真宮寺友人帳 空白に目を奪われる。いずれ来たる記念日に向けて、どうしたって胸は高鳴ってしまう。
縦枠に衝突した勢いで少しだけ跳ね返った引き戸とは反比例する形で、手にしていた書物を静かに閉じた。
ここを訪れる人間は少ない。同フロアには超高校級の美術部の研究教室というのも存在していて、そこの主は人見知りとは程遠い性格をしているが、施錠をしてまで熱心に創作活動に勤しんでいることが多く、滅多に声を掛けてきたりはしない。
「……おや。珍しいお客様だネ。どうかしたのかい」
部屋の出入り口で息を切らしている人物に真宮寺は目を細める。一応聞きはしたけれど彼が何を求めてやって来たのか、大体の見当は付いていた。
「真、宮寺……王馬、見て、ねーか」
心・技・体、その他あらゆる能力において人類の頂点に立つレベルのスペックを要される宇宙飛行士。その訓練生である彼の呼吸を乱す人間というのも、なかなかに高い評価を受けそうなものだが。
「残念ながら、ここには来てないヨ」
むしろ姿を見ていないことを幸いと思いつつ返すと、溜め息と深呼吸とを一緒くたにしたように「はぁ〜……あのヤロー……」と一際大きく零して彼はがっくりと肩を落とし、その場にへたり込んだ。
王馬小吉。自他共に認める悪の総統。秘密結社DICEのトップに立つ男。無害そうな容姿に反して邪気を隠そうともしない同期生。一言目には揶揄いの、二言目には偽りの、三言目には嘲りを以て周囲を掻き回すことにあまりにも長けた人物。とはいっても、真宮寺からすると『悪のカリスマ』というより『イタズラ小僧』という印象であったのだが。
件の口八丁は自分の嘘に対し、大袈裟に反応を示す人間のことを気に入っている。経緯は知らずともそれなりに長時間鬼渡しをしていたと思わしき疲労困憊の来客もまたその内の一人であろうことは、きっと誰の目から見ても明らかだ。
「……良ければ、少し休んでいくかい? 百田君」
そう声を掛けたことに、裏は何もなかった。別に他者を敬遠しているわけではないが、少なくとも向こう側にはそうされがちだと思っている。打算なしで、特に女性以外に対し自らこういったことをするのは珍しい。けれども、優しさや労いや思いやりから出た言葉ではないのも確かだった。まだたった数日一緒に学園生活を過ごしただけの関係ではあるが、思いの外この百田解斗という人物に関心を抱いている事実を真宮寺はこの時に初めて自覚した。
一見、親しくなる想像すら難しそうに思えていた相手は「おう……悪ィな」と素直に有り難がって少々年寄り臭い掛け声と共に立ち上がる。微塵も臆する様子のないその態度に悪い気はせず、最も招き入れることを想定していなかった彼を自身の研究教室の中へと導いた。
「あら、男の子だなんて。とても新鮮だわ」
学術的に価値の高い文献や民具に囲まれた空間へと足を踏み入れた百田を目にして、微睡みかけていた姉が麗しい声を弾ませる。
「すぐに飲み物を用意しなくちゃ。彼、何が好きかしら。コーヒー? それとも紅茶? ねぇ、是清」
お姫様にでもなった幼女のようにはしゃぐその様に苦笑した。彼女が自分を裏切ることだけは決してないとわかっているというのに、ほんの少しだけ妬けてしまう。流石にちょっと狭量すぎるだろうか。あまり酷いと呆れられてしまうかもしれない、と真宮寺は己の独占欲の強さを少しだけ反省する。
「……楽しそうだ」
自分と二人でいた時よりも、と言外に含ませたのはどうやら明け透けだったらしく。だって貴方ったら犬神様に夢中みたいだったんだもの、と。一瞬だけ頬を膨らませ、その空気を囁かな笑声と共に吹き出した彼女は、呆れるどころかむしろ嫉妬を喜んでいる風だ。
