sc16受「こたつ」ライスコ 随分と機嫌がいい。
今日一日行動を共にした男は、いつになくソワソワとしていて、ふとした時に何かを思い出すのか口元を緩めてうすく笑っていた。
仕事に支障をきたす程のことでもなかったので指摘もせずにそのまま置いていたのだが、いざ仕事を終えてみるとその様子が随分と気にかかり始めた。ギターケースを背負い直してこちらを振り返った彼の顔はそれはそれはニコニコと輝いている。
所属している組織を思うとどうにも眩しすぎる性格の彼は、普段からどちらかと言えば柔和な表情をしていることが多いとは思う。きゅっと上がった目尻や小さな口をみる限り、おそらくニュートラルな表情は冬の湖のようなツンとした雰囲気のものだろうが、意図的にか滲み出る素の性格のせいか、彼はそれを柔らかくして接してくる。
とはいえ、今日はことさら目尻を下げて、白い吐息混じりに鼻歌まで歌い出す始末だ。
「じゃ、オレはこれで」
片手を上げて笑顔のままそそくさと立ち去ろうとする彼の肩をおもむろに掴んで引き止めた。パチリと瞬いた猫目が不思議そうにこちらを振り返る。
「スコッチ、今日は随分と浮ついていたな」
「えっ」
反射で声を上げたあと、彼の視線は一度暗い空へ外れてからまたこちらに戻ってくる。
「その、なにかやらかしてた?」
「いいや。随分機嫌がいいなとは思ったが特に仕事に支障は出ていない」
「そ、そう……」
「なにをそんなに楽しみにしているのか気になっただけだ。言いたくなきゃ言わなくていい」
パッと彼の薄い肩から手を離してやると、あからさまにほっとした表情で彼は息をこぼした。
少し興味が湧いただけだった。彼は人懐こくこちらにすり寄ってくる割に、こちらが手を伸ばそうとするとするりと避けてしまうことがよくある。なのでタイミングを見てこうしてたまに手を伸ばして、避けないタイミングがないかと探る。彼の触れられたくない境界はどこか、まだはかりかねていた。
逡巡ののち、彼は視線を外しながらか細い声で言った。
「オレんち……あ、セーフハウスのひとつなんだけど、来ればわかる、よ……来るか?」
珍しいこともあるものだ。今度はこちらがぱちりぱちりと目を瞬かせてしまった。
***
都心部から電車で一時間もすれば着くそこはベッドタウンとしてはまあ有名な地域だろう。駅をおりてすぐにコンビニやスーパーが並ぶロータリーがあるが、そこをすぎればすぐ住宅街の海だ。およそ大きなマンションも少なく、一軒家や背の低い集合住宅が並んでいる。そこを歩いていく男の背を追って、十分ほど歩いたところでその建物にたどり着いた。
地上四階の集合住宅だ。外観からそこまで年季の入っているようには見えなかった。入口には本物かどうか分からないが監視カメラもついていたし、オートロックもついている。そこを通り過ぎて最上階へ階段で向かう彼のあとを大人しく着いていく。エレベーターはそもそもなかった。そういえば四階はエレベーターの設置義務がないと聞いた気がする。
階段をあがりきって二つ先に見えた扉の前で彼が立ち止まってこちらを振り返った。赤くなった鼻をかきながら何故か少し口をとがらせ、恥ずかしそうに視線を外す。
「その、あんまり綺麗じゃないけど」
「気にしないが」
「あと、その、笑うなよ」
そう言って彼は扉を開けた。
少し狭い玄関にはサンダルとスニーカーがこちらにつま先を向けて綺麗に並んでいた。そこから真っ直ぐ突き当たりの扉に向かうまでにキッチンやバスルームやらがあるがどれもちらりと目にした感じは全くもって綺麗なもので、どこが「綺麗じゃない」のか首を傾げてしまった。
しかしそのまま突き当たりの扉を開いて、なるほどとやっと得心した。
およそ八帖ほどはありそうな広めの洋室だというのに、そのど真ん中を陣取る存在の主張が強すぎてほかの家具が窮屈そうに肩をすぼめている。
壁には大きなダンボールが立てかけてあった。
「邪魔じゃないのか、これ」
