う感情が、強大なモンスター相手でなくても生まれることを、俺は知らなかったんだ。
兄ならば、分かるのだろうか。この先の見えない不安から逃れる術を。夜を共にした相手にはあったのだろうか。思えば、相手から罵られたりする兄を見たことは一度もなかった。皆、どこかスッキリしたような安堵したような、そんな顔をしていたような気がする。
分からない…。俺は、ミカドに……
「……ッ…綺…月ッ……」
…ッいま、俺の事を…呼んだのか…?
ミカドが、呼んだのか?
俺の名を……。
突然の自分の名に驚き、弾かれるように俺はその場を立ち去ってしまった。
===
「旦ニャ様ぁーーー!夕餉の支度はお済みですかニャー?」
足元の下、自宅の前からルームサービスに来たアイルーが叫んでいる。
今夜は大丈夫だと返すと、風邪をひかないようにと心配の言葉を残して、去っていった。
あたりはすっかり日が落ち、弧月は先程より高くから里を優しく照らしている。また、今朝のことを思い出していたようだ…。
あの後、逃げるようにミカドの家を飛び出してしまった俺は、彼の里にある水場で軽く頭を冷やした後、そのまま探索に出て食材を集め、日が登る頃にようやく彼の家へ戻ることにした。
朝風呂を浴びて濡れ髪をガシガシ拭きながら、半裸のミカドが俺を出迎えたが、果たしていつものように振る舞えたのかどうか、よく覚えていない。
しかし、わかったことはある。
ミカドは、少なくともいま以上の触れ合い…いずれは肌を重ねることも、その相手は他でもない俺だということも。今なら、なぜその答えに辿り着けなかったのか、疑問にすら思うが、大事なことを俺はすっかり失念していた。
ミカドはひたすら一途に俺を見てくれていることは、わかっていたはずだ。彼に限って、持て余した欲を他の誰かにぶつけるだなんて考え…俺はどうかしている。
おかしいのは、俺だ。
理解した先に待つ不安に怯えて、目の前のミカドをちゃんと受けとめようとしていなかった。
大切で手放せないからと、今の関係に甘んじていた。
きっと、ミカドはそんな俺を見て、また俺の気持ちが追いつくのを待とうとしていたのかもしれない。
初めてミカドに「好きだ。」と告白されたあの時のように。
こんな俺をあいつは求めてくれる。
俺も、ミカドを欲している。それは、求めてくれるからではなく、その存在の大きさに他でもない俺が救われているからだ。
果たされない家族の約束。大切なもの達の帰りを里でただ待つばかりで、帰れるこの場所を守ることで、いつかその約束が報われるかもしれないという、漠然とした希望の火を絶えず燃やして奮い立たせてきた俺に「おかえり」を言わせてくれるあいつを、俺は、守りたい。
ミカドが求めるものなら、受け入れたい。
今はまだ、何が出来るかも分からないことだらけだが、きっと俺は大丈夫だ。
分からないなら追いかければいい。出来ないことは学べばいいんだ。
いままでの「綺月」ならそうしてきた。
ミカドが愛した「いい男」は、そういう男だ。
過去に囚われるのは悪いことでは無いが、俺はいま、ミカドの隣に立って未来へと共に生きていくんだ。
それでいい。
あいつはこのまま俺を求めて来ないのかもしれない。もしそうなら、その時は俺が迎えにいく。
そのつもりで、今度は俺がミカドの気持ちを待ってみてもいいと思う。彼は、嘘はつかない男だ。みっともないとわかってても、自分の気持ちを偽ることはしない。
だから、ミカドが打ち明けてくれたその時は、全身で受けとめたい。俺が、そうしたいんだ。
そう思える人が、今の俺にはいる。
そいつは強くて脆くもあるが、最高に「いい男」だ。
見上げた夜空には、細く弧を描き輝く三日月。
満月へと向かい満ちていく様は、これから先の俺たちのようにも思う。欠ける日もあるだろうが、いずれはまた満ちて戻る。
巡る盈月、互いに助け合いて真に満ちていく。
さて、明日の朝餉はどうしようか。
まずは、ゼンチ先生にそれとなく相談にでも行こうか。
俺の中で確かに動き出した想いは、優しい月明かりだけが、今は照らしている。
(end.)