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    りりっと

    @RiRitto200328

    @RiRitto200328
    書きなぐった小説とか、ちょっといかがわしい雰囲気の絵とか
    創作メインです

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    りりっと

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    キリシェ殿視点。生命活性の秘術にまつわるお話とか、ミティナちゃんの魔獣討伐前後の彼のお話ですよ(1.1万字くらい)

    ##創作(小説)
    ##なるきし

    番外 きせきのちから それは奇跡と呼べるような力だった。


     ――貴方がまだ赤ん坊だったころ、その力が私を救ってくれたのですよ


     大好きな母からそう教えられたとき、彼は誇らしく思った。
     過去に類を見ないほどの治癒魔法。たとえ死に頻していようとも、尊い命を救い出すことのできる秘術。

     誰もが認めるその力の希少さは、幼い彼にとって自分が特別であることの最たる証左だった。


    「この力で、僕がお父様とお母様をお守りします!」


     己を万能だと信じて疑わなかった少年は、無邪気にもそう言い放った。
     けれど、その力は彼にとって、忌まわしいものへと変わったのだ。
     あの瞬間から。


     ――キリシェ坊ちゃん、残念ですが……いくら貴方の力でも、死人を生き返らせることはできません


     奇跡の力。至高の秘術。
     そんなものは役に立たなかった。一番大切だったものは、あっさりと彼の手からこぼれ落ちてしまった。


    「この、役立たず……! 僕は、今まで何のために……」


     何度も悔やんだ。何度も己を責めた。
     己を万能だと信じて疑わなかった少年は、初めて己の無力さを知った。
     肝心なときに役に立たないのなら、それは奇跡でもなんでもない。どんな初級魔法にすらも劣る児戯でしかない。


    (もう二度と、こんな体たらくは――)


     両親を失ったその日に彼は決意した。今よりももっと、美しく賢く強く、誰にも劣るところのない傑物となるのだと。そのためにどんな努力も苦労も厭わないと。

     しかし。
     忌まわしい奇跡の力は、その後も高みを目指そうとする彼の足を引っ張り続けた。

     さらなる成長を求めて魔導学院に入り、魔法の研鑽に打ち込んでいたときもそうだった。良い意味でも悪い意味でも目立つ彼は、生徒だけでなく教師からも煙たがられていた。


    「実技試験があることを、なぜ僕だけ知らされてなかったんですか!」
    「……キリシェ・ベウゼンか」


     彼の姿を見るなり、初老の教師は面倒臭そうな顔をした。以前であれば一切気にしなかったそういう反応も、不愉快で仕方がなかった。


    「安心しなさい。試験を受けなかったからといって君の成績は下がらない。私の判断で、君の実力なら試験は不要と判断しただけだ」
    「納得できません! 実技試験は今までの研鑽が日の目を浴びる大事な場でしょう! それを個人の裁量で不要だと判断するなんて……何より不公平です!」
    「なにをそんなに怒っているんだ。試験をやろうがやらなかろうが、君がトップなのに変わりはない」


     彼の怒りなど気にも留めない様子の教師に、彼は眉根を寄せた。教師の態度からは、彼の行動を鬱陶しく思っているのが透けて見えてしまったからだ。


    「そんなに僕が魔法を使う姿を見たくありませんか。自分より優秀な魔導士を評価したくないだけでしょう!」


     苛立ちと共に言い放たれた悪態に、さすがの教師も不快そうな顔をする。彼のこうした傲慢な振る舞いは、たびたび人を遠ざけていた。


    「キリシェ・ベウゼン。君には自分以外なにも見えないようだ。どんなに才能に溢れ、努力を重ねようとも、その欠点を補うことなどできないだろう」
    「なにを……!」
    「もっとも、その生命活性の秘術さえあれば、才能も努力も不要だろうがね。実に羨ましい限りだ」
    「……!!」


     彼はそれ以上教師と言葉を交わすことなくその場から立ち去った。
     あまりにも不愉快だった。どうしても許せなかった。
     もはや生命活性の秘術は、彼にとって最も触れられたくない禁忌も同然だったのだ。

     以前も似たようなことを言われたことがあった。奇跡の力を持っているのに、なぜそこまで成績に拘るのかと。そんなに努力せずとも、お前には最高クラスの治癒魔法があるだろう、と。
     奇跡の力などなくても己が有用であることを証明したい。そんな彼の願いを理解してくれる者は、そこには誰もいなかった。


