Recent Search
    Create an account to bookmark works.
    Sign Up, Sign In

    kipponLH

    @kipponLH

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 29

    kipponLH

    ☆quiet follow

    バンドパロ大学生設定。お盆休みで誰もいないキャンパス、クーラーが壊れた研究室での出来事です。
    ドラムハンの百合モブです。全年齢です。

    太陽 ゆっくりと、彼女の喉元を汗が流れていく。細い首に明瞭な道筋をつけて消える。汗の通っていく道なんて見えるわけがないのに、私の目にはくっきりとそれが映った。太陽が東から昇って西に沈むように、地球が太陽のまわりを回るように、厳然たる事実としてそれは存在した。
     
     目の前の光景に息を呑むという経験は初めてだった。
     無論、知識としてはある。雄大な自然に身を委ねる時、運命の相手に恋をする時、生命の誕生に立ち会う時。その時世界は止まって見える。慣れ親しんだ本たちはいつでもその瞬間を切り取って、同じ経験を有しない私にも感動を伝えてくれた。でもそれは自分には現実味のない感覚で、縁のないことで、一生訪れることはないだろうと思っていた。陳腐な言い方をすると、今この時、この部屋にいるあなたを見るまでは。
     私の世界を止めたのは、確かにあなただった。けれど、それは想像していた甘美な感覚とは程遠いものだった。夏の太陽にジリジリと肌を焼かれるような、体中を虫が這って今すぐふるい落としたくなるような、不快で、だが深く染みついて離れない感覚。
    ───この人が憎い
    私は今はっきりそう悟った。

     ありふれた話だ。子どもの頃から自分は賢いほうだという自覚があった。
    「何でもできるんだね。今回も一位だったね」
    そう褒めそやす周囲の声は、私にとっては当然のことで、何の意味もなかった。
     地域で一番の進学校へ進み、そこでも一番だった。同級生からも教師からも一目置かれ、世界は自分を中心に回っていた。そのまま都市部の大学に進学したが、当然のように今までと同じ光景が広がっていると思っていた。
     だが、そこで世界は一変した。忘れていたのだ。都市部の名の知れた大学には、地域で一番の子たちが集まって来ることを。入学してしばらく経ってから、少しずつ周囲と自分の地頭の差を実感する出来事が増えていった。自分はもしかして井の中の蛙だったのではないか。
     何より私を打ちのめしたのは、都市出身の彼女たちの華やかさだった。華やかなだけならいい。彼女たちは華やかさと才気、両方を兼ね備えているのだ。自分は今まで人並みに外見にも気を遣ってきたつもりだった。断じて見た目を捨てたわけではない。しかし、大学で出会った彼女たちはもはや根本から違っていた。オシャレな子ももちろんいる。でも、何だか、何というか......そもそも持っているものが“違う”。そう、洗練されているのだ。
     自分がどう足掻いても持ち得なかったものに恵まれて、彼女たちは自分と同じ土俵に立っている。いや、同じなんかじゃない。私が持っていないもの、キラキラした小綺麗さを持ってなお、彼女たちは私が誇っていた学力と同程度か、あるいはそれ以上なのだ。これが実力差と言わずに何と言おう───そんな“特別”な人たちの中で最も目を引いたのが、ハンジ・ゾエだった。
     白いシャツに黒色のパンツ、無造作なハーフアップ。いつも似たような出立ちで、決して着飾るタイプではない。だが、何かが決定的に“違う”のだ。華やかな女子たちの中で、際立ってオシャレでもない、洗練されてもいない。ただ“違う”。それを周囲も敏感に感じ取り、彼女はいい意味で浮いていた。彼女の周りにはいつも人がいたが、大勢に囲まれてなお、彼女がそこにいることを実感できた。
     教授が私の隣に座る彼女に留学を勧める。
    「君の研究はおもしろい。もっとやってみたらどうか」
    彼女が曖昧に笑うと、教授は残念そうに腕組みをする。
    「......そうか。興味が出たら、いつでも私のところに来るといい」
    その目は私を見ていない。私はかつてひっそりと自分とは無縁だと思っていた、その他大勢の一人になったのだ。自分はもうこの世界の主役ではない。敗北感とともに認めざるを得なかった。
     
