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    mille

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    mille

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    「心とは、何でしょうか」

    ブラッドリーが生まれたばかりのアシストロイド・晶のオーナーになる話。

    ブラッドリーと晶中心、シティポリス+α
    書けたところまで。まだ4割くらい。

    必ず冒頭の注意事項をお読みの上、ご了承いただけた方のみお進みください。
    読了前後に関わらず、注意事項を確認しなかったことで生じたいかなる苦情も受け付けません。

    ホワイトシナプス(仮題)〈注意事項〉
    ・真木晶であって真木晶ではないアシストロイドがメインで出ます。とにかくゲーム内に登場する「真木晶」とは別人。
    ・匂わせ程度のブラ晶♀(になる予定)、あるいは元相棒×晶♀。
    ・筆者のキャラ解釈が多分に含まれています。
    ・原作キャラ同士が対立する描写がありますが、最終的にはみんな仲良し大団円を目指しています。











    ### 1 ###
    「ボス、配置完了しました。いつでも突入できます!」
     ブラッドリーは、無線から聞こえてきた部下の報告ににやりと笑う。腰に携えた拳銃の重みを確認して、親指でそれをそっと撫でた。
    「おーし。それじゃあお前ら、存分に暴れろ。終わったら肉食いに行こうぜ」
     言うと、周囲の熱が高まったのが分かる。ひとつ大きく息を吸って、声を張り上げる。
    「突入!」
     一斉に、部下たちが動き出す。大勢の足音。何かが割れる音。悲鳴に怒声。
     ブラッドリーはその喧騒の中、悠々と歩を進める。床に散乱したガラスの破片が、じゃりじゃり音を立てる。視界の端では、武装した警察官たちが店内の制圧を着々と進めていた。そう時間を掛けずに、この状況は終わりを迎えるだろう。
     ブラッドリーは部屋の隅、重厚な扉の前に辿り着く。ドアノブに手を掛けるが、鍵が掛かっているようで開かなかった。
    「まったくあの野郎、面倒な仕事ばっかり頼みやがる。次会ったら覚悟しとけよ……」
     言いながらホルスターから銃を引き抜いて、斜め後ろへ向けて発砲した。バチンと電気の走る音が響いて、ほぼ同時に、ぐえっ、と声がする。そちらを振り返ると、今まさにブラッドリーに襲いかかろうとしていた男が、足元に蹲っている。一番近くにいた部下に声を掛け、その男を示した。
    「おい、こいつもふん縛っといてくれ」
    「はっ!」
     部下に引き摺られていく男を見送って、目の前の扉に向き直る。ブラッドリーは短く息を吐くと、一歩後ろに下がった。勢いをつけて、右足を蹴り上げる。
     案外あっさりと開いたその扉の先は、薄暗かった。壊れて歪んだ扉の向こうから漏れてくる明かりを頼りに部屋を見回す。まるで子供部屋だった。かわいらしいぬいぐるみが置かれたタンス。ピンクの布団がかけられたベッド。本棚が一体になったデスク──いわゆる一昔前の勉強机。
     しかし子供部屋にしては何か違和感をおぼえ、再度視線を巡らせる。そうして、この部屋には窓がないのだと気付く。ちらりと振り返ると、入ってきた扉の内側には鍵穴も鍵を開け閉めするためのツマミも無い。
     舌打ちして、部屋の中に向き直る。最奥には部屋の中心を向くように椅子が置かれていて、そこに座る人影がある。ゆっくりと近付くが、その影はピクリとも動かなかった。
     影──髪型からして恐らく女だろう──の目の前に立つ。そいつは俯き加減で座っていて、つむじを見下ろす形になった。彼女の長い髪を払って、うなじを確認する。分かりにくいが、目を凝らすとケーブルを刺すためのコネクタがある。それを確かめるように指でなぞったその瞬間、彼女が身体を震わせた。
    「うおっ!?」
     思わず指を離して後退る。ゆっくりと、顔を上げた彼女は瞼を持ち上げて、ブラッドリーのことをじっと見つめる。その顔に見覚えがある気がして、ブラッドリーは口を開く。
    「お前……」
    「おはようごさいます、オーナー」
    「…………。はぁ?」
     慌てて辺りを見回して。自分の他に誰も居ないことを確認すると、ブラッドリーは首を傾げた。
    「おはよう、は不適でしたでしょうか。現在時刻が分からないもので……」
     彼女は無表情に言葉を紡ぐ。
    「いや、そうじゃなくてよ。今オーナーつったか?」
    「はい、オーナー。あぁ、初対面なので初めまして、が正しいですね」
     姿勢を正して、初めまして、とお辞儀をする彼女に、ついつい会釈を返す。
    「……いやだからそうじゃねぇんだって。俺はてめぇのオーナーになった覚えはねぇぞ」
     次は彼女が首を傾げる番だった。無表情のままに。
    「ですが、私を起動させたのはあなたですよね。でしたら私のオーナーはあなたです」
     孵ったばかりの雛鳥かよ、と小さく突っ込みを入れる。アシストロイドというのはそんな曖昧な基準でオーナーを決めるものだっただろうか。考え込みそうになったところで、ふと我に返り思考を追いやった。今は仕事を済ませるのが先だ。
    「まぁいいや。お前、IDは」
     手元のタブレットを操作しながら聞く。すらすらと述べられたそれがタブレットに表示されたものと一致することを確認する。
    「──名前は、真木晶、です」
     付け加えられた言葉に、目を見開く。
    「今、なんつった」
     彼女は聞き返されていると思ったらしい。淡々と繰り返されるそれは、確かに知っている物だった。
     はっ。と、小さく嗤う。見覚えがあるはずだ。2ヶ月前、とあるハイクラスの依頼で一体のアシストロイドを捕獲した。その時そいつの隣にいたアシストロイドが、真木晶という名だった。顔も形もそっくり同じ。報告にあったIDは、こいつとは違ったはずだが。
    「ったく、ハイクラスサマってのはどいつもこう趣味の悪いもんなのかね」
     ひとつ大きく溜め息を吐いて、拳銃を取り出した。銃口を目の前のアシストロイドに向けて、トリガーに指を掛ける。
    「わりぃな。俺は趣味の悪い依頼人から、お前を壊すようにって頼まれてんだ」
    「そうですか」
     彼女は真っ直ぐに見つめ返すだけで、逃げる様子も怖がる様子も無い。
    「嫌がらねぇのな」
    「それがオーナーの望みであれば」
    「…………」
     一歩、彼女に近付く。頭に向けていた銃口を下にずらして、彼女の左胸、マナプレートが埋まっているであろう部分に宛がう。彼女は黙ったまま、じっとブラッドリーの顔を見ている。
    「…………。気に食わねぇ」
     呟いて、銃を下げる。ホルスターに元通りしまって、空いた手で彼女の腕を掴むと無理矢理立ち上がらせた。
    「そろそろ仕事終わらせた部下が俺を探しに来る頃だ。さっさとずらかるぞ」
    「依頼とやらは、良いのですか」
     ブラッドリーは問い掛ける彼女をちらりと見遣って、すぐに視線を前方に戻した。
    「さぁなぁ。生憎、無抵抗な女子供撃つような趣味は持ち合わせてねぇんだよ。今すぐ壊せとは言われてねぇしな」
     なんとかなんだろ、と、ごく軽い調子で続ける。彼女の腕を引いて歩きだす。彼女は大人しく、ブラッドリーの後に続いた。


