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    ゆめのあと/夏の影 八月の半ば、夕方の六時。有栖川帝統は走っている。青い髪が風に逆らって揺れる。有栖川帝統は走っている。郊外の廃屋へ、幽霊を探しに。


    ── 事の発端

     競馬場からの帰り道。賭け事仲間のオジサンと、金のかからない暑さ対策として怪談話をしていたときのことだ。人面犬、口裂け女、異世界へと繋がる駅。ちっとも涼しくなりやしないが、別段することもなかった二人が公園の木陰の下でのんべんだらりと語り合っていると、街の外れの幽霊屋敷の話になったのだ。

    「デェちゃん。あそこはなァ、マジで"出る"らしいぞ」
    「あそこって、あのでっけぇボロ屋だろ?そんな話聞いたこと無ぇけどな」
    「何だよデェちゃん若いのに情報に疎いねぇ。なんでもその幽霊ってのァ和服の美女だとか⋯⋯。へへ、タダで美人に会えるなら儲けもんだねェ」
    「じゃーオッサン、行ってみたらいいじゃねえかよ」
    「べっぴんさんは好きだが命は惜しいんだよォ。あ、そうだデェちゃん。いっちょ賭けしようや」

     いささか嫌な予感はしていたが、帝統の思った通りの申し出であった。オジサンの投げた10円玉の裏表を予測し、負けた方が廃屋へ肝試しに行こうというものだった。くだらないと思っていても賭け事となれば乗らないわけにはいかない。オジサンが「表」と赤ら顔をニヤつかせながら言う。それなら俺は裏だ、と帝統も不敵に笑う。酒の飲み過ぎで震える指が、銅貨を空へと跳ね上げた。


    ──


    「⋯⋯くそ」

     有栖川帝統は廃屋の門の前で悪態をついた。額の汗を拭い、長く息を吐く。夏なのでまだ明るいと思えば、厚く黒い雲が広がるせいかいくらか周りは暗かった。廃屋だと聞いていたが、庭の草木が伸び放題なだけで建物自体に傷みは見えない。幽霊探しにいざ参らん、と門に手をかけたが、すっかり錆びついており押しても引いても上下左右に動かしてもどうやったって開きそうにない。別にこのまま帰ってもいいのだろうが、ここまできたからには幽霊なんていないんだ、とオジサンに真実を突きつけたい。塀を乗り越えようか、裏手に回るか。

    「何をしているのですか?」

     いきなり背後から聞こえてきた声に心臓がどきりと跳ね、喉の奥からおかしな声が出た。息を整えてその細い声に振り返ると、和装の男が立っており、訝しげに帝統を見ていた。なんだ人間か、と胸を撫で下ろし帝統は男に向き合ってこたえる。

    「幽霊を探しにきたんだよ」
    「はて、幽霊?ここの家の?」
    「まあ、いないんだろうけどな」

     へえ、と男は頷いた。こうして知らない男と向かい合っている間にも陽は落ちていく。別の入り口を探そうと帝統が歩き出すと「おや、どうしてここから入らないんです?」と男は言った。ギ、と鈍い音を立てて門が開いたものだから帝統はひどく驚いた。「小生も行きたいです」と男は言った。え、変な一人称。男にしては長めの髪(俺も人のこと言えねえが、と帝統は思う)、線の細からだに白い顔。祝い事の帰りでもなさそうなのになぜそんな格好をしているのかなんて興味もないので訊かない。一緒に幽霊を探す。いきなりのことなので帝統は面食らったが、その申し出に少し安心したのも本当だ。

    「さ、行きましょう。帝統」

     男に続いて帝統も玄関へと足を踏み入れた。

    「え、お前」

     帝統はぎょっとして先を行く男の背中に呼びかけた。男が靴を脱いだからだ。

    「なんです。いくらぼろっちくともここは家なんですから靴を脱ぐのは当たり前でしょう」
    「はあ?お前、マジかよ⋯⋯」

     裸足で過ごすことの多い帝統だが運良く今日は靴下を履いている。まあいいか、とため息をついて男に倣った。
     当然のように家の中は暗かった。埃っぽく湿ったにおいもするが、思っていたよりも整然としている。ぽた、ん、とどこからか水の音がした。

