彼パーカー「おぉ〜ぃ宇髄ぃ〜」
放課後、妓夫太郎はいつものように美術室へとやって来ては、その教室の主の姿を探した。美術室にその姿はなく、だったら準備室か…と何の遠慮もなくズカズカと美術室に入室してはそのドアを開ける。
「おぉ〜ぃ…」
居ると思っていた筈の姿はそこにもなく、妓夫太郎の声だけが虚しく部屋に響く。
「んだよ…いねぇのかよぉ…」
チッと舌打ちをし、不満気な表情を浮かべては宇髄が持ち込んだソファーにドカッと座り込む。
一体何処に行ったんだよ…と口を尖らせる妓夫太郎。そんな彼の視線の端にある物が映る。それは白い大きなパーカー。宇髄がいつも着ている物だった。ソファーの肘掛けに投げ捨てられたように掛かっているそのパーカーを、妓夫太郎はジッと見つめる。
アイツが脱ぎ捨てたのか?と思いながら、ソッとパーカーへと手を伸ばし手に取って引き寄せ、広げてはその大きさを確認する。
やはり大きい。2m近い身長の宇髄のパーカーだ。それはそうである。
「……」
自分の服とは比べ物にならないくらいの大きいそのパーカーを妓夫太郎はジッと見つめる。見つめていると、この場にいない姿が目に浮かびあがってきた…。
『妓夫太郎』
二人っきりの時だけ呼んでくれる名前。微笑みを浮かべて呼んでくれるその姿を思い浮かべれば、胸がトクンと鳴ったのを感じる。
二人っきりのやり取りを思い浮かべていると、何だかむずむずと欲求が湧き上がってきた妓夫太郎は、キョロキョロと周りを見渡し始める。誰もいない事を何度も何度も確認し、フゥ…と一息をついては手に持っている大きなパーカーへと視線を移す。そして、そのパーカーへと袖を通していった。
着てみた感想は、「デカイ」。
ブカブカで袖はだらんと垂れていて所謂「萌え袖」状態である。立ってみては、裾も妓夫太郎にとってはかなり長く、前を閉めてしまえばショートワンピースを着ているような感じだろうか。
「これが彼パーカーってやつかぁ」と頬を赤らめながら、妓夫太郎はソッと袖を口元に触れさせていく。袖からふわっと舞う香り。その香りを妓夫太郎は知っている。抱き締められて、キスをして、そんな時に自分を包み込んでくれる香り。妓夫太郎が大好きな香りだ。目を閉じればその香りに包まれていく。まるで抱き締めて貰っているように感じて、胸の奥がムズムズと疼き始める。
会いたい…会って、ちゃんと抱き締めて欲しい。そう願いながら、
「天元…」
その愛しい名を呟く…まだ彼に呼んだ事のない名前を。
またもう一度、その名を口にしようとした時…
カシャッ
何やら不穏な機械音が妓夫太郎の耳に届いてきた…
その音に勢い良く振り向けば、無情にも自分に向けられている黒光りのスマホのカメラレンズ…
「……は?」
振り向いた瞬間にもう一度無情な機械音が鳴る。それもカシャカシャカシャと連続で…
そのスマホを手に持った男は、口元にニヤリと不敵な笑みを浮かべて言葉を口にしていく…
「妓夫太郎君の可愛い姿、もーらいッ」
そこに立っていたのは、パーカーの持ち主宇髄…意地の悪く、満足気な笑みを浮かべ、自身のスマホにチュッとキスをして妓夫太郎にウィンクを飛ばしてきた。
そんな宇髄に妓夫太郎はただただ呆然と立ち尽くすのみ…
「いやもう何お前。んな可愛い事してくれんのか?え?こんな可愛い恋人いて俺メチャクチャ幸せなんだが?ド派手に爆発しちまうわ」
そう言いながら宇髄はニコニコと満面の笑顔を浮かべて妓夫太郎へと歩み寄ってくる。普段はツンツンしてる恋人が自身が脱ぎ捨てたパーカーを着てその匂いを嗅いでいたのだ。それから沸き立つ欲情は凄まじいもので、本当は襲いたい衝動に駆られたが何とか抑え込み、写真に収めるに留めた彼を多少は褒めても良いのかもしれない。
だが、そんな事は妓夫太郎には関係無かった。
