あさはもえているか 時計の針がとうに天辺を過ぎた午前二時。
Mad comic dialogの事務所には、左馬刻、簓、そして熟睡中の一郎。その三人がいた。
「そろそろ解散しよか。いつの間にか一郎も寝とるし」
左馬刻のジャケットをかけられ、ソファーでスヤスヤと寝息を立てる一郎を見て、簓が言った。
「そうだな。一郎には悪ィことしちまったな」
どうやら今日は弟たちが町内の子ども会で泊まりがけで出かけているようで、いつもより少し遅くまで手伝えると言い、左馬刻について行った一郎だったが、帰宅して事務処理を待つ間に寝落ちしてしまったようだった。
「外で左馬刻の横におる時は、あんな猛犬みたいな感じで相手のこと睨んどるけど、寝てしまえば年相応の顔しとるよなぁ〜」
簓はコーヒーを片手に、ソファーで寝息をたてる一郎を覗き込む。
「コイツは色々背負うもんを勝手にデカくしていってるからな。チカラの抜き方ぐれぇ、そろそろ覚えて欲しいもんだが……」
そう左馬刻が言うと、事務所内に聞きなれた着信音が響いた。
「左馬刻、鳴っとるで」
「……ったく、こんな時間に何だよ」
少し乱暴にスマホを取り、左馬刻は応答する。
簓はマグカップに残ったコーヒーを一気に煽って、懐からタバコを取り出した。
……一服したら帰るか。
取り出した一本を咥えながら、スマホを取り出して、メッセージアプリを立ち上げる。空却に『も少ししたら帰る』と打ち、送信ボタンを押そうとしたその時だった。
「簓ァ! 今すぐ一郎起こせ!」
「は?」
咥えていた煙草がぽろりと落ちる。
火ィ点けてなくて良かったわ。……じゃなくて!
「今すぐシバウラの倉庫に向かうぞ! 例の奴らが急に動き出したらしい」
最近追っていたヤクの売人たちにどうやら動きがあったらしい。
「一郎、起きぃ。仕事やで」
「……ぅ。……ささ、らさん……?」
目を擦りながら微睡の中の一郎が呟く。
左馬刻はそんな一郎から上着を剥ぎ取り、壁にかけられたキーを数本引っ掴んだ。
「さっさと起きろ、ダボ! 簓は空却連れて来い! どうせお前んちでイビキかいて寝てんだろ? 俺は先に一郎と向かうから、オメェはコレで空却迎えに行ってシバウラに来いや!」
そう言って投げられたキー。おっとっと、と言いながら簓は受け取る。そのキーには丸に青と白の扇型が交互に並ぶエンブレムが。ついこの間、税金対策として納車したばかりの右ハンドルの白のセダンのキーだった。ということは、左馬刻が乗るのはスリーポインテッドスターが輝く左ハンドルの黒のクロスカントリービークル。
左ハンドルのやつじゃなくて良かったわ、と内心ほっとしつつ、左馬刻たちと事務所を出て、地下駐車場へ向かう。
そのエレベーターの中で、
「簓さんちに空却、いるんすか?」
未だに寝ぼけ眼の一郎が問う。
「コイツらデキてんだよ。知らねぇのオメェくらいだわ、一郎」
「……ぇ?」
びっくりしたらしく固まる一郎。目をまん丸にして、左馬刻の顔と簓の顔を交互に見て、エェ………と抜けた声を漏らした。
「コイツはな、お気に入りは自分の管理下に置きてぇって考えしてるロクデナシだからな。空却もまんまと飼われちまってるンだわ。……俺様に言わせりゃ、どっちもどっちだがな」
