悪者に連れ去られる賢者 中央の国にあるデスペルターという街でちょっとしたお祭りが開催されるとカインから聞いたのは三日前のこと。普段はお店を構えている人達がこの日ばかりは店を閉め、こぞって中央の大きな広場に出店するらしい。店側としては宣伝にもなるし、客側としては一か所に美味しい食べ物が集結するため、一石二鳥のお祭りだ。ちなみに一般客は即興で歌を唄ったり踊ったり劇をやっているそうで。
『どこに居てもいい匂いと笑い声と軽快な音楽が聞こえてくる楽しい祭りだ!』とカインは談話室で少し自慢げに話してくれた。
「それは楽しそうですね!」
「晶さえよかったら一緒に行くか?」
「ぜひ! ミスラも良かったら行きませんか?」
隣に座ってブロックハムを食べているミスラに声をかけると、頬袋をいっぱいに膨らませながら「いやでふ」と断った。
「そう……ですか」
きっと楽しいのに。晶は出かかった言葉をグッと飲み込んだ。食い下がるのも良くないけれど、一緒に行きたいという気持ちは簡単には消えてくれなくて、思わず沈んだ声をだしてしまう。
すると、目の前に居たカインが顎に手をあて、次には大きな手をぱちんっ! 合わせ叩いた。
「そうだミスラ! その祭りには色んな店が集まってくるから、もしかしたら眠りやすい食いものとかあるかもしれないぞ」
人好きに言い笑顔を浮かべて言ったカインはミスラと視線を合わせた。
「……そうなんですか? それなら、まあ」
指についた油を舌で舐めとりながらミスラはカインに答えた。
「ほ、ほんとですか!」
晶が目を見開いてミスラに視線を向けた。
「うるさ。なんですか、急に」
「あ、つい。すみません嬉しくて」
「はあ。よく分からないひとですね」
晶の喉から空笑いが漏れ出す。
するとカインが「あんたらほんと仲がいいな。夜も一緒に寝てるからか?」
と頬杖をついたカインがとんでもない事を言う。中央の人は包み隠さず色々な事を言うものだから晶は気が気ではないのだ。
聞かれたミスラは「一緒に寝ると仲良くなるものなんですか?」と聞き返していた。
「ちょ、そんな誤解を生みそうなこと言わないでください……!」
魔法舎に居る人ならば事情は知っているため驚かれることはないが、見ず知らずの人が聞けば〝そういう〟関係だと思われてしまう。今は談話室で、誤解を生む人はいないが、分かっていてもつい体温が上がってしまうものだ。晶は慌てて注意を促した。
「なぜ?」
心底意味が分からない、という目をしてミスラは晶を見遣った。
それを聞くか。と頭を抱えたくなる衝動に駆り立てられたが、助け船を出したのはカインだった。
「まあまあ、晶も困ってるからこの話はここまでにして。ほら俺の食べるか?」
自分のガレッドを差し出したカインに遠慮することなくミスラは長い腕を伸ばし食べ物を頬張る。すっかり食べ物に気を逸らしたカインの助け舟は大成功だ。晶は目線でカインにお礼を言うと、気にするな! とばかりにニコリとはにかんだ。
こうして三日後、三人でお祭りに行こうという話になったのだが、当日になって急な任務が入ってしまいカインを抜いた二人での参加となってしまった。
◇
「なんだか物々しい雰囲気ですね……?」
「そうですか? 俺のせいじゃないですかね」
ターキーを両手に持ったミスラは、それらを頬張りながら視線を人々に向けた。
カインから聞いていた楽しい祭りには相応しくない騎士が辺りを警戒しながら歩いていた。まだこの場所に来てから十分程度だが、これで五人目だ。祭りに来ていた一般客も薄々感じ取っているのか表情が強張っていた。
「そんなことより喉が渇きました。あなたのそれ、ください」
それ、と目で訴えたのは先ほど晶の手の中にあるノンアルコールのサングリアだ。先ほど買ったばかりのため、少し蒸し暑い気温のなかでも冷たい温度を保っていた。まん丸としたコップから伸びるストローが僅かに湿っている。
両手が塞がっている彼のために晶は「どうぞ」と差し出そうとして。途中で止めた。
「? いただきます」
ミスラは不審がる目線を晶に投げつつも少し背を丸めて中途半端な高さで止まったそれに口をつける。
