ソファ棺7 ド誕 あいつがいい。
そう思ったのは、出会ってから少し経ってからだった。
新横浜の地を初めて踏んだあの時。期待に胸を膨らませていた。何か凄いことが起きる。そんな気がしていたから。俺の直感はよく当たるのだ。
その勘は正しかった。冷静になってみればあいつが強かったのか、俺がうっかりしてたのか審議が入るだろうが。とにかく、今まで地に膝をつかされた試しなど無かったのに。きっちりかっちり意識を飛ばされてしまった。
ダンピール相手に負けてしまったのだ。それも戦わずして。ゲームの達人公務員は、後に「無血開城は攻略の基本だよ」とほざいていた。
ショックなどなかった。むしろ喜んだ。この土地には自分を殺せる相手がいると。俺に勝った事実、畏怖心を刺激する言葉選び。あとバナナのふかふかしたケーキもうまかった。殺される相手に望む条件の多くが満たされた。だから兄貴のようになれる日は近いと信じていたのに。
そううまくはいかなかった。ドラルクは隊長として多忙を極めていたし、何より雑魚だった。とにかく貧弱。脆い。最弱の名を欲しいがままにしている。
働き過ぎれば倒れるし、実践だって後方支援だ。本人は「飛び道具と一部の軽い武器は使える」と言っているが、それじゃダメだ。銃やヘロヘロの刀じゃ俺を殺せやしないんだから。
そのうち街を離れようとも考えた。あまりに美味い料理につられて長居してしまったが。自分には必要のないダンピールだったかもしれないと疑った。こんな疑いをかけること自体が、自分にとってショックだった。だって一緒にいることが心地よかったから。ドラルクの隣ではない何処かへ移ろうのは辛かった。
しかし転機は訪れた。いつものようにドラルクの仕事に同行して。いつものようにあいつは後方から指示を出していた。
その日の下等吸血鬼は大量だった。あまりの多さに、吸対のやつらも手を焼いていた。そして一匹。下等吸血鬼を討ち漏らしたらしい。その吸血鬼は逃げ遅れた一般市民の男性に接近。まさに襲おうとしたその時に。
ドラルクが間に割って入った。そしていくらも力が入っていないであろう刀で、なんとか吸血鬼を退けてみせた。あいにく退治には至らなかったが。他のメンバーが助けに入るまでの時間稼ぎには十分だった。
隊長のくせに。バタバタと足をもつれさせながら走って。ギリギリ間に合ったかと思えば銃ではなく刀を手に取った。本人だって「しまった」という顔をしていたし、想定外の出来事に焦っていたのだろう。切り掛かかれば弾かれて尻餅をつき、反撃されれば普通にくらっていた。血液錠剤を服用していれば余裕だったなんて言い訳までして。辛勝。なんとも不細工な勝利だった。
しかしそれが、たまらなくイカしていた。負けるかもしれない、怪我するかもしれないのに。体を動かしていた。上手くは言い表せないが。仕事だから当たり前、とは思わない。危険の中に飛び込むのは簡単じゃないから。俺が知らなかっただけで、あいつはちゃんと強いやつだった。
殺されるならあいつがいい。復活した後に手をとって、その先を共に生きるのもあいつがよかった。それだけ、あの時のドラルクは格好良かった。
□□□
少し昔のことを思い出しながら、銀色のスプーンを目で追っていた。それは少量のシチューをすくい、上品に開けられた口の中に入っていく。ちゃんと食えて偉い。
「美味しくなかった?」
「めっちゃ美味い」
「じゃあお食べよ、まだおかわりもあるよ」
うっかり手を止めてしまっていた。だって相手の食事風景を見るので忙しかったのだ。こいつがカロリー摂取をしていると安心する。
ドラ公は気まずそうにスプーンを置き、かわりにバゲットを手に取った。そうだ、いっぱい食え。
自分も大きめのバゲットを手に取る。それをちぎり、温かいシチューにつけて口の中へ放り込んだ。相手の口元からは視線を外さないまま。
