愛しき言 尽くしてよコキュウの目の前には、ベッドにちょこんと座り、期待に満ち満ちた瞳でこちらを見つめるリュートが居た。さながら主人と遊ぶのを待っている子犬のよう。当のコキュウは同じくベッドに横並びに座り、どうしたものかと頭を抱えている。
ここはスフォルツェンド公国大神官、リュートの自室。リュートはスフォルツェンド史上始まって以来の法力使いで、古代魔法を得意とするところもあり、壁の本棚には魔導書や古文書がギッシリと並べられている。科学立国の王子であるコキュウには、縁遠いものばかりだった。部屋の一角には、プレゼントや花束が山のように積み上げられている。先日行われたリュートの生誕祭で献上されたものだろう。色とりどりの包み紙が目に鮮やかだ。これでも既に半分以上は開封され、リュートを楽しませていた。あるものは珍しい書物、あるものは異国の名産品で、どれもリュートのためにと選ばれたものだった。
その生誕祭から数日たった今日、約束の日がやってきたのだった。正確に言えば今日と決めた訳では無かったのだが、いつになってものらりくらりとはぐらかすコキュウにリュートが痺れを切らし、こうしてスラーから瞬間移動魔法で拉致してきたというわけだ。
「コキュウさん」
「……はい」
にっこりと、しかし有無を言わさない気迫で、リュートがコキュウににじり寄る。
「覚えてますよね、僕が十七歳になったら」
コキュウが深い息を吐く。覚えているし、忘れるわけもない。交わした日から、その約束は鎖のようにコキュウの心に絡みついて締めつけていた。後悔していたわけでは無いが、大変な事をしてしまったという焦りがコキュウを追い詰めていた。
「……もしかして嫌でしたか?」
コキュウの困惑する様子に、リュートの眉毛が八の字に下がる。ラピスラズリのような深い色の瞳が曇り、コキュウを責める。
「いえっ、王子……そういう訳じゃ無いんです!」
大慌てで否定するコキュウに、リュートの眼は不安を隠せない。無理なお願いだったのだろうか。こんな事をお願いして、迷惑だったのだろうか。だとしたら。コキュウにとって、自分とは何なのか。
悶々とするリュートだったが、意を決したコキュウは、リュートに向き直ると両手を掴んだ。リュートは勢いに一瞬肩を震わせたが、うっとりとコキュウを見つめ、次の行動を待ち構えた。ああ、遂に。
約束を結んだのは、半年前の事だった。互いに大国の王子同士として幼い頃から親交はあり、共に魔族との闘いに身を投じてきた戦友でもあった。そしていつしか惹かれ合い、想いを通じ合わせるようになった。硬派なコキュウは恋愛には疎い上にリュートの貞操を何よりも大事にしており、恋人同士となってもリュートの体に触ろうとしない。対してリュートは、いつになったら恋人としてのステップを踏めるのかヤキモキしていた。リュートは堪らず、十七歳の誕生日を迎えたら、コキュウのものにして欲しいと訴えたのだった。コキュウは観念して、承諾した。
次第に二人の距離が近くなる。
――遂に僕は、コキュウさんのものになる。
リュートが長い睫毛を伏せたその時だった。
「王子、すみません!」
予想外の言葉に目を開くと、しっかりと握りあった手を眉間に当て、苦渋の表情を称えたコキュウが居た。申し訳なさで肩を竦めているせいか、一回り小さく見えた。
「……コキュウさん?」
「王子、本当にすみません……。我が国では同性同士の婚姻は認められておらず……しかも他国の王子を迎えいれるなど前代未聞なのです」
リュートは突然のことに言葉が上手く入ってこない。同性同士の婚姻?他国の王子?コキュウは面食らうリュートを置いてけぼりにして捲し立てた。
「俺はいずれ、スラー共和国を背負って立つ身です。その王子が、自分より強い男性を娶るとなると、国民感情がどう動くか……」
コキュウは更に続けた。
「それに俺はスラーを離れる訳にはいきませんし、リュート王子には大神官という大事なお務めがある。多忙な我々がすぐにすれ違い生活になるのは明らかです」
リュートの目の前が暗くなる。コキュウは、この約束を守れない、そればかりか、二人の関係を終わらせようとしているのか。
確かに、リュートには思い当たる節があることはあった。最近は忙しいからと連絡もろくに取れず、魔族の討伐で一緒になってもコキュウから話しかけられる事は少なくなっていた。また、リュートの生誕祭でも、国賓として招かれていたが話をする時間はなく、コキュウも上の空だった。無理矢理拉致してきたときも、どこかコキュウが憂鬱な面持ちでいたことは分かっていた。気の所為だと、見て見ぬ振りをしていた。しかし、コキュウの言っていることは正論である。理路整然と並べられる、別れる理由に反論のしようもない。
「……という訳ですので……王子?」
リュートが茫然として、手に籠る力が抜けているのを察したコキュウは話を止めた。頬からは血の気が失せている。コキュウがリュートの顔をのぞき込んだ時、ぱたり、と滴が零れた。
「えっ⁉リュ、リュート王子⁉」
「分かりました……」
