マイエラif 〜夏〜◆夏◆
ジワジワと、外で蝉達が大きく鳴いている。
マイエラにも夏がやってきた。
修道院を囲む木々が蒼く繁り、
四季の中でも、中々見応えのある美しさだと、その道では有名らしい。
…オレ自身、ここで一体何度目の夏になるのか、もう忘れてしまった。
ここに来た頃は、今年で何回目だ…なんて数えていた時もあった。
でも、何の意味の無い事だと思い、5年目位から数える事を辞めた。
オレは涼しい木の上から、辺りを見下ろす。
地上では、丁度洗濯が終わったようで、真っ白なシーツが一斉に干されている。
この陽気なら、きっと今夜はふかふかの太陽の匂いに包まれて眠れる事だろう。
オレは柄にもなく、このお日様の香りが大好きだ。
…これは、平等な温かさだと感じるから。
「あ、いたぁ〜!」
「ん?」
「さぼり魔、発見!」
そう、呑気な声が聞こえて来る。
読みかけの本を顔に被せていたから、視界からは分からないが…この抜けた声は間違いなくエイトだ。
そのまま、ガサガサと木を登る音がする。
人の気配を感じ、オレは本を顔からずらすと、すぐ横に膨れた顔のエイトがいた。
「おー、お仕事ご苦労さん。」
「おーじゃないよ!みんなククールの事探してたんだから。今日は君が洗濯当番でしょ?」
「あれ?そうだっけ?」
「そうだよ!仕方ないから、僕が手伝っておいた。」
「マジ?わるいわるい。」
そう言い、オレはエイトの頭をポンポンと撫でる。
14歳のオレと、11歳のエイト。
昔はそう変わらなかった身長も、今では頭1つの差が出来ていた。
「君っていつもそう!本当にそう思ってる?」
「思ってるって。おぉ神様エイト様。今この時を与えて下さった事に感謝します。」
「あぁ…もう嘘っぽいもん。」
「神様と名前を連ねといて、そりゃないぜ。」
「いい加減にしないと、また団長に呼び出されちゃうよ。」
「あーもー分かったって。次からはちゃんとやるから。」
絶対だからね、とエイトがぷりぷりと怒っている。
頭にはオレンジのバンダナが巻かれており、その上には、ネズミのトーポがちゃっかり乗っていた。
エイトとトーポはいつも一緒にいるなぁ…。
そんな事を思っていると、エイトが辺りの景色に気付いたようで、目をキラキラさせ始めた。
「ねぇ、ここ。凄くいい景色だね!」
「だろ?あーぁ、秘密の場所だったのに、バレちまった。」
「大丈夫、僕口固いから。」
「ってか、お前高いところ平気なんだな。」
「うん!むしろ高いところ好き。広い世界が見えると、胸がぐあぁってなる。」
「はは!何だそれ。」
出会った頃に比べると、大分饒舌になったエイト。
でも、たまにオノマトペが会話を占める事があり、まだまだ子供だな、と思う。
「む…笑わないでよ。ククールはいいよね、お祈りとかで修道院の外にお出かけ出来るから。」
「…まぁな。」
「僕はここに来てから、ずっとここしか知らない。ここに来るまでの記憶もないから、僕の人生は全部マイエラだ。そもそも、11歳まで一度も外の世界に出た事もないなんてやばくない?」
「そうか?外なんて、きっとロクなものないぜ?」
「そうかな?色んな人、色んな物、キラキラした物が沢山ある…ような気がするよ。」
そう言い、エイトはオレに微笑みかける。
…真実、を知らないとは誠に幸せなもんだ。
オレは表情を変えずに、エイトを見つめた。
「で、お前のその自信はどっから来るワケ?」
「……主に、本。」
「でしょうね。」
「あ、でもね!今度僕もお祈りに連れて行って貰う事になったんだ!」
「…え?」
その言葉に、オレの心臓がドクンと跳ねる。
目を見開くも、エイトはそんなオレに気付かず、ただ嬉しそうに話続けた。
「この前、司祭長がね、僕もそろそろお勤めに出てもいい頃だろうって。まだハッキリしないけど、多分次のお勤めから同行させて貰えるみたい。」
「…そ、うか。」
「外に出れる…世界が見れる。どうしよう、今からドキドキしてきた!」
「……。」
「…?ククール?」
急に黙るオレを、エイトが隣から覗き込んだ。
オレは一気に気分が悪くなり、口元を左手で押さえた。
…お勤め、とは所謂『お布施稼ぎ』だ。
名のある盟主…という名の、金づるの家に赴き、言葉の通り『ご奉仕』をする。
オレは9歳で初めて、現実を知った。
初めての世界に浮いていた心は、汚れた身体と共に一気に底なし沼に堕ちていた。
…優しい相手なら、まだいい。
たまにアブノーマルな奴に当たると最悪だ。
子供相手に、アイツらは信じられない事を求めて来る。
当然、オディロ院長は、この事実を知らない。
勿論、彼に恩しかない子供達が、その事実を知らせるわけもない。
永遠に続く、負の連鎖だ。
…エイトも、最近は年頃になって手足がすらりと伸びてきた。
元々、瞳の大きな可愛らしい顔つきをしている。
好きな奴からしたら、まさに『食べ頃』だろう。
コイツの、この瞳が…穢されると思うと、やり切れない気持ちが溢れて来る。
「……。」
「ククール…?どうしたの?」
…エイトに、真実を話すべきだろうか。
でも、それでもしエイトがここから逃げ出す事になったら?