「あーえーっと、その」
整えられた顎髭をザリザリとなぞって彼は言葉を探していた。
これと指さしたそれの存在が何かはさすがに知っている。知っているが実際に人が住んでいる部屋にレイアウトされているのを見るのは初めてだった。
「いや、実は昨日買ってきて」
「コタツを?」
「そう。やっぱこの季節はこれがなきゃなあって」
「わざわざセーフハウスに?」
「うっ……オレもどうかとおもったんだけどやっぱ我慢できなくて」
「……そんなにいいものなのか」
コタツの噂は耳にしている。一度入ると出られないのだとか、うっかりそこで寝落ちしてしまうと危ないだとか。
「やっぱライはコタツ入ったことない?」
「やっぱってなんだ」
「いや、なんかイメージなくて。だから良かったら味わってもらおうかなー、とか」
言いながらスコッチがコタツにかかっている厚めの布団をペロッとめくった。中から伸びているコードを手に取るとパチッと音を響かせる。スイッチを入れたのだろう。それからなぜかワクワクした顔でこちらを振り返った。
「いま電源入れたから! まだ温かくはないけどすぐ温まるからさ、入って入って」
促されるままそこに腰を下ろして足を伸ばした。うっかり反対側から出てしまいそうだったので胡座をかいて収納する。中は既にじんわりと温かみが篭もり始めていた。
背後でがさごそと何かを漁る音がしたかと思えば、スコッチが手にした何かをこたつの天板に置いた。それから彼は反対側へ腰を下ろすとこたつ布団をめくって身をねじ込んた。一瞬入ってきた外気に驚いてあぐらをかいている足のつま先が丸くなる。
「……アイス?」
「そう! オレはさ、こたつにみかんもいいけど、こたつに入って食べるアイスも好きなんだよ。特にこれな、大福のやつ」
言うやいなや、彼はアイスの容器を手にしてペリペリと蓋を開ける。中から出てきた白くまあるいモチを、専用の楊枝に刺すと、ん、とこちらに寄越してきた。ピンクの頼りない楊枝は短い。彼のふしくれだった指を一瞬握り込むようにしてそれを受け取る。するりと掌から滑るように抜けていった彼の手はまだ少し冷たかった。
手渡されたそれをとりあえず大人しく噛み付くことにした。粉っぽい感触が唇につく。歯を立てればむにっと柔いもの、それこそ大福の皮のようなそれが歯についてそのあとようやっとアイスクリームにたどり着く。バニラ味のそれと、甘めの皮がもちゃもちゃも口の中で混ざり合う。冷たい。足元は温まってきた。
「どう?」
「……悪くない」
素直にそう返せば、スコッチはニコニコと笑みを深くした。
黙々と手のそれを頬張っていると、ツンと膝になにかがあたる。顔を上げると、後ろに手をついたスコッチが向かいからふやけた顔でコタツを熱心に見つめていた。布団をめくっている訳でもないのだから中は見えないだろうに。
しばらくそのまま放っていると、ツンツンと膝に当たっていたそれが一旦引いてそれから、大胆に股の間までやって来た。でん、とただ無造作に乗ったそれに手を伸ばして掴んでやると、ワッと声があがった。靴下に覆われたつま先を撫でてやると、今度はふにゃふにゃの情けない笑い声が向かいから零れてくる。
「なるほどな、コタツはこういう楽しみがあるのか」
「あはは、ライ、待って待って、くすぐんないで、あっはは!」
いつの間にか上体を寝そべらせてスコッチがケラケラと笑っている。
彼が今日朝からソワソワと楽しみにしていた気持ちがようやく理解できた。しかし、意外と警戒心のある彼がよくセーフハウスの一つとはいえ自身のパーソナルな空間に入れてくれたものだと感心する。これもコタツの魔力のひとつというものだろうか。
彼の踏み込んでいい場所を見つけられて少し気分がいい。どうにか、これを機に彼との距離を縮めてみてもいいのではなかろうか。うまくいけば彼の懐にもコタツにも入れて万々歳だろう。いまだ情けない声を上げてばたつかせているその足を解放してやり、彼に声をかけた。