    「こんな力……」


     王国騎士団に入ろうとした際にも、その力は彼を不快にさせてばかりだった。
     黒鉄騎士の隊長に憧れていた彼は、武力を重視するその騎士団に入ることを希望した。そこでなら、周りの見る目のない馬鹿者どもにも否応なく自分の優秀さを分からせてやることができる、そう思っていた。
     そんな彼を、周囲の者は口々に諌めた。


    「黒鉄騎士? 貴方にあんな荒くれ者たちの騎士団なんて似合いませんよ」
    「君のその力は常に王都にあり、王を守る白銀騎士にこそ相応しい」
    「お考え直しなされ。確かにキリシェ殿ほど優秀な御仁であれば、黒鉄騎士でも十分すぎる功績を上げることができるでしょう。ですが――」


     その目を見ただけで分かってしまった。彼らが何を思って、何を見つめながら、彼を引き止めようとしていたのかを。


    「戦う力よりも守る力の方が得難いものです。貴方の生命活性の秘術はその最たるものかと……――」


     言葉が間延びしていって、雑音へと変わる。秘術、その言葉を聞いただけで、彼は耳を塞いでその場から立ち去りたくなった。

     奇跡の力しか見えていない腐った連中に訴えかけても埒があかない。そう思った彼は、縋るように憧れの騎士のもとへと向かった。あの男ならばきっと、自分の優秀さを認め、受け入れてくれるはずなのだと。


    「黒鉄騎士に入りたい?」


     若くして黒鉄騎士の隊長をしているその人物は、思っていた以上に優しく話を聞いてくれた。君は良い騎士になれると、そう言ってくれた。それが嬉しくて、彼は思わず表情が緩みそうになる。
     けれど王の名前を出した途端、穏やかな物腰のその男の表情は変わった。


    「君の気持ちは分かった。でもこればかりは、俺の一存で決められることじゃない」
    「な、なぜだ!」
    「あらゆる命令に従うのが騎士の本分とまでは言わないけど、俺たちは所詮国に仕える兵士でしかないから」


     憐れみの混じった視線が、彼へと向けられる。どう足掻こうと君は王命に従うほかないのだと、そう訴えかけているかのように。


    「俺たちは力を振るう場所を自分で決められない。……ごめんね、君の力にはなれないんだ」


     憧れていた騎士にそう言われたあとの事は、あまり覚えていなかった。
     気がつけば同じように憐れみを滲ませた表情をした王が、優しく彼を諭していた。彼に余計な負担をかけることを謝罪し、彼の優秀さを理解しているからこそ王都に留まってほしいのだと頭を下げてきた。
     そのときにはもう彼は、キリシェは、自分がどうしたいのかも分からなくなっていた。


    「俺を、憐れむな……俺は、俺は…………」


     優秀な騎士になりたかった。誰よりも、何者よりも、強くて美しくて聡明で気品に溢れていて。
     けれどそう思ったのはきっと、認めて欲しかったからだった。自分を受け入れて、愛して欲しかったからだった。


    「どうして誰も、俺を、見てくれないんだ――」


     白銀騎士となった後も、決して表には出さなかったが、キリシェは苦しみ続けた。
     平穏な王都の守護。形式的なものでしかない書類の数々。何一つ変わり映えのない日常。当然彼は手を抜くことなどなく、最も若くして隊長にまでのぼり詰めたが、それでも日々自分が錆びついていくような錯覚を感じた。

     そして。


    「聞いたか? ゼーフェンが、アッシレド地方で暴れ回っていた盗賊団を一人残らず捕まえてきたって」
    「あの人はマジで伝説級だよな。叙事詩に出てくる英雄そのものな強さだぜ」
    「……」


     頻繁に耳に入ってくるかつて憧れていた男ゼーフェンの偉業に、何度も悔しげに歯噛みした。みっともなく嫉妬して、劣等感をむき出しにした。
     白銀騎士の隊長になったところで、ゼーフェンとの差など一ミリも埋まっていなかった。ゼーフェンは最前線に立ち戦功を上げ続けるのに対して、キリシェは王都で大事に飾られていただけだった。


    (俺だって、俺にだってそのくらいできる、俺が戦いに出てさえいれば……)