     彼女を連れて家へ帰ったブラッドリーは、部下へと通信を入れた。作戦の途中で居なくなったボスを探して、彼らは右往左往していたらしい。それでもきちんと任務を終わらせる辺り、俺様の部下は優秀だな、とブラッドリーは笑う。
    「……わりぃわりぃ、ちと野暮用が入っちまってよ。今日はお前らだけで楽しんでくれや。……ああ、代金はツケといてくれればいいからよ。んじゃあな、ご苦労だった」
     労いの言葉で会話を締めくくって、通信を切る。視界の端に、空色の頭が近付いてくるのが見えた。
    「……おい、ブラッド。説明してくれんだろうな」
     ブラッドリーが通話を終えたのを見計らって、彼は声を掛けた。その顔は不機嫌そうに歪んでいる。
    「よぉ、ネロ。お前は打ち上げ行かなくて良かったのか?」
    「……俺が居ない方が、皆気楽に楽しめるだろ。つーか俺は作戦参加してねぇし」
     その男、ネロは、目を逸らして答える。ふぅん、と呟いて、口許に悪戯めいた笑みを浮かべて、ブラッドリーはまじまじと彼を見つめる。
    「なんだ、僻みか? 後方支援だって重要な役割だろうが」
    「……っ。そうじゃなくて! 俺が聞きたいのはこいつのことだ」
     ネロはそう言って、食卓の椅子に行儀良く座っているアシストロイドを勢い良く指差した。
    「拾ってきた。名前は晶だ、仲良くしてやれ。晶、こいつはネロ。お前と同じアシストロイドだ」
     紹介されて、晶はペコリと頭を下げる。
    「よろしくお願いします」
    「仲良くしてやれ、じゃねぇよ」
     ネロはブラッドリーに向き直ると、ますます語気を荒げて捲し立てる。
    「おいブラッド、いつも言ってるよな、気安くアシストロイド拾ってくんな、って。それに状態から見て、こいつ不法投棄されてたクチじゃねぇだろ。どっから盗ってきた」
    「おいおい人聞きわりぃな。俺は警察官だぜ? そんな泥棒みたいな真似すっかよ」
     ブラッドリーは面倒そうに肩を竦める。そんな彼の様子に、ネロはますます苛立ちを募らせる。
    「今日は違法ブローカーの摘発だったろ、改造アシストロイドを兵器として売り捌いてる組織があるって。俺は現場から外されたけど。まさか"また"……」
    「ネロ」
     さっきまでとは打って変わって冷ややかな声に、ネロは押し黙った。
    「そこまでだ。いくらお前でも、それ以上の詮索は許さねぇ」
     そう言って、一瞬後にはからりと相好を崩す。
    「と言っても、正直なとこよ、俺もこいつについてはよく分かってねぇんだ。まぁ厄介なもん抱えてんだろうってのは間違いねぇけどな」
    「……だったら、尚更捨てるべきじゃねぇの」
    「何度も言わせんなって。相棒。取り敢えず異常がないか、検査してやってくれ。ガワなら俺でも分かるけど、中身はお前の方が詳しいだろ」
    「…………。分かった」
     諦めて頷くと、ブラッドリーは満面の笑みを浮かべてネロの肩を叩いた。
    「頼んだぜ」
     言って、その場を後にする。ネロは溜め息を吐いてその背中を見送って、横へと目を向ける。ネロとブラッドリーが言い争っている間も、話題の中心である彼女は、口を挟むこと無く、一切の身動ぎをもせずに、ただ座っていた。
    「あー……。さっきは悪かったな。改めてよろしく」
    「はい」
     声を掛けると、短く機械的な返答がある。
    「ざっと検査するから、こっち来てくれ」
     隣の部屋へといざなって、椅子に座らせる。ここはメンテナンスルームだ。主にブラッドリーの拾ってきたアシストロイドの検査や修理を行っている。
    「オーナーは……」
     晶が、初めて自分から口を開いた。
    「よくアシストロイドを連れ帰るのですか?」
    「あー……まぁ、そうだな。大抵壊れ掛けて放棄されたやつを拾ってくるんだ」
    「あなたも?」
    「……そうだ」
    「そうですか」
     自分から話題を振ったにも関わらず、晶は大して興味が無さそうに言った。
    「あ、そうだ。あいつ、オーナーって呼ばれるの好きじゃねぇから」
    「では、何とお呼びすれば?」
    「あいつ、自己紹介もしてないのかよ。相変わらず適当なこったな」
     呆れた様子で肩を竦めると、ネロは続けた。
    「名前はブラッドリー・ベインだ。俺たちはブラッドって呼んでる」
    「ブラッド……」
     晶は噛み締めるように、彼の名を口にした。
    「……あいつはお前のどこを気に入ったんだろうな」
    「オーナー……ブラッドは、私を気に食わない、と言っていましたが」
    「本当に気に食わないなら連れ帰ったりしないさ。どこかしらに惹かれる部分があったんだろ」
     晶は顔を伏せ、考え込むように押し黙った。
    「……そろそろいいかな。チップを確認したいから、バッテリー抜かせてほしいんだけど」
    「分かりました。どうぞ」
     あっさりと答えて、彼女は背凭れに身体を預けると、目を閉じた。ネロは遠慮がちに、胸元に触れる。そこが青白く光って、長方形のプレートが浮き出てくる。それを手に取って、ネロは動かなくなった彼女を見つめた。


    「終わったか。あいつは?」
     琥珀色の液体で満たされたグラスを傾けながら、ブラッドリーは自室を訪れたネロに話し掛ける。
    「向こうで休ませてる」
    「そうか。で? 検査の結果はどうだった」
    「俺の分かる範囲でだけど、特に異常はなかったよ。ただ、セキュリティシグナルが設定されてない。んで、これまでの記録が何一つ残ってない」
     ブラッドリーはグラスを置くと、鋭い視線を向けた。
    「誰が作ったのかも、いつ作られたのかも、これまでどんな風に過ごしてきたのかも、何もない。オーナー登録も無い。それから……」
     ネロが言い淀む。ブラッドリーが続きを促すと、渋々と言った様子で口を開いた。
    「カルディアシステムが搭載されてる」
    「んだと?」
     カルディアシステム──アシストロイドに心を与えるシステム。オーナーに絶対服従であるはずの"ロボット"を、"人間"に近付けるそれ。ネロにも搭載されているし、他にもそれを持ったアシストロイドは何体か会ったことがある。だが。
    「けどあいつ、終始無表情で感情なんて持ってなさそうだったぞ」
    「多分だけど、産まれたばかりで、感情のラーニングが出来てないんじゃねぇかな」
    「そういうもんなのか?」
    「よく覚えてねぇけど、多分な」
     ブラッドリーは眉間に皺を寄せ、再びグラスを手に取った。ゆらゆらと揺れる液体をじっと見つめている。
    「なぁ。やっぱり危険なんじゃないか?」
     ブラッドリーの顔色を窺いながら、ネロが口を開く。カルディアシステムは未だ(少なくとも表向きは)一般には流通していない、トップシークレットだ。ヒースクリフを筆頭に、彼らが世間に受け入れられるよう働いている者も居るが、その実現はまだ遠い。そんな中で犯罪組織に囲われていた彼女がどんな存在なのか。予想は付かないまでも、並のアシストロイドでないことだけははっきりと分かる。その上無信号だ。まともな目的の元に作られたものではないだろう。
    「かもな」
    「俺はさ、出来るだけお前に危ない橋を渡ってほしくねぇんだ。お前がそんなやわじゃないのは知ってる。けど……」
    「ネロ」
     優しげに声を掛けて、ブラッドリーはネロの肩に腕を回す。
    「ありがとよ」
    「…………。晶の何が気に入ったんだ? 無表情で可愛げも無い。自身の意思もない。お前の嫌いなタイプだろ」
    「まぁな。けど、なんでだろうな。昔のお前と重なって見えちまったんだよ」
    「……似てねぇと思うけど」
    「かもな」
     ブラッドリーはからりと笑う。ネロは溜め息を吐いた。
    「ったく。んな風に言われたら、これ以上食い下がれねぇじゃねぇか」
    「そうか? まぁお前も気にしてやってくれや」
     彼の笑顔に釣られて、ネロは渋い顔で頷いた。