「テメェェェッ!!スマホ寄越せぇぇぇッ!!」
怒り狂いながら宇髄に襲い掛かる妓夫太郎。だがその顔は真っ赤に染まり、迫力にかけるものだった。寧ろ宇髄にとっては可愛いものだった。
「いや無理無理。お前スマホ壊すだろ」
「当っったり前だろうがぁぁぁッ!!」
スマホを奪い取ろうと手を伸ばす妓夫太郎。その表情は真剣そのもので、先程の写真をこの世から抹消したいという気持ちが全面に現れている。そんな妓夫太郎を宇髄はヒョイッと軽くかわし、余裕の笑みを浮かべながら、妓夫太郎を背後から抱き締めていく。
「はい。俺の勝ち〜」
「あ"!?まだだろうがぁぁッ!」
「ん?妓夫太郎君はまだ反抗する気なのかなぁ?」
そうニヤニヤと笑いながら、宇髄は自身の腕の中でジタバタと暴れる妓夫太郎の耳にフゥーっと熱い吐息を吹き掛ける。その感触は耳から首筋にゾワゾワッと流れて妓夫太郎は思わず「ヒャァッ!」と甲高い声を上げてしまう。
「え?何だよ今の声…可愛過ぎんだろ」
「ッ〜!耳は止めろよなぁぁあッ!」
「え?耳責めご希望か?」
「真逆だボケェェッ!」
「分かった分かった。キスだけにしとく」
「全然分かってね……ンン〜ッ!」
耳たぶをチュッと音を鳴らしながら吸われ、ブルッと肩を震わせる妓夫太郎。瞼と口をギュッと閉じて頬を赤らめながら耐えるその姿に「あ、これ以上はヤベェ」と自身の理性の限界を悟った宇髄は、妓夫太郎の頭を優しく撫で「やり過ぎた」と素直に謝罪する。
「ッ……このッ、変態教師がぁぁ」
宇髄の素直な謝罪に妓夫太郎は威嚇するようにキッと睨み付けてくる。が、瞳は涙で潤んで頬は赤らめてるその顔では宇髄には威嚇の効き目は一切無かった。
「その変態教師のパーカーを着て匂い嗅いでた可愛い恋人は誰だ?」
「それ忘れろよなぁぁッ!」
「無理。もう脳内で永久保存した」
「バグれ!」
「お前が上書き保存してくれたら消えるかもよ?」
「は?上書き保存ッ?」
妓夫太郎は宇髄の言葉が理解できなかった。目を見開いて聞き返し、どういう意味なのかと視線で問うと、宇髄はニヤッと笑って答える…
「俺の事、今後は「天元」って呼んでくれたらお前が俺のパーカー着てたの忘れるかもなぁ」
「ッ〜〜!!」
その意地の悪い笑みで妓夫太郎は自身の小さな呟きを聞かれていた事を察した。察しては、再び顔を真っ赤に染め上げ、ふるふると小刻みに震えだしてしまう。
「どうする?呼ぶか?ん?」
「うッ…あ、ぃ、ぃや…あ、あれはぁぁッ…」
「俺は呼んでほしいけどなぁ。何なら今」
「うッ…くぅッ…」
「ほら。呼んでくれたらさっきの写真消すぞ?」
「ッ……て、てん……」
恋人のパーカーを着てその匂いを嗅いでいた姿は一生の恥と思っている妓夫太郎。可愛い女子(代表妹)がやるならばそれはとても愛らしい姿だろうが、男の自分がそんな乙女のような真似をしている姿なんて残すわけにはいかない。何としても消させなければ…その為に名前を呼ぶ等を容易い事……
「やっぱ無理ぃぃ!」
ではなかった模様……名前を呼ぶ事を拒絶され、多少傷付いた宇髄だが、「んじゃ、その内な?」と優しく囁いて、その真っ赤に染まった頬にチュッとキスをしていく。
頬キスを受けて、妓夫太郎は少し申し訳なさそうに視線を泳がせ、「んっ」と軽く頷き、いつか名前で呼ぶ事を宇髄へと誓う。まだ恥ずかしさが勝ってしまうが、いつか必ずアンタの名前を呼ぶから、と…。
(ま、写真の前に動画撮ってたけどな)
宇髄のスマホデータには、妓夫太郎が自身のパーカーを着て袖の匂いを嗅ぎ、「天元」と呟く動画がキッチリと収まっていたという…
「なぁ…」
「んん?」
「スマホの待ち受け、お前の彼パーカーにして良いか?」
「ぜっっってぇダメだぁッ!」
その後、勿論待ち受けにした宇髄であった。