″愛しい誰かさんへのプレゼント″2月の中旬。
日本経済の縮図たる某百貨店では、恋人たちが浮き足立つバレンタインデーが賑やかに過ぎてから、早くも来るホワイトデーに備えた飾り付けが行われていた。
そんな色めき立つ声がそこかしこから聞こえる百貨店内の一角にある、比較的落ち着いた雰囲気のカフェの中。
その最奥のボックス席。そこに大量のお洒落な紙袋と共に座する男二人の姿があった。
その内の一人、金髪に眼鏡の男の方、七海。
泡立つカプチーノをゆっくり混ぜながら、いつものローテンションでおもむろに口を開いた。
「日車さん。実は私、困ってる事があるんです。」
″日車さん″と呼ばれたのは、彼の前に座る黒髪の男。珈琲を一口啜り、相手の話に首を傾げた。
「…困ってる事?」
オウム返しに呟いた言葉に、自然と眉根がきゅっと締まる。
日車の前では割かし簡単に崩れる仏頂面の彼は、″困り事″を抱える者にしてはとても優しい目をしていた。愛しい者へ向ける目、とでも言えば良いのだろうか。
そんな幸せを宿したように見える瞳を、一度伏せる七海。
「えぇ。いつもお世話になっているある方にチョコか何かをプレゼントしようと思うのですが…如何せん、どのようなものが良いのか分からず困っているんです。」
温かさを宿したままの視線で、今度は真っ直ぐ目の前の相手を見やる。
「日車さんの知り合いの方…………寛見さんと仰る方でして…優しくて素敵な方なんです。どういうものが喜ばれると思いますか?」
七海の相談内容に日車は、一瞬きょとんとしてしまった。そんな女性が自分の近くにいただろうか、と。
顎に手を当て、目を閉じ思考に集中する。
「(ひろみさんって誰だ?そんな名前の共通の知人近くにいなかった筈だが…。ひろみさん、ひろみさん、ひろみさ………あ、俺か。)」
何度も名前を反芻し、頭の中で手を叩く。
七海が言いたい事は理解った。
答え合わせがてら目を合わせにいくと、温かくも少し気恥しそうな視線を真っ直ぐ此方に向けていたのに気付く。
つまり遠回しに彼はこう聞いてきたのだ。
″貴方に送り物をしたいのだけれど、何であれば嬉しいですか?″と。
あくまで″先輩に相談″の体で直接要望を聞こうという腹らしい。
普段は真面目で大人しい部類に入る男、しかし時折随分と大胆な事をしてくる後輩である。
であれば。
此方も乗っかってやるのが筋というもの。
「………あぁ、あいつか。そうだな、俺の主観で良いなら。」
珈琲で口を濡らしてから、主観を述べる。あくまでいつも通り、淡々と。
「きっとその寛見さんは、君の手作りだったら一番喜ぶんじゃないか?」
″手作り″。その一言で、8つ下の後輩は顔が露骨に歪んだ。飲もうと思っていたであろう、カップをソーサーに置いてしまった。
「…手作り、ですか。」
「おい、聞いておいて心底面倒そうな顔をするな。」
その言葉を聞いて若干強ばった手付きでカップを握る七海は、今度は本当に困った顔になってしまった。
「いえ、面倒、というか…あの人は職業柄そういうのを処分しがちな方だったような気がしたので。」
どうやら作る事が手間、というよりも″既製品以外を食べてくれるか否か″に重きがあったらしい。
一瞬にして暗くなってしまった表情を見て、確かに一時そういう事を彼に言った記憶があるのを思い出した(後に言い方が良くなかったのだな、と反省する)。
「あれは…あいつの警戒心からの対処だな、過去色々あったみたいだから。でも、他ならぬ君からのものであれば受け取るだろ。俺からもちゃんと受け取るように伝えとくよ。」
頼りになる年上の弁明に、瞬く間に曇ってしまった目は晴れるのも早かった。
気遣い上手な年下は喜びが隠し切れぬホッとした表情で礼を述べた。
「…ふふ、ありがとうございます。日車さんがあの人にそう伝えてくれるのであれば、心置き無く作れますね。」
頑張ります、僅かに聞こえた決意表明にどちらともなく口元が弧を描いたのは言うまでもない。
