【⚠ネタバレ】福山雅治のオタクが『推しの推し』を見に行った話【CDJ2025】「本当にこれは、愛に溢れた時間だったなって」
(2024.3.16 福のラジオ)
これはTEAM NACSのソロプロジェクト「5D2」内で行われた、大泉洋の武道館ソロライブ「生誕50周年記念!!大泉洋リサイタル」について、福山雅治より語られた言葉である。
一万三千人ものファンに囲まれ、披露したパフォーマンスは、時にアクシデントに見舞われつつも、彼の歌唱を求めるファン達にとって忘れられない記憶になったことだろう。最も、CDJ2025内で彼自身から「ネットニュースになりましたからね、ピアノ7回連続ミスって」と相当トラウマになったような台詞があったため、忘れたくても忘れられないというところが事実かもしれない。
NHK大河ドラマ「龍馬伝」を始め、今冬映画化を予定している日曜劇場「ラストマン」など様々に共演し、その度に新たなエピソードトークを増やし続ける大泉洋と福山雅治。共演していない期間でも、ラジオなどで近況が語られる様は、両ファン公認の友人関係と言えるだろう。特に福山雅治のオタクとしての視点から語らせてもらえるなら、我々のスーパースター福山雅治の大泉洋に対する並々ならぬ関心と期待に満ちた眼差しを見れば、彼がいかに大泉洋の魅力に取り憑かれ、その一挙一動に目を奪われずには居られないことは自ずと知れた。
かくいう私も日曜劇場「ラストマン」共演時から現在まで続く福山雅治から語られる大泉洋像に、いつしか大泉洋自体への興味が高まっていった。
敬愛する福山雅治が溺愛する大泉洋とはどういう人物なのか。何故、私達の推しであるあの色男が、北海道の役者にメロメロになっているのか。というかなんで定期的に食事に連れて行ってるんだ。財布をいつも出すのは福山さんだから大泉さんの財布を見たことない(永瀬廉氏談)とか、貢ぎまくっとるやないかい。これが推し(福山雅治)の推しじゃないなら、福山さんが同世代の男に貢ぐ異常な男になってしまう。(なお、福山さんより大泉さんのほうが7歳年下であり、同じ事務所に業務提携している点で後輩に奢るという先輩後輩関係と捉えられなくもないが、この点については別の機会に論じる。)
私達の推しが意味もなく成人男性に貢ぐような、異常な男である訳が無い。そうでなければ石油王になってしまう。
そこで、福山さんの真意を辿るべくCUE DREAM JAM-BOREE 2025(通称CDJ2025)のライブビューイングに参加することにしたのだった。
今回、フェス形式で開催された当公演は、複数の(ここにいくばくかの疑義があるが)アーティストが1〜3曲ずつ披露する形で進行する。
前座にされるオクラホマ、公開土下座する大泉洋、やたらとライブビューイングのリアクションを気にする森崎博之……台風のように現れては去っていく癖の強い出演者たちに、ツッコミどころの多さは語れば尽きない。その中でもオフィスキュー初心者であり、俳優としてのTEAMNACS以外初見の福山雅治のオタクが刺さった点を、5点列挙していこうと思う。
(1)ダークホース・音尾琢真
颯爽と公演のスタートを切った彼のことを、恥ずかしながら私は俳優以外で初めて目にした。日頃はドラマなどで時に悪役を、時に主役の同僚など、その個性を生かした濃い役柄を務めている印象が強い。ところが、いざステージ上で目にした彼は歌にギターにトークパートと、あまりに多才で目を奪われた。
冒頭から2曲目にも関わらず、まるで十何曲にも及ぶライブをこなしてきたような大団円感。それを意図的に演じられてしまう役者としての格。いや、まだ始まったばっかりだろうが。「ここまで何曲もやってきましたが、最後の曲です」ってなんやねん、知らない記憶を植え付けてくるな。そのテンションで言われるとそんな気がしてくるじゃないか。