犬神様というのは、真宮寺がつとに強い関心を寄せていた降霊術『かごのこ』にまつわる巨大な犬の木像のことである。自身の研究教室が解放されその現物を目にした時から、望まぬ〝入学〟に始まって以降起こった出来事をすべて差し引いてもお釣りが有り余ると高らかに叫べるほどの昂揚ぶりであった。嬉々として調査を進める弟から薄い反応を返されるようになった姉からすれば、一抹の寂しさを覚えても仕方なかったのかもしれない。お返しよ、と上品に微笑む彼女に知らず目尻が下がる。
「……? 今、何か言ったか?」
ぴたりと歩みを止めた百田が不思議そうに室内のあちこちへ視線を彷徨わせる。自分そっくりの姉が目を見開くと同時に、鮮やかな紅の引かれている口角を優美に吊り上げた。
「ああ、この部屋には展示用の棚くらいしかないからネ。悪いけどそこの階段を椅子代わりに使ってもらえるかな、って」
「――ッ。ああ……うん。あそこ、な? うん」
素知らぬ風でメゾネット仕様となっている部屋の奥へと促すと、最初の踊り場にして二階部分にずらりと並ぶ日本人形を見受け、いつ如何なる時も冷静さを失ってはならないとされる職業の候補生である彼は、全力疾走後で体温が上昇しているとは思えない青ざめきった顔でこくこくと頷く。どうやら汗も一気に引いたようで、真宮寺もまたマスクの下で笑みを深めた。
* * *
「すまないネ。ミネラルウォーターでも出してあげれば良かったんだけど」
スタミナが尽きていたというのもそうだが、どちらかといえば人形たちの透明な視線に気圧されたことが大きいのだろう、百田は人馴れしていない野良猫の足取りでじりじりと近付くとおっかなびっくり点描でもするようにちょん、ちょんちょんっと踏み板に触れて安全確認を行ってからようやっと控えめに最下段へと腰掛けた。すぐ隣に畳敷きの間があるにはあるのだが、紙垂の下がった柱に囲まれているその空間はいかにも禁域という印象を受けて躊躇われたのかもしれない。
その様子を見ていた姉が「かわいい」と笑うのに同意だけではない何かをほのかに抱きながら、ちらちらと落ち着きなく背後を気にしている彼に淹れたてのコーヒーを差し出す。
短く礼を言ってそれを受け取った百田は、しかしマグカップに注がれた液面をじっと見つめたまま、何故か口にしようとはしない。彼のイメージからそちらを選んでみたのだが、もしや紅茶の方が良かったのだろうかと真宮寺は首を傾げる。
「……もっと砂糖やミルクを足した方がお好みかい? それともコーヒー自体が苦手だったかな」
「……ん? ああ、いや。この部屋、お湯とか沸かせる設備あんだなと思って」
どうにも理系らしく非科学的なものは信じ難いという理由からだけではないように見受けるのだが、兎にも角にもオカルト関連を嫌っている様子の彼は超高校級の民俗学者の研究教室と言わず四階自体をあまり訪れることがなかったので、ここの内装について詳しくなくてもおかしくはないだろう。
「そんなものはないヨ。ある程度作ってから保温ポットに入れて持ってきていたのサ。それなりに持ち込んでいないと、ここは食堂から遠いし……わざわざ運んできてくれる人はもういなくなってしまったからネ」
「――。……そう、だな」
意外にも長い睫毛の下で半色の目が憂いを帯びる。自分に次いで高身長の彼は反して年相応かそれを少し下回る幼い輪郭が印象的であるのだけれど、見る角度次第で随分と変わるものだなと新たな発見に感心しながら真宮寺は自分用に淹れた紅茶の香りを嗜む。予期せぬ人物の話題に思うところがあったのか、百田はマグカップを完全に膝に落ち着けてしまった。
二日前、振り返るにはまだ新鮮すぎる記憶。喧嘩と呼ぶには一方的にも見えたが、そんな形で被害者との今生の別れを迎えてしまった彼には、特に苦い事件だったことだろう。
典型的な、考えるより先に身体が動いてしまうタイプといった具合に当初は認識していた。まだ訓練生とはいえ宇宙飛行士、俗に言うエリートであるにしては感情的で短絡的で大言壮語。そんな風に彼を見ている節が確かにあった。
――なぁ、東条……テメーの言う〝みんな〟って誰の事だ?
