独り占め 魔王ウルノーガの手により命の大樹が落とされ、均衡の崩れた世界。
勇者イレブンは各地で凶悪化する魔物を倒し、散り散りになった仲間を探しながら、打倒ウルノーガを目指して進んでいた。
グロッタの町でマルティナとの再会を果たし、次なる目的地に向かう一行の前に、ご都合主義により蘇った《いたずらデビル》が現れる。
しかし所詮、旅に出たばかり頃のイレブン、カミュの二人にも敗れたモンスター。
イレブン、グレイグ、マルティナ、シルビアというバランス度外視な肉体派パーティの総攻撃に、為す術もなく瞬殺される。
ところが、体が消滅しかけたその時、木こりのマンプクを犬に変えた《例のビーム》をイレブン目掛けて放ったのだった──!
*****
イレブンはピンク色の眩い光に包まれ、誰もその姿を捉えることが出来ない。
「イレブン!」
「イレブンちゃん!」
狼狽える仲間たちを横目に、いたずらデビルはニヤリと笑った。
「ケケケ! このビームは前のやつよりも強力だぞぉ。オレが死んでも解けることなんか……ぐふっ」
その言葉を最後に、煙のように消えていく。
次の瞬間、イレブンを包む光が一際強く煌めき、あまりの眩しさに全員が固く目を瞑った。
数十秒が経った頃。
光が弱まったのを感じ、皆が恐る恐る目を開けると──
そこには一人の少女が立っていた。
さらりと風に靡く、美しい薄茶の髪。
キリリと凛々しく整った眉。
晴れて澄んだ空のような青く優しい瞳。
身長や体格は違えど、皆がよく知る彼に似ている。
「イレ、ブン……なの?」
マルティナが問いかける。驚きのせいか声が震えていた。
「そうだよ? あれ、なんか声が変だ。それに手も……なんだか、小さい気が……?」
イレブン自身も、何が起きたのか分かっていないのだろう。いつもと違う自分の両手を、不思議そうに見つめている。
シルビアが荷物から手鏡を取り出し、手渡しながら告げた。
「イレブンちゃん……アナタ、女の子になってるわ」
*****
「大丈夫? きつくないかしら」
「うん。ありがとう、マルティナ」
イレブンとマルティナは今、グロッタの宿の一室にいる。
あの時──イレブンが手鏡を覗いた後は、大変な騒ぎだった。
鏡を持ったまま固まってしまったイレブン。
そんな彼を見て『かわいい……』と口走り、ゾーンに入ったマルティナ。
驚きのあまり目を見開き、口をぱくぱくさせるグレイグとカミュ。
ロウはイレブンに在りし日の娘、エレノアが重なったらしく、ポロポロと涙を零していた。
この混沌とした状況に終止符を打ったのがシルビアだった。
「はい! 皆、落ち着いて!」
パンパン、と手を叩きながら叫ぶと、全員が我に帰ったのである。
さすがはツッコミの特技を持つ彼と言うべきか。唯一、冷静にこの事態を見据えていた。
(やっぱり、シルビアさんは頼りになるなぁ)
イレブンはシルビアに対して密心を抱いている。
実はシルビアからも同様なのだが、イレブンはまだそのことを知らない。
「イレブンちゃん、さっきの魔物ちゃんとは戦ったことがあるのよね? その時、変身させられた方はどうなったの?」
「えっと、僕とカミュが出会った時には、もう犬にされてて……。あいつを倒したら、元に戻ったんだ」
「でも今回は魔物ちゃんが消えたのに、イレブンちゃんはそのまんま。どうしたものかしらねえ……」
皆で輪になり思考を巡らせるが、どうにも答えなど出てこない。
(せめてカミュの記憶が戻ればなぁ)
そんなことを考えるイレブンは、記憶を失ったカミュと何度も目が合うのを感じていた。
ここで、更なる一大事が起こる。
イレブンは青年時の姿と比べると随分と背が縮み、腰周りも細くなっている。そのせいで、すとん、と下衣が落ちてしまったのだ。
(っ! パンツまで……!)
