Honey Honey まるで黒光りする柔らかな宝石だ。
グラスに触れれば、振動でふるふると揺れ動く。ゆっくりとスプーンを差し入れると、大和はそのご褒美へ口をつけた。
「どう? オレ手作りのコーヒーゼリーの味は」
「…んめぇー…」
頬杖をつきながら訊ねて来る三月を前にヤギの鳴き声のような返事をすれば、クスクスと笑われた。その何気ない仕草にきゅんとしつつ、二口、三口、とスプーンを運ぶ。
喉越しのいいゼリーはひんやりとしていて、汗ばんでいた体を心地よく流れ落ちて行く。学生の口にも合うようにと微糖のコーヒーが使用されており、ゼリー自体がほのかに甘い。コーヒーフレッシュをかければさらに味がまろやかになって、ますます手が止まりそうになかった。
「でもびっくりしたわ、大和先輩と一織が知り合いだったなんて」
無限に動くんじゃないかと思っていた手がぴたりと止まる。
「あー、うん。まぁね? 知り合いって言っても、ついさっき知り合ったレベルだし」
適当に返しながら、大和は恐る恐る後ろを見た。コーヒーゼリーを食べ始めてから、一度も振り返ることのできなかった斜め後ろを。
「弟くん、久々だねー!」
「いつでも来てねって言ったのにちっとも来ないじゃん」
「うちの部入んないの?」
「……勉強があるので」
家庭科部の先輩女子に囲まれながら黙々とコーヒーゼリーを食べるなど、人によっては血涙が流れるほど羨ましい図だろう。その中心の一織の視線は、ただ一点、大和と三月の座るテーブルに注がれているが。
「こ…っわ…」
「? なに?」
「あ、いや……えっと、仲いいんだな。弟と」
誤魔化すように投げた質問だったが、訊ねられた三月は嬉しそうに「おう!」と笑った。
「小さい頃から何するのも後ろについてきて、オレのこといっつも応援してくれんの。全然オレより頭いいから、入試トップなんか取ったりしてるけどさ。でもあいつも甘いもの好きだし、ときどき子どもらしいとこもあってかわいいんだぜ!」
「へー」
俺にはおまえさんの方がかわいく見えるけどね、と頭の緩いことを考えながら話を聞いていれば背後で「兄さん」と冷えた声が聞こえた。びくっと肩を震わせた大和の様子など無視して、「ゼリー、ごちそうさまでした」と一織が続ける。
「おう! どうだった?」
「美味しかったです、とても。店の新メニューにしてもいいくらいですよ」
「はは、それは言い過ぎだって……てか、もう帰んの?」
三月の言葉に大和もやっと振り返れば、一織はしっかりと通学鞄を肩に掛けていた。まだ傷や汚れのないそれは、大和の色褪せた鞄とは比べ物にならない。ストラップの一つもついていないところは同じだが。
「明日の予習もあるので」
「偉いなー!」
三月の言葉に一織の表情が少しだけほぐれる。どうやらガチの仲良し兄弟らしい。なんとなく肩身が狭くなってちまちまとコーヒーゼリーを啜っていれば、ひとしきり盛り上がったあと「それでは」と話が切り上げられる。連られて頭を上げた。ひんやりとした瞳とぶつかる。
「失礼します、二階堂先輩」
「お、おー……おつかれ……」
「気をつけてなー!」
「はい、兄さん」
そんなにわかりやすく態度変わることある? 子どもらしいとこもあってかわいいとかじゃなくね? 反抗期中?
微妙に心に残ってしまったシコリを大和もまた無視できなかった。一織が出ていった先の扉が閉まるのを見届けてすぐに声を潜める。
「弟くん、クラスに馴染めてんの?」
結構難しそうな性格に見えるけど、と余計なお世話だろうかと思いつつ口にすれば、三月は「そぉなんだよぉ!」と大きな瞳をさらに開いて座り直す。
「部活も入る気ないみたいだし、放課後はさっさと帰って昼休みもオレと弁当食ってんの」
「マジ? うらやま…じゃない。休みの日は? 連休とか何してたんだよ」
「家の手伝いと勉強。あ、店の手伝いな」
「……反抗期ではないのか」
「ん?」
「いやいや。……ちなみに、ミツは休みの日って何してんの」
「オレ? オレも似たようなもんだよ。店の手伝いか、予定あったら遊び行ったり……部活もわざわざ土日はやんないし」
「あ、へー……ふーん……」
「何その反応」
変なのぉ、と笑う三月を前に、大和の思考はすでに一織のことなど忘れていた。友人の多い人物なだけに、予定が詰まっていることも多いだろう。多いだろうけど、逆に、これはわりと気軽に、じゃあ今度遊び行こうよなんて誘えるのでは。
えっ誘っていいよね!? おかしくないよね!? 今日だってミツが誘って来たんだし、俺から休みの日に声かけても不自然じゃないよね!?