こんな会話が繰り広げられたが、簓は素知らぬふりをする。
駐車場に到着するまで一郎が茫然としていたので、左馬刻が「この位で腑抜けてンじゃねぇぞ、クソダボ」と肘鉄を入れていた。
「簓、ソイツ禁煙だからな。車内で吸ったらブッ殺すぞ」
「へーへー、わかっとる。じゃ、空却連れて速攻シバウラ向かうわ」
そう言ってお互い車に乗り込み、エンジンをかける。外車なのに、この国向けにわざわざ右ハンドルにされたコレ。新車でいくらしたか、簓は既に左馬刻から聞かされていたため、少しばかり緊張した。ボタンを押すと低い唸り声を上げてエンジンが始動する。
簓はハンドルを握ると、シフトレバーを切り替え、アクセルペダルを踏んだ。
◇◇◇
白膠木家の薄い布団でスヤスヤと安らかに眠りにつく空却。その安眠が今から妨げられることを、誰が予測できるだろうか。
「空却! 起きてや!」
バタン、ドタドタ。
夜中には似つかわしくない明らかな騒音。
それでも空却の深い眠りは醒めることなく。簓が布団を剥ぎ取り、がくがくと揺らしてようやく、
「……ぁ?!」
そう一言だけ放って、すぐに眠りへと戻っていった。
「起きぃ!!! シバウラ行くで!!!!」
再びガクガクと揺らすが起きる気配はない。
「もう! しゃーないな! くうちゃん、行くで!」
そう言って、簓はスウェット姿の空却を背負って、二人分の上着と空却のサンダルを引っ掴み、家を出る。そして停めたままだった車の助手席に空却を乗せた。当たり前だが、シートベルトはきっちりと締める。
側から見たら誘拐か何かにも見えるかもしれない。
だけどそれを気にする人間など、こんな夜更けには居なかった。
「……てか、どうやって行くんや……」
ぽちぽちとカーナビを操作していると、
「……どこ行くんだよ」
空却が口を開く。
「起きとったんかい! シバウラや! 埠頭! 倉庫!」
「あー、例の売人のやつか?」
そう言って両手を頭の後ろで組んで、少しだけシートを倒した。
「シュトコウ乗って、ハネダの方に向かえば行けるだろ。左馬刻がこの間そうやってシバウラまで行ってたな」
そう言ってスウェットのポケットからスマホを取り出し、マップアプリで検索して、ホレ、と簓に見せた。
「くうちゃん、好き……」
いつの間にスマホ持ってきたんや、とは思ったが、恐らくポケットに入れて寝てたんやろ、ということにした。
「さっさと行かねーと左馬刻にドヤされるぜ。 ここから二十分くらいかかるらしいからよ」
「おん。発進するから発疹起こさんようにな!」
「……寒」
空却が少し身震いをすると、勢い良く車は加速していった。
◇◇◇
眠らない街、トーキョー。その夜景を横目にシュトコウを爆走する白のセダン。
やっぱり外車は速ぇーだの、レインボーブリッジがヤベェだの、タワーが見えるのがどうだの、話しながら遂にシバウラの倉庫に二人は到着する。
先に到着していた左馬刻の乗っていた黒のビークルの横に駐車し、二人はセダンを降りる。バタンとあたりにドアを閉める音がこだました。
「ほな、行こか」
「拙僧の眠りを妨げた御礼、してやんねぇとな」
そう言って倉庫に向かおうと、二人が足を踏みしめた瞬間だった。
――――!
