余計なお世話だ。*’… …・“・.……‘…・”・.……•**.,,……“’*・…
ジリリリリリ
けたたましく鐘を鳴らして、目覚まし時計が揺れる。
1日の始まりを告げる合図、その音が嫌いなのは自分だけではないはずだ。
深くため息を付いて、硬いベッドから身を起こす。
――変わり映えしない1日が、今日も、始まる。
「おはようございます。」
事務員たちが聞いているのかわからないが事務的な挨拶を告げる。彼らに声をかけると軽い会釈が返ってきた。目も合わせない事務員もいるが、「礼儀がなっていない」と目くじらを立てることは、社会人としてよろしくないと、フレディは重々承知している。
自分のデスクに腰掛け、パソコンを起動する。
さあ、一日が始まってしまった。
パソコンが立ち上がる前に珈琲を淹れようかと席を外す。
すると、給湯室から囁き声が聞こえた。
「あそこの奥さん……」
「ええ……?結婚したばかりで……」
「そう…ある……」
「…そういえば…ぁ、先生って…」
「不倫の……」
聞き耳を立てる気はサラサラなかったが、職業柄だろうか、何故か耳馴染んだ単語を意識を奪われ、思わず舌打ちをしてしまうところだった。
クルリと踵を返す。給湯室とは真反対、正面玄関まで来て、はたと当初の目的を思い出した。
今朝は自動販売機で間に合わせるしかないようだ。
「はあ……」
外回りを終わらせ、車に戻って荷物を下ろすと、どっと疲れが押し寄せる。
弁護士という仕事柄、他人のプライベートに深く踏み込むことになる。
新人、若手といった青臭い敬称の似合わない年になるフレディだったが、人様の琴線を掻き乱すこの仕事を忌々しく思ったのは今日だけでない。
ヒステリックな女の声は、どうも苦手だった。
キンキンと頭に響いて、妙な頭痛を引き起こす。
こちらが悪いことなど何一つないのに、お前が悪いのだと罵られているようで、苦手だ。
音楽をかけて気分転換をする、なんていう気にもならず、力任せにエンジンをかけた。
「あれは、」
ちょうど信号が赤になる。
なんとなしに、窓に目を向けた。その先に、アイツがいた。
やけに大きな図体は、フレディがぼぉ…っとしていても、目に飛び込んでくるものだ。
悪夢――オルフェウスは、ベンチに座っていて、フレディの車からは、表情まで見ることはできない。待ち合わせでもしているのだろうか、それにしては手荷物もないようだから、散歩でもしているのだろう。
青だった歩行者信号がチカチカ光る。フレディが待つ信号も、もう少しで青になるだろう。
もう一度、と、アイツに目を向けた。
見知った相手だったからだ、特に深い意味はない、なのに。
「……は、」
バッチリ、目が合った。
こちらから声をかけたわけではない。フレディは信号待ちをしていただけで、物の数秒だけ、アイツを観察した。ただそれだけだった。
ブゥーーーッッッッッ
「……!」
けたたましいクラクションの音で我に帰る。
信号は青に変わり、後ろの車から苦情が来たのだ。
「チッ」
口を引き攣らせハンドルを切る。
こうなればアイツに何か文句を言ってやらないと気が済まない。
公演の傍に車を止めてクラクションを鳴らす。
悪夢がこちらを向き…驚いているのだろうか、表情が変わらない奴だから、何を考えているのかは分からない。
「どうした。」
当然のように、悪夢が助手席のドアを開けて乗り込んでくる。
そもそも、偶然街で会ったのだから、少しくらい驚けばいいものを…可愛くないやつだ。
「昼間から散歩とは、学生は随分と暇なようだな。」
「ああ。講義も今日は終わった。」
噛み合わない会話に苛立ち、フレディの眉間の皺がさらに深くなる。
「それなら、今日はもう予定がないわけだ」
「ああ。そうなるな。」
悪夢の言葉は裏表がない。悪夢は、のらりくらりとした言い回しをするかと思えば、妙にストレートな物言いをする奴だが、その言葉が嘘だったことはそうそうない。
