このあと滅茶苦茶キスしたってやつこのあと滅茶苦茶キスしたってやつ
いつも通り、風呂上がりにキンキンに冷えた缶ビールを手に取り、作り置きの仕込みのためキッチンに立つオレの隣にやって来る大和さん。
「つまみに貰えるのある?」
「ない」
図々しい発言をばっさりと切って、ガスコンロの火を止める。そう……、としょんぼりする大和さんの手元でプシュッと気持ちのいい音が鳴った。
オレも洗い物したらシャワー浴びるか、なんて考えていると、隣から「ブハッ」と、御世辞にも上品とは言えない声がする。見れば、大和さんが盛大にむせている。
「ゲホッ、ゴホッ、ッ、ケホケホッ」
「オイ、大丈夫かよ!」
「カハッ、だ、だいじょぶ……」
配慮の出来る男・二階堂大和は、首にかけていたタオルで口元をしっかりと覆って咳込んでいた。大和さんを心配しながらさりげなくタッパーを守っていたオレも、その手を鎮める。何度か咳をして落ち着いたのだろう。ふー、と息を吐いた大和さんは、意味深な顔で手の中の缶ビールをじっと見つめた。
そのまま、恐る恐るという手付きで缶ビールに口を付ける大和さん。中のビールを口内へ流すように右手に角度が付いたかと思えば、眼鏡のレンズの奥で、悪人面と揶揄される瞳がカッと見開かれた。
「! 〜〜〜っ!!!」
声に鳴らぬ悲鳴が漏れている。
呆気にとられていると、口を半開きにしたままの大和さんが涙目で言った。
「シ、シミタ……」
「ん〜……素人目じゃわかんないけど、黒くなってる…かも?」
スマホのライトで照らしながら、恋人の口の中を診る。こんなマニアックなこと、行為の最中でもしたことがない。ベッドの上なら多少気持ちも違うのかもしれないが、今のオレが抱いていたのは歯磨きの仕上げチェックをする親の気分だった。
「マジ? 味噌汁のワカメが挟まってるとかじゃなくて?」
「今日はコンソメスープだったろ」
「じゃあ黒胡椒!」
なりふり構わず必死に喚く大和さんは、図体がでかい子供そのもの。目の前にいるのは本当にウチの最年長か? 最年少の間違いじゃなくて?
「諦めろ。虫歯か、良くて知覚過敏だよ」
ぽん、と大和さんの肩に手を置くと、彼の背後で「希望」の文字が音を立てて崩れていく。そんな簡単に希望を失わないで欲しい。
「おっさん、不摂生だし呑みなが
ら寝落ちがちだからな。自業自得だわ」
「タイムリープしてソファーで寝てる全ての俺を叩き起こしたい……」
「ハハハ。マネージャーに相談して空き時間で歯医者行くんだな」
背中に哀愁の影を背負ったまま、大和さんがこっくりと頷く。
これを機に、ソファーでの寝落ちが減ればこちらとしても有難い。やっぱり人間は一度痛い目を見ないと成長しないものなのだ。
中途半端になっていたキッチンの片付けを終えてソファーへ向かうと、大和さんは熱心にスマホを見つめていた。「歯医者 痛くない おすすめ」という情けない検索ワードを打ち込む姿に寄り添い、声をかける。
「そうだ、大和さん」
「ん?」
「虫歯治るまでキス禁止な」
「ハ?!」
ゴトン! と音を立てて大和さんのスマホが落下する。それを気にすることなく、否、気にする余裕のない大和さんは「えっ」「ナンデ!」「なっ、何故」「どして?!」と目に見えて慌て始めた。
「いや、虫歯伝染ったらイヤだし」
「うつ、伝染るって! そんなん舌入れなきゃ平気だろ!」
「いっつも舌入れないキスで終わんないから言ってんだろ! あとデケェ声で舌入れるとか言うな!」
