マイエラif 〜春〜◆春◆
アイツが来たのは、
忘れもしない…春の事だ。
初めて見た時、そいつはオディロ院長に手を引かれ、荷物も持たずに裸足で立っていた。
唯一、オレンジ色の大きなバンダナを腕に巻いていたのが印象的だ。
そんな身なりからか、捨て子…にしてはどこか酷く違和感があった。
拾われて来てから、そいつはしばらく熱にうなされ、寝込んでいた。
オディロ院長と…オレには意地悪なアイツでさえ、そいつの為に付きっきりで看病していた。
体調が悪いんじゃ仕方ない。
今までは、新参者だったオレを、1番に気にかけてくれていたオディロ院長。
それが、そいつにかかりきりになるのも理解できる。
…オレだって、いつまでもガキじゃない。
でも、そいつの体調が落ち着いても、オディロ院長の注意は変わらなかった。
何故なら…そいつが、言葉を話せなかったからだ。
きっと、心に深い傷を負ったのだろう。
そう言い、優しいオディロ院長は、そいつの側にいつも寄り添っていた。
…オレだって、心に深い傷を負っているじゃないか。
なのに、そいつがずっと優遇されている、その現実が悔しかった。
これは理屈じゃない。
ガキみたいな事言ってるなんて、百も承知だ。
でも、負の感情が…オレをどんどん嫌な人間にしていった。
「ククール。」
「は、はい!」
久しぶりに、オディロ院長に呼び止められた。
自分を見てもらえた。
それが嬉しくて、笑みが抑えられなかった。
…なのに。
「あの子は、エイトというらしい。今は自分の名前以外、思い出せない。言葉は分かるが、話す事が出来ない状態だ。」
「……。」
「ククール、お前さんがこの修道院で、1番歳が近い。優しいお前さんなら、エイトもきっとすぐに心を開くじゃろうて。」
「……。」
「ククール。エイトの事、頼んだぞ。」
「…はい。オディロ院長。」
…ほら、アイツの心配ばっかり。
なんでだよ。
この前まで、『そこ』にはオレがいたのに。
久しぶりにオディロ院長に撫でてもらえたのに、心が全く満たされない。
胸の中が、ぐるぐるする。
なんで、アイツはずっとみんなに優しくされてるんだ。
なんで、あそこにいるのが…オレじゃないんだ。
…悔しい。憎い。
アイツもオレと同じ、捨て子なんだろ?
オレと同じ土台にいるんだ。
オレと同じ立場にあるべきじゃないのか。
そんな先入観を持ったまま、オレは初めてアイツの部屋に行った。
「…入るぞ。」
「……。」
カチャリ、と静かに扉を開けると、ベッドの上で起き上がっているアイツを見つけた。
ぱっと見、オレより2.3個年下だろうか。
布団の上に…何かネズミが居る。
コイツ…捨て子のくせに、生意気にペット飼ってるのか?
そんな事を思っていると、アイツがジッとこちらを見つめた。
その視線を受けて、オレはようやく名乗る事にした。
「オレ、ククール。ここではお前の先輩。」
「……。」
「オディロ院長が、お前の事心配してるから。様子見に来た。」
「……。」
「それだけだから。」
それじゃ、と踵を返す。
…だって、オレこいつと話す事、何もないし。
「く、くーる。」
「!」
後ろから、たどたどしく名を呼ばれ、思わず声の方を振り返る。
…大きな漆黒の瞳が、じぃっとこちらを見ていた。
なんだか、胸がざわりとした。
「…なに?」
「ククール。」
「……。」
「…よろ、しくね。」
そう言い、そいつはにこりと笑った。
空いていた、部屋の窓から、風がふわりと花びらを運んできた。
…何故だろう。
攻撃的な事をされた訳じゃないのに。
オレはこの瞬間、コイツに苛々していた。
※
数週間後、あいつは体調も良くなり、個室から集団部屋に移って来た。
…この世界では、ここからが本番だ。
修道院なんて名乗っては居るが、ここに居る奴らは基本腐った奴らばかりだ。
みんな、私利私欲しかない。
いつも自分の事だけを考えている。
他人を蹴落としても、自分の物を確保しようとする。
でも、そうなるのも当然だと、オレはいつしか感じる様になってきた。
何故なら、ここにいる全員が、奪われた経験しかないからだ。
与えられる事に慣れてないなら、みんな自分の事だけでいっぱいなんだ。
…オレを含めて、ね。
…まぁ要するに、
新人に優しくする奴なんていないって事だ。
ガシャ!
