朝を待ってた(寂乱) 夜明け前の街はぼんやりとした薄い青色に包まれている。ひっくり返ったごみ箱も、路上で眠る酔っ払いも、無言で足を動かすちぐはぐな二人組も、別け隔てなく。
普段の喧しさが嘘のように、乱数は黙りこくったまま寂雷の二歩先を歩いている。丸い後頭部を見下ろしながら、寂雷はその後をついていく。時折後ろ髪がぴょこぴょこと跳ねる様を眺めていると、ようやく乱数がくるりと振り返る。じぃとこちらを見上げる大きな瞳の中に寂雷が映るのが見えた。
「こっち」
あ、と思う間もなく、乱数がぴょこぴょこと駆け出すので寂雷もつられて足を早める。何処かで烏の羽ばたきが聞こえ、歩行者信号がぺかぺかと瞬く。乱数は赤に変わった信号に構うことなく、横断歩道の白い部分だけを飛び石のように渡っていく。信号の色に思わず立ち止まった寂雷は、危ないよと声を掛けようとし、――気が付いた。
「こっちだよ」
東の空が白んでいく。夜明け前の青色がサァと溶け、街が目覚めたように空気が震えた。冷たくも温くもない風が寂雷の背後から吹き抜けていく。反対側の歩道に立つ乱数の前髪が揺れ、小首を傾げ彼が囁いた。
「これはゆめだよ」
「…分かってるよ」
眉間にしわが寄るのを感じながら、寂雷はベッドの上でひとり呻いた。
* * *
煙草の匂いがする。どうやら眠っていたらしい。漂う煙を追うように首を巡らせると、自身の膝に頬杖をついた乱数と目が合った。
「おそよ~」
飴玉をからころと鳴らしながら乱数が笑う。部屋に残る匂いは左馬刻の煙草だろうかとその姿を探すが、部屋には乱数しかいない。一郎も見当たらないので二人で出掛けているのだろうか。
閉じられたカーテンの隙間から陽光が入り込む。乱数は首を軽く左へ傾ける。左馬刻と一郎を探す寂雷の視線に、やや間を置いて返ってきたのは、外だよ、と簡潔なものであった。
「寂雷」
妙に楽しげな声で乱数が名を呼ぶ。飴玉のような一対の瞳がこちらを見つめる。その中に映る自分の姿を想像しながら、寂雷は続く言葉を待った。
「ねぇ、知ってる?」
悪戯っぽく声が跳ねる。
「最近さぁ、出回ってるの。違法マイク。頭ぐっちゃぐちゃにしちゃうって噂。怖いよねぇ」
えへっと乱数は人懐っこく笑うが、表情が話題とかけ離れていたせいで相槌が僅かに遅れる。しかし、気になる内容ではある。
「立ち話もなんだからさぁ、寂雷も座りなよ」
ソファに浅く腰かけていた乱数が体を横へずらす。ぽんぽんとソファを叩く掌に呼ばれるように足を動かす。立ち話と乱数は言ったが、自分は立ったまま寝ていたのだろうか。ベッドに横になっていた気がしたが、室内には乱数が座るソファとそれに合わせた足の短いテーブルしかない。おやと疑問が口から出る前に、寂雷は黙って乱数の隣へ腰を下ろした。
そうするべきだと、何故か思ったのだ。
「いほーマイク」
ふふ、と可笑しそうに乱数が言葉を転がす。
「ぐちゃぐちゃってどーなっちゃうんだろうね。見た目かな? 中身かな? それとも両方かな?」
「――、」
声が喉に引っかかるようだ。思わず喉元に手をやる寂雷に、乱数は静かな視線を向けた。けれど、構わずに話を進めていく。
「中身なんだって。おかしくなっちゃうの。夜中とか、朝早くとか、とにかく人目が少ない時にカチッ(起動)でばーん(攻撃)! 月夜ばかりと思うなよー! ほーんと、物騒な世の中だよねぇ。帝統に夜は屋根のあるとこにいなよって言っておかなきゃ。寂雷も気を付けなよ、常に番犬がついているわけじゃないんだからね、……どしたの?」
咳を数度繰り返す寂雷に、乱数は今気付いたという風に目を丸くする。漸く喉の違和感は消え、寂雷はひとつ息を吐いた。
「風邪?」
不思議そうに乱数が尋ねてくるので、寂雷は首を振って否定する。
「いえ、……んん、少し喉の調子が」
「のど飴舐める? お茶飲む? ボクのこれはあげらンないけどね」
歌うように節をつける乱数の手には、彼がよく口にする飴があった。棒のついたそれを指揮棒のように振りながら、ふんふんと歌詞のない歌を口ずさむ。
ツヅカナイヨ