    「暗いな」
    「ええ、もうずっと、まともに陽が射したことがありませんから。

     帝統は靴下の裏を見た。数歩歩いただけにも関わらず、そこは真っ黒だった。「きったねー!お前足袋だからかなり汚れんだろ」帝統の言葉に男はくるりと振り返り、小さく笑っただけだった。階段を上り、踊り場に出る。暗く、帝統がふと前を見た瞬間、ゆらりと黒い何かが動いた。
     小さく声を上げた帝統に、「ああ」と男は言う。

    「幽霊なんかじゃないです。鏡ですよ、鏡」

     確かに男の言う通りだった。真っ暗な鏡の中で自分が見つめ返してくる。男はすっと帝統の後ろを通り過ぎ、先へと進んだ。二階にある部屋は、書斎のような場所以外すべて鍵が掛かっていて、入ることが出来なかった。ふたりは書斎に入り、ぐるりと中を見回す。厚い辞書や薄くなって字が読めなくなっている本が積み上げられたり、散らばったりしている。男はまっすぐ奥の棚の方へ行った。帝統は埃かかったテーブルの上に本が一冊、伏せられて置いてあるのを見つけて顔をしかめた。

    「本をこういう風に置くのは嫌いなんだよなー。変な癖がついちまうだろ」
    「そうですねえ。急に出て行かなきゃならない事でもあったんじゃないですか?その本、栞もないみたいですしね」

     男は棚の奥の前に立ち、古ぼけた本に視線を落としながら、どうでもいいと言うような返事を寄越した。書斎にもこれといったものはなかった。そして、廃屋を歩き回るうちに帝統をどきりとさせる事が何度かあった。その度に男は小さく笑い、「虫ですよ」とか「風ですよ」などと冷静にこたえていた。廃屋へ行った証拠として数枚写真を撮る。帝統は和装の男を写そうとしたが、魂を抜かれるとかなんとかわけのわからない理由で拒まれた。
     はじめは気味の悪かった廃屋にだんだん帝統は慣れてきて、一階に戻る頃には「やっぱり幽霊なんかいねーな」といつものあっけらかんとした口調で言うのだった。

     玄関を出るころには辺りはすっかり暗くなっていた。「お別れですね、帝統」と男は静かに言った。帝統もそれにこたえ、門の方へ足を進めようとした。が、何かが頭の中で引っかかり、その引っかかりが帝統の足を止めた。「お前、そういえばどうして俺の名前──」男に背を向けたまま、ずっと気に掛かっていたことを尋ねた。

    「何がです?」
    「俺、お前に名乗った覚えがない」
    「おや、そうですか?ちゃんと教えてくれましたよ」

     いったい男に出会ってからいつの時点で自分の名前を教えたか思い出そうとするが、帝統はどうにも思い出せない。じんわりと浮いた首の汗が胸元に伝う。

    「なあ。お前、の⋯⋯姿、鏡にうつったか?」

     もうひとつ、訊いた。
     夏の生ぬるい風が吹く。後ろにいる男の表情は全く分からないけれど、笑っているのではないかと帝統は思った。

    「さあ⋯⋯暗かったし、見えなかったかもしれませんね」
    「書斎で」
    「本に栞が無いことくらい、少し観察すればすぐに分かることですよ」

     男は言った。帝統は黙っていた。

    「⋯⋯幽霊、いなかったよな」

     ほんの少しの沈黙のあとに帝統は小さく呟いた。「ええ、残念ですね」と男はこたえる。微かに愉しさを含んだ声だった。

    「いなかった」

     帝統はもう一度呟いたあとに駆け出した。振り返らずに、立ち止まらずに。男は帝統がすっかり見えなくなるまでずっと立ち尽くしていた。風が吹き、栗色の長い髪が揺れる。隠れた唇は弧を描いていた。

    「これだから夏ってのは嫌ですね。いちいち相手するのが億劫です」

     男は呟きながら、邸へと戻る。玄関の扉を閉め、そっと鍵を掛ける。軋む階段を上がって鏡の前を通り過ぎ、書斎へ入る。

    「私も、こうして本を置くのは嫌いなんですよ」

     伏せてある本を手に取りぱらりと捲る。「どうして人間ってのは怖がりのくせに、わざわざ首を突っ込むんでしょう」

     窓の外はもう黒と見分けがつかないほどの藍色に染まりきっている。男の呟きもその姿もやがて闇に溶け、閉じた本がテーブルに置かれるのと同時にすっかり消えてしまっていた。









    マーガレット. M「幽霊をさがす」
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