    ### 2 ###
    ふっと、目を覚ます。
     体内時計を確認する。スリープモードに移行してから一晩明け、朝になったようだ。
     晶は背凭れを倒した椅子に身を預けたまま、しばらく思考を巡らせて、昨日の出来事を思い出した。と言っても、彼女のメモリーはほとんど空っぽだ。昨日の記憶の他に、呼び出せるようなものは無い。スリープしている間に何か映像情報を再生していたような気もするが、今となっては思い出せなかった。
     ゆっくりと身体を起こす。腕や脚を動かしてみる。動作に不自然なところは無い。辺りを見回すと、様々な工具や機械が整頓して置かれている。
    「お、目が覚めたか」
    「ブラッド」
     扉の向こうからオーナーがやってくる。彼は晶が自身を愛称で呼んだことに気付くと、一瞬驚いた顔をした後ににやりと笑う。
    「昨日検査の後、スリープモードに入ったんだよ。昨日のことは覚えてるか?」
    「はい」
     応えると、彼は満足そうな顔をして踵を返した。
    「起きたんなら朝飯だ、こっち来い。幸い味覚センサと消化機能は付いてるみてぇだからな、食べられんだろ」
     彼の背を追って椅子から降りる。扉を抜けると香ばしい匂いが漂ってきた。
    「おはよう、晶」
     奥のキッチンから、両手に皿を持ったネロが声を掛けてくる。
    「おはようございます」
     ネロが近付いてきて、皿をテーブルに並べる。そこには三人分の朝食が用意されていた。お洒落なプレートにエッグベネディクトとサラダが乗っている。
    「さっさと座れよ」
     先に席に着いていたブラッドリーが、立ち尽くす晶へ声を掛ける。言われた通りに座りつつ、晶は疑問を口にする。
    「なぜ、でしょうか」
    「なぜって?」
    「私はアシストロイドです」
    「だな。そんで?」
    「食事を摂る必要はありません」
     ブラッドリーとネロが顔を見合わせた。一拍置いて、二人は同時に笑い出す。ブラッドリーは大声で。ネロは微かに苦々しげな表情に乗せて。
    「何か、おかしなことを言ったでしょうか」
    「あーいや、悪い。そういうわけじゃねぇよ」
     ネロは謝ると、未だゲラゲラと笑い続けるブラッドリーの頭を手の甲で軽く叩いた。
    「おい、そろそろ黙れって」
     なんとか笑いを引っ込めたブラッドリーが、その名残を引き摺ったまま口を開く。
    「昔のこいつと全く同じことを言うもんだから、ついな」
     ネロの方を示し、今度はくつくつと喉の奥で笑う。
    「食事っつーのはな、腹を満たすのはもちろんだが、心を満たすもんでもあるんだ」
    「心を……」
     晶の反応を見て、ブラッドリーは頷く。
    「誰だって、まずい飯よりうまい飯が食いたいもんだ。うまい飯を腹一杯食えば、大抵の面倒事はなんとかなっちまう。だろ?」
     ネロに向かって同意を求める。ネロは肩を竦め、晶の向かいの椅子に座った。
    「こいつの言い分が100パー正しいかどうかはともかく、まぁ概ねそんなとこだと思うぜ」
    「心、とは、何でしょうか」
     晶は問いを重ねる。脳内を検索すればたくさんの情報が手に入る。だがそこで得られる"心"の情報は、よく分からないものばかりだった。
    「うまく説明できねぇけど。嬉しい、とか、悲しい、とか。そういう、理屈で説明できないプログラムの働きのこと、かな。今お前がそうやって疑問に思うのだって、心が働いてるからなんじゃねぇの」
     分かんねぇけどさ、と締めくくって、ネロは口を閉じた。
     そうなのだろうか、と晶は考え込んだ。確かにこうやって疑問を持ち、悩むのは、効率的ではない。しかし嬉しいとか悲しいとか、そういう感情は、知識としては持っていても実感はできなかった。
    「なんでもいいだろ。早くしねぇとせっかくの飯が冷めちまう」
     ブラッドリーが待ちきれないとばかりにフォークに手を伸ばす。ネロがその手をぱちんと叩き、晶に向き直った。
    「俺、元々は調理と給仕が専門のアシストロイドなんだ。今となっては他にも色々やらされてるけどよ」
     そう言って、ちらりとオーナーであるブラッドリーに目を向ける。彼はというと、ぶすくれた表情で、目の前に置かれたプレートに目を向けていた。
    「だから、作った料理は食べてもらえると"嬉しい"んだ。駄目かな?」
    「……いえ。いただきます」
     そう言うと、ネロは微笑んだ。
    「ありがとう」
     そうして、三人は食事を始めた。晶は二人と同様に手を合わせてから、ナイフとフォークを使って切り分けたエッグベネディクトを口に運ぶ。咀嚼すると、こんがり焼かれたマフィンと濃厚な卵の風味が口一杯に広がった。
    「……おいしい」
    「そりゃよかった」
    「だろ。しかし、ナイフの使い方までうまいもんだな。切るってことすら知らねぇアシストロイドも多いってのによ」
     そう言うブラッドリーのナイフは、テーブルに置かれたままだ。エッグベネディクトの真ん中にフォークを串刺しにして、大きな口を開けてかぶり付いている。そんな彼を横目で見つつ、ネロは頷いた。
    「ほんとにな。そもそも機能が付いてたことといい、お前を作ったやつは人間と変わらない生活をさせるつもりだったのかもな」
     ネロはそう言うが、晶には昨日以前の記憶がない。製造者のことも、本来のオーナー(ブラッドリーはたまたま自分を拾っただけで、想定されていたオーナーでは無いのだろう、ということは、彼らの言動からなんとなく察しが付いた)のことも、覚えていないしピンと来なかった。
     やがて、あっという間にエッグベネディクトを平らげ水を飲み干したブラッドリーが、口を開いた。
    「さて、俺は仕事に行かなきゃなんねぇ。ネロも仕事があるっちゃあるが、お前を一人にするのは気が引ける」
    「私は一人でも構いませんが」
     食事の手を止めて、晶は答える。しかしオーナーであるブラッドリーは彼女の言葉を是としなかった。
    「いんや。昨日の今日だ、何があるか分かったもんじゃねぇ。それにまだ慣れないことも多いだろ」
    「俺もそう思う。今日のところは俺が残って様子見とくよ。明日以降のことはまた考えよう」
     ネロがそう言って、ブラッドリーが頷く。よし、と声をあげて、ブラッドリーが立ち上がった。
    「後頼んだぜ。休みの理由は適当にメンテナンスとでも言っとくよ」
     ネロが眉をしかめた気がした。
     立ち去ろうとするブラッドリーを追いかけようと、晶は慌てて腰を上げる。それに気付いたブラッドリーが、ひらひらと手を振る。
    「見送りなら要らねぇよ。そいつ食べちまいな。最後まで付き合えなくてわりぃな」
    「いえ……。行ってらっしゃい」
    「おう、行ってくる」
     爽やかに笑って、ブラッドリーは背を向けた。机の上の彼の皿には、ほとんど減っていないサラダが残されていた。


     職場に着いたブラッドリーを待っていたのは、部下たちからのブーイングの嵐だった。
    「ボス! よくも昨日は勝手に帰りやがったな!」
    「せめて作戦終了までは見届けてください。いつも言ってますよね?」
    「あーもう悪かったって」
    「野暮用って何だよ。まさか女か!?」
    「そんなんじゃねぇよ、ほんとにただの野暮用だ。つか敬語使えって言ってんだろうが」
     気安く話し掛けてくる部下の額を弾いて凄んでやるが、全く悪びれる様子がない。
     彼らの追求をなんとか躱しつつ、ようやく自分のデスクに辿り着く。仕事を始める前から一日分の体力を使いきった気がする。
     どさりと椅子に腰掛ける。目を上げると、茶色がかった赤髪の部下がやってくるところだった。
    「おう、カイン。お前も文句言いに来たのか?」
    「文句言いたいのは山々だが、それより大事な用件だ」
     神妙な面持ちに、思わず背筋が伸びる。昨日の事で何か問題でも起こったのだろうか。
     カインは一枚の紙を差し出した。受け取ったそれに目を通す。
    「これは……請求書……? って、なんだこの金額!?」
     堪えきれなくなったらしいカインが、一転して笑いを含んだ声で続ける。
    「昨日の打ち上げの代金だよ。電話で言ってたろ、ボスにツケとけ、って」
    「いや、確かに言ったけどよ……」
     思わず書面に落とした目を白黒させる。そこに並んだ数字は想定の軽く2,3倍に届く。こいつらどんだけいい肉食ったんだ。部屋のあちこちから、ごちそうさまでーす、という声が聞こえる。ブラッドリーは諦めの溜め息を吐いた。
    「おぅ……。向こう半年は奢り無しだからな」
     力を無くした彼の宣言に、再びブーイングが巻き起こったのは言うまでもない。


     建物の裏手、周囲に人がいないことを確認して、ブラッドリーは通信機を起動した。呼び出す相手はこの街の権力の権化、フィガロ・ガルシア。……の、アシストロイドであるスノウだ。呼び出し音をたっぷりと聞いて、留守電に切り替わりそうになったところで、ようやく繋がった。
    『はーい。こちらスノウちゃんでーす』
    『おまけにホワイトちゃんでーす』
    「出るのがおせぇんだよ」
     苛立ちのままに文句を口にする。
    『あーそんなこと言って。スノウちゃん傷付いたー』
    『ホワイトちゃんも傷付いたー。切っちゃうもんねー』
    「切るな切るな、分かったから。ったくめんどくせぇ……」
     代わる代わる声を上げる、そっくりな二体のアシストロイドに辟易として、後頭部を掻き回して溜め息を吐く。スノウ一人ですら相手にするのは厄介だったというのに、同型のホワイトが増えてから、その煩わしさは何倍にも膨れ上がった。
     なんとか気持ちを切り替えて、相手のペースに乗せられる前に本題に移る。
    「昨日の依頼のことだけどよ」
    『ああ、あれか。うまくいったかの?』
     子どものような甲高い声が年寄りじみた口調で言葉を発する。その歪さは不気味であると同時にどこか自然でもあり、ついじっくりと耳を傾けそうになる。
    「あいつ、こないだ顔を合わせた晶ってアシストロイドと同じ形をしてた」
    『じゃが、晶ではない』
    「わーってるよ。IDが違った」
    『なら、何も問題ないではないか』
     相手(スノウなのかホワイトなのか、もう面倒くさいのでどちらが喋っているのかは気に留めないことにした)はあっけからんと言うが、ブラッドリーは引き下がらなかった。
    「問題なくねぇよ。説明しろ」
    『まさかお主、情が移ったか?』
    「さあな。……普通、全く同じ容姿のアシストロイドが複数作られるなんてあり得ねぇ。アシストロイドっつーのは嗜好品で、誰もが好きにカスタムしたがるからな。量産型なんてのは誰も求めちゃいねぇ」
    『そうじゃの』
    「万が一、量産型アシストロイドなんてやつが存在したとしても、あいつはあり得ねぇ。何故ならあいつはフォルモーント・ラボが作った唯一だからだ」
    『正確には作ったのはラボではなくオーエンじゃが……。まぁ、その通りじゃな』
    「さぁ。説明してもらおうか。何を思って二体目を作ったのか。二体目のあいつは何なのか。何故そいつを壊せなんて依頼を持ってきたのか」
    『…………』
     矢継ぎ早に問い掛ける。言葉を切ると、その場には静寂が満ちた。沈黙に耐え兼ね、再び詰問しようと口を開きかけた時、ようやくホワイトが言葉を発した。
    『あれを作ったのは我々ではない』
    『これ、ホワイト』
     片割れが咎める声がする。が、既に遅い。
    「んなわけねぇだろ。だったらあそこまでそっくりになるはずがねぇ」
    『いいや、本当じゃ』
     諦めた様子のスノウが重ねて言う。ブラッドリーは眉をひそめた。
    「だったらなんで……」
    『盗まれたんじゃよ。晶の設計図が』


