カラリと晴れた昼下がり。
おそ松は口笛を吹き吹き通りを行く。擦り切れたチャックテイラーはご機嫌の足取りで、大好きなあの子の家を横切りタバコ屋の角を曲がり……おやっと足を止めた。見覚えのある三つ編みの後ろ姿だ。
「お〜い彼女ちゃんっ」
振り向いたそばかすの顔が、ぱっと笑顔になるのを見た。
「お兄さんっ。今お帰りですか〜?」
「うん、にひひっ。一緒に帰ろ」
弟の可愛い彼女の『お兄さん』呼びにくすぐったさを感じながら、彼女が両手に持つ大きな買い物袋をひとつ取り上げて隣に並ぶ。
「なんだかご機嫌ですねー」
「へへへ〜分かる? コレで勝っちゃってさ。アイツらには絶対内緒ね。ケツの毛までむしられちゃうから」
パンチコのハンドルを回すジェスチャーをすると、彼女は口に手を当てあははと笑った。それは例えるなら日向に咲くたんぽぽ。素朴で健気でチャーミングで。いつも太陽のにおいがする十四松にお似合いの娘だと、つくづく思うのだ。
「荷物、持っていただいてすみません」
「いいのいいの」
おそ松は鼻の下を擦る。
「こっちこそゴメンねえ、こんな大所帯の買い物大変でしょ。言ってくれればいつでも荷物持ちするから。カラ松が」
「いえいえそんなっ。 居候させていただいてるので」
彼女は慌てて首を振った。その仕草がどことなく十四松と似ていて、思わず笑ってしまった。
「あれ。おそ松帰ってたのか」
居間の障子を開けたカラ松が、テレビの前でビール缶を片手にくつろぐおそ松を見るや台所の方をちらと振り返って「あの子と一緒だった?」と訊く。
「んあ? あ〜、パチの帰りに偶然会って一緒に帰ってきた」
テレビ画面の中で元セクシー女優のタレントが下衆な下ネタでイジられスタジオに笑いが起こる。んはは。おそ松も笑う。
「……何もなかったか?」
んっ? カラ松の顔を見た。妙な質問をする。
(やっべ。大勝ちしたのバレちゃったか?)
一瞬ドキリとしたおそ松だったが、すぐにそっちの事ではないと気がつく。
「……何もって、何」
「ないならいい。おい、昼間っから飲むなよ」
カラ松はおそ松の手からリモコンを奪うと、隣にどすんと腰を下ろしてザッピングを始めた。
「えええっ。なになに、気になるんだけどっ」
追及してもカラ松は口をへの字に結んで煩そうに顔を逸らす。こうなると頑固な性格でなかなか口を割らない。そこでズバリと切り込んだ。
「カラ松お前さぁ、あの子のことあんまり気に入ってないよね?」
「……」
やっぱりか。
こちらを見た顔にその通りだと書いてあるが、それ以前に態度に出過ぎているのだ。他の弟たちが歓迎ムードの中、いつもなら率先してウエルカムを表現する次男がいつになく素っ気ないことに気がつかないおそ松ではない。
おそ松は一度台所を振り返ってから、声のトーンを落として訊いた。
「それってやっぱりあの子の『前のお仕事』のせいだったりする?」
「…………ちがう」
「ほんとにい? つーかお前、結構態度に出ちゃってるからな。気をつけろよ?」
できれば家庭内は円満であって欲しいものだ。それにしても、とおそ松は思う。
「いつも来る者拒まずのくせして珍しいよなあ。あ。もしやひょっとして……みちゃったとか?」
「みちゃった?」
オウム返しするカラ松に、おそ松はさらに声をおとして含みのある声色で「小春ひなたちゃん」。その途端、胸ぐらを掴まれた。
「なっ、なんだよ」
「オマエな! 彼女にも十四松にも失礼だっ」
「あ……ご、めん」
カラ松の言う通り、今のは軽率だった。あのふたりはバカップルと呼びたくなるような仲良しぶりを見せつけてくれるが、きっと今も色々な葛藤を乗り越えようとしている途上に違いなく。おそ松は珍しくしゅんと反省する。
その時、彼女が居間の入り口にひょいと顔をのぞかせた。
「お昼ごはん、おふたりとも食べますよね?」
「あっ食べる食べる! カラ松も昼飯まだだよな?」
カラ松が硬い表情で頷くと、彼女はたんぽぽのように笑う。
「お素麺ゆでるので少し待っていてくださいねっ」
彼女は台所に戻り、おそ松は気まずい表情をカラ松に向けた。
「やべ〜。聞かれてなかったよな?」
「知るか」
*
(小春ひなたかぁ)
昼寝をしに二階の男部屋に戻ったおそ松は、ふと思い立ち、私物を入れてある衣装ケースの引き出しを開けた。ゴソゴソ奥を探る……
「お、あった」
取り出したのは簡素なプラケースに入ったDVD。『小春ひなた 20歳の欲情』。
それは偶然見つけてしまった、あの娘。
まだ片想いだった十四松の恋を兄弟で応援していた頃、ビデオ屋の黒暖簾で仕切られたコーナーで見つけた。見覚えのある顔に動揺したおそ松は、気がつけばそれを借りていた。あそこにあってはいけないと思ったのだ。返却はせず賠償金を払って金欠になって───当然再生するつもりはないものの、何故か捨てることもできず、ここにずっとしまってあったものだ。
当時、このことを十四松にも誰にも言わなかった。その恋がうまくいってもいかなくても墓場まで持っていくつもりで。
(まさか親に紹介するタイミングでカミングアウトするなんてな。ふたりともそれだけ本気ってことだよな)
旅立つ彼女に別れを言いに駅へ向かった十四松が、彼女を連れて帰ってきたあの日。揃ってまぶたを腫らしたふたりの目の奥に覚悟のようなものを見た時、おそ松は土下座してでも両親にふたりのことを認めてうともらうと決めたのだ。
実際に土下座したのは十四松で、戸惑う父親を説得したのは母・松代だったが。
DVDの件はカラ松にだけは打ち明けた。
一緒に暮らすようになった弟の恋人の過去の芸名を知っているうしろめたさは想像以上で、あらゆる情報にアクセスできるこの時代において、自戒のためにも誰かと共有しておきたかった。ただ、さすがにモノを持っているとまでは言えなかったが。
「……さすがに捨てた方がいいよなぁ」
淡いブルーで印刷されたタイトル文字を見ているうちに、ビデオ屋で見たパッケージがぼや〜と頭の中に思い出されて(イケネ!)頭を振って追い出す。