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    kipponLH

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    kipponLH

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    女子校時代のドラムハンとその親友の話。高校3年生のある夏の日の思い出です。全年齢です。

     その夏は例年にも増して暑い夏だった。
     ほの暗い部屋の中、人影が二つ。窓一枚隔てた向こう側からは、セミの騒がしい鳴き声が聞こえてくる。競い合うように、生き急ぐように、一斉に鳴いている。それは耳を塞いでも残響となり、まるで消えることなどないかのようだ。
     「本当にいいの?私が開けたいって言ったからって......君まで付き合う必要はないんだよ」
    一日のうちで最も太陽の光が強い時間帯。昼下がりの強すぎる光と熱気から、この部屋のカーテンとクーラーが守ってくれる。
     私たちと同じだ。外界から守られ、危険も少ないかわりに、眩しい光も見ることはできない。その証拠にほら、この部屋だって冷気を保つことと引き換えにカーテンが引かれ、日中だというのに薄暗い。
     でも間もなく、それも終わりを迎える。高校三年生の夏休み。大人と子どもの狭間にいる私たちは今、ベッドの上に二人で向かい合って座っている。私と、この部屋の主であるハンジ・ゾエ。
     
     「ピアス、開けようと思って」
    そうあっけらかんと告げられたのは、数日前の夕方のことだ。補習が一旦終了し、明日から束の間の夏季休暇だと解放感に浸っていた、その帰り道のことだった。
     何一つ変わらない帰り道。ミーンミーンというセミの声も、相も変わらずにぎやかだった。
     ハンジはいつもそうだ。高校の入学式で隣同士になった時から2年半、常に私を驚かせ続ける。
     私たちはずっと一緒だった。お揃いの制服、お揃いのかばん、お揃いのキーホルダー、二人の思い出。私は彼女のそばを離れなかったし、彼女もそんな私を気にかけてくれた。私が彼女の腕に抱きつくと、優しく肩を抱き寄せてくれたし、そのすらりとした柔らかい体を抱きしめると、抱きしめ返してくれた。戯れにお互いの頬にキスしたこともある。
     けれど、もうすぐそれも終わり。あと半年。あと半年で私と彼女の道は分かたれる。別々の進路を選択した私たちが向かう将来は、おそらく互いに違う形をしているんだろう。それは仕方のないことだ。いつまでも子どもではいられない。わかっている。理解しているはずなのに、ここ最近の私は妙な焦燥感と、どうしようもない寂寞感に急き立てられていた。
     「私も開ける」
    一拍置いて告げると、彼女は私以上に驚いたようだった。
     今考えれば、それはささやかな抵抗だったのかもしれない。別々の道を進んでも、彼女が私を忘れないように。開けたピアスの穴に触れるたび、私を思い出すように。将来忘れ去られてしまうかもしれない自分を、彼女に刻みつけたい。そのみっともない悪あがきを、最後のお揃いの形として彼女に残したかった。多分それだけのことだったんだろう。