慌てて引き上げるイレブンだったが、元々丈の長い服が背が縮んだためにドレスのようになっていた上、腰のポーチも前にずれていたことで、下半身が露わになることはなかった。
しかし、これにはさしものシルビアも動揺したらしい。
「グロッタへ戻るわよ!」
言うや、キメラの翼を空高くへと放り投げたのだった。
*****
コンコン、とノックする音。
慌てて上衣を着たイレブンがドアを開けると、シルビアが立っていた。
「イレブンちゃん、お買い物に行かない? 体がいつ戻るか分からないのに、その格好じゃ動きにくいでしょう?」
言われてみればその通りで、今の体にいつもの服は大き過ぎる。袖も裾も捲り上げた状態では、冗談でも『このままで平気』なんて言えるはずもなかった。
だからといってマルティナの装備品を着るわけにもいかないし、第一、シルビアの誘いを断る理由がイレブンには見つからない。
「行く! マルティナはどうする?」
声掛けるも、彼女は首を横に振った。
「私はロウ様のお側についているわ。きっと、エレノア様を思い出しているだろうから……」
「そっか……」
イレブンは先日、ユグノア城跡で亡き母エレノアに会った。
会った、と言うより一方的に見ていただけだったが、赤子の自分を抱く母は、とても優しそうで、とても幸せそうで、とても美しかった。
今の自分はそんなに母に似ているのだろうか。何も覚えていない自分よりも、母を慕っていたマルティナの方が、祖父の側にいるには適任なのかもしれない。
イレブンはマルティナの方に向き直る。
「ありがとう。ロウじいちゃんをよろしくね」
「かっ、かわぃ……任せておいて!」
心強い返事の前に何か聞こえたが、気のせいということにしておいた。
「それじゃあ行きましょう♡」
こうして、イレブンとシルビアは二人で街に繰り出すこととなった。
*****
まず二人は防具屋を訪れ、イレブンの服を調達することにした。
防具屋では、用心棒や冒険者向けの鎧や盾から一般市民向けの衣類まで、幅広い商品を取り扱っている。
(これなら動きやすそうかな)
イレブンは衣類にこだわりを持たない質で、服も靴もシンプル且つ機能的なものばかりを選んだ。シルビアはそのセレクトを一瞥して、もう、と小さく笑う。
「せっかく女の子になったんだもの。もっと可愛いものに挑戦しましょうよ! こんな機会、後にも先にもないわよ? 楽しまなきゃもったいないわ!」
シルビアは実に楽しげに捲し立てながら、可愛いらしいデザインのものを見立て始める。イレブンが選んでいたものはいつの間にか取り上げられ、全身、シルビアによるコーディネートで固められていった。
「イレブンちゃん、とっても似合うわぁ!」
試着したイレブンには本当に似合っているのかなんて分からないけれど、見た目よりも動きやすくて可愛過ぎないコーディネートから、シルビアの心遣いが感じられる。
何より、目の前の彼が嬉しそうなのを見るだけで『まあ、いいか』なんて思ってしまうのだから簡単なものだ。
結局全てシルビアの選んだ品を買い、着替えて店を後にした。
「イレブンちゃん、疲れてない? ちょっと休みましょうか」
慣れない買い物で少々疲れたイレブンは、シルビアからの提案を歓迎した。
近くにカフェテラスを見つけ、シルビアは先にイレブンを座らせる。何を飲むか尋ねると店員を呼び、要領よく注文をこなした。
流れるように自然なエスコートは、イレブンに自身も男性であることを一瞬忘れさせたほど。
(格好良い……)
イレブンは、シルビアの横顔を熱心に見つめた。
イレブンにとってシルビアは、出会いの時から鮮烈で、すぐに憧れと尊敬の念を抱く存在となった。
ところが、共に旅をしてシルビアのことを知れば知るほど、憧れや尊敬とは違った感情が大きくなってしまった。
華やかな旅芸人でありながら誇り高き騎士の精神を持ち、周りの人々を魅了する求心力。
剣術や馬術に秀でた才能。
他人の機微に聡く、抜かりのない周囲への配慮。