自分から誰かを誘うことなど年に一、二回程度の人間からすると、どこまでなら自然なのかがさっぱりわからない。それでも、「休日のミツ」を思い浮かべると大和の中に一つ芽生えたのは「見てみたい」の素直な感情だけだった。
だって見たいじゃん、ミツの私服。
「ちなみにさぁ〜……次の土曜、とかって何してんの?」
「土曜は店の手伝い! 大口の予約入ってるらしくて、一織と一日店に出ることになってんだ」
「あ、そう……じゃあ日曜は? 暇ならおにーさんと遊んでよ」
好きな相手を誘うなど未知の体験で、誘い文句があまりにもダサくなってしまった。どこで学習した言い回しなのかは大和自身も心当たりがない。案の定、三月にも「その言い方、女子にしない方がいいよ」と少し真面目な顔つきで返された。
「日曜もだめだわ。部活の予定ある」
「土日は部活しないって今言ったじゃん」
「買い出しだよ。数ヶ月に一回しか行かないやつ」
三月はそのまま来週の予定も教えてくれたが、同じように土曜日は店の手伝い、日曜日は公開初日の映画をクラスメイトと見に行くと流石の人気者っぷりだった。誰だよ誘いやすいとか言ったやつ。
「日曜の買い出しって、部員みんな?」
「オレと先生だけだよ。お米とか小麦粉とか、業務用でちょっと大きめの買うのに荷物係すんの」
「あ、そういうこと」
女子も男子も入り混じったグループでわいわい楽しくお買い物というわけではないらしい。それならそれで、と少しだけほっとしたところに家庭科準備室の扉が開いてまさに顧問の女性教師が「和泉くんいる?」と三月を呼んだ。はーい、と返事をして去っていく三月を見送り、大和も空になったグラスを手に調理台の流しへと向かう。
「お、二階堂くん自分で洗ってんじゃん」「そんくらいしろって話」
「みっきーのコーヒーゼリー食べさせてもらったんだもんねー」
「なんなの君ら……」
「別に」
「揶揄ってるだけ」
ああ、そう。
同級生女子達に絡まれていれば、ぱたぱたと三月が駆けてきた。「大和せんぱーい」と呼びかけてくる声に一気に大和の心へ花が咲く。やはり、大和にとって三月だけが特別だ。
「日曜日さ、先生に予定できたらしくて延期になっちゃった」
「へー……え?」
おや。おやおや。それってつまり?
「暇になっちゃったから、遊んであげてもいーよ」
大きな瞳が生意気そうに笑う。後ろの方で女子部員の誰かが「は? デートか?」と呟いていた。
日曜日、午前十一時。空は快晴、賑わう駅前。俺は今、好きな子と待ち合わせをしている――……。
そわそわと落ち着かない大和の心を示すように、手の中のスマホがぶるぶると震える。表示される名前にいちいち胸を躍らせながら通話に出た。
「あ、もしもしミツ? うん、もう着いてる。あ、いや、今来たことで別に待ってないけど? ……え? いや西口だって。……うん、書いてるでしょ案内板に……違う違う、銅像のある方……は? 待て待て! もう迎えに行くから! そこから動くな!」
日曜日、午前十一時過ぎ。空は快晴、賑わう駅構内。俺は今、好きな子を迎えに来ている――……。
「いやー、ごめんごめん! こっちの方来るの久々でさぁ!」
「ったく……方向音痴なら最初からそう言っとけって」
大和がため息をつくと、三月は上目遣い気味にもう一度「ごめんな?」と手を合わせて。
「……いーよ」
かわいい、と言いかけて前半の文字をぎりぎり飲み込む。短い付き合いの中で、三月が「かわいい」と揶揄されるのを嫌っていることはもう知っている。
今日の大和の目標は、とにかく三月との仲を深めること。休日でも遊びに行く、親しい先輩のポジションにしっかりと収まって、あわよくば今後も定期的に一緒に出掛けられるようになりたい。
「とりあえずメシ食う?」
「だなー。先輩、何食べたい?」
「なんか定食系」
「あっじゃあオレ知ってるとこあるよ。十五分くらい歩くんだけど、前に行ったことあって……えーっと」
駅構内から出て通りに目を向けた三月が一瞬固まる。
「こっち……」
「遠い目で歩き出そうとするな!」
三月から聞いた店名で検索をかけ、並んで歩きだす(真逆の道だった)。たわいもない会話はこれまでだって何度もしたことがあるが、昼休みの短い時間だったり、ほかの部員もいる家庭科室だったりで、時間を気にせずに過ごすのは初めてのこと。それも、街中とはいえ二人きり。
今日はミツを独り占めできるのだ。みんなの人気者の和泉三月を!