既に完成度の高いトークで観客を混沌に誘い込み、その流れで披露される「Samba de Kanemocchi」。曲間で明かされるまさかの真実、後藤利喜男(音尾琢真)の死去。いや、誰やねん。ここで初心者の私はそうツッコミたくなったが、ライブビューイングの周囲の観客たちの弾けるような笑い声になんかどうでもよくなった。しかし、このあとこの伏線はトークパートで回収されることになる。
トップバッターを務め、終盤のTEAM☆NACSで出番を迎えるまでの間、彼が全力を注いだのは大泉校長(大泉洋)による雛壇トークパートである。そう、本当に後藤利喜男(音尾琢真)が死んでいたのだった。『犯人はフレディ戸次』という怪しげなダイイングメッセージを残して……これからの流れは既にご覧の皆さんはご存知とは思うが、放送時にはカット必須の深夜枠レベルの汚い小芝居に暴走する雛壇の面々はまさに惨劇と言うべき事態だった。
あと、ダンスのターンめっちゃ綺麗。いや本当におじさんだらけのTEAM☆NACSにおいて、へろへろな姿を画面に抜かれたことで失笑を買った大泉洋と対照的に然りげ無く画面端で見せたターン、見逃せる訳が無い。
サンバの合唱でしっかりイヤモニを外しながら観客たちを褒める様子も、アイドルとしての素質を感じずには居られなかった。初めて聴くはずなのに「お・と・お・た・く・ま」のコールは前世からの子守唄のように自然と口から出る。
なんなんだ音尾琢真、なぜ最初と最後しか出演しないんだ音尾琢真。
視聴者に多くの謎とよく分からない中毒性を残して去っていった彼を、私は未来永劫忘れることはないだろう。ダイアモンドの歯ってなんなんだ。
(2)安田顕の性癖(審議中)が鑑賞できる
なんであれが全年齢で許されているんだ。
(3)大泉校長と大好きな方達on the 謎の雛壇
私はずっと誤解をしていたことがある。
一般消費者として観測する大泉洋はその危険性から福山雅治より「笑いのピットブル」とすら称されているほどの暴走ぶりを見せる。しかし、TEAMNACSにおいて大泉洋は少しボヤいてよく喋るだけの比較的万人受けのするオールラウンダーな役者に過ぎず、更に上の狂気と放送ギリギリラインの身体の張り方をする面々が後ろに控えていたのだった。彼は本当にTEAMNACSの入り口にすぎなかったのだと、私はこのトークパートで思い知らされることになる。
まさかフェスで見るとは思わなかった移動式雛壇とそこで繰り広げられる小ネタの数々。大泉校長とその生徒たちが楽屋を覗き見る形で進行するこの茶番劇は、オフィスキューのタレントが様々な役柄に扮してトークをするコーナーとなっている。
正直、どういったキャラクター性なのか、事前に予習がしきれていない私には分からないと思われた。しかし、鈴井貴之氏の発言により「そもそも自分たちもよく分かっていない」ことが判明する。どうなっとんねん。
顔面に夢と書いた音尾琢真、歩く18禁安田顕、一人だけ衣装替えが許されない戸次重幸。湯けむり殺人(森崎博之)の桶が楽器に変わったときはよく分からない感銘すら受けた。トークパートに力を入れ過ぎじゃないのか、オフィスキュー。
トークを回すのは先述したとおり大泉洋扮する大泉校長だが、馴染みの話術で順番に出演者を弄りつつも、その表情には出演者達に対する隠しきれない親愛が滲んでいたのが印象的だった。あとやっぱり、オクラホマの二人の家族に向けた公開土下座は貫禄を感じた。当然のように「最上級の土下座です」と状況を解説する戸次重幸からは初見のファンへの気遣いを感じられ、同時に大泉洋の理解者としてのマウントすらうかがえるようで、もう私はオフィスキューに毒されてしまったのかもしれない。