「おい、新人なんだ。俺たちの分も先に来てちゃんと掃除しとけよ!」
「ご、めんなさ…!」
「お前、掃除一つ出来ないのかよ。あんなにオディロ院長に手をかけてもらっといて、本当情けねー奴。」
「…ご、めんなさい。」
…ほら始まった。
いつでも居るんだ。
新人を虐めたくて虐めたくて、仕方ない奴。
見れば、4人であいつを囲み、口々に小言を吐いている。
オレだって、最初の頃はこの洗練を受けた。
途中から、バカバカしくて上手く交わす術も身に付けた。
お陰で、若干ここでは浮いている。
…別に気にしてないけど。
「おい、何見てんだよククール。」
「…はぁ?」
「何か文句あんのかって言ってんだよ、生意気な目で見やがって。」
「……。」
流石に見ていたのに気付いたのか、リーダー格の奴がオレに声をかけて来た。
(…つまんねー飛び火だな。)
そう思い、オレは床で、雑巾のバケツの横に座り込んでいるアイツを見た。
…アイツは、またあの大きな漆黒の瞳でこちらを見ている。
助けてくれと、視線が言っている。
そりゃそうだろう。
誰だって、こんな事されたら助けを求めるさ。
…だからさ…その姿勢が、腹立つんだ。
その大きな漆黒瞳が、オレを苛立たせるんだ。
…昔の自分を、思い出してしまうんだ。
だから、オレを、その目で見るな。
「…甘いなって。」
「…は?」
オレはツカツカと足早に近寄り、アイツの側のバケツを両手で持ち上げる。
そして、バケツをアイツの頭上からひっくり返した。
ばしゃあ!と、そいつは水浸しになる。
「ッ…!!」
「新人には、身体で教えてやらないと分からないだろ。」
「…え。」
いじめっ子達はポカンとしている。
辺りから、一瞬音が消えた。
ポタ、ポタ、と、アイツの髪から水滴が落ちる音が響いた。
そのまま、オレはバケツをガン!と投げ捨てると、修道院の外に出た。
後ろは振り向かなかったから、水をかけられたアイツがどんな顔していたかは分からない。
そのまま、修道院の裏の川縁まで歩くと、オレはどか!と座り込んだ。
…何ていうか、
ああいう事、初めてした。
心はどうだろう?
胸に手を当ててみると、苛々は少し治っている。
でも、何かが引っかかったまま、外れずにいた。
※
その後、アイツをいじめた事がマルチェロの耳に入り、オレは不覚にも拷問部屋で3時間の折檻と3日の断食を受けた。
言いつけたのは、間違いなくあの4人組だろう。
これは、アイツらに口止めしなかった、オレのミスだ。
拷問から久々に解放されたオレは、自室という名の集団部屋に戻る。
部屋割りは、色んな都合で定期的にシャッフルされるシステムだ。
オレが部屋に戻ると、このタイミングでアイツと同室になっていた。
部屋の前の部屋割りの名札を見て、オレは盛大なため息をついた。
(…流石に気まず。)
神は本当にいるのだろうか。
こういう時に、オレは神を1番に疑う。
意を決してオレが部屋に入ると、奥のベッドでアイツが本を読んでいた。
タイミングはさらに最悪で、6人部屋に今はそいつと2人きりだ。
入口にオレを見つけると、そいつはビク!と身体を震わせた。
…そりゃそうだ。
ニコニコ寄って来たもんなら、流石に精神を疑う。
そのまま、オレは自分のベッドを見つけて横になる。
正直、3日の断食よりも、マルチェロの3時間の折檻の傷の方が辛い。
覚えたてのホイミをかけてみたが、まだまだ効きが悪く、精々止血になった程度だ。
…オマケに打身のせいか、若干熱もある。
