孤独はキライ、待つのはスキボタンの掛け違いというものは本当に恐ろしいという話しになるんだけれど、とにかく、傍から見ていれば喜劇にしか思えないだろう、しかし、俺とカスミの間に起きた喜劇にも似たなにかの話しをしようと思う。
それは俺にとって、これは墓場まで持ち込まないといけない種類の話しだ。
「は~、ヤりたい」
「最低だな、お前」
「でもさ、ほら、そこは男じゃん?」
スターレスのまかないの時間、晶と黒曜がろくでもない話しをしていた。
と、言うより、晶がろくでもない事を言いだした。
下ネタはケイのお気に入りの娘がくるまでは、日常茶飯事ではあったけれど、あの娘の前では絶対しないという暗黙のルールが出来た。
よって、この喜劇の始まりは、俺が注意したのに端を発する。
「…ほら、二人とも、過度な下ネタを話すと…」
「鷹見は溜らないの?」
「いや…だから、下ネタは禁止されてるからね」
「でも今はまかないの時間じゃん。流石にここまで早希ちゃんこないから」
「そうだけれど…性欲の話しはとにかくやめるようにね」
「せっかくもらったのに。鷹見にも一枚あげる」
「え…ああ、ありがとう」
晶に押し付けられたのは紙だ。
何をもらったのだろうか、と思いながら、目を通すと目にも鮮やかなデリヘルのチラシですぐさまいつもなら、捨てていただろう。
けれど、晶の言っている事にも同意は出来る。
男なら当然なのだけれど、性欲という面において男というのは、馬鹿なくらい忠実だ。
悲しいことにそれは「よく出来た大人」と言われている俺ですら、性欲というものからは逃げられずにいる。
とにかく、捨てずにいなかった事がまず最初のつまずきだ。
ある夜に、俺は偶然ポケットから、そのけばけばしいチラシを見つけ、事の次第も分からないまま、電話をしてみることにした。
誰にも言わないけれど、結局、俺も男なんだな、と当たり前のように誰かに言い訳をしつつ、スマホを取り出す。
好みのタイプやらなど聞かれたけれど、おまかせにして、俺は童貞でもないのに、そわそわとしていた。
タバコを吸おうとして、お気に入りのジッポーをどこかに置いてきたのだか、落としてしまったらしい。
イニシャルまで入った完全オーダーメイド品だから、手痛くもある。
仕方なく、どこかでもらったライターで火をつける。
タバコを吸っている時に部屋のチャイムが鳴った。
ろくにドアスコープも確認しなかった俺も悪いのだけれど、玄関先に立っていたのは…カスミだったから、俺は間抜けな顔をしていたのかもしれない。
「あ、鷹見~」
「…カスミ、よく働くね…?」
「ん?ああ、そうなんっスよ~。昼間はリーマンしてますし、夜はスターレスのキャスト…って鷹見、何当たり前の事言ってるんっスか?」
「あ、当たり前…でも、他のキャストは社会人経験がないじゃないか」
「そうっスねぇ…。あ、鷹見」
「入りなよ」
冷静になって考えてみれば、デリヘルでカスミが働く筈がないのに、この時の俺は正常な判断が出来なかった。
カスミは俺が失くしたジッポーを届けに来てくれただけで、デリヘルでは働いていない。
後ろめたさもあったので、カスミを部屋に入れる。
「紅茶で構わないかな?」
「お構いなく~。でも、寒いんでホットで欲しいっスね」
紅茶を淹れて、俺は勘違いをしていてカスミが余程お金に困っているのだと思って、オプションなどを考えてみる。
今考えると、完全にコントの世界だ。
俺は内心焦っていて、紅茶を出して、カスミは甘味に目がないからと買い置きで申し訳ないのだけれど、と前置きをしてマカロンを冷蔵庫から出す。
「いやぁ、悪いっスねぇ~」
「その、カスミ、よほどお金に困っているのかな?」
「ん?お金に…困ってはいないっスよ。その、確かに所得は多いに越した事はないっスけど…でも憧れっスよねぇ。不労所得で暮らすのは」
