④ラブホに行く2人「おまえ慣れてンだなー」
「この年齢ならだいたい皆こんな感じでしょ? 進藤先輩だって」
「んー」
どっちつかずの曖昧な返事を僕は聞かない振りをした。あのあと居酒屋を出てホテル街と言われる所へ二人で迷わずに行き、入出口が人目につかない建物へと滑り込んだ。フロントにある部屋のパネルを見上げながら適当に空いている部屋をタッチする。僕から誘ったから部屋代くらいは持ちたいし、まぁまぁグレード良い部屋で。と言っても進藤先輩の方が稼ぎが上なのは明らかなんだけど。
「三階だ。行きましょう」
「あ、会員だったら一割安くなるって」
「……会員なんですか?」
「ンな訳ねェだろ」
他愛もない会話をしながらそのまま目的地へと歩き出す。エレベーターの場所を示す無機質な案内板を見ながら進藤先輩の先を歩く。
内心緊張で背中に冷や汗が流れてきていた。タイトルリーグ戦に何度も入っている若手棋士を連れてこんな所に……だなんて、見つかったらどう言い訳をするか。まぁいつだって『終電を逃してしまって』で済むんだけど。そういう口裏合わせも帰るときにしておかないとな、この人本当のことポロリと言いそうだもんな。
「遊園地の中みたいだなー」
「まぁ、女の子は喜びそうですね。進藤先輩もこういう可愛らしいの、似合っていますよ」
「どういう意味だよ」
こちらの緊張とは裏腹にあっけらかんと進藤先輩が首を傾げる。夜道を歩いて少しはアルコールが抜けたようだ。エレベーターの中をきょろきょろとどこか楽しげな様子に少し揶揄えば、口を尖らせた。可愛い人だな。本当歳上だろうか?
あっという間に階につく。誰ともすれ違わないのがありがたい。これが普通のホテルだとあちこち知り合いと出会ってしまいめんどくさい。ラブホだとそれがないのでまだ気が楽だ。
「着きましたね」
「おおっ! 雰囲気変わるな~」
ご丁寧にピコピコと部屋番号が光っているラブホ特有の誘導灯に進藤先輩は迷いなくついていくので、やはり初めてではないのだろうと思いつつドアの扉を開けた。
「どうぞ」
「ははっ、三好ったら王子サマじゃん」
それは貴方の好きな人が王子様だからでしょ? なんて言いたくても言わない。「おっ下で見たときより広いじゃん」と靴を脱ぐ背中を後ろ手でドアを閉めながら眺める。
「おじゃましま、」
「ヒカルくん」
そっと背後から抱き締めれば分かりやすく身体が跳ねた。思ったより線の細い身体に力が込められている。
「緊張……してます?」
「みよ、し」
「僕もしてますよ……ほら、手汗凄いでしょ? ヒカルくんとさっきまで飲んでいてとても楽しかった……けどもっと楽しいこと、僕が教えてあげましょうか……?」
自分の中で最大級の優しい声色で「頑張る歳下くん」を思わせる言葉を吐く。進藤先輩に効くかどうかは分からないけど、彼は今確実に心に傷を負っている。塔矢アキラという、僕と同じ傷を。
彼と身体の関係を持てば、あの男にも一矢報いることが出来る。優位に立てる。こんな方法でしか、勝てるやり方なんてない。そう自分に言い聞かせた。何が何でも進藤ヒカルを落としたい。
「三好……っ」
「りひと」
何か言いた気な肩にそっと額を寄せる。抱き締めていた腕を緩めて進藤先輩の両手へと穏やかに手を重ねれば、強ばった身体が少し和らいだ。
「理人、って……呼んで」
「……」
「今晩だけで良いから……」
遊び慣れていないならガチ恋に落ちて貰ってもいい。遊び慣れているなら割り切ってセフレとして楽しむ。どっちも僕に勝機はある。こういう所ばかりに長けちゃったから、塔矢先輩の棋力には足元にも及ばなくなったのだろうけど。
自嘲して顔を上げれば、困った顔の進藤先輩と目が合った。捨てられる前の仔犬みたいな顔してる。うん、もうコレあとひと押しで落ちるヤツだ。
「ヒカルくん……」
「ばか……こんなトコで、名前呼びすんなって……」
困惑しながらも僕から視線を外さない。試しに顔を少し上げれば、唇がきゅっと結ばれた。――うん、いける。
顔を近付けて、触れるほどのキスをする。あまりの柔らかさにカッと内臓が熱くなったが、少し息を吸って気持ちを整える。もう一度キスをしていいかと尋ねるよう握っている手に力を込めれば握り返してきたので……次は深めに口付けた。
「……ん、ぅ」
――え? 今の、声……進藤先輩?