「ミツの方がデケェわ! そもそもまだ虫歯かわかんないじゃん!」
「オレは予防から気を付けてんの! ケーキ屋の息子ナメんなよ! あと解禁前だけど実はガムのCM決まってる」
「それはおめでとう!!!」
人の肩を全力で掴み、ゆさゆさ前後させる大和さん。首痛ェわボケ。
「とにかく、虫歯疑惑が消えるまでキスはしません!」
「なっ、だっ、ヤダ!!!」
虫歯疑惑に加えて出されたキス禁止令に、大和さんのメンタルが崩壊する。ぐずぐずと「えっちもできねぇじゃん……!」とまで言い出し、いよいよ手に負えなくなってきたところで廊下からドタドタと足音がした。
「ヤマさんとみっきー、喧嘩?!」
「喧嘩なの?!」
「怒鳴り声が聞こえて……喧嘩ですか……?」
「兄さん、二階堂さん……」
「オゥ……ヤマト、泣いています…?」
心配顔が五つ。オレたちは慌てて互いの肩を組むと「なかよし!」と叫んだ。足元では大和さんの足を踵でぐりぐりと踏み付けながら。
タイミング的にいろいろアウトな発言は聞こえていなかったらしい。こっそりと安堵しながら、ついでに、この情けないリーダーがこれ以上強がったり歯医者から逃げ回ったりすることが無いように、メンバーにも現状を伝える。
「大和さん、虫歯かもしれないから甘いものとか刺激物は勧めんなよ。特にMEZZOな」
「マジ?」
「き、気を付けます!」
こくこくと頷く壮五と、しばらくプリンが取られる心配がないと喜ぶ環。その隣で、ナギが悲痛な声を上げる。
「ヤマト、来週のここなカフェの約束は?!」
「駄目に決まってるでしょう……全く、飲み明かした挙句寝落ちてばかりだからですよ」
さすが兄弟。同じように大和さんの罪をなじる一織の後ろで「大和さん、虫歯が痛くて泣いてたんですか?」と本気で心配そうな陸が顔を覗かせた。
「う、ぐ……」
虫歯も痛いし歯医者もこわい。その上、恋人とのキスを禁止されて泣いていますとは到底言えない。陸はターっとこちらに駆け寄ってくると、様々な意味で小さく呻く大和さんの手を取り、そのきらきらと大きな瞳で愛するリーダーを見上げた。
「俺、応援してます……! 大和さんの虫歯が治るまで、一緒に甘いもの我慢するから!」
「ぐぁぁぁぁぁあ」
「陸、陸、それ以上はやめてあげて?」
あとお前、明日オレと一緒に食べ歩きロケあるからな?
喧嘩じゃないならそれでいいと納得したメンバーが捌けていくのを見送る。リビングの扉が閉まったのを確認すると、大和さんが小声で訊ねて来た。
「ミツ、本当に禁止……?」
いつもはキリッとした眉がハの字を描いて、涙目の目元と鼻の頭がほんのりと赤みを帯びている。蒸気した肌は風呂上がりのせいもあるだろう。ふんわりとシャンプーの香りもして、彼の咥内が健康であれば、オレだって迷わず唇を重ねていたに決まっている。
でも、禁止と言ったからにはこちらも守らなくてはいけない。アイドルは歯が命。美味しく手料理を食べてもらうためにも。
「禁止」
心を鬼にして繰り返したオレに、大和さんは「残りあげる……」と呑みかけの缶ビールをオレに差し出して膝を抱えたのだった。
数日後、立派に虫歯と診断され歯を削られてきた大和さんは「治療……頑張った……」と恥ずかしそうに報告してくることになる。オレはその姿があまりにもいじらしくて、「よく頑張ったな」とご褒美のつもりで彼の唇の端っこの方に小さなキスを落としてやったのだけど、麻酔が切れていなくてミツの唇がわかんない! と逆に大騒ぎされたのはまた別の話だ。