    「ネロは、私のことが嫌いなのだと思っていました」
    「は?」
     朝食後。洗った食器を布巾で拭きながら、晶は唐突に口を開いた。
     ネロが片付けは一人でやると言ったのだが、彼女は手伝うといって聞かなかった。結局、ネロが洗い、晶が拭く、という二人体制に落ち着いたのだった。実際、彼女の仕事の手早さには目を見張るものがある。
    「あー、もしかして、昨日のこと?」
    「はい。あなたは私を歓迎していない様子でした。しかし今日はよく話し掛けてくださいますし、私のために仕事を休むとまで……」
     一度そこで言葉を切って、晶はネロの顔を見た。
    「矛盾しているように思います。なぜでしょうか」
     ネロは決まり悪そうに目を泳がせる。その間ずっと、晶は黙って彼を見つめていた。やがて諦めたように息を吐いて、ネロは口を開いた。
    「別にあんたが嫌いなわけじゃねぇよ。ただ、ブラッドが厄介なことに巻き込まれるんじゃねぇかと思って、それが嫌だった」
     悪かったな、と口にして、彼は頭を下げる。
    「納得しました」
    「…………。許してもらえるか?」
    「許す許さないではありません。そもそも怒っていたわけではなく、疑問に思っただけですので」
     淡々とした彼女の反応に、ネロは苦笑を漏らす。
    「ですが考えてみれば当然でしたね。オーナーの危機は見過ごせるわけがありません」
     続く言葉に、ネロはぱちくりと目を瞬かせた。
    「ん? あぁ、そういうことになるのか」
     首を傾げ、しかし一瞬後には一人で得心し頷く。最後の皿を洗って、手渡して、彼女がそれを拭き終わった事を確認して、共に食卓へと戻る。椅子を引いて彼女を座らせると、反対側へと回って向かいに腰を下ろす。
    「確かに契約上はブラッドがオーナーってことになるんだけどよ、俺はあいつをオーナーだとはあんま思ってねぇの」
     晶は目を見開いて、ネロをじっと見つめた。驚いているのだろう。自覚があるかは分からないが。
    「なんつうかな……。そういう格式張った繋がりじゃなくて、もっと対等な、直接的な関係で居たいんだよ。友人とか相棒とかっていう。多分だけど、あいつもそう思ってくれてる」
     照れ臭そうに、言葉を紡ぐ。
    「だからさ、オーナーだから守るとか、そういうんじゃなくて、大切な友人を心配する、そういう気持ちなわけ。分かる?」
     テーブルを挟んで、晶の顔を覗き込む。瞬きすらも忘れたように、彼女はじっと動かない。
    「……あれ、大丈夫か? ひょっとして処理落ちしてる?」
     顔の前で手をひらひらと動かすと、彼女はぱちり、と目を瞬いた。
    「すみません、大丈夫です。情報の整理に少し手間取っていました」
    「そうか。まだ難しかったかな。ま、お前もそのうち分かるようになるよ」
    「そう、でしょうか」
    「多分な」
     そう言って、ネロは彼女の左胸を指し示す。
    「お前にも、心があるんだから」
     それから、微かに眉尻の下がった彼女の顔を見つめ、微笑んだ。
     

    「あやつが、あれの存在に気付いたようじゃ」
     ブラッドリーとの通話を終え、スノウは背後で様子を伺っていた白衣の男に話し掛ける。
    「そりゃそうでしょう、晶に会ってるんだから。だから別のとこに依頼しようって言ったのに……」
     男、フィガロ・ガルシア博士は眉間に皺を寄せて不満げに呟いた。そんな彼の様子を見て、双子のアシストロイドは芝居がかった笑い声を上げる。
    「ほっほっほ。まさか、アシストロイド嫌いのあやつがそんなことを気にするとは思わなんだわ」
    「それ、本気で言ってます? ホワイト様」
     確かにブラッドリーはアシストロイド嫌いで通っている。が、それが必ずしも正しくないことを、彼らは知っている。横領したアシストロイドの部品を闇業者へ流している、なんて噂はいかにもそれらしいが、その実、廃棄されたアシストロイドを拾っては修理に回している男である。それに、彼が相棒と呼ぶ部下がアシストロイドであることも、噂を否定する材料に他ならない。なお後者に関しては、2ヶ月前にスノウ達が関わった、カルディアシステムを巡る一件を機に、フォルモーント・シティポリス内では正式に開示されたらしい。
    「それで。あの機体はどうなったんですか?」
    「うーむ。あの様子では、ブラッドリーが匿っておるじゃろうな」
    「ブラッドリーちゃん、顔に似合わず優しいからのう」
     二人はきゃっきゃと、声を合わせて笑った。フィガロは一人、重い溜め息を吐く。
    「笑ってる場合ですか。このままじゃまずいでしょう。どうするんです」
    「うむ。当然、次の手を考えねばならんな」
     そう言って、スノウは再び通信機へと手を伸ばした。



    ### 3 ###
    次の日の朝。ネロを一人で仕事へ向かわせると、ブラッドリーは晶を連れて、町外れのメンテナンスショップへ赴いた。CLOSEの札に構うことなく扉を開ける。店の奥から顔を覗かせたクロエへ向けて、晶をずいと押し出す。
    「つーわけで、世話になるぜ」
    「よろしくお願いします」
     晶はぺこりと、行儀正しく頭を下げた。突然やって来たブラッドリーと晶に、クロエは目を丸くする。
    「何が"というわけで"なのかな!?」
     助けを求めるように晶に目をやるが、その表情にひっかかりをおぼえる。彼女は考えの読み取れない瞳で、クロエを見つめ返している。
     クロエのオーナーでありこのショップの店主でもあるラスティカは、対応をクロエに任せ、店の奥からこちらを観察していた。
    「仕方ねぇだろ。他に頼れるアテがなかったんだ。……今日はあのわんころ居ねぇのか?」
    「シノのこと? もう少ししたらヒースと一緒に来ると思うけど」
     クロエの返答に、ブラッドリーは満足そうに頷いた。
    「そりゃよかった。多少でも戦えるヤツが一体はいねぇとな」
     クロエは益々わけが分からなくなって、首を傾げる。
    「取り敢えず説明してもらえる?」
    「まぁ待てって。何度も話すのは面倒だからよ。坊っちゃん来てからだ」
     クロエとラスティカが顔を見合わせる。ちょうどその時、入り口の扉が開いた。
    「おはようございま……って、シノ!?」
     唸り声を上げて突進してきた黒い毛玉を、ブラッドリーは片手で受け止める。それ──犬型ペットロイドのシノを、首根っこを鷲掴むようにしてぶら下げ、ブラッドリーは上機嫌に笑い声を上げた。
    「威勢のいいこった」
     慌てて駆け寄ったヒースクリフに、ブラッドリーはシノをひょいと投げ渡す。
    「すみませんブラッドリーさん。でもどうしてここに……」
     言いかけて、隣で興味津々といった瞳でシノを見つめる晶に気が付いた。
    「晶さん! 久し振りだね」
    「えっ、と……」
     声を掛けられた晶はしかし、戸惑ったように隣のブラッドリーを見上げた。
    「こいつはお前らの知ってる晶じゃねぇよ」
     彼の言葉に、ヒースクリフはブラッドリー越しにクロエを見る。クロエは肩を竦め、首を横に振った。
    「どういうことですか?」
    「こいつは、お前らの知ってる晶と同じ設計図から作られた、完全に別の機体……らしい。詳しいことは言えねぇし、そもそも俺も大したことは知らねぇ」
     晶の頭に手を置きながら、ブラッドリーが言う。いつの間にか進み出てきていたラスティカが、晶に声を掛ける。
    「君、名前は?」
    「真木晶、です」
    「そうか。もしかして、カルディアシステムが搭載されてるのかな?」
    「?」
     晶は首を傾げる。代わりにブラッドリーが答えた。
    「その通りだ。よく分かったな」
    「その通り、だって」
     ラスティカは斜め前からの返答には反応を見せず、彼の耳にクロエがブラッドリーの言葉をそのまま囁く。
    「チッ。アシストロイド依存かよ」
     ブラッドリーが小さく舌打ちをする。
    「まぁいいや。とにかく俺は仕事に行く。署長ってのは忙しいんだ。今日一日様子を見てやってくれ」
    「それはいいけど……」
    「駄目だ」
     クロエの言葉を遮る声がある。そちらを見ると、見覚えのない黒髪の男が立っていた。
    「シノ」
     名を呼ぶヒースクリフの声を聞いて、ブラッドリーは驚きに目を見開く。
    「てめぇあのわんころか。面白い機能付いてんな」
    「ヒースクリフを守るのが俺の仕事だ。不確定要素を受け入れるわけにはいかない」
     ブラッドリーは目を細めて、ほぅ、と息を吐いた。
    「いいぜ。気に入った、チビ助」
    「チビって言うな!」
     犬歯を剥き出して威嚇するが、当然ブラッドリーが怯む様子はない。
    「おい晶。こいつが守ってくれるってよ」
    「嫌がっているように見えますが」
    「こいつなりの照れ隠しだ。察してやれ」
    「なるほど」
    「なるほどじゃない! おい聞いてるのか!」
     未だきゃんきゃんと声を上げるシノを無視して、ブラッドリーは踵を返す。
    「日が落ちる前には迎えに来る。じゃあな」
     いってらっしゃい、という晶の声を背に、彼は扉をくぐって出ていった。