二回目の学級裁判。犯人の気迫に押され、超高校級の探偵として学園に選ばれた最原終一ですら怯みかけていたというのに。百田は正鵠を射た。まるで、雨夜の星を差すように。
アリバイがないことで疑いの目を向けられた時。愛想がなく協調性も乏しいもう一人の容疑者と比べれば、断然百田の方が周りからは好感触だったはずだ。加えて彼の方が発言力があるのだから、不利な立場にこそ置かれはしたものの、事件以前から既に有利な条件が相手よりは揃っていたと言える。
何もなければ、二択を迫られた周りは百田の方を投票から外しただろう。才能を思えば誰より高い頭脳を持ち合わせているであろう彼が普段からそれを思わせない言動を取っているため、その事件の犯人の計算高いイメージと重なりにくかったことも大いにある。
しかし一切のメリットも根拠もなく、彼は自分ももう一人も犯人ではないと断じた。本人もなんとなくだと口にしていたし、自分も含めきっと周りの誰もがただの感情論だとばかり思っていたけれど。学園生活が始まってからというもの、甲斐甲斐しく粛々と皆の世話をし続けていた彼女が犯人だとは信じ難いと考える人間の方が多かった中で。彼の目は澄んだ冬の夜空のようだった。
思うに。本人が言うところの『宇宙に轟く百田解斗の勘』とは――人間そのものを研究しているとも言える学者のそれすら凌駕するような、並外れた観察力から来ているのではないか。視線の動向、声の抑揚、呼吸の間隔。そういった微細な変化を、彼自身すら気付かぬままに肌で感じとっているのではなかろうか。
継続的にデータを取り、平均を割り出し、それを外れた際には異常を覚え、違う結果への解を見出すため条件を変えてまた精査する。百田解斗という人間は、この一連の流れを〝人間にも当て嵌めている〟のかもしれない――と真宮寺は目を細めた。あまりに身に馴染みすぎているがゆえに、卓越した五感の鋭さと積み重ねた対人経験値、そして磨き上げられた脳内計算速度により叩き出した違和感を本人も最早『勘』としか捉えられないでいるだけなのではないだろうか、と。
振り返ってみれば。彼の第一印象を覆されたきっかけは、もっと早い段階にあったように思う。
初めての学級裁判を終え、犯人が回りくどいトリックを敢えて使った理由について言及が為された時。最原に知られたくなかったからだろう、と百田は代弁した。
確かに、その事件の犯人と最原はずっと二人きりで行動を続けていたこともあり、親密な関係に発展しているらしいとは誰の目から見ても明らかだっただろうが、勝手ながら色恋に疎そうな百田がそれを察したというのがまず意外であったし、かと思えば翌朝最原を連れて食堂に姿を現した際、彼がそれまで目深に被っていた帽子を外していることに全く気付かなかったと笑う鈍感さが真宮寺には不自然に映った。
最原の容姿の変化が、親しかった人間の死の影響によるものと理解が及ばなかったとは到底考え難い。となると、意図して触れなかったと結論づけられるわけだが――そうした気遣いが出来る人物だと気付いた時点で、既に百田解斗という男への興味は生まれていたのだろう。
こくり、喉へと熱を送りながら。コーヒーよりこちらだったかもしれない、と思う。表情の落ちた百田を見たのは初めてだった。名の通り百とまではいかずとも、くるくると変化に富んだ彼の面相。それにすっかり慣らされてしまったのか、こんなにも凪いだ顔が出来るとは想像すら至らなかった。静かだがじわりと甘さを匂わせる面差しには、口に運ばれる様子のない茶褐色が不似合いに感じた。
「それはそうと……王馬君を捜していたみたいだったけど。彼、また何か仕出かしたのかい?」
実は猫舌で適温になるのを待っているだけかもしれないという可能性の下に、真宮寺は彼が最も反応しやすいであろう話題を投げ掛けてみる。その予想は果たして当たっていたのか、兎にも角にも百田はみるみるうちに渋面になった。
パフォーマンスなのか事実としてそうなのかはさておき、王馬小吉という人物が悪漢なことには変わりない。息を切らしてまでその背を追いかける者がいるのだ、何も仕出かしていないなんてはずはないだろう。その目的の是非に関わらず、巻き込まれた人間からすれば迷惑千万というのもまた変わらないのである。