終始後段で妙な存在感を放つ鈴井貴之氏も、役に徹する役者らしさ(?)に脱帽する思いだ。やたら囁き声のビューティータカは出禁になるのも納得の謎の色気と殺意が高すぎる決め台詞。安田顕とそれに共鳴して始まった合唱は、多分ここでトイレから戻ってきた人がいれば世紀末だと勘違いするような光景だった。
とりあえず、丁寧に宣伝を振ったにも関わらず鈴井氏もといクリーム・スズに袖にされるリーダーのお労しさは、北海道以外の人々にも知られるべきだと思う。
(4)歌って踊れる合計250才超えアイドル、TEAM☆NACS
今回の目的の一つであるTEAMNACSのアイドル形態、TEAM☆NACS(ちーむほしなっくす)。シックな暗いトーンの衣装に身を包み、しかし光を受ける度キラキラ輝くその姿は間違いなくアイドルで、しっかりアイドルターンを取り入れた振り付けは、若干名の覚束なさすら愛おしい。
明らかに担当パートが少なく、歌唱の番になると不安げな顔をするリーダーがあまりに癖過ぎるし、にこにこ微笑む安田さんのうさぎ耳ファンサが見えた気がしたのだが気の所為だろうか。5人で輪になる振り付けでは、お互いの顔が見える立ち位置にこれまでの積み重ねを感じて彼らの半生に思い馳せずにはいられなかった。
いや、ファンサが濃い!!!!!!!!
おじさんがちょっと照れながらするエアハグの滋味深い味わいに加えて、全然照れない戸次重幸が逆に輝いて見える。ホームグラウンド(北海道)で愛されている自覚を最大限に纏った大泉洋はこんなにも、屈託なく、自信に満ちた瞳で、ファンを見つめるのか。
例え歌がぶれても音尾琢真がいれば、自然と軌道は修正され、安田顕の全方位ファンサにここに来た意味を噛み締めた。
なあ、リーダー、わたしには「NORDのあとはきついわ」とボヤいた大泉洋に対し「楽屋でいいなさい」と窘めたあの声が刺さったんだぜ。ファンに対しては妥協のない笑いを追求し、できることを全力でやるのに、メンバーに対してはどうしようもない(下ネタ)時だって、仕方ないなと笑うような貴方が好きだよ。
やっぱり、大泉洋は疲れ過ぎじゃないか。
カッコいいシーンの合間に抜かれる死にそうな大泉洋(疲労困憊)の姿に映画館は失笑の渦だった。そういうところも大好きだぜ。
なにより、各パフォーマンス間に挟まれる演者紹介のショートムービーが流れた瞬間。TEAM☆NACS特別仕様のそれを目にして、あの場を包む期待のこもった緊張感と興奮。
現地とライブビューイングの境界を超えた瞬間が、あのときはあった。
シルエットが現れ、彼らの姿を目にした時の割れんばかりの歓声は、彼らと会えなかったこの数年間の想いを感じさせた。
特に「ぼくらのキセキ 〜five goes on〜」では「ぼくらの心はひとつだから」の歌詞のとおり5人で向かい合う振り付けが印象的で、優しい声色にここに集えた奇跡を噛み締めずにはいられなかった。
あと気の所為かもしれないが「ナックスハリケーン」の曲間でハリハリハリケンといったような謎コーラス(?)があったように思うが、度々「ヤスケン」に聞こえる瞬間があった。あれは本気でやっているのか不明だが、私の白昼夢である可能性に賭けたいと思う。
とにかく、全曲通してNACS兄さんのユニゾンが心地よく、もっとじっくり聞きたいと思わされるものだった。「なーっくすでジャンプするんだよ?」と教えてくれる洋ちゃんが子供に教えているようで最高に可愛かったし、ターンが綺麗な音尾さんに素養を感じる(二回目)。なんだか変な扉を開けられかけた気がしなくもないが、そんなことがどうでもよくなるくらいTEAM☆NACSにはこの公演の王者たる風格があった。
それぞれのメンバーが東京で実力派俳優として名を馳せた今、全員を揃えるのは難しいかもしれない。体力の限界(リーダー談)もあるかもしれない。しかし、彼らを待ち続け、支えとしているファン達のために、できるだけ長く活躍して欲しいと願う。