     そんな負け惜しみを心の中で呟くたびに、忌々しい記憶ばかりが蘇ってくる。


     ――もっとも、その生命活性の秘術さえあれば……
     ――貴方の生命活性の秘術は……
     ――この、役立たず……! 僕は、今まで何のために……


     大事なものを救うことすらできなかった。それどころか、奇跡の力なんてもののせいで誰も自分をまっとうに評価などしてくれなかった。


    「こんな力さえ、なければ」


     きっとこの力がある限り、誰も自分を認めてはくれないのだろう。いつまでも奇跡の力を宿しただけの綺麗な飾り物として扱われ続けるのだろう。
     心の奥底では、そう諦め始めていた。

     そんな鬱屈とした日々を過ごしていた中での、ある日。


    「私は別に騎士の矜持というものにそこまでこだわっていませんが、キリシェ殿のその気高さに関しては同じ騎士として十分尊敬に値すると、そう思いますよ」


     嫌々ながら婚約することになってしまった犬猿の仲の女が、ある日突然そんなことを言った。
     気に入らない毒舌女だったが、どんな相手に対しても決して言葉を飾らない人物だった。だから彼女のその言葉がお世辞でも皮肉でもない、彼女の本心からの賛辞だということがキリシェには分かってしまった。
     その場では何でもないふりをした。けれどその日の夜も、次の日の朝も、昼間の仕事中も、キリシェは彼女の言葉が頭から離れなかった。


    (俺が、美しい……尊敬できる……)


     今まで何度も自分で自分を称賛し続けてきた。もちろん、それは見栄でも虚勢でもなく、紛れもない事実だとは思っている。だが、同じように自分を称賛してくれた人は、両親を除けば彼女が初めてだったのかもしれない。


    (ふっ……あの女もなかなか見る目がある。この俺の内なる美しさに気づくとは)


     何度も彼女の言葉を反芻しながら、思わず彼の整った顔は緩んでしまう。


    (いずれ俺の圧倒的な魅力に気づき、あの女も俺に夢中になることだろう。そんなことになったら、無様なその姿を大笑いしてやる……!)


     上機嫌にそんな悪態をつきながらも、心の奥底ではそうなるのも悪くはないと思った。
     もしも本当に彼女が自分を好いてくれたら、きっとあの飾らない言葉で自分を褒めてくれる。貴方は誰よりも優秀な人だと認めてくれる。ありのままの姿を受け入れてくれる。


    (……あの女との同棲も、嫌なことばかりではないのかもしれないな)


     無自覚に満たされた気持ちになっていた、そんな矢先だった。


    「黒鉄騎士の管轄なら……魔獣の討伐か」
    「ご明察。意外と手がかかりそうなので、しばらく屋敷を空けます、という報告です」


     それは別段珍しい事態でもなかった。魔獣の討伐など、黒鉄騎士からすれば日常そのものだからだ。
     けれど、魔獣討伐に行くというのに妙に緊張感の欠けた彼女の言動から、キリシェはなんとなく嫌な予感を覚えてしまった。ちょうど彼女に対する認識が良い方に変わっていただけに、不覚にも心配なんてものをしてしまう。

     けれどそれを素直に表に出せるはずもなく。


    「ともかく、私がいない間存分に一人暮らしを満喫してください。それでは、おやすみなさい」


     まともな会話はその言葉で終わってしまって、彼女は翌朝には呆気ないほどにさっさと出発してしまった。


    「ふん、ズボラなあの女がいなくなってせいせいする。言われずとも、貴重な一人の時間を有意義に使ってやるとも」


     口ではそう言いながら、彼女のいない生活は静かすぎて少し物足りない気がした。といってもそれを認められるはずもなく、変わらず意地を張ったままキリシェは彼女の帰りを待った。

     一日、また一日と。


    (向こうではまともな食事などとっていないだろう。帰ってきたら、きっと俺のありがたさを痛いほど理解しているはずだ)


     ぼんやりとしながら彼女のことを考え。


    (帰ってきて最初の夕食は何を食わせてやるか……あいつは、何の料理を気に入っていたんだったか)


     過ぎ去っていく時間の中で、彼女が帰ってきたときのことを想像し。


    (……思っていたよりも長いな。過去の魔獣討伐任務はどれくらいの期間だったんだ?)