    「おはようネロ」
     警察署の自席に着くと、向かいに座る同僚が端末のディスプレイ越しに声を掛けてきた。
    「カイン……おはよう」
    「昨日はメンテナンスだったんだって? もしかして一昨日の打ち上げ来なかったのもそのせいか?」
    「……まぁ、そんなとこ」
     曖昧に肯定の返事を返す。彼はあっさり納得したようだった。
    「調子悪かったなら早く言ってくれれば良かったのに。昼までは普通に仕事してたよな?」
    「あぁ……。ただの定期点検だから、別に」
     なら良かった。と、彼はからりと笑う。それがなんだか居心地悪くて、ネロはそっと男から視線を外した。周囲では他の同僚たちが、耳をそばだててこちらの様子を伺っているようだった。
    「ところで、今日はボスが休み……遅刻か? 何か聞いてる?」
    「あ、出勤前に寄るとこがあるって。すぐ済ませるっつってたけど」
     行き先や目的を伏せて説明すると、男はそうか、と言って頷いた。
     ふと、目の前の男が少し前に、無信号のアシストロイドについて報告を上げていたことを思い出した。ネロは直接関わっていないので詳細までは知らないが、その件をきっかけに、カルディアシステムの存在が署内に共有された。
     ただの偶然かもしれない。だが、もしかしたら──。
     そんな風に思って、ネロは口を開いた。
    「なぁ。お前、こないだの無信号について覚えてるか?」
     数回、瞬きをして、すぐに彼の言う"無信号"に思い当たったのか、男は笑顔を浮かべる。
    「ああ。オーエンと晶のことか」
    「…………。は?」
    「あれ、違った? ほら、ガルシア博士のとこのアシストロイド。オーエンって男と、真木晶って女の子」
     彼の声はほとんど耳に入ってこなかった。どういうことだ。単なる点と点に過ぎないと思っていたものが、今の一言をもってしっかりと繋がってしまった。
     そして。
     この"偶然"を、署長であるブラッドリーが知らないはずがない。
     それに思い至った瞬間、視界が赤く染まった気がした。全身が沸騰したように熱を持つ。
    「お、おい、どうした?」
     制服の下で、ネロの左胸がぼんやりと光を放っている。カインだけでなくほとんどの署員が、思わずその光を凝視しているのだが、ネロにはそんなことを気にする余裕は無かった。
     その時、がちゃり、と音がして、部屋の扉が開いた。
    「おうお前ら……って、何かあったか?」
     呑気なその声を聞いて、ネロは勢いよく立ち上がる。倒れた椅子が背後で派手な音を立てた。
    「ブラッド、来い」
     今入ってきたばかりの男の前へと立ち、その腕を乱暴に掴んだ。
    「署内ではボスって呼べって……」
    「うるせぇ!」
     部屋中に響き渡る声に、ブラッドリーは口をつぐんだ。しん、と、部屋が静まり返る。ネロは構わず、彼を引き連れて部屋を出た。


    「おい、ネロ。ネロってば。一体どうしたんだよ」
     ブラッドリーの腕を握り潰さんばかりの力で掴み、ネロは廊下を進んでいく。空いている会議室を見付けると、廊下のタグを「使用中」に動かして扉を開ける。まるで投げ捨てるように、ブラッドリーを中へ押し込め、自分も後を追って扉を閉めた。
     ブラインドの隙間から差し込む光が、彼らの半分だけを照らす。伏せたネロの顔に影が落ちて、表情を読み取ることが難しい。
     彼は、口を開いて、閉じて。息を吸って、吐いて。を何度か繰り返した。胸の内で渦巻く疑問を、感情を、何と形にすればいいのか分からなかった。
    「……俺は、そんなに頼りねぇか」
     ぽつり、と。ようやく口にした言葉は、そんなものだった。
    「何言ってやがんだ?」
     ブラッドリーは、話の流れを掴めず、眉をひそめる。
    「俺は、お前のこと相棒だと思ってるし、お前もそう思ってくれてるもんだと思ってた」
    「そんなの当然だろ? 相棒」
    「だったら! なんで、話してくれねぇんだよ……」
     尻すぼみになる言葉と共に、ネロは視線を落とす。
    「だから、何の話だよ」
    「晶のことだ」
     伏せていた視線を戻して、ブラッドリーの顔を正面から見つめる。ブラッドリーは焦るどころか驚いた様子すら見せずに、ただこちらを見つめ返している。そんな態度に、ネロの苛立ちが募る。
    「無信号。記憶を持たない。カルディアシステム。──真木晶。二ヶ月前の事件と、一昨日お前が拾ってきたあいつとの共通点だ」
     ひとつ、ひとつ。確信へ踏み込んでいく。
    「これはただの偶然か? なぁ? 答えてくれよ、ブラッド。お前は何を知ってる?」
     始めから、分かってはいた。こいつは何かを隠してる。
     彼のアシストロイドとして、そしてシティポリスの部下としては、それでもいいと思っていた。だから、始めは見ないふりをした。
     だが、ネロとして、彼の相棒としては、我慢ならなかった。彼と同じものを抱えられないことが。同じ景色を見られないことが。カインから得た情報はきっかけに過ぎない。本当は、ずっと前から、ひとりで抱え込もうとするこいつに憤りを感じていたのかもしれない。
    「……別に、お前が信用できねぇとかそんなんで黙ってたわけじゃねぇよ」
     ブラッドリーが口を開く。その瞳は優しく緩んでいる。
    「なら、なんで」
    「晶の為だ」
    「晶の?」
     予想外の答えに、怒りを忘れて目を瞬かせる。ブラッドリーは頷いた。緩んだ瞳のまま、一番近い長机に浅く腰かける。
    「あいつよ、俺のことオーナーって呼んだんだよ。初対面なのに。んで、俺が壊すって言ったら、何でもないことのようにどうぞ、って言いやがる」
     ネロは、ブラッドリーとは別の長机に座った。互いの足が触れるか触れないかの微妙な位置で、交差している。
    「そりゃ、まっさらなアシストロイドはそう答えるだろ」
    「そうなんだよ。まっさらで、純粋で、産まれたての赤ん坊みてぇだった」
    「…………」
     なんとなく、彼の言いたいことが分かった気がした。
    「俺は"晶"を知ってる。だからあいつは"晶と同じカタチをしたアシストロイド"なんだ。けどお前にとってはどうだ?」
    「どう、って……」
    「"ただの晶"だったろ」
     その通りだ。
     正体不明のアシストロイド。警戒すべき対象ではあったが、それすらも、彼女自身と向き合う材料だった。
    「何にも持たないあいつには、お前みたいに何にも知らないやつが居た方が良いと思ったんだよ。だが、まぁ」
     そして、ブラッドリーは軽く頭を下げた。
    「騙すみてぇな形になっちまったのは、悪かった」
     そんな彼を見て、ネロは囁くよりも小さく、呟く。
    「ほんと、ずりぃやつ」
    「ん?」
     聞き返すブラッドリーに対して、ネロは首を横に振った。
    「なんでもねぇよ。理由は分かったし、まぁ納得はした。不満はあるが」
    「だから悪かったって」
    「で、だ」
     そう言って、にやりと笑う。
    「どうせ途中まで知っちまったんだ。潔く全部ぶちまけてもらうぜ」
     ブラッドリーの頬がひきつった。


