「ふ〜かみん!」
明るく愛しい声が鼓膜を震わせると同時に、愛しい彼で埋まる視界。鼻腔は彼の甘い香りで満ち、それに伴って『幸せ』の気持ちがふんわりと膨らんだ。
「ん…みつお、くるしい」
「ふかみん、ぼ〜っとしてるんですもん…」
空き教室。机越しに身を乗り出した光緒の両手に頬を包まれ、じっと見つめられる。もうすぐ、唇が触れるかも。
「ん、ごめん、」
「いいですけどー、」
昼過ぎ、光緒とふかみはFYA'M'の練習の為に登校していた。夏期講習も先週で終わり、課題と部活のみが与えられた長期休暇の真ん中。『休み中は部室が申請制のため、生徒会の作業がある朝晴と由比も顔を出せる時間にしよう』と練習は午後2時集合になった。壁の時計に目を向ければまだ1時間半はある。
「なにか考え事とかです?」
「んん、ただ、ぼーっとしてただけ…風が、きもちよくて」
「ん、ですねぇー、日陰じゃないと溶けそうですけど…」
光緒は体を離すと木漏れ日に目を細めながら窓の方を見た。熱が離れていくと、少し寂しい…。
───互いに午前は予定を入れていたが、少し早めにフリーになるからと何となく集まってしまった。
なにをするでもなく、日陰の空き教室で心地よいそよ風を感じている。気持ち良い空気を感じながら、愛おしい横顔に見とれる。
……今度はみつおがぼーっとしちゃった。
長いまつ毛、きれい。
……ん、みつお、迷ってる…?
「みつお、何か買いたいの?………あ、アイスだ」
「…んんッ?!…っふかみん、それ空気読むの通り越して心読んでますけど…?」
光緒のまあるくて可愛い輪郭とくるくるの柔らかい髪の毛を見つめていた。ただ、それだけだけど、なんとなくヒンヤリとした甘いものが浮かんできたのだ。
言い当てられた本人は、驚きと少しの焦りを含んだ顔をしていて、それすらもなんだか新鮮で可愛らしかった。
「…あたった。……嬉しい、…ふふ
でもみつおだけだよ、考えてる中身まで わかるのは」
「ふ〜ん、………ふ〜ん……」
複雑そうな声色でまた顔を背けてしまう彼のふわふわの毛先が風で揺れている。「満更でもない。」そんな気持ちが横顔と、空気感でわかるから…。2人で過ごすようになって知った。意外に照れ屋の光緒に胸がぎゅうとなる。
光緒も、嬉しいんだ。
「…アイス、買いに行こう、ちょっと歩くけど」
「あ、ちょ…ふかみん!」
そう言って光緒の手を握ると教室を出る。
急に引き上げられた形の光緒は、つまづきかけて前のめりに立ち上がった。力加減に気をつけたけれど、やっぱり少し強かったかもしれない。ごめんね。手を少し弛めつつ、廊下へ出る。
「めずらし、ふかみんもアイス食べたいんですか?」
「ううん、みつおがアイス食べたいんでしょ」
そう言って光緒の方を向けば、大きい瞳をぱちくりしている。それから、少し考えたように目を伏せた。
「ん〜外暑いから迷ってたんです、日焼けするし」
「でも、みつおがアイス食べてるとこ、見たい」
「…う、なんですかぁその動機…ふふふ」
そんな会話をしながらも、光緒も行く気があるようでいつの間にか揃った歩幅でてくてく歩く。と、だんだん彼の空気がまあるくなって、ぽかぽかして来るのを感じる。
夏だけど…夏なのに…あったかくて気持ちいい。
「じゃあ、ふかみんも食べましょー。
光緒おすすめの《美味しくて映える♡》コンビニアイス、選んであげますから」
「うん、選んで。みつおの…ばえるやつ」
「んふふ〜」
上機嫌になった光緒は、お日様を浴びたお布団みたいに柔らかくて、あったかくて………だいすき。
▷▶︎◀︎◁
「あづ………」
日焼けと、暑さから逃れる為に、できるだけ影のある道を選んで。それでもダメなら、日陰から日陰までをそそくさと渡る。幼くも感じるそんな自分たちの行動に、可笑しさを感じながらも半分は本気でやっていたと思う。……光緒の方は本気80%くらいかも。だって、暑いもんね。