あと、水分補給パートあれの2倍くらい見たい。水分補給をしながら「この人たち、水飲むとヒューって言うんですよ」と何故か誇らしげに紹介する大泉洋と全然水を飲まずにファンを眺めている安田顕の対比に、二人のファンは無事だっただろうか。
とりあえず単独ライブはいつですかね。
(5)おれたちの一番星(大泉洋の話)
今回の目的であり、本公演で司会進行から歌唱パフォーマンスに至るまで、あらゆる役割をこなしきった大泉洋。歌って踊ってボヤいたりと、TVでは見られない姿を様々に見せてくれた。ソロパフォーマンスでの指差しファンサや、トークパートの小芝居など、一つ一つを疎かにしない仕事ぶりは尊敬に値する。
中でも「ズキューンと落とすんだ」(キラーチューン/大泉洋)で完全に観客の心を撃ち抜きにくる大泉洋は、面白枠だと気を抜いていた観客たちを一気に落としにかかる、とんでもない演出だった。
何より、堂々とステージから声を届ける彼は、期待を遥かに超えるほど魅力的だった。
「会いたかったぜ、子猫ちゃん達ィー!!」
彼の言葉を皮切りに演者たちは、数年ぶりに会うファン達へ思い思いの方法で感謝や自らの成長を見せてくれる。その中心でいつも仲間たちの手を引いて、自分以外の全員の魅力を最大限に伝えてくれる、これを愛と呼ばずして何と呼ぶのだろうか。客席に向けられた視線は優しく、彼を目的に訪れた人も少なくないだろう。
それでも驕らず、ステージに立つ全ての主役たちをこうして『ファンではなかった』私の前に連れてきてくれた。
可愛いだけでなく実力派な一面も見せてくれるNORD、新曲を披露する場を失ったオクラホマ、圧倒的な空気感で一気に場を締めたchimaさん、高い歌唱力と美しい装いでステージ全体に華を添えてくれた凛ちゃんとみゆちゃん、ネタ枠なのにシンプルにクオリティが高い御社亜紀、エイプリル北川ってなんだったんだ、そして全ての始まりの男、鈴井貴之……ここに来なければ出会うことのなかったオフィスキューのタレント達。
こうして彼らを目にすることができたのはひとえに、大泉洋が自身の魅力をもってして私を含む全国のファン達をこの北海道と全国の映画館に集めたからに他ならない。勿論、大泉洋だけでなくオフィスキューに所属する全ての演者たちが、ぞれぞれに全国で名を馳せ、連れ帰ってきたファン達をこうして一堂に会した功績は計り知れない。しかし、ただの福山雅治のオタクがここまでたどり着けたのは間違いなく、我らが推しの『最高の笑顔』を引き出してくれる大泉洋のお陰だと胸を張って言える。
最後の演目であるオールスターズのパフォーマンスが始まり、公演はまた一歩終わりに近づく。客席を回る演者たちの中、メインステージに残りマイクを握る彼の姿は、間違いなくこの公演を支える主戦力のそれで。
その瞬間、自然と確信めいたものが脳裏を過ぎった。なんの根拠もない荒唐無稽な想像にしか過ぎなかったが、限りなく現実味を帯びた実感として身体の隅々まで広がっていくようだ。
ーーーー福山雅治は、彼の、こういうところを好んで堪らないのではないか。
最高の脇役のように親愛なるNACSのメンバー達とオフィスキューの演者たちを引き立て、決して彼らの魅力を喰おうとしない眩いまでの献身と、それでも隠しきれない主役となるべき男の魅力。
どうしたって主役になり得ない司会進行の立場にいながら、仕草や声で目を惹いてしまう一種の魔性は、日曜劇場ラストマンで私が感じた悔しさそのものだった。
端正な顔立ちと甘く響くテノール、墨を引いたような装いとすっと伸びた背筋も、全てが圧倒的な存在であるはずだった。しかし、誰よりも美しい福山雅治という男を前に、大泉洋は決して見劣りせず、寧ろとんでもない引力で視聴者の視線を掻っ攫っていった。