三月の私服はアイボリーのゆったりとしたトレーナーに、黒の半パンというシンプルな恰好だった。自分に似合う服装をよく理解している、女子ウケも良さそうなシルエット。大和からすると、制服姿では決して見られなかった眩しいひざ下にしか目がいかなくて困ったものだが。
白のバケットハットの下からこちらを見上げる瞳が、小さな歯を見せて笑う。
「私服の大和先輩、新鮮」
「そう?」
「うん。無難な感じがあんたっぽい」
褒めてんのかそれは。もう少しキメた方がよかったのか、ミツの好みはどうなんだろう。ジーンズに適当なTシャツと細いストライプの入ったシャツを重ねただけという、本当に無難な服装を顧みる。
ダサい奴だと思われても嫌だし、張り切り過ぎて余計な感情がバレてしまうのも恐ろしかった。
鏡の前であんなに悩んだのも、生まれて初めてだった気がするし。
「ん、ここか」
足を止めると、三月が「そうそう!」と頷いた。どこにでもありそうな、だからこそ信頼できる雰囲気の定食屋。ランチ営業中の札を確認して中へと入れば先客は二組程度で、すんなりと席に通された。
「あ、へー。日替わり、ぶり大根なんだ」
「ランチ?」
「うん。俺これにするわ」
「ぶり大根好きなの。あんたほんとに和食好きだな」
「まぁ。ぶり大根は上位かな」
基本的には好き嫌いもないけど、味噌や醤油で味を付けたようなザ和食ばかりをついつい選んでしまうのだ。
「昼の定食でぶり大根出す店ってのも、そんななくね? ちょっと期待だわ」
他のメニューに目を落としながら「ぶり大根ねぇ……」と三月が溢す。
「ミツも日替わりにする?」
「うーん。……唐揚げにしよっかな」
「あ、そう」
注文すると十分もしないうちに料理が運ばれてきた。こんもりと盛られたほかほかのごはんに、香り良い味噌汁、副菜の小皿が三つもあって地味に嬉しい。揃って手を合わせると、まずはそれぞれのメインを一口。
「ウマッ」
「うん、美味い。米が進むわ、これ」
「わかるわかる」
「ん…んぐっ、……ミツの唐揚げも美味そう」
「一個食べる?」
「えっ、いいの?」
一瞬、それって間接……!? と目を見開いた大和の向かいで、三月が「よくない」と笑って唐揚げに齧りつく。ザクッといい音が響いて、大和はなんだよ、と味噌汁を流し込んだ。
ときどき思う。もしかしてこいつは、とっくにこちらの好意に気がついているのではと。気がついていて、それで、俺を弄んでるんじゃないの。なあミツ。
「今度の部活、ぶり大根作ってみよっかな」
店を出た後、三月がそんなことを呟いた。
「先輩が食べてるの見てたら、オレも作りたくなったわ」
「食べたくなったんじゃなくて?」
「うん。作りたくなった」
こくりと頷いた三月にその理由を訊ねようとしたが、なんだか言葉が上手く出なかった。そうこうしてる間に、「このあとどうする?」とまた眩しい笑顔が大和を見上げる。
「いっぱい遊ぼうぜ、大和せんぱい!」
三月が行きたいという古着屋を覗いて、本屋でおすすめの漫画の話をして、通りがけに見かけたスタンドでアイスを食べる。適当に入ったゲーセンで一通り遊んで過ごせば、時刻はもう十七時に迫っていた。
「いやー、遊んだ遊んだ!」
戦利品の駄菓子が詰まったビニール袋を三月が揺らす。大和はゲーセンなんていつぶりだったか思い出すことすら出来なかったが、凝り性な性格と器用さのおかげで、その手の中にはよくわからないマスコットが握られている。
「コットンってなんだ……カラフルな埃……?」
「先輩、そろそろ駅行こー」
「ん? おう」
よくわからないけど、今日の思い出の品だ。緑色の「コットン」をボディバッグに押し込み、並んで駅へと歩き出す。