     2ヶ月前の事件のこと。オーエンと、"晶"と、カルディアシステムのこと。
     一昨日のこと。ガルシア博士から受けた依頼と、彼女のこと。
     そして、昨日、スノウやホワイトから聞いたこと。
     全てを白状させられて、ブラッドリーは、考え込むネロの顔を横目で見ていた。
    「なるほど……。設計図を盗んだっつーのは、例のブローカーか?」
    「さあな。そこまで聞く前に通信切りやがった。それより重要なのは、あいつが何のために作られたのかっつーとこだ」
     ネロは頷く。
    「一応一通り検査して、変なとこは無かったけど。俺の腕とウチの設備じゃ細かい機能やプログラムまでは分かんねぇしな」
    「だよなぁ。一回精密検査しねぇと駄目か」
     言って、ブラッドリーは諦めの息を吐く。あまり他人を巻き込みたくはなかったのだが、仕方ないのかもしれない。ラスティカのところへ預けておいて、今更巻き込むも何も無いかもしれないが。
    「そうだな。……って、どうした?」
     つい先程まで難しい顔をしていたブラッドリーが、にやにやと口を歪めているのに気付き、ネロは眉をひそめた。
    「いんや? ただ、晶を危険だの捨ててこいだのと言ってたお前が、随分優しくなったもんだと思ってよ」
    「……馬鹿にしてんのか」
    「まさか!」
     とんでもない、と、ブラッドリーは大袈裟に驚いた真似をしてみせる。今度はネロが、溜め息を溢す番だった。
    「まだほんの数日だけど、一緒に生活して、言葉を交わしたんだ。できれば、あいつのことも、守ってやりてぇと思っちまった」
    「……信じてたぜ。相棒」
    「くそったれ」
     ブラッドリーが柔らかく笑む。返すネロの悪態にも、棘は無かった。
    「さて、そろそろ戻るか」
     言って、ブラッドリーは長い脚を振り子のように揺らし、腰かけていた長机から飛び降りる。
    「言い訳はお前がしろよ」
     ブラッドリーの言葉に、ネロは首を傾げた。
    「言い訳?」
    「突然飛び出して来ちまったろ。あいつら驚いてたぜ」
    「ああ……」
     言われて思い出す。その時は頭に血が上っていたために気にしていなかったが、確かに不審に思われただろう。普段は冷静でいようと心掛けているのだが……。きっと、"見られてしまった"。無意識の内に、左胸を人差し指でなぞる。
    「……ひょっとしてお前、まだ気にしてんのか」
     ブラッドリーが声を掛ける。
    「え?」
    「てめぇがアシストロイドだってことをだよ」
    「別に、そんなこと……」
     曖昧に揺れる声で否定すると、そうかよ、と、短く返される。
    「気にしてねぇならいいけどよ。言ってみろ、お前は誰だ」
    「は?」
     唐突な言葉に、呆けた声を上げる。ブラッドリーはネロをまっすぐ見つめて、いつもと少しも変わらない表情で、口を開いた。
    「ネロ・ターナー。フォルモーント・シティポリスの一員で、俺様の相棒で、料理のうまい、ただのネロ・ターナーだ。ちげぇか?」
    「ちが、わねぇ、けど……」
    「だったらそんで十分だろ。……あいつらだって、分かってるよ」
     ぱちくりと。ネロは瞳を瞬かせる。ネロの反応を待つことなく、ブラッドリーは踵を返すと、会議室を出ていった。
    「……ただのネロ、か」
     緩く笑みを浮かべると、ネロは足を踏み出した。その胸中は先程までとは一転して、風が吹き抜けたかのように軽かった。



    ### 4 ###
    それから数日は、特に何事もなく過ぎていった。晶は日中、ラスティカのメンテナンスショップで過ごすか、ブラッドリーとネロのどちらかが休みの時は一緒に自宅で過ごすか。一度詳しい検査が必要だとのことで、ラスティカにデータのスキャンを頼んだ。彼はここ数日、その解析にかかりきりだ。
     メンテナンスショップの面々ともすっかり打ち解けたその頃、事件が起こった。

     その日、ブラッドリーとネロは仕事へ行き、晶はメンテナンスショップに預けられていた。
    「不思議ですね」
     ヒースクリフの膝の上で円くなるシノの黒い毛並みに手を伸ばしながら、晶は言った。
    「姿も大きさも変えられるとは。どのような機構になっているのでしょう」
     彼女の手から逃れるように、シノは膝から飛び降りて、その場でくるりと一回転する。瞬きした次の瞬間には、そこに黒髪の少年の姿がある。
    「すごいだろう。ヒースが開発したんだ」
     我が事のように胸を張る彼に、ヒースクリフは微かに頬を赤く染める。
    「やめてよ、シノ。でも、興味を持ってもらえるのは嬉しいな。説明しようか?」
     恥ずかしげに、しかしどこか嬉しそうに、弾んだ声で言う。
    「あはは。やめといた方がいいよ、晶さん。この手の話になるとヒースは長いから」
     クロエが笑いながら言った。そんな彼を見つめながら、晶は首を傾げた。
    「シノとクロエは、アシストロイドなんですよね」
     彼女の言葉に、クロエは肯定を返した。シノも頷く。
    「しかし、お二人とも随分と表情が豊かです。あなた方も"心"を持っているのですか?」
    「そうだよ。ラスティカがくれたんだ」
    「俺はヒースからな。最近の話だが」
     弾んだ声のクロエに続いて、クロエと比べると僅かに硬い声で、シノは言った。
    「心とは、何でしょうか」
     いつかも口にした問いを、再び投げ掛ける。シノからの答えはすぐに返ってきた。
    「難しく考えるのが間違いなんだ。俺は、ヒースを守りたいから守る。自慢したいから自慢する。それだけだ」
     シノの言葉に、ヒースクリフもクロエも苦笑する。初めて顔を合わせてからの僅かな時間でも、十分に分かった。彼はどこまでもヒースクリフ第一だ。
    「俺は、シノほど自信を持っては言えないけど……。俺は、選んだんだよ」
    「選んだ?」
     クロエは頷いて、離れた場所でディスプレイと向き合っているラスティカに目を向けた。
    「ラスティカと一緒に居ることを。これは、俺の心が決めたことだよ」
    「そのように、プログラムされているのではないのですか?」
     問うと、彼は困ったように眉を寄せて黙ってしまう。答えたのはシノだった。
    「だったらどうした」
    「シノ?」
    「そもそも、人間の心がプログラムでないとどうして言える。あらゆる情報を材料にして、前提条件や自分の"考え"に基づいて、決定を下す。同じじゃないか」
     続けて、ヒースクリフが口を開く。
    「確かに、人の思考とプログラムに近い部分があるのは正しいよ。人の脳内にはシナプスっていう神経ネットワークがあって、電気信号を使って情報を……」
     そこまで言って、晶とクロエが、その表情に疑問符を浮かべているのに気付く。
    「……とにかく。心を明確に定義するのは難しいよね。けど敢えて俺の考えを言葉にするとしたら、望むってことかな」
    「望む、ですか」
    「そう。誰かに言われた、命令された、じゃなくて、自分がしたいことを考えるんだ。欲しいものを欲しいって、嫌なことを嫌って言う」
     晶が、何か言おうと口を開いた、その時。

     ドォォォォン

     腹の底に響く音がして、地面が揺れた。
    「!?」
     音は外から聞こえてきた。微かに、人の叫び声やざわめく声も聞こえてくる。ラスティカが壁際のパネルを叩くと、空中に映像が写し出される。
    『速報です』
     画面の中で、ニュースキャスターの冷静な声がする。
    『たった今、フォルモーントの市街地で爆発が起こりました。現場と中継が繋がっています』
     画面が切り替わり、もくもくと煙を上げる住宅街が映し出される。突然、晶が立ち上がった。
    「晶さん? どうしたの?」
    「……です」
    「え?」
     画面を指差し、ごく僅かに声を震わせて、言う。
    「ここ、ブラッドの家です」


     フォルモーント・シティポリス署内では、警察官たちが、各々のデスクでディスプレイに向き合っていた。
     パトロールに出ているものもいるが、書類仕事の量だってばかにならない。今日はブラッドリーもネロも、一日署内で作業する予定だった。いくつもの仮想ディスプレイを展開し、ひっきりなしに入るメールに返信したり、報告書を作成したり。
     ブラッドリーは報告に来た部下へ指示を返し、彼が立ち去るとディスプレイに視線を戻す。目を離している間に、新しく一通のメールを受信していたらしい。件名が空白のそれに、微かな違和感をおぼえる。送信元のアドレスを見るが、心当たりは無い。ファイルが添付されていないことを確認して、封を開いた。
    「…………」
     鋭い視線を辺りに巡らせる。そこにはいつも通りの光景が広がっていた。ちらりと、ディスプレイの隅に表示されている時間を確認する。もうすぐ休憩時間だ。逡巡。だが、答えを出すよりも先に。
     微かな振動、そして一拍遅れて、爆発音が轟く。
    「なっ!」
     部屋の中が緊張感に包まれる。窓に目を向けると、街並みの向こうで黒い煙の柱が立ち上がっている。
    「場所は!」
     鋭く問いを投げる。署員の一人がキーボードを叩くと、共有ディスプレイに地図が表示される。
    「住宅街ですね。……っ、ここは……」
    「……ウチだ」
     ネロが唖然として、小さく、呟いた。ブラッドリーは舌打ちすると、指示を出すために口を開く。
    「A、B班は現地で避難誘導と交通整理、C班は残って情報統括だ。それぞれ班長の指示に従え。それから、ネロ……とカイン、ちょっと来い」
     言って、その場を後にする。すぐにネロとカインが続き、他の署員もそれぞれの役割を果たすため、動き出した。


