あなたの香りは 恋人とふたり、寝支度を済ませて、あとは眠るだけとなった夜はあまりにも幸せだ――おれとユウリは、そんな贅沢な時間を過ごしていた。
リビングのソファーで何気ない会話を楽しむおれたちの足元でマッカチンはゆったりとくつろぎ、ユウリは明日の荷物の準備をしている。そんな愛弟子を見て、たまらずにちくりと心が痛んだ。
「……ユウリ、ごめんね」
「え? 何が?」
「最近、なかなか一緒に練習できなくて。明日も取材が入ってるから、リンクに行けるの、夕方くらいになりそうなんだ」
コーチと選手の2足わらじ、覚悟していたことではあったけど、ユウリも辛いのではないだろうか――そう思いながら告げた言葉に、少しだけ不思議そうにアーモンド色の瞳を瞬かせたユウリは、あまりにもあっさりと言い放ったのだ。
「仕方ないよ、仕事なんだから」
「え!? そ、そう?」
「うん。夕方くらいね。持ってる」
呆気にとられて動揺するおれを尻目に、あくまでクールな恋人は淡々と明日の持ち物をリュックに詰め込んでいる。つれないユウリが少しだけうらめしくて、そんな愛弟子の姿をしばらく黙って見つめていたおれは、ふとあることに気づいた。
「あれ? それ、おれのタオルじゃない?」
畳んだ洗濯物の中からユウリが手にしたタオルは、おれがいつも使っているものだった。おれが薄いラベンダー、ユウリが薄いブルー。それぞれ色が違うから、間違うはずはない。
声をかけられた恋人は、なぜかいたずらが見つかった子どものように、びくんと肩をすくめた。
「……だめ?」
困ったような上目遣い。光を浮かべて大きく揺れるアーモンド色の瞳。そんなに可愛い顔で言われて、断れるはずがない。
「だめじゃないよ。なんでかなって思っただけ」
おれは慌てて首を振るが、沈黙してしまうユウリ。どうしてか、その頬がほんのりと赤らんでいく。答えを待つおれに、やがて観念したらしい恋人は、なぜか不服そうに唇を尖らせながら言った。
「――安心、するから」
「え……?」
「タオルってヴィクトルの香り、残ってる気がして。ヴィクトルのいない日に持って行きたくて」
駄目かな、ともう一度不安げにそう言って、ふわふわのタオルに頬をよせるものだから――可愛い。あまりにも可愛すぎる。おれがいない日に、おれの代わりになるものを側に置いておきたいなんて。休憩中、ラベンダー色のタオルを握りしめるユウリを想像したら、そのあまりの健気さに動悸がした。おれの恋人は、世界一可愛い。
「いっぱい持っていっていいよ、ユウリ!」
「そんなにいらないよ!」
感極まったおれは、ありったけ洗濯物を抱えてユウリへと手渡した。慌てながらも笑って受け止めてくれたユウリの腕から、溢れたタオルがこぼれ落ちる。突然降り注いだやわらかな洗濯物の雨に、驚いて飛び起きるマッカチン。
「わふっ……!」
「あー!」
「ごめん! マッカチン……!」
走り回るマッカチンを、追いかけるおれとユウリ。そうして、にぎやかで平和な夜が過ぎていった。
おしまい