漸く、二人きりになった。
「お疲れ様」
その言葉を合図に、頬に手を添えられ、彼の顔がぐっと近付く。
以前なら、指先が触れた段階で緊張したものだったが、慣れというのは恐ろしいもので、今ではすっかり瞼を閉じ、彼を待つ態勢になっていた。
程なく、口唇に厚みと温かみを伴った、しかしやや乾いた感触のものが押し当てられる。僅かに唇を開くと、浅く啄むように食まれた。
が──。
何故か京楽は、決してそれ以上深く口吻けてはこない。花街の女性には、いっそ軽率とも言えるほどに容易く、貪るような口付けを与え、それ以上に触れてもいるというのに。
わかっている。
花街の女性はそれが商売なのだし、京楽は上客だ。そんな事は当然といえば当然なのだろう。
それでもどこかに、釈然としない、燻る何かが確実にあった。
今もまた、すぐに唇を引きそうな気配がした。
咄嗟に、此方から仕掛けた。
離れそうになった彼の口唇に、噛みつく。
ほんの一瞬、愕いたような気配がしたが、すぐに同じ程度の深さで彼は応じた。
あくまで、その先へ踏み込んで来ようとしない相手に焦れて、さらに深めてやろうとした刹那、留めるかのように、大きな手で両頬を包まれた。
続いて、唇が離される。
互いの口唇を繋ぐ銀糸は、自分のはしたない心の現れなのだろうか。
思いを言葉にできない代わりに、目の前の強健な体躯に双腕を回し、少しだけ力を込めた。
ちゅ、と、今度は額に触れるだけの口付けを贈りつつ、京楽は徐に口を開いた。
「……うん。わかってる。わかってるよ浮竹、君の言わんとする事は……」
転瞬、弾かれたように浮竹の顔が、眸子が上げられ、その全神経は京楽に向けられる。
ゆっくりと、丁寧に、彼は言葉を選びながら続けた。
「僕ももっと深く触れたいし、君を抱きたい。けどね、……迂闊な事をして、君を傷付けたくないんだ。君を大切にしたい。君が、誰よりも大切だからこそ──」
「……っ、馬鹿……!」
突然の罵声に言葉を遮られ、京楽は目を丸くした。とりあえず口を閉ざすと、今度は浮竹の番だった。
「俺はそんなに柔じゃないし、お前が相手なら、傷なんか付かない!……これほど長く付き合ってるのに、そんな事も解らないのか!それともお前は、そんなに自信がないのか」
解っていた、つもりだった。自分に向けられている浮竹の視線の奥に、潜むものが何かを。
──ああ、そうか。それがあまりにも熱くて、大切にしたいという感情を隠れ蓑に、逃げていたのか。
「ご免よ……」
何に対してなのか、主語をあえて省いて。
別れを切り出されるのかと、一瞬動揺した痩躯を、しっかりと抱きしめて。
ねえ、もう一度口づけて、いいかい?
今度は君を、まっすぐに受け止めてみせるから。