     手近な会議室に飛び込む。後に続いたカインが、パチンと壁際のスイッチを押して、電気を点けた。
     ブラッドリーは通信機を取り出し、電話をかける。繋がったとみるや否や、向こう側へと叫んだ。
    「おい、無事か!」
    『ブラッド! ネロも、大丈夫ですか!?』
     聞こえてきた晶の声に、ほっと胸を撫で下ろす。
    『無事かはこっちの台詞だよ。取り敢えずなんともないけど、何が起こってるの?』
    「前にも言ったろ。聞くな」
     クロエの問いをそっけなくあしらうと、不満げな声がする。
    「わりぃが、そいつはそのまま暫く匿っててくれ」
     えっ、と声を上げたのは、ネロだった。
    「危なくねぇか? 迎えに行った方が……」
    「馬鹿か。家がバレてんだ、職場も見張られてる可能性が高いだろ。今出て行けば、相手の思う壺だ。代わりに、応援要員を向かわせる」
     そう言って、背後で戸惑ったように目を細めているカインに視線を遣る。
    「頼んだぜ」
    「いや突然頼むって言われても……。何がなんだか」
    「つべこべ言うな。命令だ。カイン、ラスティカのメンテナンスショップへ向かえ。有事の際は速やかに対応、その場の一般人を全力で守れ。復唱!」
     カインは反射的に姿勢を正し、敬礼して声を張る。
    「はっ! ラスティカのメンテナンスショップにて、有事の際は速やかに対応、その場の一般人を護衛します! ……ってこれパワハラじゃないか?」
     ほら行った行った、と追われ、カインは会議室を出る。ブラッドリーは窓際に寄り、ブラインドの隙間から外を覗く。何人もの警察官が、異常事態に対応するために、署へ出入りしている。それに紛れるようにして、足早にエアバイクに乗り込むカインの姿が見えた。
    「さて。今夜の寝床はどうすっかな」
     どこかふざけた調子で言うブラッドリーだが、その目は鋭く光っている。 
     ネロはタブレットを取り出し、操作する。画面に爆発現場の映像が映し出された。それを脇から覗き込んだブラッドリーが、口を開く。
    「おい。こいつ、怪しくねぇか?」
     未だ炎を上げ続ける自宅を遠巻きに見つめる野次馬たち。その一部分を、ブラッドリーが拡大する。燃えるような赤毛の、背の高い男。がやがやと騒がしい野次馬たちの中で、ただ目の前の光景をじっと見つめるその男は、よく目立っていた。
    「……ミスラか?」
    「知ってんのか?」
    「ああ。フローレス兄弟んとこの護衛アシストロイドだ。けどなんで……」
     ネロが眉を寄せて考え込む。
    「たまたま通り掛かったって線は?」
    「ねぇと思う。こいつらが住んでんのはもっと南の下町だ。それに、旧型のアシストロイドがオーナー連れずに、こんなとこで道草くってんのも考えにくい」
     ネロの答えに、ブラッドリーはなるほどと頷いた。眉間の皺はそのままに、ネロが新たな疑問を口にする。
    「つか、これほんとに晶絡みか?」
    「タイミングからしても、それが妥当だろ」
     あっさりと答えるブラッドリーに、ネロは尚もいい募る。
    「けど、あいつが来てもう一週間も経ってる。ただの事故かも……」
    「十中八九間違いねぇよ。"も"、つったろ」
     そう言って、ブラッドリーは自身の携帯端末をネロへと投げ渡す。慌ててそれを受け止めたネロは、一通のメールが表示されているのに気付いた。件名無し、見知らぬメールアドレスから送られてきたそれは、爆発が起こる直前に届いたものだ。
    「これ……」
     本文を読み終えて、ネロは目を見開く。
    「おっと、責めるなよ。届いたのはたったさっきだ。わざと黙ってた訳じゃねぇ」
    「いや、それは疑ってねぇけど」
     画面に目を落としたまま、メールに記されている内の一文を僅かに苛立ちの乗った声で読み上げる。
    「『心を模倣する人形は一体で十分だろう』、ねぇ」
     要約すれば、アシストロイドを返せという内容の、言ってみれば脅しのような、そう長くはない文面が続いている。晶の元の持ち主から送られてきたのだろう。その素性は分からないが、これを読めば確かに、先程の爆発が人為的なものなのだろうと予測される。
    「お前も一応、気を付けとけよ」
    「俺?」
     彼を見上げて、ぱちくりと瞬きをする。ブラッドリーはネロの持つ端末を覗き込むと、先程ネロが口にした部分を示した。
    「多分だが、お前がカルディアシステム乗っけたロイドだっつーのもバレてる」
     言われてはっとする。一体で十分──つまり、送り主は現在ブラッドリーが二体、晶とネロとの二体のアシストロイドを所持していることを、知っている。だが。
    「……どっから漏れた?」
     呟くと、ブラッドリーはパチンと指を鳴らした。
    「そこだ。お前の正体を知ってんのは、俺とフィガロの野郎、後は……」
    「シティポリスの、やつら……」
    「そうだ」
     ぞわりと。背筋を冷たいものが伝う。もしかしたら、身近なところに敵が潜んでいるかもしれない。ひっそりとこちらを窺い、機を狙っているのかもしれない。そう思うと、うすら寒い恐怖が、忍び寄ってくるような気がした。


     友人の自宅兼仕事場であるメンテナンスショップの扉を開けると、出迎えたのは友人本人ではなく、彼のアシストロイドであるクロエだった。それ自体はまぁいつも通りなのだが。その場を支配する緊張感に、気を引き締める。
    「いらっしゃい、カイン」
    「ああ」
     彼の歓迎の言葉に、軽く笑って応える。それからぐるりと、部屋を見回した。奥の作業スペースから、ディスプレイの前に座った友人──ラスティカが、小さく笑い掛けてくる。ヒースクリフも居る。シノが人型になっているのは、少し珍しい。そしてもう一人、珍しい顔があった。
    「晶か。久し振りだな、来てたのか」
     声を掛けるも、彼女は感情の読めない顔でこちらを見上げた。
    「あなたも、"真木晶"の知り合いですか?」
    「……何言ってるんだ?」
     眉をひそめる。隣に並んだクロエに視線を向けると、彼は苦笑を浮かべて口を開いた。
    「ブラッドリーから聞いてない?」
    「ああ。ここで一般人を守れ、とだけ……」
     言うと、クロエはヒースクリフと顔を見合わせた。

    「……なるほど。出自不明のアシストロイド。型と名前は同じだけど、あの"晶"とは別の個体、か」
     クロエとヒースクリフの代わる代わるの説明(とはいえ彼らの把握している情報はごく少ないため、すぐに終わった)を聞き終えると、カインと呼ばれたその男は、難しい顔で頷いた。それから晶の方を向いて、にこりと笑う。
    「俺はカイン・ナイトレイ。フォルモーント・シティポリスの巡査部長をやってる。よろしくな」
     晶はぺこりと頭を下げ、よろしくお願いします、と返した。
    「シティポリスということは、ブラッドやネロと同じですね」
    「ああ。ネロは同僚だし、ベイン署長は上司だ。ここにも署長の命令で来たんだが」
     そこでカインは言葉を切った。じっと、晶の表情を窺う。
    「お前は知ってるか? 外で起こった爆発がなんなのか。ボスが何を警戒してるのか」
    「……すみません」
     晶は眉尻を下げ、首を横に振った。彼女自身、分かっていることは多くない。今の状況どころか、自分自身のことすら分からないのだ。
    「そうか」
     カインはそれ以上追求しなかった。再び笑みを浮かべ、言葉を続ける。
    「まぁなんにせよ、俺が守るよ。君も、ラスティカも、クロエも、ヒースクリフも、シノも。安心していい」
    「守られてやるつもりはない。ヒースのことは俺が守る」
     対抗するように、シノが言った。隣のヒースクリフが苦笑している。
    「ありがとうございます」
     晶は不器用に、笑った。



    ### 5 ###
    「てめぇ、ふざけてんのか」
     低い声で、ネロが言う。
    「まさか。至って真剣だよ」
     対するブラッドリーはあっさりと、ともすれば軽い調子で返す。
    「だとしたら遂に脳ミソ腐り落ちたんじゃねぇか。とっとと隠居しちまえ」
    「辛辣だなオイ」
     自宅の襲撃から一夜明け。
     ブラッドリーとネロは、一時の宿に定めたホテルの一室で、言い争っていた。ちなみに、初日に部屋の隅から隅まで念入りにチェックし、盗聴器の類いが無いことは確認してある。
    「このまま手をこまねいてたってどうしようもねぇだろ。そろそろこっちから仕掛けるべきだ」
    「だから、あいつをエサにするってのか」
     睨み付ける視線を正面から受け止めながら、ブラッドリーはそうだ、と頷いた。
    「昨日までは相手さんにも動きが無かったから、ゆっくり状況確認をしてれば良かった。が、動き出された今、猶予は長くねぇ」
     徐々に。ブラッドリーの口調が苛立ちを帯びる。指先が忙しなくテーブルを叩いている。
    「だからって……」
    『俺も反対だ』
     口ごもってしまったネロの後を引き継ぐように、この場に居ない男の声がする。
    「カインてめぇ……」
     ブラッドリーが、唸るような声を上げる。その視線で相手を射殺さんばかりに、声の聞こえてきた通信機を睨み付ける。
    『よく分からんが、相手の狙いは晶なんだろ? いたずらに危険にさらすべきじゃない』
    「だからこそ、囮として成立すんじゃねぇか」
    「それは、そうだけどよ……」
     ほらみろ、と、ブラッドリーが得意げな笑みを浮かべた、その時。
    『ちょ、ちょっと待ってよ!』
     声がした。