     「いや、だってさ。休み明けのこと考えてごらんよ。これは重大な校則違反だ。先生たち、きっとカンカンだよ。その前にお母さんだ。倒れちゃうかも」
    大げさに肩をすくめて、ハンジが言う。
    「そのことならいいって散々言ったでしょ。早く開けようよ」
    私がそう言うと、彼女は暗がりにいる猫みたいに目を丸くして、ため息を一つついた。やがて観念したのか、ゴソゴソと手元の袋を漁り、ピアッサーと保冷剤、消毒液を取り出した。
     「ちゃんと冷やそう」
    耳にひやっと保冷剤が当てられた。必然的に、彼女の手のひらが私の頬に触れる。耳は冷たいのに頬は熱くなる。おかしくて自然と笑ってしまう。
     ちらりと横目で部屋の様子を窺ってみる。
     彼女の関心とお気に入りが詰まったこの部屋が、私は好きだった。彼女は何をも隠そうとしない。この部屋に入ると、その時々で彼女の心を惹きつけてやまないものが何かがわかる。
     出会ったばかりの頃、すなわち2年ほど前まではクラシックのピアノ曲の楽譜で溢れていた。しかしここ1年ほどは、目に見えてロックの楽譜やCDが増えた。部屋の中央、ベッドからさほど離れていない特等席にはドラムセットが鎮座し、存在感を放っている。
     そのことで近頃、彼女と彼女の両親の間で小さないさかいが生じていることにも、私は気がついていた。彼女は何も言わないけれど、突然ピアスを開けたいと言い始めたことも、そのことと無関係ではないだろう。
     まったく、明け透けなようでいて肝心なことは何も話してくれない。昔からそうだ。彼女に気づかれないよう、小さくため息をついた。
     そうこうしているうちに耳と頬に馴染みつつあった冷たさと熱さが同時に離れ、目の前にピアッサーが掲げられた。右耳に差し込まれると、無機質な突起物が肌に触れるのを感じた。思わず身震いする。
     「怖がってるじゃないか。止めるなら今だよ」
    彼女が心配そうに覗きこむ。
    「だから大丈夫だってば」
    思わず語気が強くなる。一瞬、空気が凍りついたのがわかった。はっとして見つめ返すと、怒っているでも戸惑っているでもなく、悲しそうな彼女の瞳がそこにあった。悲しみの色を灯しながら、淡々と光を湛えている。
     まただ、と私は思う。その目を見ていると、言いようもない焦りと寂しさ、幾許かの怒りが込み上げてくる。正体は掴めない。ただ、彼女がひたすらこの守られた空間から出て行こうとしていることだけは感じる。
     彼女にはこの部屋は狭すぎるのだ。知りたいこと、経験したいこと、理解したいことで溢れ返り、もうこの部屋に押しとどめておくことはできない。彼女の好奇心と冒険欲は早晩雪崩を起こし、この部屋を破壊してしまうだろう。そして彼女は崩れた瓦礫の山から一人這い出し、飛び立つことを望む。
     どんなに日の光で身を焼かれようとも、暑くても寒くても、風が吹こうが嵐に遭おうが、覚悟はできているんだろう。そんなこと、私にだってわかってる。あなたはこの箱庭から出て行きたがっている。でもきっと、私はついて行けない。旅立とうとするあなたを引き止める術もない。
     そう思うと、コントロールできない感情で胸が黒く塗り潰されていく。
     ────だけど
     「......でもやっぱり怖いから、泣かないでいられたら、キスしてくれる?」
    精一杯の強がりでそう言うと、彼女の表情がふっと緩んだ。張り詰めていた空気がほんの少し、和らぐ。
    「いいよ。約束」
     パチンという音ともに、小さく小さく、鋭いような鈍いような、それでいて貫くような痛みが走った。
     耳に後戻りできない痛みを感じながら、私は涙が浮かんでくるのを必死で堪えた。私たちこれでまた一つ、お揃いになれるかな?
     相変わらず外では、セミが忙しなく鳴いていた。

     お互いにお互いの耳を消毒し終えると、ハンジは手早く道具の片付けに入った。私はそれを横でただひたすら眺めていた。
     彼女の両耳にきらりと光る小さな紫色の石。自分からは見えないが、私の耳にも同じものが光っている。そう思うと、ひどく心が安らいだ。ほんのひと時、心に澱んだものを手放せるような気がした。
     道具を仕舞い終えると、彼女が再びこちらを向いた。ギシ、とベットが軋んだかと思うと、彼女の顔が近づいてきて────耳に柔らかい感触が降ってきた。温かい吐息が当たって、彼女の唇がささやく。
    「約束」
     瞬間、すべての音が消え去った。あんなにうるさかったセミの声さえ聞こえない。代わりに全身を駆け巡る血の流れと、その血の流れを支配する心臓の音だけが響いた気がした。
     キスをされたのだ、と気づいた時にはすでに彼女の唇が離れた後だった。再び、止んでいたセミのけたたましい鳴き声が耳に戻ってくる。
     向き合ったまま頬に指を添え、彼女が微笑んだ。私はなぜか、見慣れたはずのその笑顔をずっと見ていたいと思った。