ちゅっと音を立てて離せば、頬を少し染めた顔がとろんと僕を見下ろしている。息が詰まった。動揺した所を見せたくなくて、何とか取り繕う。
「……ほら、シャワー浴びてきて? それとも一緒に入ります?」
「は、入らねェよ!」
悪戯っぽく笑えば弾かれたように進藤先輩が僕から離れ、そのままドスドスと「シャワーどこだー?」と浴室へと向かって行く。
離れた体温が、何故か無性に切なくなった。
「……?」
感じたことのない違和感に思わず胸を押さえる。
「あった! ……じゃあ、遠慮なく先入るぞっ」
ガラス戸から顔を出し、恥ずかしそうに消えていく彼にニコリと笑いかける。姿が見えなくなってからどっと背中に汗をかいた。
「……やっば……」
琥珀色の潤んだ瞳。ピンクに染まった頬。甘い桜のような香りがする身体。
彼に近付くだけで、こちらの腰が砕けそうになった。
「魔性じゃん、進藤先輩……」
はーと深呼吸をして壁一枚隔てているシャワー音を聞く。ベッドに腰掛けて天井を見上げれば、いかにもという下品な照明が目に付いた。
――僕、何やってるんだろ。
ふとしたときに虚しくなるのはいつものことだ。五年くらい前はこんなんじゃなかった。ただひたすら囲碁の道を極めたいと毎日勉強や研究をしていたし、自分の未来はただ明るいものだと信じ込んでいた。
「塔矢、アキラ……」
かつての想い人の名前を口にする。進藤先輩はどんな思いで彼のライバルとしているのだろうか。僕のように心が折れることはなかったのだろうか。
先ほどまで間近にあった褐色の瞳を思い出す。知らずに握った手のひらには爪が食い込んでいた。
交代でシャワーを浴びて髪の毛を乾かすのもそこそこに、そっと進藤先輩を押し倒した。備え付けの安っぽいバスローブの下は、もうお互い何も身に付けていない。少しずつ紐を緩めて肌を露出していく。
心臓の音がやけに激しい。僕を見上げる彼の無垢な瞳はすべて見透かされているようで、精一杯シーツの上に転がった進藤先輩の肌はきめ細かくて穢れも何もないようだった。
「あっ……」
鎖骨に唇を落とせば甘い声が聞こえて思わず下腹部が熱くなる。
「ヒカルくん……すっごく可愛い声」
「ば、か……! 男に、ンなこと言うな」
「オトコとかオンナとか関係ないよ? ヒカルくんが女の子でも僕たちこうなってたと思う」
我ながらすらすらよくも都合いい言葉が出てくるな、と思いながら彼の肌から顔を上げれば、進藤先輩の丸い瞳が僕をまっすぐ見下ろしていた。
「……ヒカルくん?」
「……ほんとう?」
上擦った声にゾクリとする。
今にも泣き出しそうなこの顔はなんだろう。まるで全身から悲鳴を上げているようなのに、頑なに言葉にしないと決めている強い意志を感じる。
「オレ、男だけど……良いのかなぁ……」
「うん……」
「女じゃないと、幸せに出来ねェって思っていた……」
「……うん」
「おまえみたいに……三好みたいに、受け止めてくれるのって……こんなに嬉しいんだな……」
「……うん……」
花が綻んだように笑う彼に吸い寄せられる。頬に、額に、目元に、そして唇に何度も何度もキスを振らせれば、彼の身体がどんどん緩んでいくのが分かる。こんなにも脆く分かりやすい彼――本当にあんな堅実的な棋風の人の想い人なのだろうか? 彼はもっと強い人を見ていそうだけど……。
「ヒカルくん、率直に聞くけど……今日どうする? 僕が最後までしていいの? 無理に挿れなくてもいいけど……」
自然のままに彼が受け入れる方になっているけど僕は両方出来るから、と暗に促せば赤い顔を更に赤らめて進藤先輩が僕の手を下の方へと誘導していく。
「えっ」
股の間、後孔へと手が降りていく。恥ずかしいのかもう片方の腕を背中にまわされ、顔が見えないよう強く抱き寄せられた。彼の窪みに触れれば、きゅぅと僕の指に吸い付いてくる。