凄まじい爆発音と爆風。
簓の横を吹っ飛ばされた倉庫のドアらしきものがかすめていった。
「っーー!! あっぶな!!!!!」
「遅ェぞ!! カタツムリにでも乗ってきたんでちゅかね〜?」
立ち昇る砂煙の向こうから現れたのは、左馬刻と伸び切った犯人を引き摺る一郎だった。
「簓さんたちが来る前に取引が始まったので、現場を抑えて。そこからバトルになっちゃって」
微妙に空却から目線を逸らしながら、一郎が言う。
一郎のよそよそしさに、空却の頭の上には『?』が数個並んでいたが、特に口を開くことはしなかった。
「とりあえず未遂ってことで買う奴は見逃してやったがな。二度とやンじゃねぇぞって脅されて、泣きながら逃げるくらいならやるンじゃねぇっーの。とりあえずコイツが目ェ覚ましたらまた締め上げて色々情報吐かせるわ」
そう言うと、後から現れた舎弟に犯人を連れて行くよう指示していた。
「まぁコイツは完全伸びきってるし、今日はこれ以上やることねェわ。つーわけで、解散な。一郎は俺が送るから、簓は適当な時に車返してくれ」
んじゃあな、と言って左馬刻は車に乗り込んだ。遅れて一郎も簓へ会釈して、その助手席へ乗り込んで行った。
そして特に活躍もなく二人は取り残された。
「来た意味ねぇじゃねーかよ」
「……せやな」
二人はとりあえず車に戻り、そんな会話をする。
「とりあえず帰るか。こんな時間じゃどこか車で遊びに行くところなんてないしなぁ〜」
「ここまで来といてか!?」
「そない言うても、もうすぐ三時やで。朝定しにいくにしては早すぎるし、ラウワンにでも行くか? ってゆーても、簓さんもうラウワンオールできる程若くはないで?」
「は? ジジィかよ、テメェ」
口を尖らせて空却が言う。それを尻目に簓は懐から煙草を取り出したが、左馬刻から禁煙の旨を聞いていたのを思い出し、はぁとため息をついて、ポケットにそれを仕舞った。
「……んじゃぁよ。ドライブ行こうぜ」
「……どこに?」
「朝日が見れるところだよ。連れてけ、簓」
ニヤッと空却が笑った。
◇◇◇
風を切り、眠ることのなかった街を通り抜け、ワンガン線をひた走る。適当につけたラジオからは、どこかで聞いたことのあるナンバー。二人はたまに知っているフレーズを口ずさみながら朝を目指す。
「もうヨコハマ過ぎたよな?」
「あー、随分前に観覧車見えたな。もう今はヨコスカでるところやで」
こんなところまで初めて来たわ、と簓が続ける。
いつの間にか漆黒だった西の空は、遥か向こうの水平線の奥から陽を引っ張り上げようとする瑠璃色に変わっていた。
「簓! 急がねぇと朝日出てきちまうぞ!」
窓を開け、海風を受けながら空却が言う。
「くうちゃんもおひさんもせっかちやな。ちゃんとつかまっとってね。とばすで」
言うや否や、簓はアクセルペダルを更に踏み込む。低く唸ったエンジン。あっという間にセダンは加速していった。
そして、インターの出口まで一キロ、と書かれた看板を通り過ぎる。
「次のインターで降りよか」
「おう」
深夜ということもあり、車通りが少なかったため、シバウラからここまで二時間もかかっていなかった。
インターを降り、適当に海のほうに向かって車を走らせる。もういよいよ朝が近い。空は白み始め、西の空が緋色に染まり始めていた。
「簓! この先が海水浴場になってるらしい。駐車場もあるってよ」
スマホを片手に空却が言う。
「んじゃ、そこ行こか」
そう言って、少しだけ走った先に『海水浴場駐車場』の看板が。その前に車を停め、降りた。
「うわ!さみぃぞ!」
簓のスウェットを着ているだけの空却に、海風は少しばかり冷たすぎたらしい。
「ほれ、上着」
「さんきゅー」
簓が空却に上着を着せてやり、そのジッパーをあげてやる。ついでに簓も上着を引っ掛けて、空却に手を差し伸べた。
「ほれ」
「ん」
空却は頷き、その手を取る。
ゆっくりと砂を踏みしめて、二人は潮騒の中を行く。
息をひそめていた暗い海。水平線の向こうから昇りゆく陽に緋色に染められてゆく。
燃えるような朝焼けが、西の空を彩っていく。水平線は陽に焼かれたように真っ赤ないろをしていた。
じっと空却はそれを見つめる。ぎゅう、と無意識に簓の手を握りしめていた。簓は空却をのぞき込む。赤射す金の瞳が酷く綺麗だと思った。
「綺麗やね。空却の色と一緒」
そう言って軽く口づける。そうすると少しだけ赤い顔をした空却が、離れた唇を名残惜しそうに噛み締めていた。それを見て簓は嬉しそうに笑った。
「空却、おはようさん。今日もいい一日にしていこうな」
「……おはよ、簓」
穏やかに笑う空却。砂浜を駆ける風がその頬を撫でる。潮の匂いが二人の鼻の奥をくすぐった。
いつの間にか水平線を超えた朝日によって、空は金色にいろづいていた。浜辺に佇む二人は朝日を背に、歩き出す。朝は始まったばかりだった。
終