     ハンジ・ゾエは決して研究熱心ではなかった。正確に言えば、大学の専攻に対しては。もっと別のことに熱中しているらしかった。
     噂ではバンド活動をしているらしい。ドラムを叩き、その腕前はかなりのものだと聞いている。私はその話をしてきた友人にあたかも興味がないように振る舞ったが、たまにキャンパスで彼女が黒髪の小柄な男性と歩いているのを目撃していた。二人が一緒にいると、無意識に目で追ってしまう。彼女が視線に気がついてこちらに目をやると、すぐに踵を返して研究室へと向かった。
     私には研究がある。どんなに彼女の筋がよかろうと、努力しない者に成長はない。研究分野に関心がない限り、彼女は頭打ちだ。ここで終わり。私は先に進む。彼女とは違うのだ。
     研究室へ向かう途中も、たどり着いてからも、頭の中は彼女でいっぱいだった。彼女が彼に触れる手、笑いかける目、何かを伝えようと忙しなく動く口元。私は数日かけてその残像を振り払わなければならなかった。
     
     詰まるところ、私は彼女が苦手だった。皮肉なことに研究室が一緒だったけれど、できるだけ顔を合わさないよう、必要最低限のやりとりで済むよう過ごした。
     一度きり、二人だけで言葉を交わしたことがある。
     それは一般教養の授業だった。私は毎回欠かさず出席していたが、案の定彼女と彼女の友人たちは互いに代返を頼み合い、居たり居なかったりだった。持ちつ持たれつというやつなのだろう。
     だからその日彼女が私の隣に立った時、心底驚いた。彼女が出席したということもだし、何より私の隣を選んだということに。
    「隣、いいかな?」
    狭い講義室だった。席は他にポツポツとしか空いていない。私は黙って頷いた。彼女が席を倒して隣に座る。そのままごそごそとノートとペンケースを取り出した。いずれもシンプルだが、手入れされていて使い勝手が良さそうだ。本当は、今すぐ席を立ちたかった。この場から逃げ出してしまいたかった。  
     居心地の悪さを誤魔化すようにペンを弄りながら口を開いた。
    「珍しいね。今日は他の子たちの代わり?」
    「うん、みんな色々あるみたい」
    何だかバカにされた気がした。お前にはこれしかないだろう───それさえも私たちには敵わない。そう言われたような気がして。そんなこと言われたわけでもないのに、なんて滑稽だろう。単なる一人相撲だ。
     誰にも気づかれないくらいに小さく唇を噛んでいると、もう一度彼女が言った。
    「研究室でもさ、あんまり話してくれないよね。私たちのこと...。私のこと、不真面目でしょうがない奴だって思ってる?」
    「うん、そうだね」
    包み隠すことなどできなかった。一言言い放ってノートに視線を落とし、ページをめくった。もうすぐ講義が始まる時間だ。
     彼女は一瞬、驚いた表情のまま硬直した。まさかこんなストレートな答えが返ってくるとは思っていなかったんだろう。悪意に満ちた、他人を突き刺す一言。彼女はそれにだって驚きを隠さず、素直に反応する。ああ、なんて正直な人間だろう。
    「びっくりした?はっきり言われるとは思わなかったんだ」
    今、私は自分でも想像できないくらい歪んだ笑みを浮かべているだろう。
     しかしその後に返ってきた言葉は、それこそ私が予想だにしないものだった。
    「いや、何だか安心したよ」
    ───え?
    「はっきり言ってくれる人、信頼できる」
    そう言うと、今度は彼女のほうがノートに視線を移した。もうこちらを見る素振りもない。私は思わず目を見開いた。吃驚したまま取り繕うことができない。今、彼女は信頼できると言ったのだ。ハンジ・ゾエが、私を。
     ガラリと扉が開いて講師が入ってくる。私も慌ててノートをめくる手を再開した。でも、視線をこっそり彼女に向けることを止められなかった。鷲鼻のすっきりした横顔がすぐ隣にある。
     講義の途中も内容は頭に入って来ず、彼女の言葉だけが頭の中をぐるぐると回っていた。
    ───はっきり言ってくれる人、信頼できる。
    そう、彼女は正直な人間だ。