「……オレ、経験あるから……理人が、して?」
耳元に囁かれた言葉にくらりと眩暈がした。ぐっと唇を噛み締めて何とか耐える。
――ちょっと……この人、これ天然でやっているのか? とんでもないんだけど……。
自分から促したとは言え、初めて彼に呼ばれた名前の音が酷く熱く耳の中に残っている。
正直、自分の経験人数は同級生と比べたら桁が違うほど多い。ここ三年ほどは付き合った恋人もいないが、皆割り切っている人たちばかりだった。女性、男性……同性でもタチネコ問わず。
「……ヒカルくん、甘えん坊?」
「うるさいなぁ」
彼の色香に惑わされないよう軽口を叩けば同じノリでむぅと返してくる。このギャップに今まで何人やられたのだろう。
「うん……楽しいこと、気持ちいいこと、たくさんしようね」
「んッ……」
首から胸元へと唇を滑らせ、そっと乳首に触れればぴくりと身体が動いた。
「ここ、気持ちいい?」
「分かっンねェ……ぁっ、」
今まであまり触れられていなかったのだろうか。優しく慎重に舐めれば彼の肌が粟立つのが見えた。感じやすいのかもしれない。
「胸って、すっごく気持ち良くなるんですよ……慣れていないとくすぐったいだけかもしれないけど」
乳首には触れず、入念に舌の腹を使って周りを舐めていく。「う、ぅ」と漏れる声が何とも心地好い。もっと聞きたくなる。ぷくりと勃ち上がる突起には触れず軽く唇当てながら乳輪にキスを繰り返せば、周りの肌ごと色付いていく。とっても綺麗だ。
「……可愛い」
「ぁ、あっ……」
甘い甘い桜のような香りが僕の鼻腔をくすぐる。脳に充満し、身体の隅々まで行き届き、細胞まで侵される――そんな媚薬のような彼の色香に、すっかり夢中になってしまう。これは、一度身体重ねたら忘れられなくなるな……そう思いながら、熟れる前の果実のような胸を口に含んだ。
「やぁ、あ……!」
「んっ……」
ビクンと進藤先輩の背中が反る。本当に胸を責められるのが初めてなのだろうかと思うくらい、酷く敏感だ。こちらが心配になるほど感じている。もしかして演技なのかも、と思って下半身に目をやれば、彼の先走りでもう下腹部がぐっしょり濡れていた。
「ッ……すごい、いやらしいですね……進藤先輩って胸でこんなに感じるんですか?」
「あっあ、ゃ、んぁっ」
「ダメですよ、ゆっくり息して……乳首、勃っているの分かります……?」
「はぁっ……ぁ……分かん、な……、」
「感じるのは悪いことじゃないので……大丈夫ですよ」
啄むように桃色に色付くそこを優しく優しく労る。少しでも強くすれば壊れてしまう物のように、全身全霊をかけてやわやわと慰めた。彼の呼吸を助けるようにもう片方の胸板をゆっくり撫でる。少しずつ身体の強ばりが抜けていくのが分かった。素直な人だなと思う。
「上手ですね……」
「ご、ごめん……胸舐められたのなんて初めてで……はぁ、変な声出た……」
だいぶ息が整ってきた進藤先輩が潤んだ瞳で僕を見据える。健気な懺悔に胸の内が堪らなく疼いた。
「ううん、もっと……聞かせてください」
「んっあ!」
ちゅぅと吸い付けば再び華奢な身体が揺れた。はっと漏れた自分の息が熱いのが分かる。全身が沸騰しそうなほどの波が押し寄せてきていて、僕が飲み込まれそうだ。小さく喘ぐ進藤先輩の声が耳から侵されるように脳へと響く。
やばい、これはこっちが溺れてしまう。早く、終わらせないと――。
半分脱げていた服に手をかけた、そのとき。
「ッ」
「? どうしたの、ヒカル……く……」
露わになった細腰を軽く捻じるような動きを不審に感じて、僕は彼が手を抑えている所に視線を落とした。瞬間、言葉が、身体が凍り付いた。そこには、明らかに殴られたような痣があったのだ。
「――何、これ?」
