再会「そのような大金、受け取れぬ」
武装探偵社の応接室。社長の福沢が、腕を組み相手を見据えて低い声で云う。その後ろに立つ与謝野が口を開いた。
「善いンじゃない社長。再建に資金がいるのは確かじゃないか。事務員も人手不足でそろそろ発狂しそうだよ」
「そうですよ社長。一応、正式な依頼として来ていますし。それに、貴方も借りを作りたくないんでしょう?」
与謝野の隣でパイプ椅子の背もたれを前にして座っていた太宰が、福沢の対面に座る男へ問いかける。
「それもあるが」
その男、フィッツジェラルドは紅茶を一口啜ってからこう続けた。
「純粋に探偵社の勝利を祝福しているのだよ」
福沢は目を瞑り少し考えてから、静かに立ち上がった。
「わかった。この依頼、引き受けよう。対応は与謝野君と太宰に任せる。情報管理は、全て特務課に任せよう」
「承知しました」
太宰の隣に立っていた、特務課の坂口が頭を下げながら応え、部屋を出る福沢を見送った。
「んじゃ、さっそくいきますか」
太宰は手を叩き、弾む声で室内にいる人間をエレベーターの方へと促す。電話は鳴り続け、大量の書類があちこちのデスクに積まれている。天人五衰事件の後、膨大な事後処理や依頼の急増に追われて、探偵社は大忙しであった。それを横目に歩くフィッツジェラルドがオルコットに告げる。
「彼女を連れてこい」
*****
武装探偵社の入るビルの一階にある、喫茶うずまき。探偵社員がたむろする、珈琲の香りが充満する小洒落た喫茶店だ。
「ポオ君、ちょっと文章力落ちたんじゃないのぉ?」
「ひっ、酷いのである乱歩君! 君に言われて避難場所としての本ばかり書いていたから、真面目な推理小説を書くのは久々である!」
「ふーん。まぁ次も書けたら持ってきてよ」
窓際の席でソフトクリームを舐めながら、乱歩は落ち込むポオに笑いかける。その時、うずまきの扉が開いてドアベルがからんころんと鳴った。与謝野と太宰がマスターに挨拶しながら入ってくる。
「乱歩さん、ここに居たのかい。乱歩さんの署名捺印が必要な書類が集まらないって、上で騒いでたよ」
「えー。面倒臭いなぁ。国木田か谷崎にやらせておいてよ」
「そろそろ春野さんがぶち切れそうだよ、行ってやんな」
「うへぇ。それはまずいな。じゃあねーポオ君!」
「えっ、ちょっ、乱歩君?!」
乱歩が出てすぐ、坂口とフィッツジェラルドも入店した。
「前から気になっていたが、この店の調度品は悪くないな」
「フィッツジェラルド様?!」
「やぁ、ポオ君。顔を見るのは久しいな」
驚くポオの隣に、フィッツジェラルドはどかっと腰を下ろす。うずまきの厨房から、赤毛の少女が顔を出した。
「なんだか騒がしいわね……ってフィッツジェラルドさん?!」
「やぁモンゴメリ君。新しい仕事には慣れたかい?」
またドアベルが鳴る。モンゴメリは驚きで目を見開いたまま扉を見て、また思わず大きな声をあげた。
「オルコットちゃん!! まぁ元気にしてらして?」
モンゴメリの声量に驚いて、びくりと身体を震わせたオルコットは小さく手を振りながらおずおずと店内へと進んだ。
「モ、モンゴメリちゃん、久しぶり」
その後ろにもう一人。ふわりと優しいそよ風と共に入って来た人物を見て、モンゴメリは言葉を詰まらせた。
「ミッチェルさん…………?」
「モンゴメリ、久しぶりね。あら、ポオもいたの」
「治療されたってのは聞いてたけど……あれだけの状態で白鯨に運び込まれてたから……よかった、元気そうで」
「お陰様ですっかり元気よ。アタシが瀕死の間に、何があったのか全部聞いたわ。有難うドクター」
ミッチェルは、そう云って与謝野に微笑んだ。社内で電話対応と書類整理に追われていた敦も呼ばれ、探偵社員が三人、元団員も含めた組合関係者が五人、異能特務課の参事官補佐が一人と、静かだったその喫茶店は急に物々しい雰囲気となった。いきなり下に来い、と呼び出された敦は状況を把握できずにいた。