     いつしか彼女が帰ってくる日を待ち遠しく思うようになっていた。
     そんな日々も過ぎ去ってしまえば一瞬で、出発から二週間近く経った頃に、討伐任務に出ていた黒鉄騎士たちが帰還したという報せが入ってきた。
     そんなことは白銀騎士の間でわざわざ話題にもならないが、最低限の報告だけを受けたキリシェは彼女の顔でも見にいってやろうかと思った。


    (長い任務で疲弊しているだろうしな……心配なわけではなく、その姿を見て弛んでいると叱りに行くためだ。まぁ、ピンピンしていたら、少しくらいは……褒めてやってもいいかもしれないが)


     そう思い仕事を早々に切り上げ彼女を探してみるも、なぜか彼女の姿は王城にはなかった。当然任務後に訓練場にいるはずもなく、珍しくゼーフェンの執務室も空だった。


    (いない……? なんだ、本当に怪我でもしたのか。ふん、慢心しているからだ、まったく)


     怪我をして治療中ならば、ゼーフェンも不在なのも納得がいく。そう考えたキリシェは、騎士団の治療施設に足を運んだ。そして。
     偶然治療室に入っていくゼーフェンの姿を見つけたキリシェは、閉まりかかった扉の隙間から見えた女の姿に、どくりと心臓が嫌な音を立てるの感じた。


    「――」


     見間違いだと思った。けれど嫌な想像が頭の中を埋めていって、事実を確かめずにはいられなくなる。
     動悸を抱えたまま、手汗で手袋が濡れる感触を気持ち悪く思いながらも、キリシェは治療室の扉に手をかけた。


    「至急解毒の準備を進めていますが、今回の毒は過去に例もなく……」
    「……キリシェ?」


     治癒士と会話していたゼーフェンが、突然部屋に入ってきた彼の名前を呼ぶ。けれど、そんなことも気にも留めていられないほど、キリシェはその光景に動揺していた。
     寝台の上にいるのは、彼女だった。苦しそうに呼吸して、けれどそれはあまりにも弱々しかった。


    「なぜ……なぜこいつがここにいる。おい、ゼーフェン!」
    「任務中に怪我をした。そのときに……魔獣の毒を」
    「毒……!?」


     思わず彼女のそばに駆け寄って、キリシェは躊躇うことなく自分の手袋を取り去ると、彼女の手を握った。
     その手は焼けるように熱く、彼の手を握り返す力さえ残っていないようだった。その光景に、冷たくなった両親の手が重なってしまう。


    「治るのか、こいつは、助かるのか?」
    「正直に言えば……難しいかと。この毒の強さでは、毒性が弱まるまで身体が保つかどうか……」


     その言葉に、思わず彼は息を呑んだ。


    「たとえ意識が戻っても、……体力次第では、そのまま」


     今のままでは、死ぬ確率のほうが高いだろう。治癒士は俯きながらそう答えた。
     そうこうしている間にも彼女の呼吸は不規則になって、その表情も酷く辛そうなものへと変わっていく。そんな哀れな姿を見たキリシェは、胸の中で抑えがたい感情が溢れていくのを止められなくなる。


    「ゼーフェン、お前がいながらなぜこんなことに……! なにをしていた、なぜこいつを守ってやれなかったんだ……!」


     感情のままにゼーフェンの胸ぐらを掴めば、彼も悲しげに目を伏せた。そして静かに謝罪を口にする。
     そんな言葉にも苛立ちが止められず、キリシェは拳を振り上げそうになる。だがそこで彼女が苦しげに咳をして、それを聞いたキリシェはすぐにまた彼女の手をとった。


    「とにかく、最善は尽くします。あとは、彼女が毒に耐え切れることを祈りましょう」
    「……キリシェ、辛いのは分かる。でも治療の邪魔をしてはいけないから、外に出よう」


     まるで奇跡を待つしか手段はないと宣う二人に、キリシェは悔しそうに歯噛みした。
     奇跡が人の力で起こせないことなど、よく分かっている。奇跡と呼ばれる力ですら、本当の窮地においては何の役にも立ちはしない。幼い頃に、彼はその無情な現実を味わっていた。

     けれど、ただ祈るだけでいいのか。そう問い掛ければ、彼の答えはたった一つしかなかった。


    「断る!」


     強情にそう言えば、ゼーフェンは困った様子で眉を下げる。そして諭すように、優しい声色で言う。


    「君の生命活性の秘術も、魔獣が保つ毒や呪いを治癒することはできない」


     お前には何もできないはずだと、あまりにも無慈悲に突きつけられたその言葉にキリシェは呻いてしまいそうになる。
     ゼーフェンの言っていることは正しい。そもそも魔法による治癒というものは、魔獣がもたらす毒や呪いなどというものと致命的に相性が悪かった。キリシェの秘術もその例に漏れることはない。