その為、アイツに構っている余裕もなく、オレは薄い布団を頭までかぶった。
「……。」
「……。」
「……あの。」
「……。」
「…だい、じょうぶ?」
布団越しに、アイツの気配を感じた。
(え…話しかけてきた?いやマジで?精神を疑うわ。)
オレは布団の中で天を仰いだ。
そして、そのまま黙って動かずに、無視しておく事にした。
「……ごめん、なさい。こんな事に、なる、なんてしらなくて。」
「……。」
「ぼく、が…はやく、着替えて、いたら。バレなかったのに。」
「……。」
「いたかった…?よね?」
「……。」
ぽつり、ぽつりと、アイツの声が聞こえた。
はぁ…信じられない。
信じられない、イイコちゃんぶりだ。
ここに来て、1番に無くすはずの労いを、まだ持っている。
あぁ、ほら。
また要らない言葉が出て来てしまう。
「本当…アンタのせいで、このザマだ。」
「ご、めんなさ…い。」
「…はぁ、こっちくんな。苛々する。」
「…!ごめ、なさい!」
そう言い、そいつが離れた事を気配で悟る。
それでいい。
もうオレの視界に入らないで欲しい。
コイツと関わると、ロクな事がない。
そう思い、オレは意識を手放した。
※
…その夜、オレは高熱で熟睡出来ずにいた。
慣れたはずの硬いベッドすら辛い。
寒い。全身が悪寒で震えている。
「…はぁ、はぁ。」
息が辛い。
身体が熱い。
ろくに栄養も取ってないせいか、胃が空でガクガクする。
「…み、ず。」
「……はい。」
「…?」
「…おみず。あと、薬草…のめる?」
「……。」
部屋は暗がりのままだった。
小さな声に導かれるまま、オレは上半身をゆっくりと起こす。
コップの水が口元に当てられ、ゆっくりと喉に流し込まれる。
すぐ側には、薬草をすり潰した匂いがする。
「…げほっ、げほっ!」
「だいじょうぶ?ゆっくりでいいから…。」
そう言い、声の主はオレの背中を摩った。
そのまま息を整え、オレは薬草と水を交互に飲み干した。
「あと、これ。少しだけだけど、食べれる?」
「…?」
口元に、小さな固形物が当てられる。
…香りで、林檎だとわかった。
この修道院で、林檎…どうやって仕入れたんだ?
そんな事を思いながら、しゃくりと一口含んだ。
口の中から、薬草の苦味が消えた。
「だいじょうぶ。すぐに良くなるよ。」
「……。」
「ゆっくり、寝てね。」
「……お母、さん。」
「……。」
そのまま、オレは再び意識を手放した。
※
次の日、目覚めると嘘のように身体が軽くなっていた。
久々の朝食にも在り付け、身体の傷も良くなったので、朝風呂にも入った。
…夢心地に覚えている。
あの声は、間違いなくアイツだ。
はっきり、仇を恩で返された。
こんな屈辱的な事はない。
起きた時には、アイツはもう部屋にいなかったから、まだ会話出来ていない。
流石に、この状態で何も言わないのは、人としてどうかと思うので、オレは取り急ぎアイツを探す事にした。
…なのに、探しても探しても、アイツが見つからない。
「…なぁ、聞いたか?例の新人。」
「あぁ。オディロ院長の自室から林檎と薬草を盗んだらしい。」
「…!」
すれ違った修道士の会話に、オレは足を止めた。
「オディロ院長の自室からってのがな…まるで盗人だ。」
「拾って貰った恩をこんな形で返すとは。」
「オディロ院長はお優しいから、理由を聞いていたが、食べたかったからの一点張りだろ?」
「今はマルチェロ様のお叱りを受けているそうだ。」
「…!」
オレはハッと息を飲んだ。
まさか…そんな事が?
