君と占う甘い旅 その街は印刷業が盛んで、特に細密な印刷が得意なのだそうだ。そのため、五線譜にかき込まれた作曲家の細かな指示なども再現されている。新しいレパートリーを増やし、あるいは新曲のヒントになればとロキはその街に立ち寄ることを決めた。ポータルを使ってもよかったが、あいにく近くになかった。それに、ポータルでは「彼」が一緒に来られない。ロキは足音に耳を澄ませて少し後ろから、距離を置いて銀髪をフードに押し込んだ男性が着いてきているのを確かめながら呟きにはいささか大きな声で進路を確かめる。
「……に行かないならどっちだ」
「右」
独り言にはやや大きな声が後ろから聞こえる。ロキは右へ向かった。
街へ向かう。小さな集落や村はいざしらず、街ともなると防壁と門に囲まれていることも多く、しばしば門番による簡単な身元確認がある。
「ようこそ。さて、訪問の理由は?」
「あれ」
ロキは服の内ポケットから小さな冊子を取り出した。歌にしないと言葉があべこべになってしまうが筆談ならできるロキの特性を考慮したソロモンがシバに頼んで用意してもらった身分証明書だ。
「……む。これは……いや、なんでもない。一人ですか?」
「マネージャー」
「マネージャーさん。後ろの方ですか?」
「いや、俺は」
「マネージャー」
ロキが振り返る。
「ロキさんとマネージャーさんですね。……この街へはライブに?」
「楽譜を探しに来ました」
諦めたナナシが心の内でこの街にいる間だけだからなと付け加えつつロキに代わって答える。
「そうですか……実は妹がファンなんです」
「歌えない」
「え?」
「いえ、歌えるような場所、例えば広場とかがあれば考えますね」
ナナシがすばやくロキにペンを握らせ、小声で尋ねる。
「サイン、いりますか?」
門番が目を輝かせた。
街はロキのように楽譜を求めにやってきたミュージシャン達や、地図など精細な印刷を求める業者達でなかなか賑わっている。取り急ぎ宿を確保し、軽く食べてから楽譜を探しに行こうというナナシの提案にロキも否やはなく、頷いてナナシの手を取った。
「マネージャー」
「……臨時だからな」
何度か他の街でも繰り返したやりとりをまた繰り返すと、ナナシはフードを取った。陽光を緩く跳ね返す銀髪の、右サイドには再び編み込みが結われている。受け取らなかった、切り取られた遺髪の名残はなく、すっかり伸びた髪にはあの時ロキが恐れた失う予感はなにもない。
「どうしたロキ?俺の顔には目と鼻と口しかついてないぜ」
苦笑するナナシへ、今も喪失の不安を抱えていることは伏せてロキは笑い返した。
「あれ」
目に付いた屋台を指差す。
「フォーチュンクッキー」
「お、読めるんだもんな」
ナナシも笑みを深くする。それが嬉しくてロキは屋台へ近付いて行った。
「あら、綺麗なお兄さん達。お一ついかが?」
売り子の娘がにっこりと笑いかけてくるのへ、ロキが頷いた。
「おい、ロキ!金は……まあいいか」
なくなったら歌で稼げばいい。これまでもそうしてきた。
「毎度あり。このクッキーはね、中に占いが入っているんですよ」
金を受け取った娘がクッキーの入った袋を渡しながら説明してくれた。半月型に膨らませた生地をさらに二つ折りにしたような変わった形の菓子は、中に運試しの文言を書いた細長い紙が入っているのだという。
「占い?」
「ええ。父は印刷機を持っていて、細かい印刷が得意なんだけどなかなか知ってもらえなくって」
細長い紙にも綺麗に印刷できることをアピールしようと見本品を作ってみたが、なかなか手に取ってもらえなかったが、祭りの運試しのくじを見た娘がふと思いついて菓子に入れたところ、印刷物を求めにくる客が面白がって購入するようになったという。
「今じゃすっかりクッキー屋さんになっちゃったけどね。運試し、楽しんでくださいね」
早く食べたいと言いたげなロキの視線を感じながらナナシは開けてもよさそうな場所を探した。
広場の隅でそっとクッキーの袋を開ける。袋の中にはクッキーが数個、多くても七つくらいしか入っていない。意外と高いなと思ったが、この中に入る紙はかなり細いだろう。それに占いを印刷したのなら手間もかかるはずだ。
「紙が入ってるから気をつけて食べろよ」
「ん」
パキ。サクサクサク。小気味よい音を立ててロキがクッキーを食べ進める。
「お、占いってこれか?」
唇に挟まった紙をナナシが取った。
「今日は絶好調!だけど油断は大敵!」
定番だが、いざ当たってみるとなんとなく嬉しい幸運の言葉が記されている。
「お、良かったなロキ」
「マネージャー」
「へいへい……おっと、これかな」
ナナシがクッキーを手で割り、細長い紙を取り出す。
「今日は最低の日かも。たまにはそんな日もあるよ」
と書かれている。
「こういうのって不運なメッセージ入れていいのか?」
「マネージャー」
「ああ、何でもないよ。……俺の不運がお前の足を引っ張らなきゃいいけどな」
するとロキは首を横に振った。
「はむむむむ(マネージャー)」
クッキーをくわえて差し出す。もう一つ開けて不運を打ち消すつもりなのだろう。
「ありがとうロキ」
ナナシが手を添えて割ろうとすると、ロキは彼の手を掴んで止めた。うなじに手をかけて引き寄せ、クッキーを食べろと迫る。伝説の悪魔メギドのことはまだよく分からないが、細身の体からは想像しがたいほどの怪力に抗えるわけもなく、ナナシはふう、とため息をついてクッキーを食べ進めた。
「んっ、んんっ」
唇が重なり、ロキの舌がナナシの舌ごと甘い菓子を味わう。
「ん、ふぁ、ロキぃ」
「甘くない」
唇の端に張り付いていた紙を取り上げ、もう一度唇を重ねる。甘いキスに紛れて落ちた紙には、こう記されていた。
「パートナーを大切に!幸せはすぐ隣にあるの」