つまり、この男が暇だと言ったからには、この男のスケジュールに多少無理をさせても問題ないだろう。
「そうか、なら付き合え。」
「うん?」
暇なんだろ。と、念を押す。
奴は軽く頷いた。
1、2時間ほど、取り止めもなく車を走らせた。
コースもない、寄り道もせず、県道をまっすぐ走り、少し山道に入り、小腹が空いたり尿意を催せばコンビニに寄る。
無計画にもほどがある、目的地のないドライブ。
悪夢を拾った後に、職場には早めに仕事を切り上げると連絡したので、フレディの方も時間に余裕は十分あった。
何を話したのかすら覚えていない。コンビニで買った熱いコーヒーを啜る。
悪夢も助手席でコーヒーを啜っていた。助手席の窓を開けて、行儀悪く腕をブラリと垂らしているが、その姿でさえ様になるのだから羨ましい限りだ。
「家まで送ってやる。カーナビで住所を入力しておいてくれ。」
フレディが悪夢に声をかけると、奴は、はた…と気づいたふうにこちらを向く。
「もう終わりか。」
名残惜しそうな声を上げる悪夢に、思わず「お前は馬鹿か」とこぼしそうになった。
悪夢をストレスの捌け口に利用したのは、自分の方なのだ。
公園で後ろかとクラクションを鳴らされて、悪夢に悪態の一つや二つ付いてやろうと思っていた。ただ、悪夢は、運転手が不機嫌極まりないという顔をしているとわかっているくせに、その面の皮の厚さで堂々と助手席に乗り込んできた。
車を走らせてすぐは、フレディ自身も自分の言葉や声音が刺々しいものだったと重々理解していた。言わなくてもいいこと、言うはずがなかったこと、普段であれば社会人として言葉に乗せるはずがない感情を悪夢にぶつけていた。
なのに、
「なんでお前は……いや、一体お前は何を考えているんだ。」
悪夢は怯えるでもなく、フレディの不機嫌につられるわけでもなく、ただ話を聞き、興味深そうに相槌を打っていた。
他人の愚痴は面白いというが、予定がないと聞いただけで、自分の愚痴を聞かせることによって悪夢の時間を無駄にしたことには変わりない。
「ん?……デート、というのだろう?」
「 ………………………………は?」
たっぷり間をおいて聞き返す。
悪夢の表情を探るが、どうやら真剣に言ってるらしい。
「どこをどうとれば……ああ、いや、何も言うな。」
苛ついていたこちらが馬鹿らしく、どっと肩の力が抜ける。
そうこうしているうちに車は悪夢の自宅に到着した。
「上がっていくか?」
デートの続き……なんて言い出しそうな悪夢に、キッパリと断りを入れる。
「いいか、今日の……今日はデートなんかじゃねえ。だが付き合わせて悪かった。今度飯でも食わせてやる」
「問題ない。……それで、次というのは」
「また連絡する。」
コイツと会話をしているとペースが狂わされる。
早々に会話を切り上げ、帰路につくことにした。
ジリリリリリ
けたたましく鐘を鳴らして、目覚まし時計が揺れる。
1日の始まりを告げる合図、今日はやけに目覚めがいい。
深く伸びをして、息を吐く。窓の外は清々しい快晴だ。
――代わりばえしない1日が、今日も、始まる。
「おはようございます。」
事務員たちから軽い会釈が返る。事務員たち数人から、おはようございます。と挨拶を返ってきた。どうも珍しいえ
自分のデスクに腰掛け、パソコンを起動する。
今日も一日の始まりに、パソコンが立ち上がる前に珈琲を淹れようかと席を立った。
すると、給湯室から囁き声が聞こえる。
話の内容はよくわからなかったが、給湯室にたむろしていた彼女たちは、そそくさと給湯室を出て行った。
マグカップ――そういえば、これは悪夢からのプレゼントだったか、を手に取って、熱いお湯をカップに注ぐ。
フワリとコーヒーの匂いが漂った。
ふぅ…と深く息を吸う。
変わらない一日、変わらない日常、けれど今日は、やけに気分がいい。
コーヒーが美味かった。