ぐっとミスラと晶の顔が近くなる。晶はぶわっと顔に熱が集まるのを嫌でも感じ取った。決して暑さからくるものではないそれをかき消したい衝動に襲われるが、目の前で今にもストローを咥えようとするミスラの邪魔をしてはいけない。
(私は石像。今は石。無心無心……)
動揺したとはいえ顔の前で手を止めた己を激しく悔いた晶は、心の中でぶつぶつと様々なことを考えた。このままいけば念仏でも唱えそうな勢いだ。最もいま死に近い人物は紛れもなく晶自身なのだが。
なにせ顔のイイ男が至近距離にいて、なおかつ今から間接キスをするところなのだから、晶の心臓は暴れ馬のように激しく音を鳴らした。
だが、世の中というのはそう上手くはいかないもので、早く過ぎてほしいことほど遅く感じるものだ。
ミスラはあろうことかパっと口を開いた状態で綺麗な瞳を晶に向けた。
「なに変な顔しているんですか」
飲むために開いた口はきゅっと結んで、僅かに横に伸ばした口角。それに伴って瞳も細められて晶はいよいよ念仏を唱えだした。願わくば死んでしまう前に離れて欲しいと、いるかもわからない神様に願った。
「噛み応えがあって美味しいですね」
「そ、れは、良かったです」
飲み物に噛み応え? という疑問は出ることもなく、晶はそっと離れたミスラを見て息をゆるりと吐き出した。
いくら添い寝をしている関係とはいえ急な接近は心臓に悪いものがあるな。と晶はぼんやりと思った。
「お。あんた賢者様か?」
そんな時だ。すぐ横から晶のもう一つの名前を呼ぶ声がしたのは。
反射的に視線を向ければ頭にタオルを巻いた中年男性がニっと太陽にも負けない眩しい笑顔を向けていた。
「こんにちは、賢者の真木晶です」
「えらい別嬪さんがいると思ったらやっぱり賢者様だったか! よかったらウチの食いモン味見していかねえか?」
息をするように人を褒めるこの感じは非常に既視感がある。晶は脳内に浮かんだ赤茶の騎士の姿を思い出して苦笑いを浮かべた。中央の人々は人見知りを滅多にしないため、初対面でも距離感が可笑しい時が多々ある。
差し出された紙皿の上には小さなケーキが乗っていた。お礼を言いながら受け取ろうとしたとき、横から大きな腕がそれを攫っていった。
「いただきます」
ターキーを食べ終えたのか、ミスラは両手が空いた状態になっていて晶が止める間もなくあっという間に食べ終えた。
「はは、まだあるから。ほら賢者様」
落ち込んだ表情をした晶を気遣って店主はもう一つ味見用のお皿を取り出してくれた。
「ありがとうございます……!」
二人の食べる様を見ながら、店主は気のいい笑みを潜めて「なあ」と声をかけた。
「あんたらここ最近の事件を知ってて来てくれたのか?」
「事件?」
小さなケーキを大事に食べながら晶は思わず復唱した。
「あ……いやなんでもないんだ」
「よかったら教えてもらえませんか? 力になれる事があるなら協力させてください」
コクっと飲み込んで晶は真剣な眼差しを店主に向けた。
人間と魔法使い。お互いがお互いに支えあい信頼しあえる関係を構築している最中だ。どんなことでも協力できることならしてあげたいし、困っているなら手を差し伸ばしたい。
幸いここには世界で二番目に強い魔法使いがいるのだから、大抵のことは解決できるはずだ。
――ミスラが協力すればの話だが。
「実はここ数日若い女性は子供が行方不明になる事件が多発してるんだ」
このデスペルターという街は大きな事件は特にない至って平和な街だった。そんな所で人々を不安に駆り立てる事件が起きたのはつい二日前のこと。
雑貨屋の一人娘が突如として姿を消したことから始まった。
その娘は十歳という若さだが反抗期になっているわけでもなく、特別素行が悪いわけでもない。むしろ親のお店の手伝いや家事を積極的に行う手本のようないい子だった。
そんな娘が『遊びにいってくる』と出かけたきり家に帰ってこなくなった。両親はすぐに街に駐在する騎士に助けを求めたが一向に手掛かり掴めずにいた。そして時間を空けずに次は成人女性が姿を消した。
そうして次々と女性ばかりが狙われ続け、一日経つ頃には合計九人もの人間が忽然と姿を消した。
そんな中で祭りを開くのは如何なものかと物議が交わされたが『祭りを止めたらこの街を消し去る』と主催者の元に脅迫文ともとれる書状が届いたことから開催に踏み切った。
