グラスを投げつけてやればよかった。「翠くんは、お父さんのことが好きだったのね。」
もう「くん」なんて呼ばれる歳ではなかったが、職業柄名前を呼ばれるときには「くん」をつけられることが多かった。この子どもは周りの大人に倣ってか「翠くん」と俺を呼ぶ。大人になった今でも変わらないその呼ばれ方に、まるで学生の時から時間が止まっているかのように感じてしまう。実際に俺の気持ちはあの頃から変わっていない。
「もちろん好きだよ。」
なんてことはない。学生の頃からの先輩として、同業者として、メンバーとして。演技なんて今ではお手の物だ。この気持ちを隠すつもりはなかったし、ひけらかすつもりもなかった。ただ、自分の父親が同性の知り合いに性的な好意を持たれてると知ったら可哀想だなと思ったから、ライクな気持ちとも捉えられる答え方をした。人好きのする笑みをすれば、大抵の人達は深く考えず関心を顔に向けてくれるから、本心を暴かれずに済む。この子が小さい頃から遊ぶ機会が多かった俺はこの子もその他大勢と同じだと油断していた。この子も俺の深いところまで追求しないだろうと。しかし、この子はもう「子ども」というには大きくなっていて、つい最近大人の仲間入りをしたばかりだった。
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