11歳の子供の行く場所なんて、この世のどこにもありゃしない。
エイトもオレも、まだ一人では生きていけない。
オレ達は…まだ、ここだ生きていかなくてはいけないんだ。
エイトも、オレと同じ道を辿るしかないのか。
…オレは、なんて無力なんだ。
「……。」
「ククール、大丈夫?気持ち悪い?顔色が…変だよ?」
「…ん、大丈夫。あのさ…エイト、お祈りに行く時のアドバイス、してやろうか。」
「…え?うん。」
そう言うと、オレは自分の指から聖堂騎士団の指輪を抜き取り、エイトの親指にはめた。
「待って、これ…大切な指輪じゃないの?」
「…まぁ、初めては、誰でも緊張するから。お守り?みたいな。」
「あ、ありがとう…?」
エイトは、不慣れな指輪をまじまじと見つめている。
オレは多分、同じ『お勤め』にはついていけない。
だから、せめて…その時にエイトがこのやりとりを思い出すように。
オレはエイトの手に、ゆっくりと左手を添えた。
「いいか?…『お勤め』が始まったら、ただ祈れ。早く平和が訪れるように。どんなに辛い事も、乗り越えて行く。だから、いつか必ず幸せを下さいって。」
「…うん?分かった。」
「終わったら、何も考えるな。何も考えず、真っ直ぐ帰ってこい。」
「??ククール、僕がはじめての外で迷子になると思ってる?」
「…あぁ。」
「あはは!流石に僕の事、馬鹿にしすぎだよ!みんなで行くのに、迷子になんかならないよ。」
「そうだな。…心配しすぎだよな。」
「そうそう。ククールは変な所、心配性だよね。」
「うるせー。いいから絶対失くすなよ、その指輪。オレだって、この前騎士団入団したばっかりで、指輪失くして、団長殿の折檻なんて受けたくねーからな。」
「うん。分かったよ…心配性の、ククールお兄ちゃん。」
そう言い、エイトが嬉しそうに笑う。
その笑顔が、今のオレには眩しくて…苦しい。
ただ、あの時の自分に出来る事は何だったのか。
未だに、オレは答えが出せずにいる。
※
その数日後、エイトは『お勤め』に出かけると、数日後に帰ってきた。
オレは別の『お勤め』に出ていたから、帰ってきたエイトを迎える事が出来なかった。
「なぁ、エイト、見なかったか?」
「エイト?見てないよ。さっきお勤めからは戻ってるはずだが。」
「くそ!」
エイトと一緒に出掛けていた修道士に聞くも、ロクな情報が得られない。
エイトはどうなった?
エイトはどうしてる?