「ミスラ。これってもしかして魔法使いの仕業じゃ……」
「はい? なんですか」
「……」
「……」
「聞いてなかったんですね……」
「はい、全く。長いな、とは思ってましたけど」
どこから手に入れたのか金の花を咥えながら眠そうに言ったミスラ。晶は店主に謝罪をいれた。
「いやいや、いいんですよ。今全力で騎士さん達が探してくれて、こうして巡回もしてもらってるんで。こんな事言った後でなんだが今日は楽しんでいってくれ。湿っぽい話を聞かせちまって悪かったな」
無理に笑顔を作っているのは晶の目からしても明らかだった。
そんな顔をされて『じゃあ』と言えるわけもなく、晶は隣にいるミスラに協力を求めた。
「ミスラ、今この街で行方不明者が沢山出ているんです。ミスラの力を貸してくれませんか?」
「はあ、嫌ですけど」
「……ですよね」
なんとなく分かっていた答えだったが、実際に聞くと肩を落とすものがある。
北の魔法使いは実力は確かだが協調性に欠ける。魔法舎に来た依頼でさえ蹴る時だってあるのだ。こんな急なこと受けてもらえるとは思ってはいなかった。が、ミスラに協力を仰げないとなると他の魔法使いを呼ばなければならなくなる。
魔法使いの仕業かもしれない事件に賢者とはいえただの人間である晶一人でなんとかなるとは思っていない。
「てなると、スノウかホワイトか。フィガロもついてきてくれる、かな」
頭の中で魔法舎にいる魔法使いの面々を思い浮かべる。どんな事が起こるか分からない。どんな状況に陥っても対応できる経験豊富な魔法使いがいい。
「なんの話です?」
「ミスラの代わりに一緒に行ってくれる魔法使いを、と思って」
「はあ?」
眉を顰めたミスラは片手で晶の頬を挟んだ。色んなものを手掴みで食べたせいで、べとっとした感触と香ばしい香りが晶の鼻をくすぐった。
「俺を頼ればいいじゃないですか」
理不尽な怒りを受けた晶は「お、おねがいしまふ」と若干喋りづらそうに口を動かした。
「はい、お願いされてやりますよ」
ようやく解放された頬を撫でながら店主に「ミスラが協力してくれることになったので、この件ぜひ手伝わせてください」と言った。
「おお、ありがとな! ミスラっていうとあの北のミスラだよな?」
「はい。あの北のミスラです。怖いですか」
「いんや全然! 人攫いのがよっぽど怖いな!」
「この人殺していいですか?」
聞きながら魔道具を出すミスラに晶は血の気が引いた。
「だめだめだめ! あのもう行きますね」
恐らく店主は『怖い』と言えば気を悪くすると思っての言葉だったのだろうが、北の魔法使いにとって『怖くない』というのは悪手だ。彼らは畏怖の対象となることを自ら望んでいるのだから。
慌ててミスラの腕を掴んでその場から離れれば、後ろから「頼んだよ!」と張り上げた声が届く。歩く足はそのままに振り向いて会釈をした。
◇
「だめですよ、あんまりすぐに魔道具を取り出したら」
「北でそんな悠長な事していたらすぐに死にますよ」
「それはそうかもしれませんが、ここは中央の国で相手は人間です。もうすこし話を聞いてからでも遅くはないとおもうんですが」
「はあ」
聞いているのかいないのか。ミスラは晶に引っ張られるがままに歩を進めていた。
「で、賢者様。俺はなにをすればいいんですか?」
「えーと、この辺りに魔法使いの気配はありますか?」
「弱いのがゴロゴロいますね」
困ったな。と晶は口には出さずに、けれど強く思った。いないと言われれば困るが、いすぎてしまうのもどうしたものかと。
どうしたものかと頭を悩ませていると、ミスラがとんでもない事を言い出した。
「もう帰っていいですか?」
「っえ!?」
首の後ろを掻きながら気だるげに言い放った彼は今にも魔法を使って魔法舎に帰りそうな雰囲気だ。
「なんだか眠たくなってきたので、今なら眠れるかもしれません」
なんてタイミングでなるんだ、と思うが晶は自分の手がミスラの腕を掴んでいることに気づいて、これか! と思った。
賢者の力を使っても眠れない日もあるため、ミスラが眠れそうなのは大変喜ばしいことなのだが。如何せんタイミングが悪すぎる。
今から人攫いの人物を捕まえようという時にこられても、簡単にうなずけない。