「ねえ、まだ見るの」
「うん。お前が食ってるから」
「人の食事で精神安定をはからないでおくれ」
そして何を緊張しているんだい、と。テーブルの下で足を蹴られた。ふこふこした紫色のスリッパだから痛くない。お揃いの赤いやつは、さっき脱いでソファに置いたままにしてしまった。
「ほっとけよ」
「ほっといて欲しいのは私だが?」
「それはそう」
マナーとしても良くないからやめなさいとたしなめられた。仕方ないじゃないか。お前のちまちました食事シーンは安心するんだ。
俺はドラルクよりうんと歳上だ。しかし寝ている時間が多かったし、実働時間で言えば怪しいものだ。殆ど覚えていないので、こいつより人生経験があるとは断言できない。
だから、こんな時にどうしてやったら良いのかわからない。
(俺だけ緊張してて、ムカつく)
普段と変わらぬ様子でジョンとイチャつくドラルクをちょっとだけ睨みつける。しかし既に二人の世界に入ってしまったらしい。俺のことは全く気にしていなかった。
だけど知っている。今のこいつは悩んでいる。それもどうしようもないことで。
数週間前。ドラルクがちょっとした催眠にかかった。催眠耐性のあるこいつが影響を受けるなんて。相当な力に当てられたのだろう。猫ちゃんみたいな耳と尻尾を生やした恋人と一悶着あったのだ。
その時に少しだけ未来の話をした。そうしている時のあいつは等身大で、少しだけ自信がなさそうだった。自分にはできないことがあると、引け目を感じていたらしい。
具体的にいうと、結婚。子供の話。
俺にはまだ子供を持てる余裕はない。それは数十年後の話だと思っている。だから真剣に考える機会がなかったのだが。どうやらドラ公は違ったらしい。
せっかく強い血を持っているのに、私と居ては直系の子を持てないかもしれないよ?と言われた。当たり前のことだが、ドラルクは産めない。強力なバックがあるため手段を選ばなければチャンスはあるかもしれないけれど。自然にしていては無理だ。それを気にしているようだった。
別に、俺はドラルクが居ればそれでいいのに。そもそも自分の血筋については不明が多い。真祖と呼ばれるものは存在するが。それが凄いことなのかは理解していない。それに兄妹もいるのだ。なにも俺が子を持たなきゃいけないわけじゃなかった。
それでも本人としては由々しき問題のようだった。俺よりも俺の家系で悩んでどうするんだ。真面目だなと思う。
それにどちらかと言うと、ダンピールのこいつの方が寿命は短い。吸血鬼に転化するかどうかは、聞いたことがないのでわからない。だが、現状で言えば「子を作れない、人生や権利を奪われた!」と感じるのはドラルクのはずだが。何故か加害者意識が強いようだ。
催眠が消えてから、ドラルクは少しだけ落ち込んでいた。時間が解決するかと思っていたがそうでもないらしい。寝る前にボーッと呆けている時間が増えた。
「今日のお味はどうかな?」
ジョンに優しく語りかけ、口元を拭いてやっている。普段通りに振る舞う姿が少しだけ悲しい。そんなに頑張らなくてもいいのに。
「なぁ、今日は?」
「シないよ」
「えっ、シねぇの? じゃなくて、他の予定は?」
「無いよ。今日は家で過ごすんだ。皆は次の出勤日に祝ってくれるってさ」
十一月二十八日。今日はドラルクの誕生日。やけに帰ってくるのが早いと思ったらそういうことだったらしい。ちなみに「なんで教えてくれなかったのだ」と少しだけ喧嘩した。
明日は休みだというし、夜に予定があるものと思っていた。仕事仲間に連れられて飲みに行くか、ドラ公の好きなマイナー映画を観に行くか。あのアットホームな職場のことだ。こういった付き合いは十分あり得る。なんだかんだ慕われているようだし。
