sc16受「100」?景「ヒロの旦那、ケータイ鳴ってんぞ」
談話スペースのテーブルで退屈そうにペンを弄んでいた松田が、机の上で震える端末を目にとめてコツンと左のひじで横の男を小突く。黙々とペンを走らせていた男はその小さな衝撃と声に顔を上げた。
おしりがツンと持ち上がった目がぱちりと瞬いて机上のそれを見る。その画面に表示されている字がぱっと彼の顔を明るくさせた。お菓子を手にした子供のような無邪気な顔で端末を耳にあてると、いそいそと談話室の隅に移動しながら「もしもし兄さん?」と僅かに跳ね上がった声で通話に出た。
相槌をする度に星が出そうなほど子供のように浮き足立った彼の様子に松田は目を細めて口を歪ませた。
「ヒロの旦那はほんと兄貴のことが好きだな」
「まあたった一人の兄弟だし、少し歳が離れてるからか昔からお兄さんのことすごい憧れてたみたいだしな。すごいぞヒロのお兄さん自慢は。喋りだしたら止まらない」
「なんつったっけ、関羽? 司馬懿?」
「コラコラじんぺーちゃん、分かってて言ってるでしょ」
「諸伏に言うなよ、怒られるぞ」
四人に背を向けていた諸伏の背中はぴょこぴょこと忙しなく動いていて、顔を見なくてもその心境がよくわかた。四人の会話は聞こえていないようで、夢中で電子の向こうの声に耳を傾けている。
「それより松田、追加で出された課題全く進んでいないだろ。早く手を動かせ」
降谷のお小言に松田はゲェと口角を落とした。
「わーってるよ」
「そうだそうだー」
「いや萩原もだぞ」
「えーん班長ぉ」
「泣きつくな泣きつくな」
「なにしてるの萩原」
「あ、おかえり諸伏ちゃん」
伊達の逞しい体躯に長い腕を回してべそべそと態とらしい声を出していた萩原は、頭上から降ってきた声にケロッと顔を変えて手を挙げた。巻き付かれている伊達の顔は呆れの色しかない。それに不思議そうに首を傾げながらも諸伏はニコニコと笑って元いた席へ腰を下ろした。
「えらくご機嫌だなあヒロの旦那」
「え! そ、そう?」
「そりゃあそんなニコニコ顔で戻ってきたらご機嫌以外に見えねぇわな」
ははん、と頬杖をついて諸伏を見つめるは瞳は愉快そうに歪んでいた。その目を数秒見つめて諸伏は恥ずかしそうに頬をかく。視線があちらこちらと動いて、さいごに手元の端末に落ち着いた。
「兄さんが実家の荷物の整理をしたらしいんだけど、懐かしい写真が沢山でてきたから送るって言っててね」
そう言うと同時に、ピコンと端末が鳴る。
「あ、きた」
諸伏の声に四人がずいと頭を寄せた。手のひらの端末を男五人の顔が見下ろす。
ピコンピコンと立て続けに通知を繰り返す端末に諸伏が慌ててメッセージアプリを開く。トークルームにずらりと並んだ写真に思わず誰かの笑いが吹き出た。それでもなおピコンピコンと通知は続く。
「すげーくるじゃん」
「諸伏の家はたくさん写真を残すタイプだったんだな。いいことじゃねぇか」
「これ通信料大丈夫かよ」
「……これで全部みたいだな」
降谷の声に「そうみたいだね」とどこか唖然とした声で諸伏が応える。そこに並んだ画像は二十枚ほどに及んでいた。
送られてきた写真は諸伏の小学校入学のときのものから遡っていき、最後はおくるみに包まれた赤ん坊の頃のもので締めくくられている。
最後の方に送られてきた写真を見て、萩原があれ、と首を傾げた。
「これなんの写真?」
彼が指さしたものを拡大すると、そこに写っているのは人の顔でも体でもなかった。料亭で出されるような赤漆の膳の上に並椀や小鉢が並び、奥には大きな赤い鯛がその4:3の画角に納まっている。
「ごはんじゃん。しかもすげぇよさげなやつ」
「……もしかしてお食い初めの膳じゃないか?」
「なんだそれ」
降谷の口にした言葉に諸伏だけがうんうんとひとり頷いていたが、ほかの三人は首を傾げるばかりだ。
お食い初めとは古くから日本にある伝統行事で、生後百日後に祝うことから百日祝い(ももかいわい)とも呼ばれる。今後食べるものに困らぬようにと子の未来と成長を願って行われてきた行事だ。
「へぇ、赤ちゃんてそのお祝いでこんないいもん食えるの? 俺食ったおぼえねぇや」
「生後百日とかじゃまだ食えねぇだろ」
萩原がいいなあ、と口をすぼめるとすかさず松田が目を据わらせて彼を小突いた。二人のやりとりにくすくすと笑いながら諸伏が口を開く。
「食べる真似をさせるんだよ。あ、ほらこれ、たべさせられ…………」
不自然に途中で言葉を切られたことに四人が顔を上げる。花の蕾のような小さな口を箸で摘んだご飯でつつかれている幼いこどもの写真を開きながら、諸伏の顔はぐんぐんと赤みを強くしていた。
「ど、どうしたヒロ」
「や、その、」
顔を逸らして口元も手で覆った。それでもいたたまれないのかもごもごと言葉にならない音を発して、そしてようやくそれを形にする。
「自分の赤ん坊の頃の写真、見られてるのってなんか……その、恥ずかしいなって」
「ええーこんな可愛いんだから恥ずかしがんなくてもいいのに」
「いやそんなこと言われると余計に恥ずかしいんだけど」
うわん、と諸伏が声を上げるとまたピコンと通知が談話スペース内に響いた。
そっと端末を持ち上げてそれを見ると、予想通り兄からのメッセージだった。目を通した諸伏の眉と口がキュッとすぼむ。
「写真はアルバムに保存したほうがいいと聞いたのでそちらに移しました」
そのメッセージの通り、トークルームのアルバムには写真がアップロードされている。画面をのぞきこんだ松田はその数を見て思わず瞬いた。
「すげーな。写真もう百枚入ってんじゃねぇか」
「へー! 愛されてんねぇ諸伏ちゃん」
「よし、ヒロ! 対抗して僕たちの写真も百枚撮ってお兄さんに自慢してやろう!」
「ええ?」
「おお、いいじゃねぇか」
困惑する諸伏はよそに、四人は何故か降谷の提案で盛り上がってしまった。当の本人たる諸伏だけがポカンと口を開けて蚊帳の外だ。ワイワイと騒ぐ四人は各々端末を取り出すとそのままパシャリと、諸伏を切り取った。それぞれの画面にはそれぞれの角度の諸伏が収められている。
「え、え なんで撮ってるの 」
「いやまずはピンで俺たちそれぞれの諸伏を残しておこうと」
「いやわかんないし盗撮じゃんそんなの」
「盗撮じゃない。ただのスナップ写真だよヒロ。学校行事のときとかも学校で撮られたただろ」
「絶対違う」
むすっとするとそれに合わせてまたパシャリと音がする。音源の方に諸伏が視線を流せば、行き着いたのは萩原だった。満面の笑みでサムズアップ。
「いいね!」
「よくないよ! もう、オレだけじゃなくてお前らのも撮ってやる!」
この後数分間、談話スペースで端末を構える男たち五人が、腰を低くして真剣な表情で睨み合っている状況になってしまったが、送られてした百枚の写真に彼の兄は上機嫌に口元を緩めた。