全てがイレブンを惹き付けて止まなかった。
初めはその感情に戸惑ったものだが、今となってはシルビアに惹かれた自分を受け入れている。
ただ、優しい彼を困らせたくないと、この旅が終わるまでは想いを伝えずにいることを決めていた。
他に買うものや、今後の旅の予定などを話していると、テーブルに紅茶と2種類のケーキが運ばれてくる。
「このケーキ、期間限定なんですって! イレブンちゃんと一緒に食べたくて注文しちゃった!」
先程の紳士的な態度と打って変わって、少女のように無邪気にはしゃぐシルビア。このギャップにイレブンはどうしようもなく弱く、つられて笑みがこぼれる。
「やっと笑った……」
その顔を見たシルビアは、イレブンには届かぬ小さな声で呟いて、安心したように微笑んだ。
「イレブンちゃんのケーキも美味しそうねぇ。ちょっと交換しない?」
舌鼓を打つイレブンに、シルビアが持ちかける。
勿論いいよ、とイレブンは皿ごと渡そうとするが、シルビアはイレブンの右手を握り、その手のフォークに乗ったままのケーキを口に運んだ。
「美味しーい! イレブンちゃんも……はい、あーん♡」
シルビアが自分のケーキを差し出すと、イレブンもそれをぱくりと頬張る。
「お味はいかが?」
シルビアの問いに、美味しいよ、と答えたけれど、イレブンには正直味なんて分からなかった。と言うより、むしろ何が起こったのかすら分からなかった。
紅茶をグイッと飲み干し、少し冷静になったところで気付く。
(今のって、間接キス……?)
意識してしまうと妙に緊張してくるもので、顔は火照るし、鼓動も次第に速まってくる。
なのにシルビアときたら依然ニコニコとお茶を楽しんでいるので、イレブンはこんなことで動揺している自分が少し恥ずかしくなった。
それを誤魔化そうとして、どうにか話題を絞り出す。
「そ、そういえば、カミュとグレイグさんは? グロッタに着いてから、一度も見てないんだ」
「あぁ、あの二人? アタシも分からないのよねぇ」
少し困ったように答えるシルビアは、イレブンには言えない事情を抱えていた。
*****
(まったく、あの二人ときたら……!)
グロッタへ戻る前。
皆で対処を考えている時から、カミュ、グレイグの両人がイレブンをチラチラと盗み見ていることに、シルビアは気付いていた。
確かに今のイレブンは《可憐》の言葉を体現した姿をしており、特に記憶を失くし、しかも再会してまだ日の浅いカミュが顔を赤くするのも止む無しと言えよう。
シルビアも抱き締めて愛でたい衝動に駆られたが、いくら中身がイレブンとは言え、相手は年頃の女の子。ましてや混乱を極めたあの状況下では、どれだけお祭り騒ぎが好きな自分でもさすがにブレーキを掛けざるを得なかった。
そんな自分の心を知らないのは仕方ない。かと言って、好き放題にイレブンを盗み見る二人にふつふつと怒りが湧いてくるのも、これまた仕方のないことだった。
宿でイレブン、マルティナと一旦別れた後、シルビアはカミュとグレイグに、ちょいとばかりの灸を据えた。二人に向かって弱めの《ねむり打ち》を放ち、『頭を冷やしていなさい』と床に転がしてきたのである。
(頭を冷やさなきゃいけないのは、アタシも同じね)
カフェを出て、隣を歩くイレブンを横目に見ながらシルビアは思った。
カミュとグレイグに、少しの申し訳なさは感じている。けれども、やはり大切な人に好奇の眼が向けられるのは我慢ならなかった。
(カミュちゃんはともかく、グレイグよ! 胸の辺りばかり見て、まったく──)
はっとあることに気付いて、血の気が引く。
「そういえばイレブンちゃん。アナタ、下着は……?」
「え、いつものパンツだよ? 緩いから紐で結んでるけど。ああ、上はマルティナがサラシを巻いてくれたんだ! 『揺れると痛いから』って──」
事も無げに答えるイレブンの腕をぐっと掴むと、シルビアは足早にどこかへと歩き出した。
*****
シルビアがイレブンを連れて来たのは、街中の大きなランジェリーショップ。