終わってしまう。休日を誰かと過ごすのも、それがこんなに楽しいのも、まるで初めての気がした。部活にも入っていない、特別親しい友人がいるわけでもない大和にとって、三年生にしていまさら青い高校生活が回り始めたような。
こんな日を、また過ごせたら。
「あのさ、ミツ。その、暇なときでいいから、よかったらまた――っていない!?」
どきどきとしながら隣を見れば、そこには誰もいなかった。え、まさかこのタイミングでまた迷子!? そんな馬鹿な、と思いながら辺りを見回せば駅前で何やら揉めている男女と、そこに向かって駆けていく三月の背中が見えた。おいおいおい、まさかおまえさん。慌てて後を追うも、あっという間に三月は二人の間に割って入る。
「やめろよ! 困ってんだろ!」
「あ? なんだよおまえ」
三十代後半くらいの柄の悪い男が充血した目で睨むのを無視して、三月が背後の女性に「知り合い?」と訊ねる。三月や大和と同世代に見える彼女は、「さっき、いきなり腕掴まれて…っ」と声を震わせた。
「どけろ、俺はその女に声かけたんだよ!」
「だからやめろって言ってんの!」
「ハァ? うるせーよこのチビ……なんだおまえも女か?」
男の目付きが変わる。ヒールを履いた彼女と三月とではあまり身長差はなく、ガタイのいい男からしても三月は随分と小柄に見えたのだろう。おまけに今日の服装はシルエットのわかりにくいトレーナー。まずい、と大和が足を速める。
「んじゃおまえが代わりに遊んでくれよ、なっ」
ターゲットを変えた男が、そのまま三月に手を伸ばす。その間にどうにか体を滑り込ませると、大和は「はーいストップー!」と大きな声で言った。
「お兄さん、そのくらいにしましょうよ」
「今度はなんだよ!」
「うわ酒くさ……ほら、人も集まってきてるし。そろそろ誰か警察呼んで来てもおかしくないと思いません?」
ね? となだめる声に男が周囲をちらりと見る。中にはスマホを構える人も数人見えて、男は大きく舌打ちを打つと足早にその場を去っていった。
「ありがとうございました!」
「はは、もういいって」
「それより一人で帰れそう?」
心配する三月に、女性が「最寄りまで彼氏が迎えに来てくれるから……」と返す。追加で三度ほど頭を下げて、彼女は改札を抜けていった。
「ふぅ。いやよかったなー、なんともなくて。あ、大和さんもありがと…」
「…っにやってんだバカ!」
「――バカ?」
何故自分が怒鳴られたのか。先ほどまでの威勢を忘れて、三月が大きな瞳を丸くする。
「何って、女の子助けようと思って」
「だからって危ねーだろ! っおまえな、自分の体格考えろ!」
見るからに大柄で、大和でさえ簡単に吹っ飛ばされそうな相手だった。もっと小柄で幼い顔立ちの三月なんて舐められて当然だ。前髪の下で、細い眉がキツくキツく寄せられる。最悪の想像が大和の頭の中にいくつも浮かんでいた。
「あんたまで、そんなこと言うのかよ」
「――え?」
その言葉は大和の耳にまでは届かずに、雑踏に流れて消える。
「別に。なんでもない」
くるりと向けられた背が「帰ろ」と低い声で溢した。
あーあやらかした~~~~。
なんで? なんでこうなってんの? 好きな子との初デートで相手に説教食らわせてぎくしゃくって。何? 二階堂大和、脳内大賛成大会中。バカは俺だろ~~~(泣)(泣)
途中まで一緒だよな、と三月が一言だけ確認をして、あとはもう黙って駅のホームへと向かっていた。ついさっきの小さな騒動なんて、駅の周辺じゃ日常茶飯事だ。暗い雰囲気の男子高校生二人なんて誰も気にしない。そんな些細なことが大和には無性に寂しかった。
