ワンドロ Δロド「おわ」
「うわっと」
出会い頭、二人の声が重なった。
つづいて、ギュッと肩をつかまれる。
細すぎる私の体は、それでもう動けない。
ロナルド君のあったかい手が私の肩にかかっている。
私より少しだけ背が高くて、体の厚みは比べ物にならない男。
彼……高等吸血鬼ロナルドのイヤミなくらい端正な顔がばばーんとドアップになる。
「あー……、あはは。私ちょっとぼーっとしてたみたい」
「……」
ロナルド君は答えない。
じーっと私の顔を見つめている。
……気まずい、何か喋ってほしい。
私はあったかい掌に掴まれた肩が、だんだん居心地悪くムズムズしてくるのに耐えた。
実を言うと、ちょっとだけ罪悪感があるのだ。
私は今、わざと彼にぶつかろうとしてしまったから。
ロナルド君はそれはもうつよーい吸血鬼だ。
(調子に乗ると大変だから、絶対畏怖ってあげないけどね)
対して、私ドラルクは吸血鬼のホットスポット新横浜で、吸血鬼対策課の実働部隊を率いる身分に収まっている。
監督の名目で同居してはや半年。
最近の私は、ほんのり、こっそり、ちょっとだけロナルド君が気になってしまっていたのだった。
ここは私の自宅……新横浜のどこにでもある高級マンションだ。
今、私はリビングから寝室に向かう動線上にいた。
片や、廊下に面した風呂場から出てきたロナルド君。
私たちがぶつかってしまうのは、ある意味必然だ。
……なんて、さっきまでの私は考えていたのだ。
もしぶつかったら、ギュって身体を抱き留めてもらえるかな、なんて。
しかし、現実は厳しい。
私は彼にぶつかる直前で留められてしまった。
あと一歩だった。
あと一歩だったのに!
あと一歩で、ギューしてもらえたかも知れないのに!!
私は目論見が失敗したので、心の中で地団太を踏んでみた。
神奈川県警新横浜署、吸隊所属のドラルク隊長。
そんなものは公の肩書で、今はただのドラルク。
ちょっとだけ気配臭に敏感な、ガリヒョロおじさんダンピールだ。
……っていうか、そんなおじさんが同居中の吸血鬼の若造に、ちょっとだけギュってして欲しくてぶつかりにいくなんて。
恋人でもなんでもないのに。
あれ?
私の思考回路、厄介セクハラおじさんになってる!?
ギャー!
「……ドラ公、疲れてんのか?」
私の脳内一人劇場がグルグル回ってえらいことになっているところに、ロナルド君の声が割って入ってきた。
あったかーい掌は、ずっと私の肩をつかんだままだ。
離れない。
ごめん、もういっそ気まずいから、離してほしくなってきちゃった。
「アッ!?エっ!??なんで???」
「リアクションが俺みたいになってる……やっぱ疲れてんだろ」
心なしか尖った耳を下げて、ロナルド君が心配そうに私を見つめてくる。
彼はお風呂上がり。
彼の性格上、風呂上がりにきっちり着込むなんてことはしない。
すなわち、上裸にバスタオルをひっかけただけの格好だ。
「ドラ公ならいくらでも気配読めるだろ?なのに俺に気づかねえなんて変だ」
ああ、彼の言葉が耳に入ってこない。
鍛え上げられた胸部や上腕の筋肉。
相対的にギュッと締まって見えるウエスト。
縦に割れてるおへそ。
鼠径部から続く魅惑的な窪みが、無骨なスウェット素材のパンツに消えていく。
知ってるよ。
筋肉と筋肉の間のへこみのこと、キレてる状態っていうんだよね。
お風呂でポカポカに温まった恵体が、特等席で見放題なのだ。
ついでに、男性らしくしっかりとした目鼻立ちのくせに、妙にかわいく整った顔面がじっとこちらを見つめている。
タオルドライしただけの銀の髪が額に落ちている。
ロナルド君、いつもオールバックだから、前髪下ろしてるの珍しいなあ。
なんだか、カーッって、ほっぺが熱くなってきて……。
謝りたくない。
謝りたくないけど、罪悪感で今にも死にそう……!
「ごめんねロナルド君……私わざとぶつかろうとしたの」
「ええっ!?俺なんか悪いことした!?なんも壊してねえよ!?」
「してないしてない!でも、ちょっとだけ、ギュってしてみたくて!ただの思い付きだから!!」
「エッ!?アッ!??俺と!?ギュッ!???」
「ワーうるさい!もう諦めるから!迷惑かけてごめんね!!はい終わりこの話終わり!!」
ワーワーと言葉の応酬が飛び交う。
その最後にロナルド君は大きく息を吸った。
「迷惑じゃねえ!!」
鼓膜がキーンとする大声。
君ねえ、ここが防音じゃなかったら切れてたぞ!?
でも、ロナルド君は私をにらみつけるような顔をして、一歩進んだ。
一歩。
待ちわびたあと一歩だ。
ギュッ。
私は、なすすべなくロナルド君に抱きしめられていた。
薄い黒のガウン越しでも、彼の肉体はあったかかった。
吸血鬼なのにね。
「……わ、すごい筋肉。肉圧って感じ」
「……ドラ公はつめてえ。湯冷めしてんじゃねえの?」
「そうかな?いつもこんなんだけど」
「なんか心配になってきた」
こしょこしょと、打って変わって静かな声でやり取りする。
「骨」
ロナルド君の掌が、私の背中を撫でまわす。
どうやら、背骨や肩甲骨の突き出た感触が気になるらしい。
「君と違って筋肉も脂肪もないからね」
「首の後ろ。背中。すげえごつごつしてる」
「……ん。押さないで。ちょっとくすぐったくなってきた」
「俺はもうちょい触りたい。掌のツボに当たる気がして、なんかきもちい気がしてきた。ついでにマッサージしてやろうか?」
「いいよ、だってくすぐったい……んっ」
身体をゆっくりゆっくり撫でられて、ぞわぞわと背筋がふるえてきた。
ただなんとなくギューしたかっただけで、ギューした後のビジョンは何もなかった。
何もなかったのだが、こうやって離してもらえないのは。
なんだか、少し、息が詰まる。
「ね、ロナルド君、もう」
「もっと」
ロナルド君が顔を寄せてきた。
もっとギュッとさせて。
心臓がうるさい。
ドキドキドキドキ言っている。
でも、心なしか押し付けられてるロナルド君の胸の奥も、ドキドキドキドキ言ってる気がする。
そんな甘えるような声を上げられて、抱き寄せられて、私は……。
「ヌーッ!」
「おわっ!」
「ピャッ!」
ここで、いきなり小さなガーディアンが転がってきた。
わたしたちのかわいい同居マジロのジョンだ。
ジョンは、器用に飛び跳ねると、抱きしめあう私たちの真ん中にスポンと収まった。
「ヌンヌ、ヌッヌヌヌ!」(特別意訳:ヌンも、ギュッてする!)
ヌフーッ。
満足そうな鼻息を漏らして、ジョンは私とロナルドくんの頬っぺたを抱き寄せると、その真ん中にギュッとくっついた。
うわかわいい。
私のガーディアンかわいい。
「ジョン……!」
あっロナルド君が溶けた。
そんなこんなで。
私たちの初めてのギューは、なんだかうやむやに終わってしまったのだった。
と見せかけて。
つぎのジョンの言葉が爆弾になる。
「ヌーヌ、ヌッヌヌヌヌ!」(特別意訳:今日は一緒に寝よ!)
「「エッ」」
私たちのドキドキな夜はまだまだ終わらないのだった。
(1時間22分)