店内には色とりどりで豊富な品が、所狭しと並べられている。
ここグロッタには踊り子やバニーガールが多い。そのためか店はオープンな雰囲気で、女性客やカップルで賑わっていた。
イレブンは圧倒されたのか、オロオロとしている。そんなイレブンのことを、シルビアはしげしげと見つめた。マルティナほどではないけれど、華奢な体には不釣り合いな膨らみが服の上からでも見て取れる。
(なるほど、グレイグが見逃すはずないわね……)
呆れて乾いた笑いが漏れるが、だからこそ今のような無防備な状態で放っておくわけにはいかない。
シルビアは暫しイレブンと自分の掌を交互に見つめ、うん、と頷く。
それから『ちょっと待ってて頂戴』とウインクを飛ばし、店の奥へと消えていった。
ランジェリーショップだなんて、イレブンはもちろん一度も入ったことがない。そこで突然一人にされては、ただただ愕然とするしかなかった。
数分もすると、シルビアが何着かの上下セットを手にして戻ってくる。
そして、それらをイレブンに押し付けて、ポンと背中を叩いた。
「フィッティングしてらっしゃいな」
「え!? いや、これはちょっと……ほら、僕、男だし」
「ダーメ♡」
イレブンは抵抗するものの、ついにはシルビアの笑顔の圧に負けて何も言えなくなってしまう。
シルビアは近くの女性店員を呼びつけ、何やら言葉を交わすと、手をひらひら振ってイレブンを見送った。
「アタシは外で待っているから、ごゆっくり」
店員に促されるままフィッティングルームに入ると、イレブンはため息を吐いた。
シルビアに弱い自覚はあったが、まさかそのせいで下着の試着まですることになるとは。だが、それも彼の気遣いだとわかっているので、腹を括って上衣を脱いだ。
脱ぎ終えると、渡された下着たちを観察し始める。これまで多数の防具を目にし、自身でも作り上げてきたイレブンは、それらが上等な生地で作られたものだと一目で見抜いた。
どれも施されたレースや緻密な刺繍が美しく、いかにも高級そうな代物である。
(それにしても、大きすぎない……?)
ブラジャーのサイズが随分と大きく感じられて、ふとルームの鏡に映る自分を見た。
思い返してみれば、女性の体にされてから今に至るまで、夢の中にいるような、どこか現実的ではない感覚がずっと続いている。
ここに来て初めて冷静に自分の姿をしっかり見たわけだが、ロウに借りたムフフ本を読んだ時のように、あるいは街の中で踊り子やバニーガールを見た時のように、心が踊ることはなかった。
(いつまでこのままなんだろう……)
胸の中にどんよりとした不安が広がっていく。
そんな時、ドアの外から声を掛けられた。
返事をすると、先程の女性店員がルーム内に入ってくる。
「お手伝いさせて頂きますね」
そう言うとイレブンにブラジャーを着けさせ、慣れた手つきでベルトの位置やストラップの長さを調整していく。
最後にカップの中へ肉を集めると、店に入った時よりも見事な双丘を作り上げた。
イレブンは緊張で身動きひとつできず、されるがままになっていた。なにせ手袋越しとは言え、他人に体を触られているのだから無理もない。
「いかがですか?」
店員の声にびくっとして、ようやく我を取り戻す。
「わあ……」
着ける前はあんなに大きく見えたブラジャーが、誂えたようにぴったりと体に馴染んでいる。サラシと違って胸を押し潰す違和感もなく、とても楽に思えた。
「こちらのサイズでお間違いなさそうですね。他のものも試されますか?」
「だっ、大丈夫です!」
またあの緊張感に耐えられる気がしない、とイレブンは咄嗟に断った。
「かしこまりました。フィッティングはブラジャーのみとさせて頂いておりますが、見たところショーツのサイズもこちらで宜しいかと存じます。それでは、今お召しのもの以外はお包みして参りますね」
「えっ」
(まだ『買う』とも言ってないのに……)
その焦りを見抜いたのか、店員が安心させるように言う。