「本当に申し訳ないんですけれど、あともう少し待ってはくれませんか……?」
「嫌です。せっかくきた眠気なんですから一秒だって待てません」
「うう、そういわず。困っている人がいるんです」
「俺だって困っているんですけど」
もう晶はどうしていいか分からなかった。
行方不明者だって助けたいが、何日も眠れていないミスラだって助けたい。どちらを優先することを決められない。人間と魔法使い。両方を大切にしたいと思っている真木晶にとっては、人間〝か〟魔法使いどちらかを選ぶのは難しすぎるものだった。
思わず無言になった晶をみて、ミスラは深い溜息をついた。
「なんなんですかあなた。いつもは俺が眠いといえば嬉しそうにするじゃないですか。それなのに……。もういいです」
掴まれていた手を簡単に振りほどいたミスラは瞬きほどの時間を使い、空間移動の扉を創りあげた。
「まっ――」
晶の呼び止めも空しく、ミスラは振り返ることなく扉の向こうへと姿を消した。
行き場を無くした腕を降ろして、晶は嫌われたかもしれない恐怖に襲われていた。
(ミスラに嫌われるのはいや、だなあ)
なんだかこみ上げてくるものを必死に抑え込む。落ち込んでいたって始まらない。晶は後できっちり謝ろうと思いパッと前を見た瞬間。呆気にとられる。
「な、にこれ」
今まであったお店も、人も。忽然と姿を消してしまっている。ほんの数秒のことなのにこんな芸当が出来るのは……。
「ほんとうに合ってんのか?」
「間違いない。ミスラが〝賢者〟と言っていたからな」
後ろから聞こえた声に振り返れば、そこには見知らぬ男たちがいた。二人や三人ではなくざっと見ただけで二十人はいる。
「あなた達は……」
そう言えば、一人の男が一歩前に出た。
「どうも初めまして賢者サマ。いきなりで申し訳ないのですが俺たちの復讐の為、あなたを利用させてもらいますよ」
言葉の節々に確かな殺気を込めながら言われた言葉たちは嫌なくらい晶の背筋を凍らせた。
「あなた達が人攫いの犯人ですか」
「ええ、その通り。ほら上を見てみてください」
見上げればさっきまで快晴だった空は跡形もなく、どんよりと重い雲が覆っている。その空の中、ひっそりと、けれど確かに大きな物体が宙に浮いているのが見て取れた。
晶が目を細めてじっとみていればやがてその輪郭が見えだす。
「あれは――鳥かご?」
「またまた正解です。さてその中にはなにが入っているでしょうか」
「中? ――あ」
ラスティカの魔道具である鳥かごより何十倍も大きなその中には人らしき影が見て取れる。ひとり、ふたり、さんにん――……。
「もしかして攫われた人たち?」
「ずいぶんと聡明な人ですね。じゃあ問題。俺たちが何故あなたを攫ったか分かります?」
「……賢者だから?」
物珍しさから晶の事を見るひとは意外に多い。また、オズやミスラといった一国など簡単に潰せる巨大な戦力を意のままに操れると勘違いした人にも狙われたりと、何かと晶の身には様々な危険が迫る。
つまり〝賢者〟という理由で充分に攫う理由にはなりえるのだ。
だがこの男は「半分正解」と言った。
「言ったでしょう、復讐に使うと。俺たちはみーんなミスラやオズ、北の魔法使いに借りがある。あんたにはアイツらを呼び出して目の前で死んでもらいんです。こうして人を攫い続ければ魔法使いの仕業だとしったあんた達がやってくるんじゃないかと思ったんだが。案外早くて助かった」
興奮しているのか取り繕った敬語はボロボロと崩れていた。ミスラ達に何をされたのかは分からないが男たちは喜びと興奮で体を震わせている。
「……私はここから逃げません。なのであの人たちを解放してください。関係ないですよね」
至って冷静に、淡々と晶は提案した。もちろん逃げないなんていうのは大嘘だ。この男たちは先ほどハッキリと『晶を殺す』と言った。ここに居たって命はないのならば、最後まで足掻くつもりだ。だが、それをするには些か上にいる人達が心配だ。ここで反抗的な態度を取ればきっと鳥かごに囚われている人たちもただでは済まない。
暫く思案した男は仲間にアイコンタクトを取った瞬間、上空から鳥かごが消えた。
「いいだろう。賢者サマの提案飲んであげますよ」