    「今の俺たちにできるのは、ミティナの無事を祈ることだけだよ。だから――」
    「……嫌だ」


     その呟きは、まるでわがままを言う子どものようだった。


    「たとえ生命活性が効かないとしても、俺は――」


     力なくただ握られているだけの彼女の手を、キリシェは強く握る。その手が何で汚れていようと、今は気にならなかった。
     今度こそ、この手からこぼれ落ちてしまわないように、何があってもこの手を離してはいけないと思った。


    「俺がこいつを救ってみせる。絶対に」


     まるで自分に言い聞かせるように、彼ははっきりと思いを言葉にした。
     逃げるな。諦めるな。真に己が優秀ならば、必ず彼女を救い出せるはずだ。そう、何かが叫んでいるような気がした。


    「それに、この俺が治療の邪魔などするか。お前はとっとと消え失せろ!」


     少しだけ声を震わせながらそう言ったキリシェに、ゼーフェンは驚いたように目を丸くする。けれど彼の覚悟を感じ取ったのか、すぐにいつもの優しい笑みを浮かべた。


    「俺の部下を頼んだよ、キリシェ」
    「言われるまでもない!」


     静かに治療室から出ていくゼーフェンを傍目に、キリシェは再び彼女をじっと見つめた。


    「……こんな怪我をして帰ってきて、大馬鹿者が」


     途切れそうになるその呼吸を繋げようとするかのように、彼は握った手から治癒の力を注ぎ込んだ。そして彼女の額に浮かんだ汗を丁寧に拭ってやる。
     治療の邪魔にならないよう注意しながら、キリシェは秘術を使い続けた。一向に良くならない彼女の状態に焦りが募ってしまうも、それでも辛抱強く彼女の目覚めを待ち続けた。


    「今できる治療はこれで全てです。……キリシェさんも、あまり無理をしすぎないように」


     何時間と経ったところで、何かあればすぐに呼んでくれと言い残して、治癒士もまた治療室から去っていく。
     無情にも時間だけが流れるなかで、ずっと秘術を使い続けているキリシェも疲労を感じ始める。今までこんなに力を使ったことなどなく、自分があとどれだけ意識を保っていられるのかも分からなかった。


    (軟弱な……この程度で音を上げるな)


     重くなりそうな目蓋を手で擦って叩き起こし、大きく深呼吸をした彼は再びできる限り彼女の汗を拭った。
     こんなに汗をかいているというのに、高すぎる体温は一向に下がる気配がない。ベッドも服も汗で濡れて、これでは寝心地も最悪だろうと思った。


    「……」


     気づけば時刻はもう深夜で、治療施設内の人の出入りが少なくなったせいか、室内もひどく静かだった。それだけに、彼女の不規則な呼吸音がよりはっきり聞こえてしまう。
     そんな中でただじっとしていれば、自然と気が滅入ってくる。嫌な想像ばかりが思考を埋めて、彼女の手を握る力も次第に弱くなっていく。


    (…………やっぱり、駄目なのか?)


     ゼーフェンの言っていた通り、奇跡の力は死に瀕している彼女に対して何の救いにもなっていない。今も彼女は魔獣の猛毒で苦しみ続けている。


    (こいつも、死んでしまうのか……あのとき、のように)


     脳裏に浮かぶのは、もはや呼吸も心音も止まった両親の亡骸だ。それがまた彼女の姿に重なって、キリシェはぐっと喉が苦しくなるのを感じた。


    「お前は俺を、……見どころのある奴だと、思ったのに……」


     こんなことなら、出発前に意地を張らずに心配だと言えばよかった。怪我には気をつけろ、油断をするなとちゃんと注意しておけばよかった。そんな後悔がとめどなく溢れてくる。
     今はひたすらに彼女の無遠慮な毒舌が恋しくて仕方がなかった。今すぐ彼女が元気になるのなら、どんな悪態をつかれても喜んでしまえそうな気がした。


    「死ぬな……戻ってこい……」


     視界が霞むほどに涙が浮かんできて、それにも構わず祈るようにキリシェは彼女の手を両手で握りしめた。少しでも自分の力が彼女を癒してくれるようにと、神にも縋るような気持ちで。
     そこで、ほんの少しだけ彼女の指先が動いた。