「あのぉ……僕は何をすれば……?」
突然集まった錚々たる顔ぶれを見まわしてから、敦は太宰と坂口の方を見る。
「ホーソーンを引き取りに来た」
口を開いたのはフィッツジェラルドだった。
「ドストエフスキーが死んだ、とされる頃から様子が変わったと聞いたが」
敦はフィッツジェラルドのその一言を聞いてハッとした。モンゴメリが問いかけに答える。
「ええ。少しだけ目に生気が戻ったというか……基本的に喋らないけど、一度あたしの名を呼んだことがあったわ、それに」
「僕を見て、虎の少年、虎人(リカント)と呟いていた」
敦はモンゴメリの視線を受けて、数日前の様子を思い出しながらそう云った。いつの間にかカウンター席で太宰と並んで珈琲を飲んでいた坂口が、立ち上がり皆の方を向く。
「これからの行動の確認も含めてここからは僕が説明しましょう。ドストエフスキーが死亡したことにより、ホーソーンへの洗脳が解けたと思われますが、話を聞くにそれは完璧ではない。あの魔人が万が一生存している可能性、過去の澁澤の例のように、なんらかの形で異能力だけが存在している可能性も否定できないのでホーソーンの開放は慎重に行うべきです。また、洗脳されていたといえど、共喰い事件初期の異能力者狩りなど、彼の罪は易々と見逃せるものではありません」
坂口は、珈琲を一口啜ってから続ける。
「これからアンの部屋に入り、与謝野女医がホーソーンを治療、洗脳が完全に解けるか試みます。その後、彼は特務課で拘留し、可能な限り情報を抽出します。ドストエフスキーに関する重要な情報を引き出せる可能性が高いので。入室は僕と与謝野女医、フィッツジェラルド氏とミッチェルさん、万が一彼が暴れた時の為に戦闘要員として敦君、でいいですね?」
「私は入れないからね。頼んだよ安吾」
太宰は両手をひらひらさせながら隣に立つ坂口に向かって云った。
「あっ、でも与謝野女医が治療するなら瀕死の状態でないと駄目ですよね? 捕らわれているとはいえ、健康状態はよさそうだったので、誰かが攻撃を……」
「それはアタシがやるわ」
敦の言葉を遮ったのはミッチェルだった。
「不安要素があるなら、出血させないほうがいいでしょう。アタシがやるわ、いきましょう」
敦は、フィッツジェラルドの言葉を思い出していた。ホーソーンを庇って負傷したミッチェル、彼女を目覚めさせる為にドストエフスキーの手駒となったホーソーン、二人を殺し合わせるのか、と敦は以前フィッツジェラルドに云った。あくまで治療の為とはいえ、ミッチェルはどんな気持ちでホーソーンを攻撃するのだろうか、と敦は少し複雑な気持ちになった。
「お仕事中に突然すみませんモンゴメリさん。手早く済ませるので、アンの部屋へお願いします」
そう云った坂口の周りに、入室する面々が集まる。モンゴメリが指を鳴らすと、五人は異能空間に取り込まれた。モンゴメリがアンに声を掛けると、アンがホーソーンを部屋の奥から掴んで引き摺り出してきた。目を開けたホーソーンは周囲を見渡し、驚いて目を見開く。ミッチェルと目が合う。その瞬間に、ミッチェルは指を鳴らしてホーソーンの肉体の風化を始めた。まるで肉体が土壁になったかのように、ゆっくりと干からびてぽろぽろと朽ちる。血が滲んでもすぐに強力な風で蒸発し、塊となって朽ちていく。ホーソーンは呻きながら小さくなり、アンの手から滑り落ちた。
「そんなもんでいいよ」
与謝野がミッチェルに声を掛けるとホーソーンの周りに吹いていた風はぴたりと止んだ。
「すごい……アンや衣服はそのままで、肉体だけ風化するなんて……」
「しかも、彼女の異能力は発動条件がありません。触れる事なく、無から風を起こせる。僕が知る中でも、かなり強力な異能です」