     昨日の爆発が起こってから、晶とカインはそのままラスティカのメンテナンスショップに身を寄せている。ヒースクリフとシノはカインと入れ替わるようにして、自分達の家へと帰った。
     朝になり、ブラッドリー達に状況報告をするカインを、晶を始めとした三人は各々の場所から眺めていたのだが。
    「ちょ、ちょっと待ってよ!」
     シティポリスの通話、それもかなり険悪な雰囲気のそれに割って入ったのは、クロエだった。『?』という、虚を衝かれたような、不機嫌なような、その声にも臆することなく。クロエは言葉を続ける。
    「三人とも、勝手に話進めてるけど、大事なこと忘れてるよ」
    『んだよ』
     ブラッドリーの問いを受けて、クロエは振り返った。少し離れたところで様子を窺っている、彼女を。
    「晶さんは、どうしたい?」
     一斉に、その場の視線が彼女に集まる。姿は見えないけれど、通信機の向こうも同じように、晶の言葉を待っているのだろう。突如訪れた静寂と向けられた視線に、晶はパチパチと瞬きする。
    「私、は……」
     言葉を切って、迷うように視線を彷徨わせ。少しして、ひとつ息を吸うと、真っ直ぐな目を通信機に向けた。
    「やってみたい、です。私に出来ることがあるなら」
    「いいのか? どんな危険があるかも分からないんだぞ」
     心配そうに眉を寄せて、カインが覗き込んでくる。
    「それは」
     背後から、穏やかな声がした。振り返ると、いつの間にか近付いてきていたラスティカが、いつになく真剣な瞳で、問い掛ける。
    「君自身の意思かい? オーナーの意見は関係ない。君には心があるんだから。彼が何と言おうと、断ってもいいんだよ」
    「はい。私の意思です」
     晶はしっかりと頷いて、迷い無く言った。
    「そうか」
     晶の答えを聞いて、ラスティカは優しく微笑んだ。クロエも、どことなく満足そうな顔をしている。カインはまだ納得いかないようだが、これ以上異論を挟むつもりは無いらしい。
    『決まりだな。それじゃあ……』
     弾んだ声で、ブラッドリーが言う。
    「ちょっと待ってもらえるかな」
     ラスティカが、続く言葉を遮った。クロエとカインは、目を丸くして彼を見つめる。彼が人間──それもブラッドリーのような乱雑な人間に対して、強気な物言いをするのは珍しい、というかまず無いことだ。
    『ったく。今度はなんだってんだよ』
     いよいよ不機嫌を隠すつもりのないブラッドリーの声に、彼は少しだけ怯んだように口を閉じる。まぁまぁ落ち着けって。と、彼を宥めるネロの声がスピーカー越しに聞こえた。ラスティカはひとつ、大きく呼吸をして、言葉を続ける。
    「作戦会議に移る前に、ブラッドリーに話したいことがあるんだ」
     おずおずと、クロエが声を上げる。
    「ラスティカが? 俺、伝言しようか?」
     ラスティカはゆるりと首を横に振って、ちらりと晶たちの方を見る。
    「出来れば、他の子達には聞かせたくない」
    『……分かった。聞いてやるよ』
    「うん。ありがとう」
     カインから通信機を受け取って、ラスティカは奥の部屋へと消えた。
    「何なんだろうね、俺達に秘密の話って」
    「さぁ……」
     残された三人は、ただ戸惑いの表情で、顔を見合わせた。


     迎えに来たブラッドリーとネロ、そして昨日から護衛を任されていたカインと共に、晶は車へと乗り込んだ。ラスティカとクロエは不安げな顔をしながら送り出してくれた。後部座席から振り返って控え目に手を振ると、クロエが大きく振り返してくれる。やがて車は角を曲がって、彼らが見えなくなる。晶が前へと向き直ると、隣に座っていたネロが手を伸ばし、シートベルトをカチリと嵌める。
    「……なぁ」
     運転席のカインが、隣に座るブラッドリーに視線を遣って、口を開いた。
    「良かったのか? パトカー使っちまって」
     彼の身体の正面で、誰にも触れられていないハンドルが、ひとりでに進路を向いた。
    「なんか問題あんのか?」
     ブラッドリーは問い掛けを返す。
    「いや、だってさ……。職務外だろ? これ。怒られるんじゃないか?」
     恐る恐るといった様子で続けるが、対するブラッドリーはその問いを笑い飛ばした。
    「怒られるもんかよ。どうせ、許可出すのも咎めんのも俺の仕事だ」
    「けど、規定では……」
    「しつけぇな。俺様がいいっつったらいいんだよ」
     晶はチラリと、ネロの表情を窺う。眉間に皺を寄せていた彼は、晶の視線に気付くと、眉尻を下げたまま力無く笑って、肩を竦めた。
    「まぁ、あいつらのことはほっといていいよ。目的地に着くまではゆっくりしてな。ひょっとして緊張してる?」
     彼の視線を追って、晶は自分が膝の上で両手を握り締めていることに気付いた。意識して力を緩める。
    「よく、分かりません」
     正直に答えると、ネロはそっか、と言って瞳を細めた。
    「大丈夫だよ。お前のことは俺が守る」
    「俺たち、だろ。ひとりでカッコつけてんじゃねぇぞ」
    「……うるせぇ」
     振り返ったブラッドリーの言葉に、ネロは頬を赤くして目を逸らした。
    「それで? 目的地はどこなんだ?」
     ふと思い出したように、カインが口を挟む。運転席に座っているにも関わらず、行き先を聞かされていないらしい。自動運転が一般的になった現代、人間がいちいち道を示してやる必要はない。最初に番地を設定すれば、何もしなくても辿り着くのだから。「ドライブ」という行為は、すっかり好き者の娯楽と成り変わった。
    「警察署だ」
     ブラッドリーは彼の問いに短く答える。カインは笑みを浮かべて、頷いた。
    「うん。そこなら安全だな」
    「……だといいけどな」
    「どういうことだ?」
     意味深な呟きにカインは眉を潜める。が、ブラッドリーはさぁな、と言ったきり黙ってしまった。助けを求めるようにネロを見遣るが、彼もまた難しい顔で虚空を見つめている。カインは肩を竦めて、前に向き直る。暫くして、フロントガラスの向こう側に、小さく目的の建物が見えてきた。


     警察署へ辿り着いた彼らが向かったのは、意外にもいつものオフィスだった。応接室でも使うのだと思ったいたカインは疑問をそのまま口にするが、ブラッドリーから呆れた視線を向けられてしまった。
    「昨日の騒ぎの後始末に加えて、通常業務が昨日のも合わせて二日分。んなとこで油売ってる暇があんのか?」
     そう言われれば、いち巡査部長であるカインが反論できるはずもない。彼らは晶と連れ立ったままオフィスに入る。突然現れた少女──晶に、他の署員から激しい追求が飛んだのも当然のことだろう。

     警察署にやって来てから2時間ほど。その間、晶はブラッドリーの席の隣にパイプ椅子を並べ、ちょこんと腰かけていた。ちらちらと向けられる視線はロクな説明をもらえなかった署員たちからのもので、彼らに対してされた説明といえば「しばらく預かることになったからここに置く。構うな」とそれだけである。
     気を利かせた署員が淹れてくれたコーヒーに口をつけていた晶は、聞こえてきた溜め息に隣へと目を向ける。
    「おい。ネロ、カイン」
     呼ばれた二人は肩を震わせ、声の主──ブラッドリーの方を向いた。
    「便所ならさっさと行ってこい」
    「「は?」」
     二人の声が重なる。
    「そうじゃねぇならちったぁ落ち着けや。さっきからソワソワソワソワしやがって」
     彼がそう言うと、思い当たる節があったのだろう、二人は決まり悪げに目を逸らした。そんな彼らを見て、ブラッドリーは肩を竦めるとディスプレイへと視線を戻す。
    「あのー……」
     恐る恐る、といった様子で、ひとりの署員が口を開いた。
    「本当に、どうしたんです? 昨日は爆発の後どこか消えちゃうし、今日は突然女の子連れてくるし……」
     問われたブラッドリーはちらりと晶へ視線をやり、考え込むように目を伏せる。対する男はただ黙って、彼の口から語られる言葉を待っている。
    「色々あったんだよ」
    「色々って……」
    「色々あって、こいつを保護した。悪者に狙われてるみてぇだから護衛兼ねてな」
     そう続けると、目の前の署員の纏う空気がピリリと張り詰める。ここに集うのはほとんどが、元来正義感の強い警察官たちだ。少女が狙われている、となれば、彼らの思うことはひとつ。
    「そういうのは早く言ってくださいよ、ボス」
     詰め寄る彼の肩越しに、真剣な顔で頷いている署員たちが見える。
    「言ったら仕事二の次になんだろ、お前ら」
     ブラッドリーの言うことは間違っていない。実際、何人かは完全に手が止まってしまっていた。
     ブラッドリーは、先程よりも幾分か重くて長い溜め息を吐く。
    「とにかく仕事に戻れ。今出来ることなんて何も……」
     紡ぎかけた言葉を止めると、彼は鋭い視線を窓へと投げる。
    「伏せろ!」
     瞬間、熱風と轟音が部屋全体を揺らした。
     それが収まった後、チカチカと明滅を繰り返す視界で辺りを見回す。未だ立ち込める煙の向こう、窓があった壁が大きく崩れ、日の光が差し込んでいる。まるで影絵のように、煙のスクリーンに人影が映し出される。
    「おいおい、ここ3階だぞ」
     誰かの呟く声がした。
     ブラッドリーは覆い被さっていた晶の無事を確認すると、身体を起こして人影に視線を投げる。煙を掻き分け、影はやがてはっきりとした人の形を取る。
    「ようやく来やがったな」
     そこには、昨日の防犯カメラに映っていた、燃えるような赤毛に長身の男──ミスラが立っていた。
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