実写版ガリレオシリーズは私が福山雅治のオタクとなる切っ掛けとなった大切な作品であり、相棒役の女優含め個性豊かな俳優たちが確かな実力で『湯川学』というキャラクターと独特の世界観を生み出していた。ところが、テクニカルな演技を見せる俳優たちとは裏腹に、その佇まいだけでぐっと引き込んでくる福山雅治の、美しいかんばせから生み出される暴力的なまでの説得力は作品全体の空気を飲み込んでしまっていると感じていた。
無論、それこそがあの作品の魅力と言えたが、相棒役が代わったとしても作品らしさはたった一人の主演によって引き出される現状に、なにか、原作ファンとしての物寂しさを感じることがあった。
孤高と呼ぶべきか、一人でそびえ立つ主演俳優の孤独を、どこか勝手に想像している自分がいた。
しかし、ラストマンは違った。
特別に華美でもないのに、その言葉と仕草の一つ一つが『護道心太朗』のキャラクター性を鮮やかに描き出し、画面にいるだけでつい目を惹いてしまうような存在感。それでいて主演を喰おうとはしない慎ましさと、隠しきれない彼自身の魅力。
ともすれば、あっという間に作品を自分のものにしてしまいそうな高い実力に、どこか気の抜けない思いで展開を見守った。
それは確かに主演俳優特有の王者たる器で、ごく自然に、それでいて福山雅治に劣らずとも彼にしかできないやり方で隣に並び立ってしまう。
そんな彼の魔性に、我々の推しも囚われてしまったのではないか。
『あの日のライブは大泉洋にしかできないことがいっぱいあった』
そう語った福山雅治は、いつだってキラキラの最高の笑顔で大泉洋を見た。次は何をしてくれるのだろう、どうやって楽しませてくれるのだろう……そんな期待とファンの期待を裏切らないという信頼で、彼を見つめていたのではないだろうか。
メインステージで客席を見つめる大泉洋の姿に、たった一人でステージに立つ福山雅治の姿が重なった。
福山さんより幾分か薄い身体で、時に緊張を感じさせる瞬間もあった。それでも彼を待つファン達を前にして、瞬く間にその場の視線を奪い去ってしまう、愛すべき主役としての才能。
愛さずにはいられない、とは彼のことを言うのだろう。
私が終始ステージの上で彼から目を離せなかったように、福山雅治もまた、彼を愛さずにはいられなかったのだ。
ファンも、そうでない人も、みんなを巻き込んでしまう貴方は、間違いなくオフィスキューの一番星だ。
カーテンコール
「なーに、どうしたの、寂しいの?」
画面が明るくなると同時に、足元がぱっと照らされる。中継が終わる最後の最後まで、じっと目線をそらさなかった隣席の女性が息を吐いたのが聞こえた。
まるで夢から覚めたようだと思った。
遠く離れた北海道の地の、熱気や、ぞくぞくするような興奮が、潮が引くように遠ざかっていく。さっきまで楽しげに画面の奥で笑っていた彼らが、もう古い記憶のような気がして、ここにしか無かった景色を忘れたくないと思った。
いくら描いても描き足りなくて、でも、なんとしてでも彼らから貰った夢のような時間を書き留めたくて、こうして文をしたためている。
福山さんは、嫌がるだろうか。
自身の共演者への浮気を嫌がるあの人のことだろうから、そっと心に仕舞っておくのが良いのかもしれない。
でも不思議と、浮気と言うには心は妙に凪いでいた。
福山さんへの敬愛はそのままに、大泉さんとその仲間たちに対する親愛が胸いっぱいに広がるようで。
なるほど、これが私の探していたものかと膝を打つ。
推しへの溢れんばかりの思慕と、彼らをもっと知りたいと思う知的好奇心。
『推しの推し』とその仲間たちは最高に可愛くて、格好良くて、アイドルだった。
最後に、福山さんも絶対に見たほうが良い。
【⚠ネタバレ】福山雅治のオタクが『推しの推し』を見に行った話【CDJ2025】