「そうだね。でもカスミ、もっと自分を大切にした方がいい」
これじゃ、完全に風俗に来て説教していく嫌な客だ。
でも、まさかカスミがそういった風俗で働いているとなれば、話しは別になる。
よりにもよって、なんでカスミなんだ。
よく考えたら分かる事が、知り合いというのか、俺にとって恋しい相手がやってきたことによって、完全にこの時の俺は頭がバグっていた。
「…?…そ、そうっスね。温泉にでも行きたいっスねぇ…。温泉じゃなくても、スパでもいいんで…そういうのはメノウが詳しそうっスけど」
「その、カスミ、俺が出来る範囲で支援するから」
「…?」
カスミの頭にはクエスチョンマークが複数浮かんでいた。
それはそうだろう。
ジッポーを届けにきただけなのに、いきなり俺がトンチキな事を言いだしたのならば、誰だってそうなる。
カスミはマカロンを食べていて、俺はカスミに知られないように銀行のウェブ通帳を確認する。
スターレスはバイト扱いだけれど、収入はとにかく多いし、これでは人件費が嵩むのも仕方がない。
カスミにそれとなく探りを入れる。
最も、カスミは絶対に本当の事は言わない事があるから、俺はなるべくそれとなくを装う。
「カスミ、正直に聞くよ?その、お金に困っているのならば、俺が少し出すよ」
「えええ!?いや、大丈夫っスよ。お金に困ってはいないっスよ。昼間も働いてるんで…その、鷹見、自分の気のせいじゃなければ、さっきからどうしたんっスか?」
「いや、その…まさかカスミがそんなに困っているのに、俺が察せずにすまない…」
「いやいや、その鷹見、話しを聞いて欲しいっス!」
カスミを抱き寄せる。
カスミが困惑しているのも、俺はもう視界に入っていなかった。
「その…カスミが好きだから、そんな仕事して欲しくないんだ…」
「そんな仕事…って…もしかして、鷹見…なんか絶対勘違いしてるっスよ!…話し合いが必要っス!」
「お願いだよ、カスミ…その、俺が話しをつけるから。だからデリヘルで働くのだけはやめて欲しい」
「デリヘル…?」
「俺以外に抱かれるカスミなんて嫌なんだ」
「その、鷹見…盛り上がってるところ悪いんっスけど…自分、ジッポー届けに来ただけっス…。あと、多分晶にそのデリヘルのチラシもらったと思うんっスけど、そこ、違法だったみたいで、摘発されたみたいなんっスけど…鷹見?」
血の気が一気に引くのを感じたし、同時に今穴があったら入りたい。
カスミが冷静で良かった。
俺の顔色は青くなったり、赤くなったりしていた筈だ。
でも、カスミは笑うでもなく、少しだけ俺を見て鷹見もかわいいとこあるんっスねぇ、としみじみ言うから。
「その、カスミ、今夜の事は…」
「秘密にしておくっス。鷹見も色々大変なんっスね…。でも、普通に考えたら、自分がデリヘルはないっスよ~」
「…カスミ、その、でも、好きな事には変わりはないからね」
「う~ん…そうっスねぇ…。じゃあ、今度鷹見のおごりでスパに行くっス。岩盤浴いいっスよねぇ」
「カスミは俺の事をどう…思っているのか気になるんだけど…」
カスミがポケットから俺のジッポーを取り出す。
はた、と手を止めて。
カスミは俺に向き直って、俺の唇に人差し指を当てる。
少しだけ、カスミは笑って。
「自分を飽きさせないのなら、鷹見を好きになってもいいっスよ」
小悪魔だ。
カスミは、じゃあ、帰るっス~とマフラーを巻き直して、帰り支度を始める。
俺はカスミの触れられた唇が熱を持つのを感じた。
その蠱惑的な笑みに囚われれてしまった。
恋と地獄は落ちるものだと言うのならば、俺と一緒に恋に落ちて地獄へ一緒に行かないかい?
タクシー代だよ、とカスミの手にデリヘルで使う予定だった1万円札3枚を渡して、カスミのマフラーを引き寄せてキスをする。
この自称モブはたちが悪い。
それはきっと俺よりも。
了。