在所 日中であるにも関わらず、そこは暗かった。
そこ、というのは掘っ建て小屋の中である。窓はない。粗末なつくりながら、壁板は重ねるばかりか布までも当ててある。何者をも通さぬと言わんばかりだ。
厳重に守られた室内には、いびつな鉄の塊が一山。傍目にはわけのわからぬ物体であったり、削り整え組み立てられて全容がはかれそうなものまで、雑然と積み重なっている。他にも壁際に銅や鋼で出来た糸を釘に引っ掛けて干してあったり、大小の歯車が木製から鉄製まで行儀よく並べられていた。なんとも面妖な空間だ。
三郎は一人でうろうろしても周りの大人から見咎められぬ年になったころ、「そこ」に初めて踏み入った。
最初は、見えぬ父の姿を探していたのだと思う。今まで入ったことのない小屋への好奇心もあった。だが、踏み入った後に心は一変してしまった。
己や、ともすれば父の背の倍もある鉄の塊があった。大きさもつくりも違っている、だがそれぞれが均整のとれた歯車と螺子たち。隙間からさしこんだ光を鈍く反射する金属製の糸ら。ぐるぐると目盛りの動く何かを計測しているらしきもの。金槌やノミらしきものも、表で見る大工や金物師たちのものと違っている。
少年は、一瞬で心奪われた。
三郎がまだ幼い頃に天から来訪した人々――天人のもたらした機械に、父は夢中であった。
天人は技術でもって日ノ本に恐怖をもたらしたが、恩恵もあった。父が使っている油を使わない行灯や、強すぎる光から目を護る頑丈な眼鏡も、もとは天人がもたらしたものである。
天人は侵略者であり仇ともいえる存在ながら、皮肉にも民草の暮らしを大きく進歩させた。その大きさは到底、無視できなかった。地球人のあるものは激しく嫌悪し、あるものは利用し、あるものは魅了された。
三郎の父は、強く魅了された一人である。
父が扱っている機械について、三郎は詳しく知らない。父以外の大人たちの話しぶりでは恐ろしいものであったり、便利であったりするが、蓋を開ければ彼らにも「よくわからない」のだ。
気づいた三郎は「知りたい」と強く思った。
それから三郎は、傍目には幼子が父親を探す素振りでこっそりと、掘っ建て小屋の戸を細く開けてはたびたび覗き込んだ。細く通した陽の光で、中を見てはほうとため息を付く。物言わぬ鉄塊らが、三郎にとっては宝の山に見えた。
鹵獲したのか買収したのか。幼い三郎も周りの大人も知らなかったが、最初に父はどこからか機械を持ち帰り、分解しては組み立てたようだ。機械と出会ったはじめから今まで、一連の流れを何度も繰り返している。そのうち部品を真似て削り出して組み立て、元の機械と比較して、また分解をするようになった。周囲に知られるようになり、持ち込まれた機械を修理したり、出来上がったものを譲ることもでてきた。しかし、機械はなくなるどころか小屋に増え続けた。
父の動きを想像しながら、三郎は小屋にある道具たちを見る。馴染みのある金槌や金釘の他に、細長い金棒であったり、コの字型の金具たちは、いったいどんな働きをするのだろう。いつのまにか、頭の中では父ではなく自分が機械たちに触れている。心がわきたった。
今、小屋の奥で、強い光が灯っている。
そのときを狙ってやってきた三郎はこわごわと、しかし大胆に小屋の中を覗き込んだ。得も言えぬ臭いがしたが、三郎にはむしろ好ましかった。
光の傍に、丸まった大きな背が在る。三郎の父だ。
彼は黙々と機械をいじっていた。
予想通り見えた大きな背を見ながら、三郎は音を立てないように戸をあける。息を殺して、屋内に小さな身体を滑り込ませた。見慣れた父の背中を、じいっと観察する。手元ははっきりとは見えないが、横に並べられた道具であったり部品であったりが父から離れまた寄せられることに胸が高鳴る。
そのとき、三郎の目端できらりと何かが光った。
吸い寄せられるように目が向く。三郎の幼い手にはあまる大きさの機械だった。すでに組み立てられているらしい。胴体から伸びる鉄棒には黒い円盤が二丁くっついており、横腹に丸いでっぱりがある。
片手で胴体を支えながらでっぱりを押せば何かが起こるのではないかと、三郎は幼いながら直感で理解した。して、理解すると同時にやってみたいという欲を抑えられなくなる。手を伸ばそうとしたときだった。
「触るんじゃねえ! 指飛ぶぞ!!」
怒声に硬直する。遅れてなんともいえぬ恐怖が襲いかかり、三郎の瞳に涙がぶわっと浮かんだ。ガチャガチャと慌てたような音がした後に、声の主――父が立ち上がった。ゆっくりと、黙って三郎に近寄る。三郎の身体はびくりと震えたが、脚も口も動かなかった。
父は子供と機械を見比べてから、口を開く。
「そんなに気になんのか」
三郎は頷いた。一瞬の迷いもない答えに、父は少し唇を歪める。大きな手が動いて、ふたたび三郎は身体をびくりと震わせた。
