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    tamaki88888888

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    tamaki88888888

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    因習村太刀忍です。
    タイトルはFF9から同名の曲より。
    狼の妖たちかわけい×妖怪退治人しのださんの話。

    いつか帰るところ「───以前より鉄と火薬の匂いが強くなった」
    「そして、ヒトは火だけでなく夜闇を照らす方法を手に入れた」
    「もう私達は、これまでの在り方ではいられないかもしれない。かつてヒトは理解の及ばないモノたちを畏怖し、祀った。だが今となっては……もう……」
    「……い、お前は……、……」

    「……父ちゃん?」




    いつか帰るところ





    冬が終わり、柔らかくなった風が忍田の頬を撫でる。
    忍田は山の中腹から、眼下に広がる平野を見下ろしていた。どうやらここが目的地で間違いないようだった。
    この山から流れる一本の河川を中心に、なだらかな土地に家々が身を寄せ合うように集まって集落を作っていた。地面は青々とした草で茂っており、田畑は豊かに広がっていた。
    そして忍田は自身の服装に目をやってため息をついた。いよいよ観念するしかない。
    「行き倒れにしては綺麗すぎるか……」

    「──あれえ、お兄さん。見かけない顔だね?旅の人かい」
    ふらりと現れた忍田に、農作業に勤しんでいた村人が顔を上げる。
    「こんにちは。どうも迷ってしまったようで……少しでいいので水と食べ物を分けてくれませんか」
    「それは構わんが……」
    「少しなら持ち合わせがあります」
    男は忍田の身なりを見て同情的な視線を送る。確かに忍田は上から下まで土まみれ泥だらけで、疲弊した顔をしていた。申し出を断って無下に扱うことは憚られるほどだった。

    「そういえば今日は祭りか何かが行われているのでしょうか?なんだか慌ただしそうですが」
    井戸で汚れを落とした忍田は、縁側で握り飯をご馳走になっていた。
    丁寧な言動を心がけつつなんでもないことのように尋ねた忍田に、しかし男は妻と目を見合わせると表情を曇らせた。
    「……ああ、そうだね。明日は四年に一度の祭りの日なんだよ」
    「詳しく聞いてもいいでしょうか」
    「いやなに、よくある話さ。村を守る神様に贄の娘を捧げる日なんだ」
    「それは、非道い話だ。……この村の長はどちらにお住まいですか」
    「あんたは一体……」
    「申し遅れました。私は妖怪退治人の忍田です。飯の礼に、娘を喰らう妖を退治させてください」

    儀式の中止を渋る村長や重役たちを説き伏せるのは予想通り骨が折れた。しかし忍田にとっては良くあるやりとりであり、慣れたものである。
    「ではこの中にその神を見たことがある方はいらっしゃいますか。祟りが起こったことは?」
    そう問うとその場にいた者は全員黙りこくった。本当は皆、生贄を差し出すことに懐疑的だったのだろう。
    だが慣習というものは根深く人々の心に残っていた。誰かがやめようと言い出すには荷が勝ちすぎた。無関係の第三者である自分が自ら責任を負うことを申し出ればきっと乗ってくるだろうという思惑が忍田にはあった。
    「かつてはそうだったかもしれません。しかし、もう妖を恐れる時代は終わりました」
    必ず『大神』と呼ばれた妖の首を持ってくることを約束すると村長は渋々と頷いた。

    翌日。
    忍田は嫌だとささやかに抵抗したのだが、花嫁衣装を纏い生贄の娘と入れ替わることでその『大神』と相見えることとなった。
    実は何度かこのような経験があるだけにまたかとげんなりする。せめて動きに支障が出ない格好にしてくれと頼むのが精一杯だった。
    「……来てくださって、本当にありがとうございます」
    「あなたが」
    「はい」
    忍田に白い着物を着付ける女性が背後で小さく囁いた。忍田はそちらを振り返ることなく小さく返す。
    この女性からの依頼を受け取った『本部』から忍田は派遣されたのだ。本来の贄である娘の母親であった。
    「自分勝手なのは承知の上です。でも、それでも私は……たとえこの村と心中することになろうとも……」
    「そんなことにはなりません。我々にお任せください」
    誰かの耳に入る前にと、忍田は会話を短く切り上げた。

