運命の人ではないあなたと「それってどういう感覚なん?」
「それがさ、もう出来なくなっちゃったんだよね」
「えー、何でなん? 喧嘩でもしたん?」
混み合った居酒屋で、白石が一際大きな声を出した。近くの席で切原のグラスにビール瓶を傾けていた種ヶ島は、目だけで振り向いて笑った。
「ノスケのえっち☆」
「は? 何がですか?」
居酒屋を出た種ヶ島と白石は、駅へと向かって歩いていた。一緒に飲んでいた立海大テニス部のメンバーは、別の店で飲み直すらしい。
「幸村とやらしい話しとったやん。ノスケもそういう話するんやな」
「してませんけど?」
「喧嘩して、やらせてもらえんくなったとか言うとったやん」
「え、あー……、ちゃうてほんま」
がっくりと脱力した白石は、頭を掻きながら続けた。
「テニスの。幸村クン、もう徳川さんとハウリング出来へんようになってしもたんやって」
「え、そうなん?」
「そういうもんですか?」
「や、ツッキーと毛利は変わらずハウリングしとるみたいやけど」
「えー、ほな何でなんやろ」
二人は首をひねったが、そもそもハウリングが出来る人間などごくわずかしか居ない為、理由を探るなど不可能に近いことであった。
「能力の共鳴やしなぁ。能力が変わってきたら、共鳴せんのとちゃう?」
「確かに。幸村クン、プレイスタイル変わりましたもんね」
病の完治がそうさせたのか、それとも他の選手からの刺激か。幸村のプレイスタイルは、中学生の頃とは少し違ってきている。
「徳川も昔より丸くなったしなぁ」
「はは。せやけどちょっと寂しいですね」
あの血の沸くような世界大会が終わって数年。あの時の日本代表メンバーの中からプロになった者も居るが、テニスを止めた者も居る。
「そんな悲観せんでもええやん。能力が変わったんやったら、その新しい能力で別の奴とハウリングすればええだけやし」
「簡単に言わんといてくださいよ。ハウリングなんて普通は出来へんのやから」
白石は肩を落とし、「俺も結局、ハウリングも天衣無縫も、何も出来へんかったから」とこぼした。
「そんなん俺かてそうやって。ほな今度は何も出来ひん奴らで集まって飲もか。俺が全部無にしたるわ」
何を無にするのかは分からなかったが、がしりと肩を抱かれた白石は何も聞かなかった。
数年前に一度、白石は種ヶ島とダブルスを組んだことがあった。急ごしらえのダブルスではあったが、白石は種ヶ島を深く信頼していた。それ故に何か─具体的にはシンクロやハウリングのような何かが起こるのではないかと、白石は少しだけ期待していた。
しかし現実は違い、白石と種ヶ島はただの良いダブルスペアで終わった。本来、それだけで十分なはずではあったが。
普通の人間には得られない、特別な能力を共有出来るパートナー。もしそれが得られたとしたら、どんな感覚なのだろうか。白石が思いを馳せていると、種ヶ島が顔を覗き込んで笑った。
「もう一軒行こか?」
「あかんて、俺インターンシップ中なんですって」
大学4回生の夏。6年間ある薬学部生にしては少し早く、白石は関東で1週間ほどインターンシップに参加している。
「ノスケもうちに来たらええのに」
京都の大学を卒業した種ヶ島は関東の企業で就職し、今は実業団の選手としてテニスを続けていた。
「業種が全然ちゃいますやん。それにもし万が一実業団に入るとしても、違う会社がええですわ」
「何で?」
「種ヶ島先輩、倒したいから」
「っは、ほんまにオモロいわぁ」
種ヶ島は白石の頭をわしゃわしゃと撫でると、念の為と言って名刺を渡した。そのまま駅に着いた二人は別の電車に乗ると、白石はホテルへ、種ヶ島は自分の部屋へと帰っていった。
電車内の心地よい揺れと飲酒によるまどろみの中で、白石は思い出す。数年前のあの大会で。シンクロもハウリングも天衣無縫も全てを持った者達を、種ヶ島と切原は破った。そのきらめきは、白石の心の中に大切に仕舞ってある。この先白石がテニスを続けても続けなくても、その思い出は人生において大きな心の支えになるだろう。
ホテルに到着すると白石はお湯を沸かして、コーヒーを1杯入れた。鞄から薬剤に関する分厚い資料を取り出して目を通す。種ヶ島も立海大の皆も、それぞれの立場で努力していた。自分もまた頑張ろう。
白石は貰った名刺を破り捨てようと手を掛けたが、やはり思いとどまってしばらく眺めた後、鞄の中に大切に仕舞った。