sc16受「夢の中で」ライスコ 気付くとそこに立っていた。
先程まで何をしていたのか、何を思っていたのか。そんなものはとんと覚えていなくて、ただぼんやりとキラキラと光る頭上を見た。
真っ黒な遠い空に宝石が幾億と散りばめられて、生まれ故郷で見た景色に似ていた。あのときはすぐ横に大好きな兄が居たけれど、いまはポツンと一人だ。
空気は澄んでいる。と思う。感覚が少しぼやけていて、薄着だと言うのに寒さも特に感じることはない。視界だけははっきりしている。
これはきっと夢なのだ。
見上げたそこに花が咲いている。黒い空からこちらに向かって逆さに咲いている白くて大きな花だ。内側は大きく、外側は細長い花弁のそれは、どこからか光を受けてぼんやりと輝いている。
近すぎて大きすぎていったいなんの花かはすぐには分からなかったが、ふと、その特徴的な形が記憶の引き出しから飛び出してきた。知っている。
月下美人だ。
一夜しか花弁を開かぬというそれがオレを飲み込むように大きく口を開いてゆっくりと近づいてくる。
近づいてきている。
飲まれてしまう。このままでは。
しかし、その花に飲み込まれてしまうことに恐怖よりもなぜか妙に腑に落ちた気持ちがした。
月下美人はオレを飲み込んで、朝には萎れてしまうのだ。
そうだった。
オレは死ぬのだ。
この胸を己で撃ち抜いて。
自覚すると、そこが痛んだ。
胸を手を当てるとクシャりと音がする。
赤く細い花弁が指の中でひん曲がっていた。
それは穴が空いているとばかり思っていた俺の胸から生えていた。クシャクシャに握っていた手を開くとヒラヒラと花弁が落ちていく。
葉のない赤いその花は引き抜こうにも根がどこまで張っているのか、ビクともしなかった。身体から花が生えているなんて夢の中は本当になんでもありだ。
諦めて花から手を離すと不思議と痛みは消えた。
頭上の白い花は先程見た時よりも大分近づいている。手を伸ばせば、あと少し。
長く垂れている細く白い花弁に触れる。
ちり、と指先に感覚が走って、花弁がそこから崩れていく。僅かに紫煙を上げて燃えるように花弁が溶けていく。
――紫煙?
そこで初めて、嗅覚というものが息をした。
覚えのあるそれはどこで感じたものだったか。馴染みがある。でも思い出せない。
「スコッチ」
白い花弁の向こうから声がする。花が喋っているみたいだ。
落ち着いたその声にも覚えがある。あるのだが、だれだったか。
「スコッチ……いいや、諸伏景光」
「だれ?」
「君はまだ死ぬべきではない。そうだろう?」
優しく語りかけるその声は誰のものだっただろうか。
花弁があげた紫煙が鼻をかすめる。
降り注ぐ声が耳を撫でる。
知っている。
知っている。
思い出せない。
思い出せない。
でも、死んでしまうのに思い出す必要なんてあるのだろうか。
もう、誰だったかなんてどうでもいいのでは無いか。
そう思った瞬間、口から何かがこぼれ落ちる。赤い花弁。先程胸から咲いていたそれだ。
胸に咲いていた赤い花を見ると、全ての花弁を散らして手折れていた。口からは代わりだと言わんばかりにその花弁が出てくる。
頭上の白い花は紫煙を上げて溶けながらゆっくりと落ちてくる。
嗚呼、飲まれてしまう。
花になってしまう。
手折られてしまう。
一度咲いた花は、もう枯れゆくだけだ。
散らした花弁は戻らない。
目を瞑る。
暗い世界の遠くで、声がする。
なんと言っているのか、もううまく聞き取れない。
世界に解けていく。意識が解けていく。
月下美人のあげる紫煙がこの身を包んでくれる感覚がした。