    川の本流を辿ると、山の中に滝があった。その滝つぼからほど近いところに、岩肌に大きく開いた暗い穴があった。
    古ぼけたしめ縄が飾られたところ。そこが大神の住処で誰も近づかないのだと忍田は聞く。
    奥へ奥へと進んでいくと、柔らかい光が見えてきた。広く空洞となったところに巨大なひとつの光る岩があり、その前には畳四枚ほどの祭壇があった。
    ぼんやりと光を放つ大きな岩壁を前に、忍田は居住まいを正し呼吸を整える。
    敵は一体。事前に調査が入っているからおそらくそれは間違いない。ここで獲物を仕留め、どこか根城に持って行くのだろうか。そうだとすれば遠くから突然飛びかかられるかもしれない。相手の大きさが分からない以上、間合いが読めない。できるだけ広く気配を探るべく忍田は集中して警戒範囲を伸ばす。左右、後方……洞窟という場所のおかげで方向が限られることが幸いした。
    目を閉じて耳をすませる。音はしない。だが遠くで大きな気配、というより力のようなものが揺れた。
    ───来た。
    忍田は確信する。おおよその大きさも感じ取れた。向こうが気配を消していることを察知し忍田の緊張が高まる。不意を打ち一撃でこちらを完全に屠るつもりかもしれない。着物と布地の下に隠した刀の存在を指先ひとつ動かすことなく確認する。今か、今か。
    まだ、来ない。
    とても警戒心が強いようだ。かといってこちらを探るような動きをしているわけではなく忍田は内心首をひねる。ただ足踏みしてこちらに近づかないようにしているだけだ。
    まさか───匂いか!
    若い娘の匂いではないとバレたか?香を振ってはいたが狼の嗅覚を侮っていたかもしれない。忍田は歯噛みする。自身の間合いにはまだ遠すぎた。だが何にせよ、こちらへ来ることはわかっている。不意打ちで大きな体のどこかに一太刀浴びせれば怯むはずだ。さあ、来い!

    「ギャイン!!」
    「!?」
    焦れるほど時間をかけて近づいてきたそのモノの鼻先を刀の切先が掠めた感触がした。だが何より忍田が驚いたのは目の前の巨大な狼にまるで敵意や殺意が見られなかったことだった。
    「いたい!わあん!」
    小さな切り傷が鼻筋にできた程度だが狼は子供のような声を上げて丸くなった。
    「なんで……?やだった……?」
    「す、すまん?」
    忍田は思わず謝ってしまった。ヒンヒンと鼻を鳴らすその様が余りにも哀れだったもので。
    「ぐす……おれの、およめさん……でもやだって言われたらぜったいだめって母ちゃん言ってた……」
    「母ちゃん……?お前、狼の大妖怪じゃないのか?土地神とも呼ばれるほどの」
    「それ、おれの父ちゃん。すごくでっかいの」
    「それだ。そいつは今どこに?」
    「……もう、いない」
    3、4mはあろうほどの大きな狼はしゅんと耳を垂れた。そのしょぼくれた様子に忍田はようやく力を抜いた。

    聞けば、大妖怪として生贄の娘を喰らっていたのはこの狼の父親だったらしい。力の強い妖怪は時としてその土地の神として人々に祀られ更に力を増す。縄張りとしたその地のモノを他所から守ることと引き換えに、贄を要求することも珍しくない。
    しかし、ある年に生贄として選ばれた娘と出会い、恋に落ちたのだと。もう二度と人を喰べない、危害を加えないことを約束して夫婦の契りを交わしたそうだ。そうして生まれたのが目の前にいるこの狼だとのことだった。
    なお次に捧げられた生贄の娘を村まで送り返したものの、翌日無惨にも死体となって祠に置かれていたので、それから少し遠くの村へとこっそり逃がすようにしたそうだ。
    そして少し前に人間である母親が死に、後を追うように狼の神と呼ばれた父親も死んだのだと言う。