オレは走って拷問室に向かった。
「おい!」
「ぁ…。」
拷問室に着くと、丁度折檻を終えたアイツが出てくる所だった。
左頬が赤く腫れている。
他にも、全身打撲だらけになっていた。
「お、おまえ…!」
「ぁ、はは…君はすごいね…。」
「は?何だって?」
「こんな…ツラいこと…に、耐えて。」
「…!」
かくんと膝が折れ、アイツが床にどしゃりと倒れ込む。
情けない事に、オレの力では支えきれず、倒れ込んだコイツを後から抱き上げた。
足元で、例のネズミが心配そうにチョロチョロしている。
…信じられない。
感情がぐるぐるして、胸がバクバクと打つ。
「…お前、ばかじゃねーの?」
「…ぇ?」
「何笑ってんの?ばかなの?」
「…ばかじゃ、ないよ。」
「いや。ばかだろ。何やってんの?本当ばか。ばかだ。ばかばか。大ばか。」
「…ふ、ふ。君、それしか知らないの?」
「……ばか、やろ。」
「……。」
コイツを抱き上げた、腕が震える。
自分のために人が傷付くという事は、なんて恐ろしい事なのだろうか。
自分が傷付く事の方が、100倍楽じゃないか。
オレは、産まれて初めて、
自分のせいで何かを失うかも知れないという恐怖を感じた。
「…ちょっと待ってろ。」
「…?」
両手に魔力を集中させ、心から天に祈る。
…神様、目の前の…コイツの傷を治して下さい。
「…ホイミ!」
「!」
次の瞬間、ふあぁっと淡い緑の光がコイツの傷を覆い、じわじわと頬の腫れが引いていく。
「…ふぅ。」
「っすごいや!君、魔法がつかえるの?」
「…ぁ、え?」
「みて!ほっぺた、全然いたくない!腕も打撲がきえてる!」
「…あ、本当だ。」
「僕、魔法はじめてみた!ククールはすごいね!」
「……。」
ぺちぺちと自分の頬を叩いて見せる。
確かに、頬の傷含め、全身の打撲が消えている。
「…初めて成功したかも。」
「え?なに?」
「な、なんでもねーよ!それより、もうこんなばかな真似するなよ!」
「うん!もうしない!」
「…ったく。」
「でも、僕オディロ院長にちゃんと、あやまりに行きたいんだ。」
そう言い、目の前のそいつはオレの顔をチラチラと見る。
…ついて来い、という事だろうか?
「…オレも、ついて行ってやるよ。」
「!ほんとう!?…よかったぁ。実は僕、この建物、オディロ院長のおへやしか覚えてなくて…。日中はどこにいるかわからなくて。」
「…ん?まさかお前、だから昨日の夜…食堂とかじゃなくてオディロ院長の部屋に忍び込んだのか?」
「…うん。そう。」
照れ照れ、と頭をかく。
…主人の元気になった様子に、ネズミが頭の上まで登ってぴょんぴょん跳ねている。
「…はぁ。ばかだな。正真正銘のばか。」
「だって!夜中だったし、起こすのもわるいかなって思ったから…。朝ちゃんと言えばおこられないと思ったんだけど…おおさわぎになっちゃった。」
「…あーでも、なんだ?その…昨日は助かったよ。」
「うん。」
「…だから、その…ほら。一緒に謝りに行こうぜ…エイト。」
「…!うん!!」
初めて、エイトの名前を呼んでみた。
たったそれだけの事なのに、エイトはとても嬉しそうに笑うから。
…それが、まるで特別な事のように勘違いしそうになる。
「ってか、お前ここに来て1ヶ月にはなるんだから、食堂位覚えろよ。」
「うん…でもここ、すごく広いから。」
「そっかぁ?まぁ3大大聖堂って言われる位だしな。」
「そうなの?ククールは物知りなんだね。」
「お前に比べれば、みんな物知りだ。」
「そっかー。」
「おい、今のはイヤミだぞ。」
「そっかー?」
「…お前、ばかだろ。」
…そうして、
その後2人でオディロ院長の元に林檎の謝罪に行ったワケだが。
エイトとオレが並んでいる姿を見て、オディロ院長はとても嬉しそうに笑い、オレ達を撫で繰り返した。
…気付いた頃には、
オレの心から苛々は完全に無くなっていた。
【完】
はい、幼少期、出会いの春です。
ククールがエイト君をいぢめるシーンは、あれが黒羽の精一杯でした笑笑
語彙力がないククール少年、可愛くないですか??
ばかばかって笑
とまぁこんな感じで、
少年期、成長の夏編に続いたり。
お読み頂き、本当にありがとうございました。
2022.12.26 黒羽