    「!」


     思わず顔を上げれば彼女は焦点の合っていない目でキリシェを見つめていた。それに気づいた彼は数秒ほど固まると、感情のままに口を開いた。


    「っ、馬鹿者! あれだけ余裕をかましておきながら、怪我どころか毒を食らって死にかける奴がいるか! 騎士の風上にも置けん!」
    「……キリシェ、殿」


     彼女が言葉を発したことに思わず感動してしまいそうになるも、今にも死にそうな掠れた声に彼は驚く。そして慌てた様子で水差しへと手を伸ばした。


    「んぐっ、げほっ……」


     咽せたらしい彼女は余計に苦しそうな声を発し、注いだ水を吐き出してしまう。それに彼は動揺して、どうすれば上手く水を飲ませてやれるのかを必死になって考えた。


    (身体を起こすのは、無理だ。水ももう少し温い方が……そうだ、口移し、なら)


     疲労のせいか普段ならば絶対に出てこない発想に、けれどそのときの彼は躊躇しなかった。ただ彼女を助けたい一心で、他人の口に触る嫌悪感など微塵も抱かなかった。


    「口、開けておけ」


     そう言えば大人しく口を開けてくれる彼女に、少しだけ彼は微笑む。汗で濡れた頬をまた拭って、力を注ぎ込むかのように優しく唇を重ねた。
     少しずつ水を注ぎ込んでいけば、彼女の細い喉が鳴る音が聞こえてくる。それにひどく安心して、労うように濡れた髪を撫でた。そうしているうちに、不規則で弱々しかった彼女の呼吸も落ち着きを取り戻していく。


    (もしかしたら、触れている場所が多いほうが治癒が効きやすいのかもしれない……なら、このまま)


     なるべく彼女に触れながら、キリシェは口移して水を飲ませ続けた。あとは少しでも熱が下がるようにと、そう願って。
     けれど彼女の身体は熱いままで、やっと開いた目も閉じかかり、再び意識が遠のいているようだった。


    「くそ、なんで熱が下がらない……いつもいつも、この力は肝心の場面で役に立たん……!」


     また声を震わせて泣きそうになりながらも、諦めるなとキリシェは自分を奮い立たせた。
     自分はまだ最善を尽くせていない。そう思った彼はまず汗で濡れたものをなんとかしようと、丁寧にシーツや枕を取り替えたあと、優しく彼女の服を脱がし始める。
     汗塗れのそれは肌に張り付き、非常時ということで麻痺していた彼も、さすがに嫌悪感で肌がざわついてしまう。けれどそれを理性で無理やりねじ伏せて、構わずそれを剥ぎ取った。

     そこで、彼の視界にあるものが映った。


    「…………この、傷は」


     黒鉄騎士で働いている上に、見た目に気を遣わない女だ。綺麗な身体をしているとは当然キリシェも思っていなかった。
     だがそんな想像すらも生ぬるく思えるほどに、彼女の腹部にあった傷跡は大きかった。きっとこの傷を負ったときも、今と同じくらい彼女は苦しんだだろうと、それが分かってしまうほどに。


    (腹だけじゃない、足にもいくつも傷が残っている……女のくせに、こんなに傷を作って」


     醜いと思った。だがそれに、嫌悪の感情はなかった。


    (こんな細い身体で、戦って、傷ついて)


     こんなに痛ましい傷を負ってきたのに、今も死にかけている現状を思えば、彼女の危機感の足りなさに怒りさえ覚えてしまいそうだった。


     ――破滅するほど生に執着ないわけじゃないんで


     以前彼女が言っていたことを思い出し、よくもあんなことを言えたものだと心の中で呟いた。それと同時にキリシェは腹を決めて、自分も服を脱いだ。


    (世話の焼ける女だ)


     いつの間にか不安や恐怖は消え去って、ただ庇護欲にも似た知らない感情だけが彼の中で渦巻いていた。
     そのとき、初めて人の肌にまともに触った気がした。毒に冒された彼女の華奢な身体はとても熱くて、まるで炎で焼かれているようだった。