    「でも父ちゃんと母ちゃん、言ってた。つぎおんなのにんげんがきたら、おれのおよめさんにしてもいいころだって」
    「……ん?」
    「およめさんになってくれる?」
    「は?」
    「おれと、えっと、めおとになってください!」
    忍田は面食らった。そしてこの狼の慎重すぎる足取りについてようやく理解しため息をついた。
    「断る」
    「なんでぇ?」
    忍田がすげなく一蹴すると狼はふにゃんとべそをかく。
    「私は男だ、おとこ。雄。」
    「おとこでもいいよ。だっておよめさん、きれい」
    「お嫁さんって呼ぶんじゃない!誰がだ!」
    「……おれ、ひとりでさびしい」
    「あ?」
    「およめさん、いっしょにいてよぉ……だめ?」
    忍田にとってこんなにも敵意のない、意思疎通のできる妖は初めてだった。大抵の場合刀を抜くと激昂して襲いかかって来るのだ。
    そういったモノを斬るのが忍田の仕事だった。そのはずだった。

    お嫁さんの意味をわかってるのかと聞けば、ずっといっしょにいてくれるひとと答えた。
    そう言ってしょんぼりする子狼(図体はデカいが)をとても斬る気になれず、忍田は唸る。
    「……お前、人間に化けられるか?」
    「こうか?」
    そこには狼の毛と同じ色の、癖毛の髪を持つ青年の姿があった。
    「お前、充分大人じゃないか!髭も生えてる!」
    「父ちゃんはこれぐらいのおおきさだった」
    忍田は腕を組んで思案する。しかしまあ、良からぬ動きを見せたのならその場で斬って捨てればいいだろう。忍田にしては楽観的な保留だった。
    「あー、わかった。おい、人間を喰べないと誓えるか?」
    「たべたことないけど、わかった」
    「よし。……お前、名は?」
    「ケイ」
    「字は」
    「よろこぶだって。おれはわかんないけど」
    「けい……慶か。良い名だ」
    忍田は鼻先の切り傷を白い布で拭ってやる。ついでに目元も拭いてやると慶はくふんと狼らしからぬ声で鳴いた。
    「おいで。私と一緒に行こう」
    「……──うん!」

    「そういうわけで、こいつは連れて行きます」
    村長の屋敷の前で、忍田はさっさと纏っていた着物を脱いで自分のものに着替える。
    「これが、『大神』の正体です」
    できるだけ自分を大きく見せる姿になれ。そして私がいいと言うまで喋るなよ。そう言いつけたのは忍田である。
    家の一軒や二軒はあろうという巨大な狼に腰を抜かす者、あんぐりと口を開けたまま固まる者をさておいて忍田は村長へ声をかける。
    「ご覧の通り『大神』の首です。胴体と繋がっていますが」
    できるだけ早くここを去りたかった。慶の大幅な姿変えはそれほど長くは続かないそうだ。
    それに……
    キィン。刃物が地面に落ちる音がし、忍田は詰めていた細く息を吐いた。
    そしてわあっと声を上げて泣き崩れる女性がいた。
    「娘は……生きて、生きているんですか……!?私の娘は!!」
    女性は狼に臆することなく詰め寄った。助けを求めるように慶がこっちを見たので、忍田は喋ってもいいと合図した。
    「えっと……たぶん」
    女性は更に声を上げて泣き出した。
    おそらく何年か前、生贄となった娘の母親なのだろう。忍田は初めから彼女の張り詰めた殺気を感じていた。自分の命など、村のことなどどうでも良いから、憎い獣の神に一矢報いてやろうという覚悟だった。もし包丁を向けて突っ込んで来るようなら止める準備はできていた。だがそうならなかったことに密かに安堵する。
    「東の山をふたつ越えた先の村……そこに娘さんたちを送っていたそうです」
    女性を刺激しないように、忍田は彼女と慶との間にゆっくりと割って入った。
    「神様、ああ、神様……!うわあああ!」
    「もう生贄の儀式はやめてください。この村は大丈夫だ」
    「お、おれ……」
    何か言おうとした狼の前に手を挙げ、忍田はその先を制する。
    「ではこれで。もし何かあればこちらにご連絡ください」
    忍田は『本部』の連絡先を記した紙を村長に渡すと、大狼を連れて村を後にした。