「街に戻したんですか?」
「ええ。ところでさっきから辺りを見ていますが、ココに出口があるとでも?」
「どういうことですか……?」
晶は話しながら人っ子一人居なくなった街をみていた。それは街から魔法舎までの道のりを思い描いていただけで、出口を探すなんてどこかに閉じ込められているでもないのに。なぜそんな言葉が出てくるのか晶は甚だ疑問だった。
「ああ。言ってなかったな。ここは魔道具によって生み出された空間だ。元々空間移動が出来る貴重な代物だったんだが厄災の影響かその力を増幅させてくれたんだ。デスペルターっぽく見えているのは俺たちの魔法のせいだ。本当はあの街の遥か上空に俺たちはいる。魔法だって隠してあるし誰にも気づかれない。もしここから出れたとしてもその先にたどり着くのは遠い地面に激突して死ぬって未来だけ」
まあ落下死されても困るから、と呪文を唱えた男は手のひらを晶に向けた。
「いっ……!」
嫌な予感がして咄嗟に体をずらしたのが功を奏した。晶の右肩をザックリと何かが切りつけた。
「あれ外した」
「おいなにしてんだよ」
仲間の咎めるような声で男は肩を竦めたが、晶は正直それどころではない。避けていなければ恐らく片腕が消えていた。その事実にどうしたって逃げようとしていた足が震える。
「大丈夫。痛みで死なないようにはしてあげますから。ただ余計なことしないように両手足切り落とすだけですよ」
それに――と続けた男はニヒルにわらう。
「多少痛みつけておいたほうが魔法使い達に精神的ダメージを与えられるかもしれないだろ?」
もう一度とばかりに男は晶に魔法を放つ。
とてもではないが、晶の足は情けなく震える立つことさえできない。
(もう、だめ――!)
「アルシム」
聞き慣れた言葉がすぐ側で響く。
ぐっと腰を引き寄せられれば嗅ぎなれた匂いが晶の鼻を刺激する。
「――こんな所でなに油売ってるんですか、賢者様」
「み――すら? なん、で」
そう尋ねればミスラは僅かに困った顔をした。
「部屋に帰るまでは良かったんですが、着いた途端眠気が飛んでしまったんですよね。あなたがいないと俺は眠れないだったのを思い出しましたよ。早く帰りますよ」
早々に魔道具をしまったミスラは晶を抱えた腕とは反対の腕で上から下に振り下ろした。
パキっとガラスにヒビが入るような音が鳴ったかと思えば、魔道具によって造られていた空間は崩れ、快晴の空の下へと晶たちは姿を現した。頼れるものがミスラのみとなり晶は胸元をきゅっと掴む。
男たちも咄嗟の事だったが箒を使い宙に浮いている。
「ミスラ……! テメェを殺す」
「へえ、俺を? やってみせて下さいよ」
炎、氷、雷、銃弾。様々なものがミスラと晶を襲うがそのどれも二人の皮膚を傷つけるには至らない。驚くべきことにミスラは全ての攻撃を魔道具さえ使わず打ち消していた。
「クソッ! 魔道具も使わねえなんて舐めやがって……!」
「……他に言うことはないんですか?」
「――は?」
「だから、こう……。なんでもいいんで全部言ってくれません? じゃないと魔道具出せないじゃないですか」
そこまできて、晶はハッと気づいた。
「もしかしてさっきの事覚えててくれたんですか?」
街中でミスラにお願いまがいの言葉のこと。確かに『すぐに魔道具をださないで』とは言ったがまさか実際に見れる日がくるとは。
いつもは人の進言なんて滅多に聞かないのに、一体どんな心境の変化があったのか。
「どうして、急に」
「あなたなんだか変な感じだったので。このまま来ないとか言われたら困るなーと思ったので、何処にも行かないように迎えにきました」
やっぱり今日はすごく眠たいな。
なんて欠伸をしながら飛んでくる火の玉を弾き飛ばした。
「くそ、クソ……なんで、こんな!」
子供をあしらうようなミスラの態度に、最初は怒りがあった男たちだが、次第にやる気が削がれてしまい。今では実力の差を感じて悔しさを全面に押し出していた。
「もういいですか?」
フッと現れた禍々しいまでの骸骨をみて、晶はもう少しだけ待って欲しいと告げた。
