【伏棘】顔を仰向ける。
すると咥内に含んだ白い液体が、どろり、と舌の上をゆっくりと伝った。途端に全身の神経が粟立ち、ゾクリと肩が震える。
だめ。
耐えろ。
「無理に飲まないでください」と忠告した恋人の言葉が頭をよぎるが、後悔はない。逆の立場だったら、恵だって飲んでると思うから。
自分の身体なのにコントロールが利かない。
刺激に正直な身体は、喉を通る液体に過敏に反応する。そして神経の昂りが一点に集中し、今日何度目かわからない感覚に身震いすると――
「――――っッッ!」
「…………無理しないでくださいって言ったじゃないですか」
声にならない声を発して頭を抱える俺に、恵の心配そうな声が沁みる。いや、呆れたようにも聞こえるのは幻聴か。
「……おががぁ」
頭全体を刺す鋭い痛み。
「棘はほんと冷たいもの弱いよな~」とパンダの声が降ってきた。痛みをこらえて目を開けると、俺が飲み干したばかりのグラスの底に長い指先をつけ、器用にクルクル回している。
そう、飲み干した、キンキンに冷えた甘くてどろどろの白いドリンク。恵が大量に作ってくれたバニラシェイクだ。作ってくれたというより、作らされた、が正しいけれど。
遡ること20分。
泊りの任務から帰宅し部屋の冷蔵庫を開けると、賞味期限が今日の牛乳が3本も発掘された。1、2年のグループラインにヘルプを求めると、パンダも持て余している食材があることが判明。真希の「今から全員食堂に来い」の一言で、俺は牛乳、パンダは悟にもらったというバニラアイスを抱えて集まった(任務中の野薔薇からは「残しといて!」のスタンプが)。
「……でかいな」
大柄なパンダが持っても違和感のない超特大サイズのアイスに真希が顔をしかめる。
洋画に出てくるバケツアイスは知ってるが、バケツというよりタライだ。
「悟が注文数間違えたんだとよ」
たまたま職員室にいたパンダに「食べ盛りでしょ。高校生なんて食べても食べてもお腹すくもんね~」と押しつけたらしい。そして「甘い物とって疲労回復して☆」と伊地知さんにも。
絶望する気の毒な姿が容易に目に浮かぶ。
「よし。牛乳、バニラ、とくればメニューは決まりだな」
真希が茶色の大きな紙袋をドンとテーブルに置いた。有名ファストフード店のロゴ付きの袋からは、食欲を刺激するあの油っこく香ばしい匂いが漂う。中からそれを次々に取り出すと、破って開いた紙袋を大皿代わりにざらざらと山のように豪快に盛った。
「ポテトに合うものっていったら、バニラシェイクだろ」
手ぶらだった恵がシェイク当番となり、年季の入ったミキサーにアイス、牛乳、氷、そして甘党じゃない恵は渋ったが「ポテトの塩気が引き立つんだよ」と真希の命令により砂糖を追加させられると、氷の砕ける勇ましい音を響かせた。
というか恵の顔。激甘確定なものを前に表情筋が死んでいる。コーヒーを淹れてる時とのギャップに思わず頬がゆるんだ。
「最っ高だな」
ポテトとシェイクを堪能しながら真希とパンダが目を細める。一方恵は修行僧か、ってくらい無表情で、真希に注がれたノルマを消費している。
細かい氷のシャリシャリした食感と甘くてどろりとした喉ごしが、夏本番の蒸し暑く、汗ばんで火照った身体に沁みる、が。
「―――おががぁ……」
かき氷といいシェイクといいアイスといい、毎回冷たいものを食べると途端にキーンと痛くなる。
「私が代わりに飲んでやろうか」
「頭痛めてまで無理しないでください」
「スプーンですくってちびちび飲むか?」
みんなに心配されるが、なんだか恥ずかしいような負けたような気分になって「おかわり!」とグラスを掴んだ。せっかく恵が作ってくれたものだ。残したくないし、なんだったらたくさん飲みたい。
呪骸であるパンダはまだしも、なぜか恵も真希も冷たい物で頭が痛くなったことがないらしい。真希なんか、ポテトをつまみながらジョッキで何杯も平気な顔して呷っている。しかも大ジョッキでだ(なんでジョッキが寮の食堂にあるかは不明だけど)。
禪院家には頭がキーンとならない遺伝子でもあるのか?