「……」
転んだとかぶつけたとかいう傷ではない。そしてこういう類のものは――僕自身、見慣れたものだった。
「ヒカルくん……誰にやられたの?」
見つかってしまった、といたずらっ子のような顔をする彼を窘めるよう強く睨む。明らかにDVの跡だ。
「いや、さ。むしゃくしゃして一人で飲んでるとき引っ掛けてきた奴。一晩限りのーっていうの、よくあるじゃん?」
「よくあるって……」
なるほど、居酒屋で僕を誘ってきたあの仕草を思い出す。いやに慣れているなと思ったのだ。同性の脚にああやって脚でつついてくるのは、そういう経験がある者同士の無言の合図ということを彼は知っているのだろう。
「オレって弱っちく見えるだろ? なんかいじめたくなるみたいでさ、アソビのときはこういう激しい系してくるヤツに何か狙われるんだよね」
ははっと笑う顔は本当に笑っているようで。でも、恐らく彼はこういうプレイは好きではないはずだ。そうじゃなければあんな、聖人のような塔矢アキラのことを好きになるはずがない。
「……好きな人のことを忘れるために遊んでいるの?」
「んー……そうなのかな」
「こういう無理矢理してくる奴らにも逆らわず?」
「っていうか、こういうことしてくる奴らばっかり、かな」
あっけらかんと言う彼に僕は軽く眩暈がした。瞬時にフラッシュバックが脳内に起きる。
「ッ――」
「三好?」
僕が泣いても嫌だと言っても止められなかった行為。身体に走る痛み。自分より体格があり、力ずくで抑えられ、何日も後を引いた。
……自分と同じ境遇を作っては駄目だ。
「……ヒカルくん、もうそういう系の人から誘われてもダメだよ」
「え、」
何で? という顔をする彼に心が締め付けられる。
「僕が言うのも何だけど……好きな人と、セックスしたことない?」
「……」
目を丸くしたあと、みるみる濃褐色の瞳が潤んでいく。その顔を見て、僕は彼の触れてはいけない所をつついてしまったのだと気付いた。
「っごめん、ヒカルくん……!」
慌てて彼を抱き締める。涙を見てはいけない、進藤先輩の――ヒカルくんの、柔らかい部分を、僕が掻き回してはいけない。本能的にそう思い、薄い背中に腕を回して力を込めた。
「え、オレ、……え……?」
なんで自分が泣いているのか分かっていないようで、その無垢さに心が痛んだ。と同時に、進藤先輩が碁盤の前で打っている姿が脳裏に蘇った。
凛と打つ度に周りの空気が澄んでいく。神々しさすら感じる表情は、まっすぐ碁盤を見据えている。目の前の人間ではない、彼はただ盤上の景色しか見えていない――。
「良いよ、ヒカルくん……泣いて良いよ。酷いこと言ってごめんなさい……僕、優しくするから……」
大丈夫だよ、と囁いたつもりが喉に引っかかってくぐもった声になってしまった。ただ痛みを受けて生きているという実感を感じていたあの頃。誰にも求めようともしていなかった自分。手を伸ばしてくれる人もいなく、毎日淡々と過ごしていた。
「……りひと……」
はぁ、と吐息と共に名前を呼ばれる。切ない声に泣きたくなった僕と彼は似ている。考えていることは分からないけど、何故か――こうやって肌を合わせていれば、どう感じているかまで伝わってくるようだった。
可哀想な進藤ヒカル。塔矢アキラに心を砕かれ、寂しさを埋めるために男女問わずいろんな人と身体の関係を持っているのだろう。僕もそうだから、分かるんだ。
「ヒカルくん……」
顔をあげる。目元をほんのり赤くした瞳はもう涙は浮かんではいなかった。僕は目元、頬、そして唇にそっと思いを乗せてキスをしていく。
今夜だけでも良い。彼がどれだけ傷付いているか、それを忘れられるくらい甘やかしたい。彼が求めてくるのなら、今日以外でも、何度でも抱きしめたい。
僕は――彼を救いたい、と思ってしまった。