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    Rucoruko1

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    Rucoruko1

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    言ったからにはやるべきかなと

    しゃーでろっくな「――アフガニスタン? それとも、イラクだろうか」

     唐突に投げかけられた質問の意義は察せたものの意図は理解できない。
     クリスに投げかけられたのは、不躾極まりない質問ではあったが、不思議と下世話さは感じなかった。声の響きが余りにも無味乾燥で、自分には興味の欠片も無いといった具合だったせいだろう。
     その証拠に、彼女の視線はずっとクリスが貸した携帯に釘付けだし、指は忙しなくタップを続けていた。好奇心の欠片でもあるなら、クリスの姿をもう少し見ていてもおかしくないだろう。
     ちらりとだが彼女を紹介してきた旧友の顔を見る。どういう意図なのだと問いかけてみたが、助け船は来そうにない。彼もお手上げだと表情が語っている辺り、何時もの事なのだろう。

    「……アフガニスタンだ」
    「そう。――ああ、ありがとう。助かったよ」

     手の上にそっと携帯をのせられたかと思えば、彼女は用は済んだとばかりにクリスに背を向ける。質問の真意を問いかけようとクリスは口を開いたが、背後から聞こえたドアの開く音に遮られてしまった。先程席を外した、ブロンドの青年医が戻ってきたのだ。彼女が顔を上げ、礼を言うと慣れた手付きでマグカップを受け取る。

    「ありがとう。……彼女の夜泣きは、思ったより深刻なようだね」
    「ああ、しばらくは慣れそうにないな」
    「そうか。お大事に――と、私が言うのは少しばかりおかしいな」

     カップに口を付け、暢気に談笑まで始めてしまった。クリスと旧友であるバリーを置き去りにして、何なら存在していないかのような顔でそんな会話をはじめるものだから、呆れて物も言えない。いっその事このまま帰ってやろうかと思った矢先に、彼女はやおら口を開いた。

    「聴覚過敏だと医者に言われた事は?」
    「何だって?」
    「バイオリンだとか、そういった類いの弦楽器の音を不愉快に思った事は?」

     これで通じるだろうという表情を浮かべているが、そうではない。そうではないのだ。
     別に気にした事もない。何なら、件のアフガニスタンでも普通の人間ならば到底寝付けないような喧しい中で仮眠を取った事も一度や二度ではない。バイオリンぐらいどうって事無いだろうが――結局、質問の意図は分からずじまいである。クリスが聴覚過敏か否か知って、彼女に何があるというのだ。

    「昔からの癖でね、偶に家で弾くんだ。考えごとに詰まると特に」
    「悪いが質問の意図がさっぱりだ。あんた、何が言いたい?」
    「他にも仕事に熱中していると、何日も口を利かないこともある」

     少し強い口調で問い糾してみたが、やはり明確な回答は帰ってこない。
     それどころか彼女はいそいそと帰り支度のような真似まではじめながら、尚もまくし立てるばかりだ。会話がこれっぽっちも成立しない。
     まるで思考のチャンネルが違っているかのように会話が噛み合わないのだ。彼女がせっかちすぎるのか、クリスがおっとりしすぎているのか。おそらく十人に聞いて十人が彼女の性急さを指摘する事だろう。尤も、それを指摘されても彼女は気にもしなさそうだが。

    「別に、君の事を無視しているだとか不機嫌だとかそんな訳じゃないが――」

     そこで言葉を切り何かを考えるような素振りをした後、ようやく彼女はクリスの方を向く。さも当たり前の事を言うような口振りで、言ってのけた。

    「一緒に暮らすなら、伝えなければならないだろう?」
     
     ここに来て、彼女が本当に同じ英語を使っているのかクリスには分からなくなっていた。
     実は英語のように聞こえる全く未知の言語を操っているのではないだろうか。それならば、いっその事安心が出来よう。言葉が通じていないのだから互いに瑕疵はない。不幸な文化のコンクリフトが原因なのだ。
     けれども。彼女の場合、言葉は通じているのだろうが話がまったく通じている気配が無い。勝手に聞いて、勝手に喋って、勝手に帰ろうとしている。おまけに、ルームシェアは彼女の中で決定事項のような扱いになっているではないか。思わず唯一の共通項である友人――バリーの方を見る。