「……例の、儀式がどうのこうのって件でちょっとな。オレは単に、モノクマが用意したモンなんて絶対ロクな事にならねーから無視が一番なのにっつっただけなんだが。あいつが「星ちゃんあたりが本当にゾンビ野郎になって〝転校〟してきたら、百田ちゃんは気まずいもんねー。 今度はキミが彼にサクッと殺られちゃうかもだし? でも謝る機会が出来るって思えば、戻って来られるのも悪くないかもよ!」とか何とか、ふざけた事言ってきやがってだな」
地味に話し方の特徴を捉えられているあたり、この男は王馬のことも実はよく見ているのかもしれない。
「なるほど。例の『屍者の書』の件でからかわれた、と」
「ぅ。おぅ……」
屍者と聞いて小さく肩を跳ねさせた事に関しては、彼のプライドを思って気付かなかったふりをすることにした。
次のコロシアイ発生を狙って黒幕から提示された第三の『動機』。古代エジプトのコフィン・テキストに始まったそれと名称こそ近けれど、内容は比べるべくもなくお粗末なものであった。そこにラーやオシリスやイアルの野に類する記述は一切ない。終始知育菓子のパッケージ裏にも似た説明書きで構成されており、これを高校生に与えていると思うとただただ小馬鹿にした態度を感じる。降霊術などに知見のある真宮寺から見ても、胡散臭いの一言に尽きる代物だった。
「ったく、馬鹿馬鹿しい! 蘇りだの幽霊だのゾンビだの、そんな話が現実にあってたまるかってんだよな!」
やたら大きな声でそう言うなり、百田は一気にコーヒーを煽る。どうやら熱いものが苦手という線はなくなったらしい。あるいは喉元を過ぎる前に焦りでそれを忘れているのか。
「そうだネ、滅んだ肉体が元に戻る事はないヨ。……でも、百田君。超高校級の宇宙飛行士である君が科学的根拠を重視する事に関しては疑問には思わないんだけど、霊魂の存在まで否定されるのは僕としては遺憾だな」
「え。いや、オメーだって否定してたじゃねーか」
ぎくりとした男はカップを持ち上げたまま、つい今しがたホット飲料を体内に取り込んだとは思えない顔色になっていく。心強い味方に寝返られた、といった様子だ。
「僕が否定したのは、あくまで『蘇り』についてだけだヨ。……霊は存在する。しないのなら古今東西に怪談なんてものが生まれることはなく、語り継がれることもないでしョ?」
「い、いや、そりゃアレだ。木の幹とか天井の染みとかが人の顔に見える、みたいなもんで……まだ科学的説明が難しかった時代だと、『恐ろしいもの』に分類するしかなかったっつーか……怪談ってのは大体そういうオチだろ?」
語尾が「そうだと言ってくれ」と懇願しているように感じるのは、彼が漫画的に脂汗をだらだらとさせているからだろう。
「ああ、いわゆるシミュラクラ効果だネ。そういえば火星の人面岩なんかも、そうなんだったかな?」
「そうそう、よく知ってんな! バイキング1号のやつだ!」
初の無人火星探査機により撮影されて話題になったそれに触れた途端、百田は雪を見た犬さながらに目をキラキラと輝かせる。まぁ同じ類像現象の例として有名とはいえ、そちらは幽霊云々ではなく宇宙人の存在が議論された一件なのだが。
「確かに。科学的根拠とはまた別だけど……座敷童子が実は裕福な家だったために間引きを免れた然る事情持ちの子供であるとか、昔は行灯に魚油が使われていたから夜な夜なそれを舐めていたのは化け猫でも何でもなくただの猫だったとか、後に納得しやすい説が出て恐ろしさが薄れてきてしまった話というのはあったりするネ」
「だろ? ゾンビや吸血鬼だって狂犬病ウイルスが元なんじゃねーか、とかよ。ゆ、幽霊もたぶん、よくよく調べてみたらその手のものだったって可能性が高いと思うんだよな! ……な?」
ふと、真宮寺は早口の彼から先程より黙ったままの姉に意識を向けた。気分を害してるわけではなさそうだが、先程までの微笑ましげな眼差しではなくなっている。
「……これは学術的なことは抜きの、個人的な疑問として聞いてほしいんだけど。もし君が『宇宙人がいるかもしれない』というのを人類の可能性の一つとして数えているなら、霊の存在がそこに入れない理由というのは一体何なのかな」
「……ん?」
