赤炎のトラゴーイディア カイムがアジトを空けていた間に、随分書類や雑多な品が溜まっていた。メギドの多くは整頓が苦手で、掃除などのできる者は少ない。
書類を分類し、雑貨類は持ち主が持っていけるように箱へ入れる。しばらく置いて、持ち主がいなければ燃やしてしまえばいい。
「ふう」
整頓を終えたカイムは息をついた。
「紅茶でも飲みたいところですね……おや」
大きな帽子とまだらの服がカイムの目に留まった。
「はて、整頓は終えたはずですが随分と大きな」
「わかってて言ってるだろ」
バールゼフォンが頬を軽くかいた。
「また絵を描いていたんですね。それは構いませんが、手を洗っていらっしゃい」
乾き切っていない絵の具がバールゼフォンの頬にまだらの模様を描いた。
「実はさっき描き終えたところでさ。それで、あんたがいると聞いて」
「私に何か?」
首を傾げるカイムへ、バールゼフォンは目を伏せた。
「その、前によう、俺がみんなを描いた絵があったろう?」
フルカネリ商会の依頼でソロモン達の似顔絵を描いた。フルカネリとの決着は一応ついたがバールゼフォンの描いた詳細な似顔絵は今でもカンセとセリエが悪用している。
「マルコシアスから聞いたんだよ。その」
「ああ、そのことですか。我が君の絵姿が悪用されるのは許しがたいことです」
「それもそうだが、その、悪かったな」
ロキのように当時ソロモンと契約していなかった者は別として、不在の領主に代わってトルケーを仕切っていたベルナールの手にも似顔絵はいきわたっていた。カイムはかつての友ベルナールに悪魔と断じられた上に捕らえられ、運よくハルファスを知るヘレシーの助力を得られなければソロモン達も危うかった。さらにパラジスによって幻獣化させられたとはいえ、ベルナールをカイムはその手で討った。その決意こそがリジェネレイトの引き金になったと聞いている。戦争に生きるメギドとしてのバールゼフォンは同じ軍団の者が強くなったことを喜べるが、画家としてのバールゼフォンは自らの絵が悪用されたことに、それで起こった悲劇に、言葉にできないわだかまりを抱えている。
謝罪を受けたカイムは胸の花に手をやった。
「ベルナールはあまりにも善良だったのです。すべてをこの悪魔のせいにしておけばよいものを」
「カイム」
「詫びなどいりませんよ。死んだと思っていた彼に、私はもう一度会えたのですから」
涙は炎で焼き切った。たとえ、その再会を悲劇だと他の誰もが言ったとしても、再会しなかった方がいいとはカイムには思えなかった。ベルナールを忘れることはないし、薔薇の棘に似た胸の痛みはカイムだけのものだ。それを誰かに測らせるつもりはかつても、これからもない。そっと笑みを張り付けて心を隠す。
「俺もついてきゃ良かったな」
バールゼフォンの返事にカイムは首を傾げた。
「あなたが来たところで結末を変えられるとでも?」
「そこまでうぬぼれちゃあいないさ。ただ」
「なんです?」
「いや、お前さんの髪を見てたら赤い絵の具をそろそろ買わなきゃならねえのを思い出ししまってさ」
「画材は自己負担でお願いしますよ」
「へいへい」
バールゼフォンは肩をすくめた。
(その様子を描いてみたかったとは言えねえな)
さぞかし美しかっただろう。画家として、火傷してでも手が動く限り、手が使えなければ筆をくわえてでも描いてしまわねばならぬほどに。しかし、きっととびきりの赤がいる。その赤を出せるだろうか。いや、出してみせる。傾く夕日に照らされたカイムの髪を見ながらバールゼフォンは思った。