sc16受「月」ライスコ コツコツと音を響かせて月明かりが強い夜の道をゆっくりと歩く。辺りに人気はなく、自身の足音だけが大きく響いている。すぐ後ろを着いてきていたはずの足音が聞こえないことに気付いて振り返ると、男は空を見上げていた。
はふ、と漏れた息が白く烟ってその顔を隠してしまう。
「なにかあったか」
「……月が、落っこちてきそうだなって」
「なにを子供みたいなことを」
「昔さ、そういうゲームをやったんだ。三日後に月が落ちてくるっていう……」
男はそらを見上げたまま、口だけを動かす。暫くその場から動くつもりは無い様子だった。
今日から数日、彼と共に仕事をこなさなくてはならないので置いて立ち去る訳にも行かない。少しだけ付き合ってやろうと、すぐ隣に立って煙草に火をつけた。紫煙が真っ直ぐに真円の月に向かって上っていく。
フィルター越しに吸い込んだ空気を煙と共に吐き出して横の男を見る。いまだにまっすぐと空を仰いでいた。
「それで?」
「三日後に月が落ちてくるから、それを阻止するために主人公の少年は奔走するんだけど、当然初見じゃ間に合わない。だから一日目に戻って最初からやり直すんだ」
「強くてニューゲーム、というやつか」
「いや、アイテムとかは引き継がれないし一度仕掛けを解除したダンジョンも元の通りになっちゃうんだ」
「ほう?」
「引き継がれるのはプレイヤーの記憶だけ。だから、何日目の何時にどんな大事なことが起きるのか、いつまでにやらなきゃいけないのか、どう対処するのか、それを何度もループして把握して、それで正解を導いて先に進むんだ」
「なかなか面倒そうなゲームだな」
「うん。面倒で面白いゲームだったよ……でもそれよりなにより、オレはあの頃から少し月が怖い」
彼はようやくこちらを向いた。眉尻が下がって、随分と情けない顔をしている。
「月が?」
聞き返してやると、自嘲するように目を細めて彼は頷く。
「落ちてくるかもしれないだろ、突然」
「それはない」
「世の中なにがある分からないんだ。落ちてきて、全てが終わっちまうかもしれない」
「いい年こいていつまで子供みたいなことを考えてるんだお前は」
「ひどいな。子供の頃のトラウマって結構残るもんなんだぞ」
ムッと口をとがらせる顔は、顎に髭を蓄えようとも幼い子供のそれだった。日本人らしくいくらか童顔の彼は、普段はその涼しげな目をツンと澄ませて大人ぶってはいるが、その実結構子供っぽいらしい。思わず鼻で笑ってやると、今度は目が据わる。
「馬鹿にしたな?」
「随分と可愛らしいと思ってな」
「うるさい」
「月が落ちてきたら」
手を伸ばす。
ぱちっと瞬きをした彼の顔の真ん中に居座る鼻を摘む。うわ、と情けない声が上がったがそんなことは気にせず顔を寄せて囁いてやる。
「それを阻止するために一緒に奔走しようか?少年」
「は?」
怪訝そうな顔でこちらを凝視する彼と見つめあって数秒。パッと表情を変えて笑いだした。ついでに鼻に添えた手はパシンと払われる。
それから一歩下がって腹まで抱えて震え出した。
「ふ、ふふ……ライ、さっきのゲームには主人公と一緒に行動するキャラクターがいるんだけど」
「ああ」
「口の悪い小生意気な妖精なんだ、ふふ…………妖精のライ、面白い、くっくく、ふふふ」
随分とツボに入ってしまったらしい。そのゲームの妖精がどんな姿をしているのかは知らないが、彼はそれを想像してこうなってしまったということは実際の自分とはかなり懸け離れた見目をしているのだろう。
先程までの情けない気配はすっかり消え去り、静かな夜道に彼の堪えきれていない笑い声が響く。
頭上の空には真円の月が静かにそこにいた。
***
まだ熱を持っている彼の胸に触れる。
音はない。
まだ月は落ちてきていないというのに、彼は全てが終わってしまった。目の前で、ほんの一瞬で、彼の全ては終わったのだ。
三日の猶予もなく、唐突に。
共に奔走してやるなんて、そんなことを嘯いた口から出るのは、彼の心臓を撃ち抜いてやったというそんなぞんざいな言葉だけだ。
もしできるのなら、数日前に戻ってループをして、この数日をやり直してやりたいとさえ思う。
月は落ちてきていない。
ただそこにだまって浮かんで、彼を見つめているだけだった。