    「……ごめんなさいっていわなくてよかったの」
    「それは……いいんだ。お前が謝るべきではない」
    四分の一くらいの大きさになった慶と連れ立って山道を歩く。いくらなんでもこの狼と共に人里近くはうろつけなかった。
    「お前の母さんはどこに埋葬した?父さんの方は消えただろう」
    妖は死体が残らないことが多い。実体はあくまでも霊力だからだ。
    「まいそう」
    「埋めたところだ」
    「母ちゃんがすきだった、はなばたけのとこ」
    「そうか。そこへ行こう」
    「なんで?もう母ちゃんおきないよ。においもない」
    「挨拶をするんだ、行ってきますって。ヒトが眠る場所というのは特別なんだ」
    「ふーん……」

    「ここだよ。あの辺に母ちゃんうめた」
    辿り着いたのは一面の花畑だった。山間にこんなに広く平坦な場所があったことに忍田は驚く。
    「綺麗だな」
    「うん」
    淡い色の花弁が風に吹かれてびゅうと巻き上がる。澄み切った青空に萌ゆる緑は良く映えた。
    「父ちゃん、母ちゃん、おれにもおよめさんできた」
    美しい景色と感慨に浸っていたところを忍田は聞き捨てならぬ言葉を耳にした。慶の独白を止めるか迷って、結局拳を下ろす。
    「だからさ……もうひとりじゃないよ。しんぱいしなくていいから。えっと、いってきます」
    花を踏まないようにそっとこちらへ歩いて来る狼を横目で見ながら、忍田は迷った挙句深く一礼した。語るべき言葉は見つからなかった。でもこの場所を、この風景を覚えておこうと思った。
    「あいさつ、してきた」
    「慶、私を二度とお嫁さんと呼ぶなよ。いいか」
    「えっなんで。いっしょにいてくれないの」
    「そうじゃない。いいから私のことは忍田さんと呼べ」
    「しのださん」
    「そうだ」
    「おれは慶でいいよ。だんなさまでもいいけど」
    「誰が呼ぶか!……全く、人里に降りる前に準備をしないとな」

    時間をかけて忍田と狼の慶は山のふもとまで降りてきていた。
    「……ん!これ、おいしい!これなに?」
    「それは大福だ。黒いのは餡子といって……」
    「ちがう、この白いとこ」
    「それは餅だな」
    「もち?餅!餅おいしい!」
    本物の狼が餅を食べるかどうかは疑問だったが、人間や家畜を食べたいと言い出すよりよほど良かった。
    「おれこれ好き〜〜」
    「慶、字はこうだ」
    手元にある紙に『餅』『もち』と書き付けて慶に見せる。
    「えーおれ字きらい」
    「いいのか?町でこれが読めなければ買えないぞ」
    「……おぼえる」
    慶は好き嫌いというか興味関心にムラのある奴ではあったが根は素直だった。この調子なら人間の言葉や文化に馴染むまでそう時間はかからないことだろう。
    ただずっと人間の姿でいるのは窮屈らしい。眠いときや気が抜けたとき、また感情が昂ったときには頭にぴょこんと狼の耳が立った。その度にそれを抑えるように手でわしわしと髪を撫でつけた。人前では絶対に狼の姿を見せないことを約束させた。その代わり、夜、人目につかない限りという条件のもとで狼の姿で野山を駆け回ることを許可した。
    「慶、お前の名前を考えたんだ。見てくれ」
    「んん……?これ知ってる!刀!」
    「そうだ、よく覚えたな。これは太刀と読む。私の刀のことだ」
    「たち」
    「これは川。お前の故郷には豊かな川があっただろう」
    「かわ」
    「合わせて太刀川。今日からこれがお前の苗字だ」
    「たちかわ……なんか、かっこいい。た、ち、かわ……」
    慶は気に入ったのか、忍田の書いた太刀川の字の横に同じように不恰好な太刀川を繰り返し書いている。
    「慶よりかんたんでいいな」
    「そこか……」