オレは頭がエイトでいっぱいだった。
なのに、エイトは修道院のどこにも居なかった。
…他に、エイトのいそうな場所はないだろうか。
「…あ。」
オレはふと、秘密の場所を思い浮かべた。
そのまま、最短ルートで例の木の上を目指す。
「…エイト!」
「……。」
例の木の下に駆けつけ、上にいるだろう小さな影に呼びかける。
答えはなかったが、オレはそれがエイトだと確信していた。
身の振りも考えず、オレは急いで木を登り切る。
「…エイト!」
「……。」
「……。」
「…おかえり。」
「…っ!」
夕焼けが、エイトの表情を赤暗く照らしていて、どんな顔をしているかわからない。
声は意外と静かで、落ち着いている。
「…エイト、お前。」
「ククールも、さっき戻ったの?」
「あ、あぁ。」
「…そっか。」
「…!お前、その顔。」
俯くエイトの顔を多少強引に覗き込む。
…左目が、大きく腫れていた。
それを見た瞬間、オレは胃の奥がカアァと熱くなるのを感じた。
「ッ誰にやられた!!」
「……。」
「誰だ…誰に…ッ!!」
「……。」
…そんなの、聞かなくてもわかってる。
でも、その時のオレには、そう尋ねるしか出来なかった。
「…ククールの、アドバイス…僕、守れなくて。」
「…!!」
「馬鹿みたいに、抵抗しちゃったんだよね…最初。その時に、思い切り叩かれた。」
「……。」
「でもね、指輪。指輪のおかげで、ククールの事思い出して…そこからはうまく出来たと思う。」
「……。」
「早く、平和が…訪れますように。どんなに辛くても、乗り越えられる…。」
「…も。」
「…いつか、幸せに。」
「もッ…いいから!!」
そう言い、オレは目の前のエイトを抱きしめた。
小さな背中…まだ子供だ。
両手で、自分の身体を抱きしめている。
その震える身体を、オレはただ胸の中に押し込んだ。
「…ククール、ごめんね。」
「…何が。」
「僕、なんにも…分かってなくて。」
「……。」
「外の世界には、希望しかないと思ってたんだ。」
「…ッ。」
「外に出れば、僕の人生は良い方向に変わっていく。ずっとそう、思ってた。」
「…やめろ。」
「なのに…僕は……君に、守られている事も、知らず…。」
「もう、やめろ!!!」
小さく呟くエイトを、ギュウと抱き締める。
自分が初めて体験したあの時を思い出し、絶望を思い出した。
「エイト、ごめん。」
「…何で、君があやまるの。」
「……。」
「よく考えれば、わかる事だ。…ねぇ、覚えてる?林檎一つで泥棒扱いされた時の事。」
「…あぁ。」
「そんな貧乏修道院が、どうやってここを経営してるのか。どこから、そんなお金が出るのか。少し考えたら、わかる事なのに…。」
「……。」
「僕、ほんと…馬鹿だったなぁ…。」
「……。」
そう言い、エイトはモゾモゾと、オレの胸を押し返す。
「これ、ありがとう。」
「…指輪。」
「うん。正直、助かった…凄く。この指輪のおかげで、真っ直ぐここに帰ってこれたよ。」
「……。」
「僕は…まだここで生きていかなくてはいけない。だから…もう少し、頑張る。」
「……うん。」
オレはエイトから指輪を受け取ると、そっと自分の左手にはめた。
それを目で追うと、エイトがポツリとつぶやいた。
「…ククールは、ずっと…独りでこの孤独に耐えてきたんだね。」
「……。」
「…ククールは、強いね。」
「…ばか。強くなんてない。」
「強くて…とても優しいよ。…ありがとう。」
そう言い、エイトはにこりと微笑んだ。
11歳…よりも少し大人びた顔だ。
オレは、エイトの潰れた左目にゆっくりとキスをした。
エイトはヒク、と身体を震わせ、そのままじっとオレを見つめ返した。
真っ直ぐ見つめて来る、大きな漆黒の瞳。
それがとても美しかった。
そのまま、オレはエイトの顔にべホイミをかけた。
みるみる、エイトの顔が元に治っていく。
伏せた瞳をまたゆっくりと開く。
…そこに、年相応の美しさを感じた。
「いいなぁ…ホイミ。僕も覚えたいな。」
「今のはホイミじゃねーよ。べホイミ。」
「えっホイミの上のヤツじゃない?ククールいつの間に覚えたの?」
「ちょい前にな。…初めてのべホイミは、可愛い女の子にって決めてたのに。ま、いっか、ちゃんと効くのが分かったし。」
「ちょっと…僕は練習台?」
「んー?そんなとこ??」
「はぁ…最低。酷い。無神経男。」
そう言い、エイトはオレの隣に座り直す。
その肩に、トーポがチョコンと現れた。
「トーポ、聞いて。このククールお兄ちゃんは、僕より女の子が好きなんだ。」
「…ちょ、何当たり前の事言ってんだ。当然だろ。」
「はぁあ…今まで沢ッ山、ククールの家事番手伝ってあげたのに。こんな時くらい優しい言葉かけられないのかなぁ…。」
「それとこれとは、話が別だろ。」
「最低男だよねぇ。」
そう、エイトが肩のトーポに鼻をくっつける。
トーポは嬉しそうに、エイトの鼻にじゃれている。
それを横で見つめ、オレはフと音もなく笑った。
【完】
初めての、、お勤め編となりました。
大分2人の距離が近くなった頃です。
もっと掘り下げても良かったのですが、まぁこのくらいでいっか…と笑
次くらいから、クク主カラー強めていきますよー!!
ここまでお読み頂き、誠に有難うございました。
2022.12.27 黒羽