sc16受「中華」ライスコ「あの、なんか言ってくれない?」
「…………」
男はただただ色の乗っていないすました顔でそれをじっと見ていた。静かに瞬いて、それからふと、視線を上げる。ぱちりと目が合う。しかしまた下へ逸らして静かに眼前の鮮やかなそれを見つめた。
赤地に金糸。細やかな装飾は首元から足首の裾まで及んでいるがくどさもいやらしさもなく上品なものだ。肩周りから臀部までのラインがよく分かるその生地は触らずとも厚みが伺え、よくあるペラペラの安物とは違うというのは誰が見ても明らかだった。
煌びやかなそれの大きなスリットから覗く足は筋肉質ではあるものの太すぎず、かと言ってすらっとした細いものかといわれると首肯するのに躊躇ってしまうようなそれ。産毛も生えていない健康的な色のそれを男が指先でイタズラにつつくと上からはすっとんきょうな声が降ってくる。ちろりとそちらをみて男が首を傾げた。
「…………毛、剃ったのか」
「散々溜めて言うことがそれかよ!」
もとより釣り気味の目のいからせて上がった声は裏返っていた。
よく鍛えられた警察犬のようにピンと伸びた背筋も、顔を覆う節くれだった手指も、膝上のスリットから伸びる鍛えられた脚も、どこをどう見たって可愛らしい女性のものではない。紛うことなき男の身体だ。そのからだを窮屈そうに包んでいる布地に、男はあまり見覚えがなかった。その造形の服がなんと呼ぶのかはもちろん知っているが、それを身にまとっているのはおそらく初めてだった。しかも身にまとっているのは男である。
あまり表情筋が活発ではないこの男も、その姿を見た時には驚いて片眉がどこかへ飛んでいってしまったかと思った。
「諸伏くん、君はチャイニーズではなかったよな」
「純日本人です!」
「ではその服は?」
「いやぁ……その」
所謂チャイナドレスを身にまとった猫目の男は頬をかいてそろりと視線を外した。
「もらった変装道具に入ってて……」
視線の先には黒いボストンバッグが置いてある。
諸伏は、本来の姿で外を出回ることが出来ない。実のところ諸伏だけでなく、先程から味気ない顔で首を傾げる赤井も同様である。二人ともタイミングは違えど過去に自身の死を偽装していまに至る。要は世間からすれば死人なのだ。
ともすれば、生活に変装は必至だ。諸伏も赤井も普段は別の名を騙って、架空の身分を使い、違う顔を貼り付けて過ごしている。ただし、いくつもの顔を使い分けているかといえばそういう訳でもなく、不特定多数の人間になることはない。
彼らに変装の術を与えた人物から定期的に変装用の道具が届くが、その中で使われるものはほぼ決まっていて、使われないままタンスの肥やしになってしまうものも多くある。それらが使われない理由のひとつは、どう考えても普段使うものでは無い道具だからだ。それが入っている理由はおそらくただの送り主の趣味である。
赤井は今回送られてきた変装道具が入っていたであろうバッグを見てなるほどとやっと首肯した。
「有希子さんからの荷物に紛れていたのならわかるが…………なぜ着た?」
「いや、ちょっと気になって……きょ、興味本位ってやつ?」
「ホォー? しかも女性物だな」
「………………はい」
腰周りがミチっと鳴く。
「しかしよく入ったな」
「それはオレもびっくり」
窮屈そうな音はすれども、破れてしまう気配はない。ギリギリ許容範囲ともいえるが、
「君、意外とむっちりしてるな」
口元に手を当てて赤井が言った。
「あ、赤井さんの口からむっちりとか聞きたくなかった……」
「君、俺をなんだと思っているんだ」
「だってオレの赤井さんはそんなこと言わない」
うわん、と顔を手で覆った諸伏は気付かなかった。眼前の男がどんな顔をしたかなんて。
馴染みのない赤い緞子に覆われた肩に白く長い手指を添える。耳に口をよせ、無防備なそこに声を注いだ。
「もともと向こうのウエディングドレスは赤いらしいな」
「は」
「知っていて着たのかと思っていたが」
「し、知らない! そんなの知らない!」
スリットから入ってこようとした手をバチンと叩いて諸伏は左足を後ろへと下げた。下げすぎた。
響いた音に、その場に静寂が落ちた。二人の視線はゆっくりと太ももへと移る。
「……裂けたな」
「嘘だろ…………」
「…………というか諸伏くん、君、下着が」
「あーー! ばか、見るな、ちがうこれは! 違うんだってば! 入ってたか、らっ、うわ寄るな触るなっ!」
のっそりと近寄ってきた赤井の視線は一点に固定されたまま動かない。伸びてきた手はいくら叩いても止まることは無かった。