    忍田と太刀川の旅が始まった。
    基本的に忍田は本部からの指令を伝書鳩で受け取り、その指示通りの土地へ赴き妖を退治して回っている。それに道連れができた。
    太刀川は普段は人間の格好をしているが、妖との戦闘になると狼の姿となって忍田と共に戦った。
    剣を教えようとしたこともあるが、忍田の破魔の刀とは相性が悪いようだった。そもそも筆や箸も碌に使えないような手で扱えるはずもなく、それは早々と諦めた。太刀川も「今じゃない気がする」とあまり乗り気ではなかったようだ。
    幼かった物言いも青年の見た目に追いついてきた。しかし何歳なのかと聞いてもそれは良くわからないようだった。
    そして太刀川は寝るときだけはやたらくっつきたがった。野宿ならともかく、宿でも忍田の布団に入りたがった。狭いと追い出してもすぐ身体を寄せてくる。
    「父ちゃんと母ちゃんとこうして寝てたから……」
    しゅんと垂れた耳でそんなことを言われてしまえば忍田も蹴り飛ばすわけにはいかなかった。
    いつか変な気でも起こさないかと心配ではあったが本当にただ引っ付いているだけで満足のようだった。なお、子供がどうやってできるか知っているかと問うと仲のいい夫婦のところに白い鳥が持って来ると答えたので忍田は軽く頭を抱えた。
    本部には『【大神】の退治完了。道中で狼を拾った』とだけ書面で報告した。何か突っ込まれたらどうしようかと身構えたが何事もなく忍田は胸を撫で下ろしたのだった。


    【中略】






    「子供が欲しいのか」と聞かれたので「そうでもない」と答えたことがある。すると忍田さんは驚いたあと、なんだか変な顔をして首を傾げた。それ以来そんなことは聞かれなかった。
    だって、きっとその子供には可哀想な思いをさせてしまうとわかっていたからだ。

    『慶、ごめんね……あなたを一人にしてしまう……』
    死に際の母ちゃんの言葉が頭に浮かぶ。その時は意味がわからなかったけど、今ならわかる。
    母ちゃんは多分知っていたんだ。自分が父ちゃんを連れて行ってしまうってことを。だって父ちゃんは母ちゃんのこと、魂の深いところで愛していたから。俺たちは気持ちや心を糧として生きているモノだから。
    父ちゃんは俺が一人でも生きているように最低限の知識だけ与えたあと消えて行った。母ちゃんのところに行ったんだなってすぐにわかった。
    だから、父ちゃんにとっての母ちゃんのような『およめさん』が俺にもいればいいと思った。
    ただそのひとが『およめさん』になることを嫌だと言ったらあきらめて、次のひとを待てばいいと思った。およめさんになってくれるひとが来るまで、どれだけでも。だって愛し合わなければ父ちゃんと母ちゃんみたいにはなれない。
    忍田さんをはじめて見たとき。正確には鼻っ面を切られて痛くて泣いたとき。俺を心配するこのひとが、ああこのひとがいっしょにいてくれたら嬉しいだろうなと思った。本当に、なんとなくだけど。
    そして忍田さんは俺を山から連れ出してくれた。色んなことを教えてくれた。いっしょにいてくれた。
    『良くない』妖を退治するとき、裏切り者と言われたってなんとも思わなかった。だってそいつらは自分にとって大切なもののところへ帰っていくのだろう。それならむしろいいことじゃないか。
    でも人間はそうじゃない。忍田さんも。だからそいつらから守らなくちゃいけないと思ったんだ。
    まあ俺が忍田さんを守ったことなんてそんなにないんだけど。忍田さんすげー強かったから。

    そうしてふたりでいるようになってからどれくらいの時間が経っただろう。
    忍田さんのおかげで人間の言葉は大分流暢になったが、時間というものの感覚はいまいち共有できなかった。妖と人間は命の長さが全然違うからじゃないだろうか。朝に陽が昇り夜になる回数を数えるなんて良くやるなあと俺は今でも密かに感心している。
    長かったような気もするし、あっという間だった気もする。