もっとスマートに三月を救って、何もなくてよかったとその肩を叩いてやるつもりだった。それが出来なかったのは、男が三月に手を出そうとしたから。自分と出かけたせいで、三月に何かあったら。そうしたら。もう二度と、また一緒に遊ぼうなんて言えない。
今の大和にとって、それは日常の些細なことなんかじゃない。
もっと大きくて、重要なことなのに。
「……あ」
とぼとぼと歩いていた三月が、ふと声を漏らしてまた駆け出す。またか、と思えばその先にいたのは階段へとベビーカーを押す女性だった。ぼうっと見ている間に、三月は女性へと声を掛ける。ベビーカーから女性が赤ん坊を抱きあげると、三月は手早くそれを畳んで女性の歩調に合わせて一緒に階段を上がり始めた。
にこやかに声を掛けて、いちばん上まで登ったと思えば下げていた袋からお菓子を取り出す。
相手がどんな人間だなんて関係ない。そうするべきだと思うから、迷わずに行動する。和泉三月はそういう人間だ。
「……んとに、バカは俺だよ」
そんなこと、一目ぼれしたあの瞬間から知っていたことだろう。
「本当にありがとうございました」
「いえいえ」
「ばぁー」
「へへ、ばいばーい!」
「……ミツ」
「ウオッ」
背後から声を掛ければ、びくりと肩を揺らした三月が振り返った。すぐに気まずそうな顔になったのが悲しくて、意地とか、そんなものは最初からなかったけどますますどうでもよくなる。
だって、俺はまたミツと楽しい時間を過ごしたい。
「ごめん、ミツ。さっきは言い過ぎた」
軽く頭を下げれば、ほっと息が零れた。よかった、言えた。胸につかえていたずしんと重たい物が剥がれて溶けていく。安堵したのは三月も同じだったようで、ぐしゃっと歪んだ顔がかぶりを振って「ううん」と息を詰まらせる。
「…オレも、あんたの言う通り後先考えずに飛び出した。……心配させて、ごめん」
ごめん。ごめん。互いに小さく謝って、ちらちらと相手を見る。なんだかさっきまでよりも気まずくなって、照れくさくて、二人同時に吹き出していた。
まるで子供の喧嘩だ。いいか、子供だし、俺ら。
「ふふっ、なんだよ、笑うなよ!」
「ミツだって笑ってんだろ! っく、ふ、くくっ……」
ああ、全く。
――ミツが好きだ。
顔がかわいいから?
料理上手だから?
違うな。
「でもさ、大和先輩もやっぱ優しいよな」
「えぇ?」
「助け方がスマート! さっき助けた子も、別れ際ずっと先輩の方見てたじゃん」
「まじ?」
本気で気づいてなかったと驚く大和に、三月の方が驚いたような顔で「マジだってー!」と叫ぶ。男友達同士のどうでもいいノリ。くだらない内容。心地はいいけど、本当にどうでもよかった。乗車の列に並びながら、三月が「先輩って実は結構モテるでしょ?」とにやにやしながら笑う。
「モテねーよ」
「またまたー」
「本当にモテないし、いいんだって、別に。……好きな子に好かれれば、俺はそれで」
アナウンスが響いて、電車の到着が近いと知らせる。呆気にとられた三月の顏が漫画みたいで面白くて、大和は「ふっ」と息を漏らした。
「先輩、好きな子いるの!?」
「うん」
「えっ、えっ、オレの知ってる人?」
「ヒミツ」
「えーっ」
おまえだよ、和泉三月。
ミツだから、好きなんだよ。
いつか、もっと素直に言えたらいい。
ホームに電車が滑り込んで、風が三月のバケットハットを揺らす。一瞬ふわりと浮いたそれに躊躇うことなく手を伸ばし、ハット越しに三月の頭をぽんぽんと叩くと今度こそ大和はささやかな願いを口にした。
「また一緒に遊んでくれよ、ミツ」
一歩進めたこの距離を、今はまだ、楽しませてくれないか。
込めた願いに、「あったりまえじゃん!」とオレンジの神様が弾けて笑った。