sc16受「靴下」萩景 それはべつに特別なものではなかった。自身も身につけるし、ありとあらゆる人間が履いている。幼馴染がそれを履くのも脱ぐのも幾度だって目にした。
いまさら気に止めるものでもない。そう思っていた。
薄いリブ生地が裾から覗いている。ほっそりとした足首がそれに包まれている様子は見なれたものなのだが、この日はなんとなく目に付いた。
傷のない革靴から抜け出したそれが音もなくゆっくり床に降り立つのを静かに見つめて、こくりと喉がなった。
「なあに?」
さすがに視線に気づいたらしい。
視線をあげるとこてんと首をかしげて諸伏が不思議そうに体をかがめていた。
「ううん、なんでも。それにしてもスーツの諸伏ちゃん、うん。やっぱりかっこいいね」
「ふふ、ほんと? ありがとう」
屈んで、脱いだばかりの靴の先を外向きに直した諸伏を見届けて、居室へと歩みを進める。彼もそれに従ってあとをついてきた。
一緒に住んでいる訳ではない。そもそも俺たちはまだそう簡単に独身寮を出れる立場ではない。そろそろこの寮がいっぱいになって、出てってくれと声がかからないかと期待しているような状態だ。
でもこうして互いの部屋を行き来することはできるし、実を言うと諸伏は部署柄既に寮を出ている。一時期は警察を辞めたとまで噂されていたのだからそりゃあ寮も引き払うわけであるがまあそれについての細かい話は今回割愛することにする。
今日は俺の部屋へとお招きをしたら、すんなりと了承の意が返ってきたのでこうしてお出迎えしたわけだ。
「ほい、じゃあお疲れさん。それに着替えていいよ」
せまくるしい1Kの居室のテーブルの前に適当に置いておいたジャージを指さすとありがとうと声が飛んでくる。
かっちりとスーツを着て、ピシッと背を伸ばす諸伏はたしかにとてもとてもかっこいいのだが、さっさと気を休めて欲しい。俺の部屋に招いた時はいつもこうやって適当に部屋着を貸していた。
キッチンに戻り、酒とつまみを持って戻った俺の足は、すぐさま居室とキッチンの狭間で止まってしまった。キンキンに冷えたビール瓶が右手を凍らせていくがそんなもの気にもならなかった。
部屋の隅でスラックスを脱いでいた。下着姿にどうこうするような時期はとっくに過ぎ去ったのだが今日は妙にドキドキした。見慣れないものが彼の足に引っかかっていたからだ。
薄いリブ生地の上から彼の足に絡みついているそれがなにであるかは何となく知っているし、少し考え込んでやっと名前もでてきた。ソックスガーターというやつだ。
スーツを上手に着るというのは意外と難しい。ジャケットの袖から覗くシャツの長さだとか、だらしなくスラックスからシャツが溢れないようにするだとか、センタークリースを消さないようにするだとか。気にするといくらでも出てくる。そのために使う小道具などがあるのも知っている。
そして、彼がいま身につけているソックスガーターはファッションとするべきか、そういう上手に服を着こなすための小道具とするべきかは少し悩みどころだ。簡単に言えばソックスがズリ下がらないようにするための道具なので、衣服を上手に着るためのものには違いない。けれどもそれほんとうにいる?ただただすけべじゃない?というのが俺の率直な意見だった。
「わ、今日は黒ビール?」
俺の視線になんとも言い難い気持ちが込められているなんて露とも思っていない明るい笑顔で諸伏は俺の手元を見返した。
そうだよ、となんてことないように返したが俺の頭の中はソックスとソックスガーターでいっぱいだった。
ちょっと、すけべがすぎる。
あまり見ていると宜しくない気持ちがむくむくと湧いてくる気がしたので諸伏を視界から外してテーブルへと酒とつまみを置いた。
「ね、ね、はぎ」
「んー?」
「はぎのジャージずり下がんなくなった! オレも成長してるってことかな」
あまりにも嬉しそうにそういうのでそちらを見て、また俺のからだはぴしりと固まってしまった。
無邪気に笑う諸伏には悪いがそれどころでは無い。そういえば今日は暑かったからハーフパンツを用意していたんだった。
ハーフパンツから覗く足にはまだソックスが残っている。
あまり特殊性癖を拗らせている自覚は無かったのだがこれはだめだと脳内で誰かが騒いだ。もちろんもう一人の自分だ。
「諸伏」
「ん?」
「それ、だめだ。早く脱ごう」
「ええ! なに、オレなんか変? なんかした?」
「いや、俺がなんかあたらしい扉を開けそう」
「う、うん?」
心底わからない、と首を傾げてくるが彼はこちらの要望の通り脱いでくれることにしたらしい。白い指がするりとゴムを引っ張る。
「わー!! 待って違う違うズボンじゃなくて! そっち!」
「……靴下?」
「うん」
ぱち、ぱちっとゆっくり瞬いて諸伏が自身の足を見る。そしてまた俺を見る。ぱっと口元を手で隠してぽそりと言った。
「…………はぎのえっち」