11月11日①【こたりゅ】 ポキ……ポキ……と小さな音が、テレビから流れる音の合間に聞こえる。
かけっぱなしのチャンネルでは、今日起きた出来事をアナウンサーが淡々と伝えている。
「おい、んなもん食ったら、夕飯食えなくなるだろ!」
キッチンから聞こえる声に、音の主は視線を向けるも、すぐにテレビに視線を戻し、同じ音を立てる。
「おい、こた!聞こえてんだろ、返事ぐらいしろ!」
呼ばれた青年は、座っているソファからひらりと手を振った。その手をもう片方の手に持っている箱に伸ばし、そこから1本、チョコレート菓子を引き抜き、先ほどと同じように口へと運ぶ。
(俺も単純すぎるだろ……)
そう、胸の中で自分自身に呆れつつ、「こた」と呼ばれた青年、吉村虎太郎は咥えたそれをポキッと2つに折った。
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事の発端は、昼休みのことだった。
仲の良いクラスメイトと他クラスの友人3人と、窓際の自分とその隣の席を使い、弁当を食べていた時のことだった。
「なぁなぁ……お前ら、ポッキーゲームって知ってるか?」
クラスメイトの1人が購買部で買ってきたメロンパンを頬張りながら、話を振った。
「ポッキーゲームってアレだろ?」
「お互いに端から食べていって、最後には…ってアレ?」
「そうそう!ソレ!」
何やら盛り上がってる友人たちを眺めつつ、虎太郎は、栄養バランスや彩りを考えられ、ぎっしりと詰められていた弁当箱の半分以上を空にし、好物である玉子焼きを口へと運んでいた。
(野菜いらねぇって言ってんのに……)
玉子焼きの横に入れられた、マヨネーズだかチーズだかと一緒に焼かれたブロッコリーを突く。少し甘い玉子焼きをもごもごと咀嚼しながら、次は何を…と考えていれば、不意に声をかけられた。
「で、お前はどうなのよ、吉村!」
「あ?何が?」
焼けた醤油の香ばしい匂いがするウインナーか、それとも色よく焼かれた鮭か。そのどちらをおかずに、紫蘇のふりかけで彩られた最後の白飯を口に運ぼうかという思考を遮られ、思わず不機嫌とも思える声が出てしまう。
「話聞いてなかったのかよ!」
「だーかーら、ポッキーゲーム!」
「お前、彼女いんだろ?したりしねぇの?」
自分を囲む3人の目がこちらに向けられている。弁当に気を取られていた虎太郎は、鮭を、そして、白飯を口へと運びながらその面々を見る。
「何、それ?」
発せられた言葉に、期待の目を向けていた学友は、呆れたようにその『ポッキーゲーム』の内容を説明してくれた。
なんでも、今日、11月11日というのは『ポッキーの日』なる記念日で、それにちなんでの話のようだった。
「んでよ、吉村は彼女とやったりとかしねぇの?」
「年上なんだろ?虎太郎ちゃーん、あ〜ん♡とか言って、やらねえの?」
どうなの!?と返答を待つ学友は、好奇心を抑えられず、身を乗り出すようにして聞いてくる。興味と羨望の視線を向けられた虎太郎は、最後にと取っておいたウインナーを口へと放り込む。
「やらない…そんなゲームあったのも知らないし」
プリッとしたウインナーの食感と香ばしい醤油の香りに満足そうにしながらも、素っ気なく、興味なさげな返事をする。すると、『嘘だろ、吉村…』と悲嘆にも似た声が三方向から上がる。
(……そもそも、彼女じゃねぇし、ポッキーなんて食う年でもねぇんだよな……)
ランチクロスに食べ終えた弁当箱を包みながら、『彼女』と呼ばれる相手のことを思い浮かべた。
その相手は、親子以上に歳が離れている。しかも、金を使い、強引に自分の元へと呼び寄せた。今は自分の世話係としてそばに置いている、歴とした男である。世話係としているが、それは名目上のもので、虎太郎本人にとって、彼は自分の恋人であり、年齢がくれば伴侶として迎えようと考えている相手である。彼にもその旨は伝えているし、お互いの了承と覚悟、想いは確認済みである。
(飯、食ったのかな……)
今は何をしてるだろうかと、ふと窓の外を見て想いを馳せていれば、急に肩を掴まれ、喧しい日常へと引き戻される。
「そんな、吉村虎太郎くんに朗報です!」
「ポッキーを用意したので!」
「明日、感想をお願いしますっ!!」
「彼女とチューするためのアシストです!!」
「ありがたく受け取れ!!」
「礼はいらねぇからな!」
「……はぁ!?」
ずい、と目の前に出される赤いパッケージは見慣れたチョコレート菓子のそれだ。慌てて押し返そうとするが、
「彼女持ちはお前しかいねぇ!!」
「頼む!俺たちに希望を持たせてくれ!!」
「俺たちに夢をくれ!!」
などと強引に押し付けられる。
しかも、騒いだせいで周りにまでこの騒ぎは知られる事態となった。
その後、もう1箱あるというポッキーのおかげで、周りのクラスメイト、男子はもちろん、茶化していた女子をも巻き込んでポッキーゲームとはなんぞや、どうやるのかの実演なども始まり、歓声と悲鳴の入り混じる、虎太郎の楽しい昼休みは過ぎていった。
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「おい、話聞いてんのか?」
ぱしん、と軽く頭に衝撃が走る。顔を上げれば、丸めた夕刊だろう新聞を手にした『彼』が見えた。
高木龍一。彼こそが、学友3人に『彼女』と呼ばれていた、虎太郎にとっての大切な、何にも代え難い相手である。
「お前なぁ……弁当の野菜残して、んなもん食ってたら意味ねぇだろうが!作る方の身にもなれ!」
バランス考えてんだぞ!!と、残してきたブロッコリーや煮物のことを言っているのだろう。龍一を眺めつつ、もう1本、ポッキーを口元へと運ぶ。
「言ってるそばから、お前は…」
眉間に皺を寄せ、睨むようにこっちを見る彼に、虎太郎はポッキーを短くしながら、昼間のことを思い出す。
(ポッキーゲームったって……どう誘うんだよ……パーティーゲームだろ?)