「君達がいるからね。帰るって言ったんだ」
一瞬面食らう。誤魔化すように返したが、ああともうんともつかない呻き声になった。恥ずかしくてシチューに目を落とす。こうやって恋人としてリードされるのはとても悔しい。ドラ公からの愛の言葉に、ジョンはニュアンと甘えていた。
「ねえ、今日はゆっくりしようよ」
その声は優しくて。少しだけ諦めたような、腹の奥がモヤッとする響きだった。もしかして、悩んだ先に良くない結論でもつけたのだろうか。これ以上は放っておいてはいけないやつか。
こいつはいつもそうだ。一人で悩んで悪手を取る。最初は融通が効かないだけかと思っていたが。よく見ればただ不器用なだけだとわかった。
人付き合いや細々したことを平気でこなすから気がつかなかったのだ。ドラルクは悩み方がとても下手だ。人に相談すれば案外簡単なことなのに。
思わず眉間に皺がよる。残りのバゲットを一口で飲み込んで相手の方を見た。
「なぁ、やっぱり今日エッチしよう」
「君の情操教育死んでる?」
「いや俺も唐突すぎるかなとは思ったけれども」
ドラ公は嫌そうな顔を作った。だが耳の先が少しだけ赤い。ストレートに誘うと、こうして照れてしまう。おじさんのくせに可愛いもんだ。少しは気分が紛れただろうか。
「なんなんだい……シないよ。まさかプレゼントのつもりじゃないよね?」
「部分的にそう、わからない」
「下品なアキネーターやめなさい」
ドラルクはもすもすとバゲットとシチューを頬張りながら怒っている。そんなに急いで食べるとむせるぞ。自分の嚥下能力を過信するんじゃない。しかしこれは吝かではないみたいだ。後でもう一度強請ってみようか。
ここでジョンさんは生温かい目をしながら、そっと離れてくれた。ありがとう。
「ほら食べ終わったかい。おかわりはどうする?」
話題を変えたいようだ。ドラ公は席を立って、こちらの空になった食器に手を伸ばしてきた。その手が食器に触れる前に、掴んで制止する。あまり温かくない。吸血鬼みたいだ。滑らかな肌に、一瞬だけ抱き合っている時を思い出してしまった。
「誕生日おめでとう」
「だから情緒とタイミング」
「それはごめん。でも愛してるぞ」
「……」
細い指がひくりと跳ね、やることを無くした手首は緊張している。まるで悪戯がバレた子供みたいに落ち着かない様子だった。
小さな瞳は不安げにこちらを見ていた。なんでそんなこと言うの、と訴えている。
「だからさ、来年も、その次も一緒に祝おうな」
掴んだ手をひっぱり、顔を近づけさせる。鼻先同士を擦り付けて囁く。心配しないでほしいと。
「別に、してない」
「嘘つけ」
「うるさいなあ。もう下げちゃうからね」
ドラルクはふてくされた声を出し、俺の手を振り払った。大人しく離してやるとフンと鼻
を鳴らされる。こいつもプライドが高い。多分今は「リードされるのは嫌だ」とか考えているのだろう。攻守交替だ。
「今はこれだけでいいだろ、難しいことは置いておこうぜ」
「また無責任な。というか、君を大切に思うからこそ考えすぎるんだよ。この悩みは私だけのもの。もう暫く抱えさせておくれ」
「エッチは?」
「聞けよ」
今大事な話の流れだっただろうがと怒り出す。俺はそういう顔の方が好きなんだ。ありのままのお前って感じがする。強がったり、無理に大人ぶらなくていい。
座ったままドラルクの腰に両腕を回し、抱きしめた。薄い腹に額を擦り付ける。
「誕生日おめでとう」
「もう聞いたよ」
「うん、おめでとう」
「……ケーキあるから、皆で食べようか」
頭頂部を撫でられる。薄いが、きちんと重くて男らしい手だ。ものを撫でることに慣れた優しい手。慈しむようなそれに甘える。絶対に離してやるもんか、俺はこいつがいいんだ。
ケーキはまだ冷蔵庫にあるはずなのに、感じる香りは甘かった。