     
     照りつける夏の日射しを浴びて、駅までの道を急ぐ。10時ちょうどの電車に乗って、3つ先で乗り換えて、そうすれば約束の時間には間に合うだろう。うん、大丈夫だ。この調子で向かえば目標の時間には駅に辿り着く。走っていた足を少し緩めた。社会人になって6年も経てば、どこで手を抜けばいいかも何となくわかってきた。今は頑張りどきではない。
     それまで懸命に急いでいたためだろうか。駅に着く頃にはおでこや首はもちろん、全身から汗が噴き出していた。化粧室でチェックする時間はなく、致し方なくフラフラと手近なショーウィンドウへと近づいていった。鏡写しに髪を直すだけ。それくらいならここで十分だ。
     が、その瞬間、一気に流れ出る汗が止まるのを感じた。目の前に広がっていたのは懐かしい顔。忘れたわけではない。忘れられるはずがない。ただ、日々の忙しさの中でだんだんと疎遠になっていった、かつての友の顔がそこにはあった。親友と言うにはあまりに近く、自他の境目が曖昧になるほど焦がれた存在だ。
     ショーウィンドウの中には、1枚のポスターが飾られていた。バンド名と近々開催されるライブの日程を告知するものだった。やたらと目つきの鋭いボーカル、いかにもバンドマンといった風体のギター、陽気でありながら落ち着いた佇まいのベース、そしてドラム。ドラムセットに囲まれたその人は、間違いなくハンジ・ゾエだ。
     ハンジが大学でバンドを組んだらしいことは知っていた。器用にも研究活動と音楽活動を両立し、大学を卒業した後も、メンバーの変更はありつつバンドを続けていると聞いた。
     聞いた、というのは文字通り風の噂で、私が彼女から直接話を聞くことはついに叶わなかった。
     ガラス越しに彼女を見つめる。手を差し伸べても、透明なガラスの壁に阻まれ、触れることは能わない。
     友に起こった少しの変化も見落とさまいと、目を凝らし見つめ続けた。猫のような瞳、涼しげな微笑み、すらりと伸びた手足、実は柔らかい胸元、そのすべてがあの頃のまま変わらないように思えた。
     ────いや
     視線が耳元に落ちる。あの日あの時彼女の部屋で開けた小さなピアスの穴。ポスターの彼女の耳からはそれが跡形もなく消えていた。嘘みたいに綺麗に、夢のように儚くそれは塞がれてしまった、ということだろう。
     静かに目を閉じる。そうしているとまるで、あの頃に戻って彼女の部屋にいるかのようだ。彼女の部屋の、スプリングが効いたマットレスの感触が蘇ってくる。
     ────私は忘れない。あなたの宝物が詰まったあの部屋も、あの時の日射しの強さも、うるさいくらいのセミの鳴き声も、耳に触れた温もりと「約束」の言葉も。
     でも、ポスターの中のあなたはあの頃よりずっと満たされているようだ。満ち足りた表情。あなたにはあなたの居場所があるんだろう。私はそこにはいられない。
     「行かなくちゃ」
    誰に言うでもなく呟いて、改札の方向へと踵を返す。生暖かい夏の風が吹き、耳元の髪を揺らした。私の耳には小さな石が光る。今、日の光を反射してキラキラと輝いているだろう。自分からは見ることができないのが残念だ。
     ポスターに映し出された幸せそうな彼女の笑顔を、いつまでも見ていたいような、見ていたくないような、もうそれすらわからない。だけど、私は思う。
     この耳に光るのはあの日のピアスじゃないけれど、あなたは特別。一生、私の特別。
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