″相談″を受けている内に、双方のカップの中身は綺麗になくなってしまった。
適当に入ったカフェにしては、質の高い珈琲だった。もう一杯だけ飲んでから退席しようと決め、二杯目を注文した。
日車は先程とは異なる豆を焙煎した珈琲を、七海は頼れる年上が飲んでいたものと同様の珈琲にした(他人の珈琲の香りは、どうしてこうも鼻を擽るのか)。
七海の″相談″が終わり一息ついた後、今度は日車が″相談″を持ち掛けた。
「そういえば、俺も七海に聞きたい事があったんだ。」
二杯目の珈琲にミルクの雫を落とす。黒に映える白をマドラーで押し潰しながら、次の言葉を口にする。
「一回り程年の離れた後輩…のような相手がいるんだが、俺もこれを機に日頃の感謝の意を伝えようと思ってな。」
今度は七海の切れ長の目が、大きく見開く。相手の意図について逡巡した後、すぐに苦笑いを浮かべた。
「なるほど、それは良い事ですね。貴方からプレゼントを頂く方はさぞ幸運な相手なのでしょう。」
七海の返事にそうか?、と再度不思議そうに首を傾げつつ日車はそのまま言葉を続ける。
「建人くんというんだがな、自分の考えをしっかり持った誠実な子なんだ。確か…彼は君の知り合いじゃなかったか?」
ニヤニヤとした笑みが抑え切れないといった様子で、口元を隠し相手の質問に肯定を示す七海。
「えぇ、もちろん知ってます。嫌という程。」
そして、意趣返しとばかりに、数分前の彼と同じ事を言い出した。
「………きっと彼も寛見さんと同じで、貴方の手作りのお菓子を所望してますよ。」
「…俺の、手作り?」
驚いた顔で聞き返す日車に、軽く頷いた。
まだ並々とある己の珈琲を覗き込み、七海は独り言のようなアドバイスを零した。
「彼は貴方を尊敬してますから、誠心誠意込めて作って貰ったものならば喜ぶ事間違いなしかと。」
するとうーん、うーん…という唸り声が目の前の年上の喉から聞こえ始める。
その声を茶菓子代わりに、気にすること無く珈琲を啜る年下。
暫く唸った後、日車は″俺の負けだ″と言わんばかりにため息を吐いた。
「……分かった。そういう経験はあまり無いが、自分なりにやってみる。」
「はい、頑張って下さい。彼も楽しみに待ってますから。」
無責任な応援を投げると目の前の男の眉がいつも以上に下がったのに、つい笑みが出てしまった七海であった。
双方の″相談″が解消し、珈琲も飲み終えた。
その後は素早く使用したカップを片付け、会計を済ませてとっととカフェから出た。
そして、やる事が出来てしまった二人は出入口とは真逆の方向へ足を進める。
歩く度にガサガサと音を立て、色取り取りの紙袋が揺れる。揺れる。
店を出てからは上司、部下、先輩、後輩、普段からお世話になっている人……用のチョコが入った紙袋の数々を、近場の有料ロッカーに突っ込みに行く。
ロックが掛かった音を聞き届け、身軽になった身体で次の目的地へ足を向けた。
「仕方ない、これから本屋でも行くか。」
「ご一緒しても?」
「そうしてくれると助かる。普段料理する奴の意見は幾らでも欲しいからな。」
「はは、お菓子作りは別ですよ。」
あくまで世間話のようにあーでもないこーでもない会話を再び重ねて歩く二人。
「寛見さんは、ビターチョコよりも抹茶風味のものが良いですかね?」
「そうだな、ただ甘いよりも渋みがあるものの方が奴も食べやすいと思うよ。和菓子の類は好きだと聞いた事があるから、抹茶なら喜ぶだろうな。」
名前のある″誰かさん″の話に、花が咲く。花が咲く。
「建人くんは…やはり酒に合うようなものが好ましいのか?」
「そう、ですね…もしくは珈琲に合うものでも構わないかと。それ系であれば間違いなく食べますよ、彼は。食いしん坊なので。」
″寛見さん″と″建人くん″の喜ぶ顔を思い浮かべのんびりと今後の予定を立てる。
影が二つ、本屋の中に消えていった。