    忍田さんが咳をするようになって、床に臥せる時間が長くなった。
    妖の呪いやまじないの匂いはしなかった。ただ死の匂いがした。俺はこの匂いを知っている。そうか、忍田さんも死ぬのか。そう思った。
    なあ、誰か連れてこようか。ほら、前に俺が突っかかって喧嘩した奴とか。梅なんとか。会っておきたくないの。そう言うと忍田さんは少し笑った。
    「お前、自分が突っかかった自覚あるのか」
    失礼だな。あるよ。あいつ、わざと忍田さんにべたべたして俺を挑発した。まあ俺も今より少し幼かったからそれに乗って殺し合い一歩手前まで行ったけど、ふたりして忍田さんに拳骨されて終わった。あいつどうしてるんだろうな。
    「あいつも死んだ」
    ……そっか。
    「私は長く生きたよ。もう充分だ」
    ……そっかあ。
    忍田さんは穏やかで満足そうだった。それならそれで良かった。ただ咳をすると苦しそうなのでそれだけは見てて辛かった。
    こういう咳を治せる薬とかまじないとかないのかな。俺探してこようか。
    「いい、いらない。それよりそばにいてくれ」
    そんなふうに返されて俺はすっかり嬉しくなった。ふふ、いっしょにいてって頼んだのは俺なのにな。忍田さんも同じ気持ちだと思うと顔がにやけて仕方がなかった。
    俺は狼の姿になって忍田さんにくっついた。こうしているのは安心するから大好きだった。野宿するときは腹に忍田さんが頭を乗っけてそのまま俺が丸くなるのがお決まりの体勢だった。『お前のおかげで野宿がこんなにも快適になった……!』って感動してたっけ。わはは。
    忍田さんが咳と一緒に血を吐いたとき、ああいよいよかと俺は思った。そしてそれとほぼ同時に俺は体が浮いたような重くなったような感覚があった。存在そのものが揺れた気がした。


    ──忍田さん、見える?
    「け、い……?お前、もう、消えかかって……」
    うん。だから、ずっと一緒だよ。
    「慶……」
    俺さ、きっとずっと忍田さんを待ってた。あの山から連れ出してくれる、忍田さんを。
    「そうか……」
    大丈夫。離れて生まれてもまた絶対会えるから。じゃあ今度はさ、俺から会いに行くよ。
    「けい……」
    忍田さん?聞こえる……?
    「うん、うん……慶……」
    一緒だから、大丈夫だよ。
    「お前の声、聞かせて……」
    うん、良いよ。色々あったけど、楽しかったなぁ。一緒にいてくれてありがとな、忍田さん。大好きだ。
    「うん……」
    次の俺たちはどんなかな。今度は俺も刀持ってみたいな。それでさ、忍田さんに剣教えてあげんの。俺が師匠な。
    「……」
    へへ、やっぱ変かな。じゃあ忍田さんが先生でいいよ。
    「……」
    で、同じぐらい……いや、もしかしたら俺のが強くなるかもな。
    「……」
    そしたら今度は、俺が忍田さんを守るよ。
    「……」
    な、だから……。
    「……」
    そのときまで、おやすみ。またな。



    「───さて、俺もやることやらないとなぁ」
    完全に冷たくなった忍田を着物とその他ありったけの布で包み、太刀川はそれを背負う。
    狼の姿に戻ると大事な大事な忍田と、その相棒の刀を背に走り出した。
    「うーん、正直に話したら怒られたかな」
    でも人間にも、妖にも、誰にも渡したくなかった。
    目指すのは始まりの場所。いつか帰るところ。そこに忍田を埋葬し共に眠るのだと太刀川は決めていた。
    動きが鈍くなってきたことを自覚しつつ、太刀川は山から山へ駆けて行く。
    (頼むから保ってくれよ。……いや保たせよう。自分でそう決めていればきっと大丈夫だ)
    「着いた……ただいま」
    似たような風景はたくさん見たが、太刀川にとってここほど美しくて『帰って来た』と思える場所は他になかった。図らずともいつかと同じように花がたくさん咲いていた。やっぱりここは懐かしい。いつか見た風景だった。
    力の入らない前足で懸命に穴を掘る。深く、深く。
    そこに忍田の身体と刀を布に包んだまま横たえ、しっかり穴を埋めると太刀川はその脇で丸くなる。掘り返してしまったことを少しだけ申し訳なく思いながら、忍田と自分が眠る場所にもまた花が咲いたらいいと思った。

    もう寂しくはなかった。ここでは一人ではなかったからだ。太刀川はそれを誰よりもよく知っていた。
    暗くなっていく視界の中、懐かしい花の匂いがした。

    狼の姿はやがて霞んでいき、花弁を巻き上げた風に溶けて消えていった。




    やがてどこかの世界、どこかの時の流れの中で出会った太刀川と忍田は、山の中にある花畑の夢を見るようになる。
    それは泣きたくなるほど懐かしい風景だった。そこに咲く花々の匂いを彼らは確かに知っていた。

    (了)
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