その様子を並んで見ていた敦と坂口が言葉を交わす。与謝野が治癒能力を発動し、室内に光の蝶が舞った。苦しそうに転がっていたホーソーンが完璧に治癒され、周囲の状況に驚いて立ち上がった。そしてミッチェルが、静かに彼に近づいていく。
「………………ミッチェル」
「本当に」
小さく震えた声でミッチェルがそう呟いた次の瞬間、平手で勢いよくホーソーンの頬を叩いた。
「ほんっとうに、貴方は大馬鹿者ね」
頬を押さえて呆然とするホーソーンをよそに、ミッチェルは踵を返して出口に向かう。
「アタシは情報がどうこうに興味はないから。後はお任せするわ」
そう云って、顔を隠すようにしてうずまきの店内へ繋がる扉を開けて出て行ってしまった。
「気分はどうだ牧師殿」
「フィッツジェラルド様……」
「此処が何処かわかるか? 最後に俺と会ったのはいつか、何故此処にいるのか、答えられるか?」
「此処はモンゴメリの異能空間……フィッツジェラルド様と最後に会ったのは、白鯨で目覚めた時。それから私はドストエフスキーに…………」
「何も覚えていないようだな」
ホーソーンは眉間を強く押さえてから、胸元を弄る。
「私のロザリオは……? 先程、私を叩いたのはミッチェルですよね? 何故彼女が……」
混乱した様子のホーソーンに、ゆっくりと坂口が近づく。
「貴方は異能特務課……? それと探偵社……何故」
「特務課の坂口です。貴方の身に何が起きたのか全てお話します。また貴方が洗脳されていた間の記憶も含め、抽出し得るだけの情報を取ります。ご協力いただけますね?」
「洗脳……されていたんですね、ドストエフスキーに。確かに愚かで大馬鹿なのは私だ。誰よりも罪を贖うべきなのは私のようですね」
そう云って、ホーソーンは項垂れた。坂口の合図でモンゴメリは異能を解除し、喫茶うずまきに全員が戻ってきた。
***
アンの部屋から出て来たミッチェルは、零れそうだった大粒の涙を、上を向いて瞳に馴染ませた。お互い無言で珈琲を啜っていたポオとオルコットを見つけると強い口調でこう云った。
「ポオ、オルコット! 甘いものがたくさん食べたいの。ちょっと付き合いなさいよ」
「えええええええ、はっ、はいいいいい!!」
久々に聞いたミッチェルの強気な言葉に思わず驚いたオルコットだったが、ポオはミッチェルの瞳のふちが僅かに赤くなっているのを見逃さなかった。
「こ、ここはパンケーキが絶品である!」
「あらそうなの、じゃあそれをお願いしようかしら。あと熱い紅茶を」
パンケーキ、チーズタルトにアップルパイ。様々なスイーツを頬張るミッチェルと同じテーブルで、特に会話もないままポオとオルコットは珈琲を味わっていた。しばらくして、アンの部屋にいた者たちが戻ってくる。ホーソーンは手錠を掛けられ、坂口の後ろを歩いている。
「太りますよお嬢様」
「はぁ?」
パンケーキに乗ったベリーを頬張ったミッチェルに、ホーソーンが声を掛ける。ミッチェルが声の主を睨み付けると、ホーソーンはほんの少しだけ口角をあげてこう続けた。
「貴女が目覚めて本当に良かった」
その言葉にミッチェルが応える前に、ホーソーンは坂口と特務課の護送車に乗り込んでしまった。
敦は、少しほっとした気持ちでそのやり取りを眺めていた。そして店内に太宰がいないことに気が付く。
「あれ? マスター、太宰さんは……」
「川が呼んでいるとかなんとか云って、ふらふらと出ていきましたよ」
「またですか……」
溜息を吐く敦の背中を与謝野が叩く。
「ほぉら上に戻るよ! さっさと片づけちまわないと、あの量はなかなか終わンないよ!」
「はっ、はい! では皆様失礼します!」
店内に残る者たちに、敦は深々と頭を下げて、上階への階段を駆け上がって行った。