声が震えている。こんなにも明確な決別の理由を突きつけられ、リュートの頭は拒否反応で割れそうだった。でも我慢しなくては。コキュウの想いに応えなくては。曲がりなりにもリュートも王子だ。コキュウの国を思う気持ちはよく分かる。
「コキュウさんの言う通りです」
「リュート王子?」
「僕……わ、別れます……」
一思いにそう言うと、またぱたぱたと涙が頬を濡らした。込み上げる嗚咽が上手く飲み込めない。これで良いんだ、と言い聞かせようとした時、急に抱き寄せられた。
「なんで別れるんですか!」
「え……だってコキュウさんが別れた方がいいって……」
「そんなこと一言も言ってないです!」
あまりの焦りようと一八〇度違うコキュウの言葉にリュートの頭は疑問符だらけになった。
「同性同士の婚姻が認められてないって……」
「今、合法化に向けて議会にかけているところです!来週辺りに正式に可決されると思います!」
「国民感情がどうなるかって……」
「リュート王子の人気はスラーでも不動です。同性婚さえ承認されれば、反対する者は居ません!」
「忙しいからすれ違い生活になるって……」
「二人のための離宮を、港町付近に建設中です!ここからならスラーとスフォルツェンドを約一日で行き来出来ますし、俺の業務の半分はそこでできます。北部なので魔族が出やすいですが、警護も兼ねられるので一石二鳥です」
「じゃあ……」
ずるずるとリュートの体から力が抜けていく。緊張が解けて、目の前がチカチカしてきた。先ほどまでのコキュウの口上はなんの為だったのか。
「どうして、すみませんって……」
「それは……」
コキュウは言い淀んだ。苦しげな表情でポツリと漏らす。
「王子の誕生日に間に合わなかったからです……手続きが煩雑で……法律一つ変えるのも手間取って……本当にすみません……」
コキュウはリュートの左手を取る。真っ直ぐ見つめる瞳は、一点の曇りもなかった。
「本当は全て準備が整ってからにしたかったのですが……王子を不安にさせてしまったようですね」
コキュウはポケットから取り出したものを、リュートの薬指に滑らせた。シンプルな指輪だった。
「さっき連れてこられる前に、コレだけはと思って持ってきたんです。リュート王子、俺と……結婚してください」
左手に銀色に輝くプラチナ。気がつけば、コキュウも同じものを左手に煌めかせていた。
「コキュウさん……」
安心したのと嬉しいのとで、また涙がぽろぽろと零れた。しかし、今度は温かい涙だった。ぎゅう、とコキュウの手を握り返す。
「喜んで……!」
やっとコキュウの顔が緩んだ。彼なりに緊張していたようだった。
「でも、コキュウさん……僕がお願いしたのは……あの、その……」
リュートは口篭る。そう、リュートがお願いしたのはスラーの同性婚合法化でも、離宮の建設でもない。
「コキュウさんのものにして下さいって……」
「ですから、婚約を」
「じゃなくて、あ、結婚が嫌なわけじゃなくって……ええと……僕はその、コキュウさんと……あの……エッ……チ……したかったん……です……」
「えっ⁉」
自分からその言葉を口に出してしまい、恥ずかしさで消えてしまいたくなった。そうだった、コキュウは遠回しな言い方が通用しない人だった……と、リュートは思い返した。約束を交わすのであれば、直接的な表現でないと駄目だったのだ。その実直なところが、コキュウの好きなところといえば、そうなのだが。
「すみません王子……俺……てっきり婚約の事かと……それに大事なお体の事ですし、婚前交渉は……」
「コキュウさん!」
再びリュートが向き直る。こうなったら、意地でも引き下がれない。
「こ、婚約しちゃったんなら、いいんじゃないですか⁉」
一縷の望みにかけて、リュートは言った。コキュウは不意をつかれて呆気に取られたものの、すぐに笑みを漏らした。コキュウの笑顔に、つられてリュートも口角が上がる。くしゃ、と頭を撫でられ、その手の温もりが嬉しかった。
「リュート王子」
「はい……」
視線が交差する。コキュウの瞳に自分が映っているのが分かるほどに、距離が縮まる。
ああ、今度こそ。
リュートは再び期待に胸を膨らませながら瞼を閉じた。バクバクと心臓の音が耳に響く。自分から言い出したものの、未知の領域に踏み出す恐れもまた拭えなかった。しかし、それを乗り越えてでもコキュウと一夜を共にしたい。愛し合いたい。リュート自身、気付いていない焦燥感に駆られていたのだった。
唇に柔らかいものが押し当てられ、それがコキュウの指であることを理解するのに数秒を要した。恐る恐る目を開けると、いたずらっぽく微笑むコキュウがいた。
「今日は、これくらいにしときましょう」
そんな、と訴えようとした時、コキュウがリュートの頬を両手で包み、唇が重なった。優しく、触れるだけのキス。永いようで、ほんの一瞬だったのだろう。リュートが目をぱちくりとさせた時には、既にコキュウは離れていた。
「お誕生日おめでとうございます」
耳元で囁かれ、リュートの頬が朱に染まる。そんな、と、やっぱり訴えることになるのだった。