     
     研究室の扉を開いた。途端にムワッと湿気を含んだ空気が顔全体を覆った。長時間部屋に閉じ込められていた不快な空気だ。つい眉をひそめる。
     8月も半ば、お盆休みの真っ只中。いつもは賑やかなキャンパスも、今は閑散としている。私は誰にも出くわすことなく、研究室の扉の前にたどり着いた。
     研究室のクーラーが壊れたのは、お盆休みの1週間ほど前だった。幸い空調設備が必要な機器は置いていなかったため、多くの学生がこれを機に早めの休暇に入った。かくいう私も帰省のタイミングを早めたうちの一人だ。しかし、昨日下宿先のアパートに戻ってきた。どうしても実験を進めたかった。今はお盆休み。研究室のクーラーも故障している。こんな時に熱心に研究をする学生なんて私くらいなものだろう。それを確かめたかった。誇示したかった。私は他の学生とは違う。
     キーをタッチし、入室しようとした。ピピっという認証の音とともにドアノブを回した。開かない。なぜ?
     まさか。もう一度キーをかざす。次は難なく開いた。つまり最初から鍵はかかっていなかったということだ。
     キイという音を立てながら中に入った。予想していたことではあったが、そこには一人分の人影が佇んでいた。
     部屋に二つだけある窓が開かれ、その脇で小さくカーテンが揺れている。普段は固く閉ざされている窓が開いているのを、私は初めて見たかもしれないと思った。だが、部屋は窓を開けていることなど意味がないほど蒸していた。ただ居るだけで体中から汗が噴き出す。風を通すだけ、外にいたほうがまだ良いかもしれない。
     人影は、扉を入ってすぐのデスク脇にいた。視線が人影の横顔と肩、次いで左腕を捉えた。横向きにデスクに覆い被さるようにして、夢中で何かを書き込んでいる。周囲にはノートや本、ペンが散らばり、あたかもその人影の没頭する思考を表しているかのようだ。
     わずかに風が吹く。湯だった部屋では全く意味をなさないそれを肌に感じていると、人影が顔を上げた。
    「やあ、お疲れ。君も作業?」
    穏やかで凛とした声の持ち主、ハンジ・ゾエだ。
    「......うん。早めに戻ってきたから。ゾエさんは?まさか帰らなかったの?夏休み中ずっと実験?」
    「ハハッ...まあね。ほら、普段不真面目だから。これくらいやらないとね」
    それだけ言うと、彼女はすぐに作業に戻った。
     両肘をつき、熱心に実験結果を書きとめている。日をよく通す細い髪の毛、長いまつ毛に縁どられた瞳、鷲鼻、筋がくっきりと出た首、華奢な肩。細くて、でもどこか丸みを帯びていて、案外女性らしいんだな。何の感慨もなく、ないつもりだった。そう、私は彼女の姿を何の感慨もなく眺めた。
     窓の外からはなおも生温い風が吹き、それが湿気を運んで涼しいどころかますます不快感が増していく。お盆休みのキャンパスにはセミの声しか響かない。鳴き声に混じって、時折窓枠にぶつかりジジジ...と羽音を立てる気配がするのみだ。
    ───考えなくてもわかることだ。大学の研究は甘くない。意欲がない者、為さない者に成果は残せない。脱落していくのみだ。教授が彼女に頻りに留学を勧めた姿を思い出す。
     もう一度、ジジジ...という音が耳をつんざいた。暑さと耳障りな音で、不快感が最高潮に達する。じんわりと浮かんだ額の汗を拭おうとバッグの中のハンカチに手を伸ばした時、再び彼女の喉元が目に入った。
     細い首を、玉のような汗が一つ、ゆっくりと流れていく。それは彼女の喉元から離れることを名残惜しむように滴っていった。
     