「お連れ様から仰せつかっております。素敵な御相手の方ですね」
そうして、うふふ、と顔を綻ばせながらルームを出ていった。
(御相手、って恋人のことかな。僕たち、恋人に見えたのかな)
服を着ながら、イレブンは先程の言葉を噛み締めた。嬉しいような恥ずかしいような感情が込み上げ、思わず口元が緩む。
気が付くと、ほんの少し前まで感じていた不安はすっかり消えていた。
(シルビアさんのおかげかな)
突然女性の体にされて気は動転していたけれど、シルビアが隣にいてくれたから落ち込まずにいられた。
いつでも明るく周囲を巻き込んでいく彼に何度も助けられ、それはいつからかイレブンの支えとなっている。
シルビアが一緒なら何でもできる、時にそんな気さえ起こさせた。
イレブンは街を歩きながら、不安そうな表情を浮かべる者を何人も見かけた。
大事な存在を失い悲しみに暮れる人が、この世界には溢れている。だから、こんなところで立ち止まるわけにはいかない。
体は変わってしまったけれど、左手には勇者の紋章がくっきりと刻まれたままだ。
イレブンは今までと変わらず先へ進む決意を固めた。
(どんな姿になっても、僕は僕だ)
鏡に映る瞳には、青年の彼と変わらない力強い光が宿っていた。
*****
「お代もお連れ様から頂いております」
着替えを終えると、ショッパーを持った店員が店先まで送り出してくれた。
慣れない場所での緊張から解放され、イレブンは大きく深呼吸をする。それから辺りを見回すと、少し離れたベンチに座るシルビアを見つけた。彼もイレブンに気付いて立ち上がり、こちらに歩いてこようとしている。
(結構待たせちゃったな)
イレブンは慌てて駆け出そうとするが、まだ履き慣れない靴のせいで石畳に躓いてしまう。
あわや倒れると反射的に目を瞑った時、ふわりと抱き留められる感覚があった。
「走ると危ないわよ、お姫様?」
目を開けると、シルビアの微笑む顔が間近にあった。
「あ、ありがとう……って、お姫様じゃない!!」
優しい微笑みに一瞬見蕩れるも、顔の近さと女の子扱いされたことへの恥ずかしさから、つい大きな声が出る。
そんなイレブンが可愛くて、シルビアはクスクス笑った。
「転ぶと危ないから、このまま抱っこしていってあげましょうか?」
「それはやめて……」
断られたけれど、シルビアは逆に『しめた』とばかりに口角を上げる。
「じゃあ、こっちなら良いでしょう?」
そう言って手を差し出すと、イレブンは意外にも素直にその手を握った。
最初に提示された条件が難しいとき、次に簡単な条件を提示されると、人は受け入れやすくなることをシルビアは知っているのだ。
「また転びそうになったら、アタシが支えてあげるわ」
「うん」
「日も暮れてきたし、そろそろ帰りましょうか」
シルビアの思惑通り、二人は手を繋いだまま歩き出した。
ところで、イレブンは気付いているのだろうか。今、自身の顔は紅潮し、繋いだ手には熱が籠っていることに。
シルビアがその反応を見て、少しは期待してもいいのかしら、と胸をざわつかせていることに。
(シルビアさんの手、大きいな……)
自分の手を、すっぽりと包み込むように優しく握るシルビアの厚い手。互いの体温が掌で溶け合うような感覚に、イレブンの心臓は早鐘を打った。
それを悟られまいとして、頭の中で必死に話題を探す。
「シ、シルビアさん! さっきの下着、サイズがぴったりで僕驚いたよ!」
イレブンの急な言葉に、シルビアはぎくりとした。
数ある曲芸の中でも、得意としているのがジャグリング。
今まで多種多様なボールに触れてきた経験から、丸みのあるものであれば見ただけでなんとなく掌に掴む感覚が分かるようになってしまった。
とは言え、正直に話せばどんな顔をされるだろう。
(まさか『アナタの胸を掴む想像をしたのよ』だなんて、口が裂けても言えないわ)
言い訳のために、あれこれ逡巡してみるが──
「シルビアさんはファッションに詳しいから、あんなのすぐにわかっちゃうんだろうなぁ」