「さっきの話の続きですが、私は立派なんかじゃありません。ただの人間なので。こんな事をしたあなた達は然るべき罰を受けるべきだとは思います。でも、なにか……なにかあるのなら手助けさせてください。私は人間も魔法使いも両方を大切にしたいと考えているので。
――ミスラ、殺さずに拘束することはできますか?」
「《アルシム》」
二十もの魔法使いは瞬く間に球体の中に閉じ込められた。それは空をふよふよと浮いて晶たちから離れていく。まるで自由に空を飛ぶシャボン玉のようだ。
「あの人達どこにいくんですか?」
「さあ? そのうち双子あたりが回収するんじゃないですかね。こっちに向かっているようですし。そんなことより、もういいですよね?」
鬼気迫る表情で言うミスラだったが、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになった晶は「実は……」と切り出した。
「先にフィガロの所に行ってもいいですか? 肩が結構痛くて……」
ミスラだけでなく北の魔法使いは治癒魔法が苦手だ。その事を知っている晶は、目の前の男ではなくフィガロを頼った。ミスラも治癒魔法だけはさじ加減が分からずウッカリ殺してしまう可能性を捨てきれない。そうなったら本末転倒もいいところだ。
「……はあ。一秒で済ませますよ」
即座に呪文を唱えたミスラは移動魔法の扉を開いた。
フィガロの眼前に出現した扉から晶を出して、「一秒で怪我を治してください。あなたなら出来るでしょう?」
二、三回瞬きをしたフィガロは「せっかちだなあ」と軽く笑った。
無事に治癒を終えた晶をつれミスラは自身の部屋へと戻った。上着を脱ぐこともせずさっそくベットに潜り込んだ。
「はあ、なんだか疲れたな」
「……あの時はすみませんでした。こうしてミスラが眠れるのは本当に嬉しいんです」
眠ってしまったのかと思ったが、暫くして返事が返ってきた。
「なんの話し、ですか」
「……いえ。また起きた時にでも言いますね。今はおやすみなさい」
返事の代わりに穏やかな寝息が聞こえてきた。晶は握っている手に力を入れた。
◇
その後犯人だった男たちはスノウとホワイトの手によって魔法使い専用の檻に投獄された。そして数日後には仕切り直しとばかりにもう一度祭りを開催することになったと聞いて、今度こそカインも含めた三人でお祭りに足を向けた。
「そういえば眠くなる食べ物ってどこにあるんでふか」
ミスラがサングレアを飲みながらカインに尋ねる。
「あー、それはこの祭り会場全部の食べ物さ!」
「どういう事ですか?」
カインは顎に手をあててこう言った。
「ほら腹が膨らむと自然と眠くなるだろ? だからここにある食べものをいっぱい食べれば眠くなるんじゃないかと思ってさ」
ミスラはカインに向けていた眼を逸らして晶をみつめた。
「そうなんですか?」
「え、まあ食べた後は眠たくなりますね」
「ふーん。ならここにある食べもの全部下さい」
ミスラは手近な出店に寄ってそう言った。買い占めはせっかくきた他の人に申し訳ないと断ろうとすれば見知った顔がそこにはあった。
「すみませ……あれ、あの時の!」
「ん? なんだ知り合いか?」
「はい。この間少しお話ししたんです」
例の事件を教えてくれた店主が驚いた表情をみせた。
「なんだ賢者様てっきりミスラが本命かと思ったがそうじゃないのか?」
男女が一緒にいたらすぐそういう関係に結びつけたがる中学生のような事を店主は言った。
「ちち違いますよ! ミスラともカインともそんな関係じゃ……」
「なあミスラ。賢者様とはどういう関係なんだ?」
店先に並んでいたケーキを食べているミスラは口の中にあったものをサングリアで流し込んだ。
「一緒に寝る仲です」
「ちょっと!?」
ミスラの言葉を慌てて否定しようにも店主は完全に誤解しており「へえーふーん。一緒に寝る仲ねぇ。さすが色男なだけあって隅に置けねえな」
「どうも」
埒が明かないとカインに助けを求めようとすれば、彼は横にあるお店の店主となにやら盛り上がっていた。
「ほれ。コレとコレとコレも持っていきな! 事件を解決してくれたお礼と」
内緒話をするように口元に片手を添えて満面の笑みで店主は言った。
「二人の未来を祝って」
店主の誤解は解けることもなく、晶は空笑いを浮かべた。本当に中央の人はとんでもない。