「霊……と言うと少しややこしくなりそうだから、ここでは幽霊に限定するとしようカ。一般的に幽霊というのは死後の人間の姿のことを指すよネ。これを、そうだな。〝正式に確認出来ていない人類〟と仮定するなら、宇宙人とそこまで差はないんじゃないかと僕は思うんだけど。その場合、君がこの一方だけを否定するのが何故なのかは気になるネ」
「…………」
相手が沈黙に入ったタイミングでカップに口を付けると、既に冷め始めていた。予想以上に彼との会話に夢中になっていたらしい。
ちら、と。再び膝の上に戻された陶器に目を遣る。てっきり飲みきったのだと思って二杯目をご所望か聞いてみるつもりだったのだけれど、中身は手渡した時とそう大差なかった。
「真宮寺は、星をどう思う?」
深慮遠謀とは無縁そうな印象が舞台転換時の照明のようにふっ……と落ちて、才能の片鱗を窺わせる面持ちがいつの間にかそこに登壇していた。
「どう、とは……少し困る質問だネ。僕は彼とほとんど話せず仕舞いだったし」
「あ、うん。そうじゃなくてだな。……こっちの」
そう返すと、百田は困ったように笑んで右の人差し指を上に向ける。大きな目とゆるやかな輪郭は変わらないのに、その顔にいつもの幼さはない。第二の事件の被害者の真意を汲み取れなかった件に関してはやはり思うところがあるようで、それを気取られたくないのか彼にしては珍しくあからさまに目を逸らした。
「ああ……そっちの。そうだな……天文学や占星術の歴史を紐解けば人は星と共に生きてきたとも言えるし、興味はあるヨ。とはいえ僕の専修ではないからネ、深く突き詰めたいかというと違うかな。綺麗だとは思うけれどネ」
正直な気持ち半分、強めに関心を示すと百田の宇宙語りがとめどなくなってしまいそうなので当たり障りのないようにという気持ちが半分。その回答に対して彼はというと、特段満足したでも残念がるでもなく。
「そっか。オレはよ、あれって人だと思うんだよな。だから幽霊はいねーって考えてる!」
打って変わってにぱっと満面に花を咲かせた百田に、真宮寺は姉と一緒になって頭の上にいくつもの疑問符を並べる。
言っている意味が理解出来ないのとは違う。死んだら星になるだとか、虹の橋を渡るだとか、そういう考え方は昔からある。それを百田が信じていようが迷信だと考えていようが、どちらでも構わないしどちらでも別におかしくはない。ただ、科学的根拠で攻めてくるものとばかり思い込んでいたから不意を突かれたというか、混乱してしまったというか。
「ええと……君は『今は解明できていないが幽霊の存在を含む全ての不可思議な現象はいずれ必ず科学的に説明がつけられるもの』という考えを語っていたように思うんだけど。違ったかな」
「違わねーぞ。だからこれは根拠云々とかじゃなくて完全にオレの願望だな! 死んだ人間は幽霊なんかじゃなくて星になっててほしいっていう願望だ」
「……幽霊『なんか』、ね」
姉が低い声でぽそりと呟く。百田については姉弟揃って概ね好印象を抱いていた方だ。しかし、たった数日で他者の人となりを推し量ろうなどというのは、やはり無理があったのかもしれない。真宮寺はたとえ犯罪に手を染めた人間であっても知性や協調性に優れた者ならば高く評価するタイプではあった。が、姉を悲しませる者に関してはそれも著しくマイナスとなってしまう。
早まったか、と一息を吐いて。
「……これもまた、純粋に気になるから聞かせてほしいんだけどネ。百田君は……君が、もし大切な人を亡くしても。傍にいてほしい、とは思わないのかい? 例えば、ここで喪った仲間たちとも。霊でもいいから、もう一度話したいと思ったりはしないのかい?」
「…………」
思わず貴重な資料の数々を収めた平型の展示台にカップを置き、自らを抱きしめる。是清、と小さく呼んでその腕へ姉の温もりが加わるのに感じ入った。
「星ってよ。水素とかヘリウムで出来てんだよな。光ってるのだって、単なる核融合だったり反射だったりするし」
「……?」
「真宮寺ももちろんわかってるよな。あの空にたっくさんある星は、別に宝石みてーな石をキラキラ散りばめてるわけじゃねーんだって。昔は神秘的な感じに思われてたかもしんねーけど、今じゃガキでもなけりゃ知らないヤツの方が珍しい」
コーヒーに映った自らに相対するかのように、百田は伏し目がちになって語り始める。