「――で、先輩はまた頭痛めたいんですか?」
恵が信じらんねえという顔で、俺がビニール袋から取り出した茶色いパウチを睨んだ。
ポテト&バニラシェイクパーティーがお開きになった後、恵の部屋に行く前に自室に寄った。バニラを大量に摂取したせいでチョコアイスが恋しくなったからだ。もちろん恵の分のクーリッシュも持ってきたけど、シェイクの消費に少しは貢献した反甘党の後輩は「ありがとうございます。1週間後ぐらいにいただきます」と秒で自分の冷凍庫に仕舞った。
頭痛は嫌だけど、もともと体温が高いせいか夏はとくに冷たいものが欲しくなる。頭痛かアイスか。職業柄痛みには慣れてるし、天秤にかけるまでもない。
クーラーの効いた部屋で早速キャップを開け、手の熱で少しゆるみ始めたパウチを両手でギュッと押す。隣で熱そうなブラックコーヒーを飲んでいる恋人の、スンと冷ややかな視線は無視だ。
口に含むと、体が欲したチョコのコクと、一瞬で幸せになる濃厚な甘さが口いっぱいに広がる。やっぱアイスうまー。
そして予想通り、
「――――っっ!」
相変わらず鋭い痛みが貫く。氷をガンガンに入れてたシェイクより冷たくないから軽症を期待したけど、関係なかった。
両手でこめかみ辺りを手でグリグリやってやり過ごしていると、「先輩、いい対処法があるんですけど」と恵が顔を覗き込んできた。そして「試してみてもいいですか?」と。
なんでシェイクのとき教えてくれなかったんだと一瞬思ったが、2口目3口目を楽に食べれるならと思い、痛みに耐えながらこくりと頷いた。
「じゃあ俺の方、向いてください」
促されるまま顔を上げる。すると大きな手のひらが両頬を包んだ。
そして――。
「!?」
不意に唇を塞がれる。と同時に舌がねじ込まれた。
「んっ」
突然の刺激に息がうわずる。唇をぴたりと覆われているから、なんで!? と訊くこともできない。
アイスで冷えきっていた舌が、コーヒーで温まった恵の舌に触れる。その温度差に身体がビクリと跳ねた。でもいつものように舌を絡められることはなく、なぜか上あごの窪みを舌先で執拗に撫でてくる。性感につながる敏感な場所を。
「ふっ……んんっ――」
背すじが波打つ。次々と湧きあがる快感に恵のTシャツを掴む手に自然と力がこもった。
チョコの甘さで満たされていた口の中が、砂糖もミルクも何も入れていない、いつも恵が飲んでいるコーヒーの苦さと混じる。
目にうっすらと涙が浮かんできたころ、やっと恵の舌から解放された。
「つなっ!」
「頭、痛いの治りました?」
は? ………………そういえば。
脳みそが縮みそうな痛みがきれいに消えている。
でも。
「いくらっ」
「ちょ、先ぱい、いひゃいって」
良い仕返しが咄嗟に思いつかず、とりあえずほっぺたを両手で引っ張った。
「れっきとした対処法ですって」
「おーかーかー」
「痛ってえ……。そもそも冷たいもの食べて頭が痛くなるのって、」
頬をさすりながら恵の解説がはじまる。
要約するとこういうことらしい。
別名アイスクリーム頭痛と呼ばれるこの現象は、
三叉神経が急激に冷やされる → 痛みがきた!と脳が勘違い → 痛み信号が脳から出される → 頭がキーン!
という仕組みらしい。
痛みを和らげるためには口の中、特に上あごを温めるのが効果的なのだとか。
「遺伝も関係するみたいで、先輩は敏感な家系なのかもしれませんね」(だから真希も恵もキーンとならないのか)とか「ちなみに三叉神経は眼の周辺、上あご、下あご辺りの文字通り三叉に分かれていて……」とか「冷たさにかなり敏感ならアイスであっても少し温めてから食べたほうが……」とか「それか口内を温めるために熱いものを飲みながらアイスと交互に食べるか……」と勝手に口の中をまさぐって体を火照らせておいて、座学10によるムードもへったくれもない講義や小言が続く。
だから恵の膝にまたがり、唇をふさいで遮ってやった。そして意味深に口角を上げ、瞳を細める。
――じゃあ恵が温めてくれる? 頭が痛くならないように。
ごくりと唾を飲む恵がかわいい。
そうして唇をあわせようと油断したところに、恵の口にクーリッシュをブシャッと流し込んだ。勝手に口の中をまさぐった仕返し第2弾だ。突然の甘さに恵が顔を歪める。
「めーんたーいこ?」
――アイス、温めて食べろって言ったでしょ?
だから恵に温めてもらうことにした。俺の口の中じゃなくて、アイスを。
恵の頬を両手で包む。アイスで冷やされいつもよりひやりと冷たい恵の唇に自分のものを重ね、舌を差し入れる。
うん、ちょっとぬるくなってる。このくらいなら頭いたくならないかな。
それでは
――いただきます