    「……、大丈夫だ……お前を死なせたりしない……」


     燃え続ける火を鎮めるように、キリシェは優しく、けれどしっかりと彼女を抱きしめた。そうすれば、彼女を焼き続けている炎が自分へと流れ込んでくるような気がした。


    「お前には、この俺がついているのだから……これから先も」


     横になったせいか、疲れ切った彼の瞼もゆっくりと落ちてしまう。
     けれど彼女を守るように、彼の奇跡の力は彼が意識を失ったあとも、淡く光を放ち続けていた。



     ◆



    「いてっ」
    「……」
    「あ」


     何気ない日常の中。あまりにも一瞬のことながらも、その淡い光を見逃さなかったミティナは後ろに立つキリシェへと視線を向けた。


    「ちょっとキリシェ、指を少し切ったくらいで秘術使わないで」


     料理の勉強中だったミティナは、つい先ほど浅く指を切ってしまった。
     すると過保護なことに、キリシェは一瞬でその指を治してしまった。王国で尊ばれてきた、生命活性の秘術を使って。


    「ちょっと切ったくらいではない。大事な俺の妻に傷がついたのだ、即刻治すに決まっているだろう」
    「過保護すぎる」
    「過保護でもない。当然のことだ」


     強情にそう言い放つキリシェに、彼女は相変わらずだなぁという様子で肩をすくめた。
     そんな素っ気ない彼女の反応にキリシェはむすっと眉根を寄せる。そして甘えるようにそっと彼女を抱き締めた。


    「使い所を選んでいては、この力は錆び付いていくだけだ」
    「まぁ……そうかも?」
    「だから俺が使いたいと思ったらすぐに使う、そう決めた。この力は奇跡などではなく、効果が他より少し良いだけのただの治癒魔法だからな」
    (珍しく謙遜している……)


     内心でそう呟きながらも、なんとなくミティナはナイフを置いて優しく彼の手に触れた。そうすれば、キリシェはさらに深く身体を寄せてくる。


    「ミティナ」
    「なに?」
    「なるべく、俺から離れるな。可能な限り、俺の手の届く場所にいてくれ」


     束縛にも思えるその言葉に、今度は何かを感じ取ったミティナは微笑みながら頷いた。


    「お前の窮地に必ずそばにいられるよう、俺も努力する。……そうだ、出産のときだってずっと側で手を握っているからな!」
    「はいはい。まだ先の話だけど、お側にいてくださいね、旦那さま」


     生命活性の秘術を奇跡だなんだと仰々しく呼ばなくなってから、キリシェは以前ほどこの力を疎ましく思うことはなくなった。
     きっかけはきっと、魔獣の毒に冒されていたミティナを救い出せたときだ。あの日、目が覚めて腕の中のミティナが静かな寝息を立てて寝ているのを見て、感極まって泣いてしまったのをよく覚えている。

     といっても、本当に彼女が一命を取り留められたのが秘術のおかげなのかは、彼にも分からなかった。
     それでも、稀有であるらしい守る力は彼にとって大事なものを守ってくれたのだ。自分をまっすぐに見つめてくれる人、そして今となっては何者よりも愛おしい人を。


    (この力があるから、ミティナを守れる。だからもう――)


     この力を忌む必要などない。そう結論づけて、キリシェは危なっかしい彼女の手からナイフを取り上げた。


    「さて、今日の練習はこれくらいでいいだろう。今晩も、この俺がお前のために絶品の料理を作ってやろう」
    「むー……あっ」


     なかなか自分の料理技術が向上しないことにミティナは難しい顔をするも、そこで何かに気づいたかのようにキリシェを見た。その視線に機嫌良さげな笑みを返せば、懐かしい仏頂面で彼女は言う。


    「大事な妻に傷がついたらすぐ治してくれるなら、この目立つ場所についてるキスマークも治してくれるよね」


     首筋にくっきりと刻まれた服では隠せなさそうな跡を、ミティナは指さした。もちろん、それをつけたのはキリシェである。


    「断る」
    「即答……明日は仕事なんだけど」
    「見せつけてこい。なんなら今晩の分もつけてやる」
    「昨日いっぱいしたでしょ」


     少しだけ頬を膨らませてむくれる彼女が可愛らしくて、キリシェは幸せそうに笑みを浮かべた。今彼女が目の前にいて、こうして他愛のない言葉を交わし、愛を感じられることは、今の彼にとって世界の全てとも言えた。

     思わず想いが溢れて止まらずに、その頬を優しく撫でて口づけを落とした。それだけで満更でもなさそうにミティナは赤くなって彼を睨みつけてくる。



    「……ふふっ」



     それこそが、奇跡の力がもたらしたであろう彼の愛おしい日々、だった。



    きせきのちから 了
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