「でも、それをわかってても人は星を綺麗だって思う。……死んだ人間が、ただ見えないだけで傍にいたら。ましてや大事な存在だったってんなら、特にそうであってほしいってなっちまうんだろうな。でもオレは、やっぱ幽霊はいねーと思うんだ。……いや。そう思いたい、だな」
「…………それは、どうして?」
姉だったか、自分だったのか。後から振り返ってもまるで判別が付かない。それほどに、この時の問いかけは無意識に零れたものだった。
「強い未練を残して死んだ人間に、その先があるなら。オレはそいつらに星になっててもらいたい。ただ綺麗だなって遺ったヤツらに思われる星がいい。悲しまれたり憐れまれたり愉しまれたりするより、その方が嬉しい。オレにとって大事なヤツだってんなら、尚更」
「――。……」
「手前勝手かもだけどな」
彼の持つカップが改めて口に運ばれ、ゆっくりと傾けられる。真宮寺はその様子を見て、やはり紅茶の方が合っていたかもしれないと密かに思った。
* * *
「新鮮だわ」
階段に座ったまま寝息を立てている百田を見ながら、姉が言う。
「これまで是清が接してきた中にはいなかったタイプの人ね」
弾む声はどの喜びから来ているものなのだろうか、と。筆を走らせながら、真宮寺もまた口角を上げた。
「あら、やっと決まったの?」
「うん、ずっと迷っていたけどネ。何しろ記念すべき事だから、魅力的な候補ばかりとはいえ慎重に行きたくて」
書き終えたその名前の頭文字に、そっと指を添える。
「でも、だからこそ。これまでとは違うことをしてみてもいいんじゃないかと思ったんだ。今は、他に適任はいないという気さえしているヨ」
『百田解斗』――。
女性の名ばかりが連なる名簿欄。そこに残された最後の空白に、今。初めて男性の名が記された。
「……もうすぐだヨ。楽しみにしていてネ、姉さん」
男が無防備に晒している首を見つめながら――髪を傷付けてしまう心配もなくて有難い、と。近く迎える事になるその日を思いながら、真宮寺はまず倉庫へと足を運ぶ事にする。準備を進めなければならない。
彼より先に、まず二人。考えうるとっておきのやり方で、姉の友人を迎えなければ――。
* * *
「百田ちゃん」
こちらはいろいろと忙しないというのに、あとは寝そべっていればいいだけの男はいつも通り軽薄に声を掛けてくる。毒死の恐れがなくなったとはいえ、体調は頗る悪いままなのだ。視界はぶれるし、矢を受けたこともあり腕だって上げるのに一苦労。カメラアングルがおかしくなったりスイッチを押すタイミングがズレたらどうしてくれる、と百田は明らかに病的に掠れた息を吐いた。
「真宮寺ちゃんの淹れたコーヒーよりは美味しかったでしょ、オレの解毒剤」
にしし、と特徴的な笑い声が届く。思わず舌打ちして、口元を拭う。垂れてきた血が不快だっただけで、他に意図はない。重なった柔らかい『何か』の感触など、別に思い出してはいない。
「覚えてるかよ、そんなん」
これに関しては事実だ。正直いろいろ吐きすぎていて、その頃の百田は既に味など感じている余裕がなかった。ただただずっと気持ち悪かった、としか記憶していない。
「薄情だなぁ。真宮寺ちゃんも可哀想に。やっぱり、キミは友には向かないよ」
鼻で笑ってやれば「ほらタチが悪い」などと、どこか嬉しげに宣う。そろそろ死にそうとか言っていたわりに結構元気じゃねーかテメー、と百田はこっそり毒づいた。
「……王馬」
男は呼びかけに応じなかった。
プレス機の操作パネルとビデオカメラの録画ボタン、それぞれに手を掛けて深呼吸をひとつ。この真性の嘘つきに嘘が通用しないというなら、虚勢でも何でもなく本気で笑ってみせてやろう。手の震えは原因不明の病の影響に過ぎない。冥土の土産に聞いていけ、と百田は見栄を切る。
「友には向かねーが、共には向かってやるよ」
ほんの少し、目を見開いた。そんな気がしただけかもしれない。言葉での返答はなかった。重々しい機械音の響く中、悪の総統の白い手だけが僅かな隙間から覗いて――立てられた中指が一瞬映り、砕け潰れてはち切れた。
* * *
宇宙に目を奪われる。いずれ来たる記念日に向けて、どうしたって胸は高鳴ってしまう。
たとえ、星になる直前であっても。
「ああ、ちくしょうめ。幽霊になっててくれりゃいいのに」
あの男を綺麗だなんて反吐が出る、と。自嘲気味に笑って、男は堕ちていった。