結局、イレブンの純粋な自己完結に助けられ、シルビアは『ええ、まあ』と苦笑いをするしかなかった。
「あっ」
すると今度は何か思い出したような声を上げ、イレブンはニヤニヤとしながら手招きをする。
シルビアが耳を貸そうと体を屈めると、イレブンはとても愛らしく悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「シルビアさん、ああいうのが好きなんだね」
「え?」
「し、た、ぎ!」
そう言われてシルビアは思い出す。下着を選んでいた時、イレブンにはどの色が、どんなデザインが似合うだろうと、脳内で色々着せていたことを。
あの時は無意識だったが、いざ指摘されてしまうと罪悪感やら気恥ずかしさやらが込み上げて、顔が熱くなってくる。
それを隠そうと空いている方の手で口元を覆ったけれど、いつもより開いた身長差のおかげでイレブンが気付くことはないだろう。この時ばかりは、イレブンが見舞われた災難に助けられた気がした。
女性にされてしまったイレブンは、口にこそ出さなくても不安と混乱が顔に滲み出ていた。仲間たちに心配をかけまいと平静を装っていたけれど、その気遣いさえ、いつも目で追っているシルビアには全てお見通しだった。
(少しでも気が紛れれば……)
そんな思いで買い物に誘ったが、思いがけず二人きりになることができて浮かれてしまっていたのかもしれない。気付けばこの状況を楽しんでいる自分がいて、それが罪悪感に拍車をかける。
(はしゃぎすぎたわ……ごめんなさい、イレブンちゃん)
シルビアが心の中で呟きながらイレブンの横顔を見ると、彼から不安の色はすっかり消え失せていた。それがシルビアのおかげであることを本人は知らないが、心の底から安堵した。
しかし同時に、ひとつの懸念が押し寄せる。
(明日になったら、この子はきっとまた“勇者“として歩き出すのね)
元々の性格なのか、勇者としての使命感からなのか。イレブンはいつでも、自分のことは顧みずに他人を優先させてしまう。そのためなら己の身体が傷つくのも厭わないことに、シルビアは常々危うさを感じていた。
(それならアタシは喜んで、アナタを守る騎士になるわ)
命の大樹が落ちてイレブンたちと離れ離れになった後、ナカマたちとパレードをしながら各地を旅したが、シルビアの頭の中にはいつもイレブンがいた。再会を夢見て、イレブン用にパレードの衣装を誂えたりもした。
『もう会えないかもしれない』と思った時、いつからか生まれていた想いに見て見ぬ振りをしてきた自分を後悔してしまった。
奇跡的に再会できた時、二度とイレブンを失いたくないと思ってしまった。
イレブンが男だろうと女だろうと、もはや関係はない。シルビアは“イレブン“という人間そのものを愛してしまっている。
けれど、今すぐこの想いを伝えるつもりはない。
今のシルビアにとって一番大切なことは、イレブンが笑ってくれることなのだ。
イレブンが心から笑える日が訪れるまで、この気持ちは胸の中に閉まっておこう。そして世界中から求められる勇者たるイレブンを、命を賭けて守り支えようと、自分自身に誓っていた。
(でも、せめて今だけ。この時間だけでも『アタシだけのイレブンちゃん』と思わせて)
許しを乞うような感情を抱きながら、シルビアはイレブンの歩幅に合わせて歩く。
二人きりの時間を名残惜しむように、心に刻みつけるように、宿への道のりをゆっくりと歩んでいった。
*****
明くる日。
一晩しっかり眠って目覚めると、イレブンは元の姿に戻っていた。
真の勇者の力を手に入れた彼にとって、いたずらデビルのビームなど一過性のものに過ぎなかったらしい。
青年に戻ったイレブンを見た仲間たちに、安堵とちょっぴりの落胆が混じった空気が流れたが、そこにシルビアのツッコミが響くと皆が笑う。
イレブンもシルビアと顔を見合わせて笑っていた。
この時二人は確かに、以前よりももっと心の距離が縮まったことを感じていたのだった。