    「俺の事話したのか?」

     黙ってバリーは首を横に振る。嘘を付く必要もないし、彼はこんな事で嘘を付くような人間でもない。ならば、誰が。微かに眉間に皺を寄せたクリスに、彼女は事もなげに話す。

    「私だよ。今朝方そちらのバートン氏にルームメイトを探していると話したら、ランチの後に旧友を連れてきた。アフガニスタンから帰国したてで、手頃な物件を探しているのだろう。――言うなれば、簡単な推理だね」

     これが大外れなら愛嬌もあろうが、何一つ外してないのだから少々気味が悪い。
     バリーとランチをした事も、帰国した手で住む家を探している事も、家賃を可能な限り抑えたいのでルームシェアを希望している事も合っている。もう一度バリーの方をじろりと一瞥するが、何も話していないのは事実なのだろう。であれば、何故。

    「待ってくれ。どうしてアフガニスタンだって分かったんだ?」

     一向に回答の無いまま、彼女はまくし立てる。この街で良い物件を見付けたんだ、一人じゃ広くて割高だが、二人ならば手頃だと。何やらルームシェアは決定事項のような口振りだが、冗談ではない。何も知らない人間と同じ空間で生活出来るほど、クリスは鷹揚ではないのだ。

    「明日は十九時で構わないか?」

     もしここで仮に、うっかりとクリスが首を縦に振ろうものなら彼女は用は済んだと退出するのは火を見るよりも明らかであった。現に、真っ直ぐに出入り口を目指して歩いている。

    「待てよ」

     思わず、目の前をすり抜けようとする彼女の肩に手が伸びた。勢いよく前へ進んでいた彼女は、思わず後方によろけていた。片手でそれを支えながら、今度は彼女の顔を覗き込んで問いかける。

    「俺はその部屋の事も、あんたの事も何も知らない」

     会った事も無い男とルームシェア?
     正気かと言外に問いかけると、彼女は片眉を跳ね上げる。

    「何か問題でも?」
    「問題しか無いだろ、本当に大丈夫なのかあんた。素性も知れない男と同居だぞ?」

     もし仮に、この現場を別の人間で見たとして――仮に、妹のクレアが彼女だったとしよう。クリスならば絶対に止める。
     バリーも普通ならば止めるはずだが、不思議な事に一向に口を挟む気配が無い。余程クリスを信用しているのだろうが、それはともかくだ。同性であっても厳しい条件に加えて、彼女は文字通りの「彼女」でクリスは男なのだ。多少は警戒して欲しいものだ。
     しかし、彼女はそう思っていないのだ。如何にも不思議そうな顔をしている。

    「君の素性? 見れば分かるじゃないか」

     元陸軍所属、先日までアフガニスタンに居た。負傷して送還されたが、怪我は完治している。杖の理由は心理的外傷。ルームシェアの理由は、少しでも生活費を浮かせたいからだ。目的は妹への仕送りだろう。天涯孤独かそれに近い境遇で、他に頼る人間が居ない。

    「――名誉除隊までした妹思いの男が、強姦に走るとは思えないが」

     慣れた詩を諳んじるような口振りで、彼女はクリスの直近のプロフィールを丸裸にしてしまった訳だ。唖然とするクリスの横を通り抜け、振り返る素振りも無く彼女は部屋を後にしようとする。そして、ふと思い出したように振り返った。

    「私はガブリエラ・ロレンス。住所は後ほど連絡しよう」

     それでは、また。
     今度こそ、彼女は振り返りもせずに立ち去ってしまった。文字通り、嵐のようにだ。

     今を思えば、どうして止めておかなかったのかと不思議だが、当時はそれが一番良いように思えたのだ。何やら、彼女とのルームシェアが一番しっくり来るような、確信にも似た不思議な予感がしていた。
     しかし。どうなのだろうか。ある意味では、人生最大の愚策だとも言えようがまたある意味では人生最大の妙案だったとも言える。

     選択の成否はよくは分からないが、ひとつだけ確実な事がある。
     ――今の生活は少なくとも退屈はしない、という事だ。
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