「暑かったぁ」
コンビニのドアが開ききる前にするりと滑り込む。激しくきいた冷房にほっとするのも一瞬で、しばらくすればちょっと冷えすぎじゃないかなんて思えてくる。
アイスのケースを覗き込んでいる光緒の周りにはふわふわとお花が飛んでいる気がした。と、こちらにちょいちょいと手招きをしてくる。
「ん?」
「ふかみん、クリームとシャーベットどっちがいいです?」
「…クリーム…」
「じゃあこっちにしましょー
中にいちごのソースも入ってます!」
「ん、美味しそう」
ケースから取り出されたのはバニラがチョコでコーティングされたアイス。光緒が選んでくれたってだけで、どうしてこんなに嬉しいんだろう…、ふしぎだよね。
「光緒のは?」
「これです」
「ん、待っててね」
そう言って光緒が差し出したピンクのパッケージのアイスを受け取るとレジへ向かう。
「あ、え?…ちょっとふかみん」
後ろにふわふわと着いてくる光緒が少し困ってるのがわかって、思わず微笑んでしまった。光緒と一緒だと買い物とか、人混みもそんなに嫌じゃない気がするんだ。
そのまま2本とも会計を済ますとコンビニを出た。学校まで戻っていたらアイスが溶けてしまいそうで、ふたりですぐ隣の公園のベンチに座る。ちょうど木陰になっていて、風が通ると少しは涼むことが出来そうだ。
「はいどうぞ。」
「ありがとうございます…」
「アイス、食べてるとこ見たかったから、おごり」
「んんー…?」
反論しようか少し考えている様子に、また胸があったかくなる。僕がアイスを開けたのを見て、光緒も開け口を割いた。光緒はわがままだって思われがちだけど、そういうの気にする、いい子。
「…おいしい」
「でしょう〜!それ新発売なんですよ」
「そうなんだ、みつおは、もう食べたの?」
「ふふ、食べました!で、こっちははじめてです!」
嬉々としてクランチ入りのピンクのチョコソースでコーティングされたアイスをかじる。
「んふふふ」
満足そうな笑顔で美味しい、好みの味だったことがよくわかる。それだけで、こちらまですごくすごく嬉しくなった。
光緒は不思議。
いい匂いがして、空気が温かくて、触りたくなる。
初めはそれだけだったけど、実際に触れるようになったら、今度は沢山甘やかしてあげたくなって。
そして当の光緒はと言えば、付き合ってから少しだけ僕に遠慮をしてたり。でも前より光緒の『大切』になれたんだ、とそれすらも嬉しく感じられる。
光緒といると、全部嬉しい。
全部…全部だいすき。
暑さで芯のない動きになっている光緒を見つめる。白い首筋と額に、じんわり浮かんだ汗がやけに眩しく見えた。
今この自分の視界を潤ませ狭める熱が、暑さのせいなのか、愛しさのせいなのかもう分からない。そんな僕の気持ちも知らないで、光緒は優しく細めた瞳でこちらを見てくる。
「ふかみん、こっちも食べてみます?」
「ん…」
「……?ふかみん……んッ!?」
思わず吸い付いた唇。
柔らかくて、いちごとチョコレートの味がした。
驚きで強ばった光緒の肩が、また暑さにふにゃりとするのが視界の隅に映る。唇を離すとき、やっぱり寂しくなった。
「は…ぁ、も……ふかみん…」
「光緒、しって」
「…んぇ?」
光緒が大好きで、光緒から感じる好きが嬉しくて。ひとりじゃもう抱えきれない気がして、猛烈な焦燥感が押し寄せてくる。
光緒も空気が、僕の気持ちが分かったらいいのに…そしたら、どれだけ光緒が大好きか…全部ぜんぶ伝えられるのに。
「光緒のこと、どれだけ大好きか、しってほしい」
「ちょ、ふか…み……ンンーーー!」
また唇を奪えば、今度は少し不満を訴えるような声で、光緒は抗議してくる。アイス、あと一口だけ残ってるの、気にしてる?でも、キス嬉しいって、わかるから。
もうすこしだけ、させてね。
午後2時前、部活に臨む光緒が、少し夏バテ気味だったのは言うまでもない。