     目を離せなかった。冷たい感覚が筋のように背中を下っていく。
    ───はっきり言ってくれる人、信頼できる。
    あの時言われた一言に、密かに抱いた優越感が疼く。講義中、あれきり彼女は私のほうを一度も見なかった。講義の終了を告げる講師の言葉とともに、「じゃあ」と一言だけ残して席を立った。あの日以来、私はいつでも自分の隣を空席にしておいた。講義室で、後ろからやってくる気配に耳をそばだてた。だけど今日までその席が埋まることはなかった。
     体中を記憶が渦巻いた。
     まるで隣にいる私が見えていないかのように、彼女に留学を勧める教授の姿が映る。本当は私が行きたかった。
     ちょっとした人だかりができるなか、照れ臭そうに微笑む彼女の姿が映る。私はその脇を通り過ぎる。彼女は何も言わない。こちらを一顧だにしない。彼女の世界に私はいない。
     黒髪の彼と歩く姿が見える。いつもは朗らかな表情がころころと変わる。ケラケラ声を出して笑ったかと思えば、少し拗ねてみせたり、心配そうに覗き込んだり。他の誰にも見せない顔だと確信した。だってずっと見ていたから。
     『はっきり言ってくれる人、信頼できる』
    そう言うのなら、言ってくれるなら、なんで。どうして。
     
     羞恥と怒りと寂寥感で体が燃えるように熱い。もう誤魔化せない。なぜこの人はわかってくれないのか。
     彼女は綺麗だ。私が今まで出会ったどんな人よりも。触れてみたい。触れることができたなら。
     だけど憎い。憎くて憎くてたまらない。手に入らないことが、彼女に気づかれない自分でいることが、自分の中心にだけ彼女がいることが、その全てに耐えられない。同じだけちょうだい。同じだけくれないなら、存在ごとなくしてしまいたい。
     彼女に触れることができるなら、どんなことだってする。彼女を消してしまえるなら、どんなことだってする。
     
     自分の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。次の瞬間には私は彼女の腕を掴み、その拍子に二人の体は大きくバランスを崩した。ガシャンと派手な音を立てて、彼女が使っていたノートや鉛筆が床に散乱する。自分の腰にもペンが一つ、コンと跳ねて転がった。転んだ拍子に打ちつけた腕と膝が痛い。
     目の前には、驚愕の色を湛えた紅茶色の瞳が映る。私は彼女を組み敷く格好で、体を跨いで半分のしかかっている。触れた部分からは彼女の柔らかい体の感触が伝わってくる。
     そっと顔を近づけた。鼻と鼻が触れ合いそうな距離まで迫る。この唇に私の唇を押し当てたなら、彼女はどんな顔をするだろう。その澄ました顔をほんの少し歪ませることができるだろうか。
     目の前の瞳を注視した。その奥に自分が映っていることを確かめるように。
     しかし、彼女の瞳は微動だにしなかった。一瞬のたじろぎすらない。ただそこにあるものを“事象”として捉えているに過ぎないようだ。
     もう私は動くことができなかった。彼女の世界に私はいない。私の世界にはこんなにも色濃くあなたがいるのに。消えない、消えてくれない。
     額から汗が一つ落ちた。その汗は彼女の首から流れる汗と一体になって、喉元を滑り落ちていく。ああ、美しい首元を汚してしまう。私はそれをじっと見ていた。
     窓にコツンと何かが当たった。次いでジジジ...という音。セミだ、と私は思った。夏が終わる。きっとあのセミも、やがて命尽きるだろう。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭🙏😭😭😭😭😭😍😭😍😭😭👏👏🙏💕👏💕👏👏👏😭💯💯💯💯💯😭
    Let's send reactions!
    Replies from the creator