大勢で盛り上がっているところでやるものでは?と思いつつ、怒る龍一と咀嚼することで上下左右に揺れるポッキーの先、プレッツェル部分を交互に見る。
(キスなんて、年中してるし、アシストなんかいらねえし。そもそも、食いながらゲームってなんだよ……)
『ポッキーゲーム』の根本に疑問を持ちつつ、ふりふりとポッキーの先を揺らす。
「……龍一も食う?』
ソファの背もたれに肘を乗せて、体を捻るようにして声をかける。効果はあるのだろうか、と思いつつ、ポッキーを揺らして誘う。相手のことだ、『ポッキーゲーム』ぐらいは知っているだろう。だとしたら、どんな反応を返すのか。年齢や経験を考えれば、照れたりは慌てたりはないだろう。呆れて返してくれれば、それでいい、そのままを報告すればいいと考えていた。
「……は?お前、俺の話、聞いてたか?飯だっつって……」
返ってくる言葉が止まる。何か得心したような表情で龍一は虎太郎の方を見遣る。やはり気付いたようだ。
(やっぱり知ってたか……)
呆れたようにこちらを見る龍一を見つめ返しながら、箱から1本、細いチョコレート菓子を取る。
「食う?」
再度言いながら、取り出した1本を左右に振る。
すると、スリッパの音が近づき、その音が止むとともに、虎太郎の顔に影が落ちた。見上げる虎太郎の目には、やれやれといった様子の龍一の顔が映る。
「そうだな……たまにゃ、もらってみるか……」
「なら、ちょっとま……」
乗ってきた、そう思った虎太郎は、短くなったポッキーを手に持った新しいものと入れ替えようとした時だった。
「……!」
すい……と龍一の顔が近付く。
一瞬のことにドキリとする。
お互いの鼻先が触れ、小さく開かれた薄い唇が自分のそれに近づき、そこから漏れる気息が触れる。
いつもであれば、そんなことを意識したりはしない。お互いを見る眼や空気、距離。全てわかった上でキスを交わす。
それでも。
昼間散々、ポッキーゲームだの、徐々に近づく2人の距離だの、キスだのと煽られたせいで、その距離感にどきりと、一度心臓が音を立てる。
薄く開いた唇とそこから覗く赤い舌。少しだけ伏せられた睫毛を見ていると、不意にその瞳がこちらへと向けられる。
パキン……。
「……やっぱり、甘いな……」
「……ッ!!」
向けられた瞳が細くなり、触れる距離で唇が動く。
チョコレートなんて、さほどついていないだろう、短く折れたプレッツェルを目の前の男は口内へと納め、咀嚼する。
動く唇と飲み込むために上下する細い喉元に目を奪われる。瞬きも、呼吸さえも忘れたように見つめていれば、手に残る菓子箱を取り上げられた。
「没収。残りは食事の後……いや、明日にしとけ」
「……あ……お、おい!!」
取り上げた箱を閉じ、左右にカサカサと振って見せる龍一に、一瞬遅れて虎太郎が声を上げ、取り返そうとソファから身を乗り出す。
「まぁ夕飯の野菜も残さず食ったら、返してやらんこともない」
それまでは没収、と箱を手に龍一はキッチンへと向かう。それを忌々しそうに見る虎太郎に不意に龍一は肩越しに視線を投げる。
「……ませガキ」
揶揄うように赤いパッケージに唇を寄せ、軽いリップ音を立てる。
「……な……!?て、てめ…龍一!!」
どんだけ慌てたのだろう。顔を真っ赤にしながら、前のめりに落下し、大きな音を立てる。
「床、抜けてないか?」
その音を聞き、軽口を叩きながら、龍一はキッチンへと足を進める。
『そっちかよ!!』という虎太郎の抗議を笑いながら聞く。
つけ始めた当初は似合いもしないと思ったが、今ではすっかり馴染んでしまったエプロンのポケットに入れた赤いパッケージを軽く叩きながら。
翌日、登校した虎太郎に、例の学友3人が群がり、静かであった校内に虎太郎の怒号が響き渡ったことは、また、別のお話。