「こいつはな、円盤が回って板をまっすぐに切るもんだ。子供の力じゃうまく操れねえ」
首にかけていた手ぬぐいで頬の油をぬぐいながら、父は三郎を見て笑っていた。
「こっちはまだ部品だ。この金棒を支柱にして、歯車を噛み合わせて――」
嬉しげに指さしながら続ける父の姿に、三郎はしばしぽかんと口を開いていた。しかし、そのうち説明に耳をそばだてる。目はたちまち輝きを取り戻し、父があちこちを指さしながら足を進めると自分も踏み出した。
「ねえ、これは?」
すっかり涙を忘れた小さな指がさす先を見て、父は得意げにニヤッと笑う。
「ああ、こいつは――」
◇◇◇
――俺ァなァ、親父
――油まみれになって楽しそーにカラクリいじってる、アンタの背中が好きだったんだ
――まるでガキが泥だらけではしゃいでるよーなアンタの姿がな……
俺はあのとき、なんて言ってやりゃあ良かったんだ。何をしてやりゃあ良かったんだ。
俺ァ、どうしようもない馬鹿だ。てめーのせがれを見送って、むざむざ死なせちまった。
空っぽのまま息子のネジを回してたら、せがれのことを持ち出す男に出会った。同じ目をしてやがると思った。口で復讐なんざ言ってくれやがるが、見えちまった。
死人のためにしてやれることなんざ無い。分かっている。だけどただただ、てめーが許せねェんだ。一番許せねェやつが生きてんのが、許せねェんだよ。苦しくて苦しくて、どうしたらいいか分からねェんだ。
俺が話に頷いた胸の内は、向こうさんも分かっていただろう。老いぼれの引き際が、人の祭に乗っかってとはいえなかなか豪勢になりそうじゃねェか。
もう、疲れたことだしな。
◇◇◇
「触んじゃねークソガキ!! 指飛ぶぞ!!」
「うおっ!?」
びょいんと飛び退いたチャイナ服の少女は老人に向き直る。
「びっびびらせんじゃねーヨ、ジジイ!!」
言い返しながらも、先ほど興味本位で触れようとした機械は見ようとしない。首を不自然に曲げたまま、横歩きで客用の長椅子に戻っていった。
少女の帰還に、こちらはおとなしく座っていた眼鏡の少年が呆れ声で注意する。
「駄目だよ神楽ちゃん。源外さんの邪魔しちゃ」
「ったく」
眼鏡――新八がすいません、と続けるのに老人――源外は鼻を鳴らして答えた。頬を膨らませ反省の色が見えない少女――神楽はもう怯えを忘れたらしい。ふたたび退屈さからあちこち動き回るのもすぐだろう。
二人の監督者たる万事屋社長はパチンコに繰り出している。持ち込んだテレビの修理が終わるまでには戻ると言っていたが、とてもそうなるとは思えない。というのが、残された三人の共通見解だ。
しばし場が取り戻した落ち着きは、やはり束の間だった。五分もしないうちに神楽は長椅子から立ち上がる。とことこと転がっている機械を――さすがに突くのは止めたらしい――覗き込みながら首を傾げた。
「線がたくさんヨ。赤と青のどっち切ったら爆発するアル?」
「しねーよ!」
「神楽ちゃん、ドラマの見すぎ」
怒声に肩を落としながら、新八は淡々とつっこむ。いつもより余計に乾く喉をさすり、源外はぼやく。
「ったく邪魔ばかりしやがって……三郎、茶もってこい」
「私カルピスがいいヨ。濃いめで」
「あ、僕は普通の濃さで」
「御意」
「おィィ!!」
三人の注文を忠実に受領して、三郎は場を後にした。源外は大きくため息をつく。抵抗を諦めて少し休憩することに決め、首にかけたタオルで汗を拭った。
まあ、カルピスなんて女子供と糖尿予備軍が飲むものだから、こいつらに消費してもらうくらいでちょうどいいだろう。たまたま気が向いて買ってあったはずだ。老人は一旦、道具を箱にしまうと長椅子に向かった。
三郎が命令通りに配膳し、子供が待ちかねたとばかり一気に飲み干す。この一杯のために生きてるネ! と、どこか親父臭いセリフは偏った教育のせいだろう。万年金欠の子どもたちは甘露一杯でひどく嬉しそうだ。源外は笑顔を見て、茶葉もそろそろきれそうなことだし、あとから三郎に追加で買い出しに行かせることに決めた。
源外が飲み終わる前に、おかわりまで飲み終えた神楽はまた動き始める。不用意に触ることは止めたらしいが、きょろきょろと落ち着きなく辺りを見たかと思えば、興味が惹かれた機械の前で首をかしげながら留まって、また何か見つけたのか立ち上がる。なんとも忙しないことだ。動きに新八が苦笑している。源外は茶を飲み干すと、ゆっくりと立ち上がって声を掛けた。
「――そんなに気になんのか」
「ウン!」
少女はすぐさま頷く。源外が説明をはじめると、目をキラキラと輝かせた。まもなく眼鏡の少年も立ち上がり、覗き込む。それぞれに気になった箇所を指差し、源外に尋ねてきた。
「ああ、そいつはな……」
機械技師は得意げに、ニヤッと笑った。