足立さんの張り込み飯サバイバーの二階、小さなキッチンの前に立つ足立に、階段を登る軽快な足音が聞こえてきた。
程なく嬉しそうな顔でドアを開けた春日は、台所に立つのが足立だと認めた瞬間、がっかりとした表情をする。
「よう春日、趙じゃなくて悪かったな」
わかりやすいその表情に、春日が誰と勘違いしたのかはすぐにわかって、足立は人の悪い笑みを浮かべて言った。
「なんだよ、足立さんかよ」
足立以外に人がいないことを素早く確認すると、春日も隠しもせずに悪態をついた。
「珍しいな、ここで足立さんが料理するなんてよ」
不思議そうに言いながら、春日は洗面所に手を洗いに行く。帰宅してすぐに手を洗うなどという習慣が身についたのは、一緒に暮らしているナンバと趙のおかげだろう。かく言う足立も、ここに来た時には2人に酸っぱく手を洗えと言われている。
「腹が減ったから仕方なくだよ」
手を洗い終えて戻って来た春日に告げると、足立の手元をひょいと覗き込んで来た。
「なに作ってんだ?」
「作ってるって程でもねえが…。魚肉ソーセージ切って焼いて、醤油掛けて食うんだよ」
「いいねえ、うまそうだな」
笑いながらそう言った春日がジャケットを脱ごうとする。
「お前の分も作ってやるよ」
「マジか!」
「その代わりビール買って来い」
「ビールの方が高えじゃねえかよ!」
「うるせえ。文句言うならやらねえぞ」
「くっそ、わぁかったよ。ちょっと行ってくるわ」
脱ぎかけたジャケットを着直して、春日が笑いながら出て行く。
荒川親子を亡くして、まだ数ヶ月。
今まで通りに見えて、時折視線が遠くに向かう。
そんな状態の春日をナンバと紗栄子はハラハラと心配しながら、慰める言葉を持たずにいた。
それは足立も同じだ。
春日は、因縁の相手である堀ノ内を追っているうちに辿り着いた男だった。
神室町3K作戦がどうにもきな臭いと目をつけて、休日など時間を見つけては神室町に通った。
皮肉にも免許センター勤務になってからは時間の自由がきいたし、大人しく働いている風を装っていたので、目をつけられてはいたが、監視されるほどでもなかった。
問題は神奈川県警や警視庁ではなく、神室町とその住人達だった。
さすがに日本一の歓楽街だけあって、店や組織、人間達も一筋縄ではいかない。『堀ノ内の汚職に繋がる証拠を探している』などと口が裂けても言えるものではないし、協力が得られるとも思えなかった。
それでも何度も神室町に通い、警視庁が無理なら東城会を裏切って壊滅させたと言われる荒川組組長、荒川真澄について探っていくことにした。
三次団体でありながら『殺しの荒川組』の異名を持ち、小さいながらも妙に存在感のある組で、荒川は絵に描いたような昔気質のヤクザだった。
そんな男が、東城会を裏切って情報をリークし壊滅に追い込み、敵対する関西の近江連合に寝返って、神室町に引き込んだというのは、あまりに不自然だった。
辛抱強く身辺を探るうち、一人息子を亡くしたことと、同じ歳の構成員がいたことを知るのにそれ程時間はかからなかった。
特に構成員の方の春日は、新聞沙汰にもなるような事件を起こしているわけで、それについて調べるのは造作もないことだった。
だが、この件にしても不自然で、足立の中で何かが引っかかった。
調べようにも荒川組の当時を知る者はほとんどいなくなっていたし、当の本人は十年以上前から服役中だ。
そんな中、荒川真澄と春日の関係を教えてくれたのは、春日が「情報通」とあてにしていた煙草屋のばあさんだった。
春日が言っていた通り、街を定点観測できるようなああいった店は望む望まないに関わらず、様々な情報が交差する。
下手なヤクザの事務所より、多角的で真実に近い情報が入って来たりするものだ。
だからこそ、そこの主人は一筋縄ではいかないような人間が多い。
あのばあさんに、荒川のことを探っていると口にしたことはない。
ましてや元刑事という身元も明かしてはいない。けれども年の功なのか、『堀ノ内のことになると見境がなくなる』と言われていたせいなのか、あのばあさんは、神室町に来るたび煙草を買って、世間話をしていく足立のことを覚えてもいたし、見抜いてもいた。
「今のこの街で荒川のことを探るのは、刑事だろうと危ないよ」
顔も見ず、抑揚なく告げられた言葉を、今でも足立は覚えている。
久々にぞくりとした緊張感が走ったが、平静を装ってなんとか笑うことが出来た。
「なあばあさん、昔、荒川の下にいた若いのがムショに入ってたんだってな。そいつはもう出てんのか?」
見抜かれているならといっそ開き直って尋ねると、ばあさんは少し顔をこわばらせ、寂しそうに目を伏せた。
鉄壁の防御を誇る老婆の初めて見せた感情に、足立の方が怖気付きそうになる。
「あいつはまだ服役中だよ。あんた、あいつのことも調べてんのかい」
「まあ少しな。ただ、どうにも現状の繋がりがあるのかどうかがわからねえ。なんせ誰も面会に行ってないみたいだからな」
「そりゃ、破門されてるからだろ」
「なあばあさん、本当のところは、殺したのはアイツじゃねえんだろ。ヤクザの世界じゃよくあることだ。誰かを庇ってのことなんだろうよ。荒川は、なんでその身代わりにあいつを選んだんだ?」
いくら情報通とは言え、組の組織的な対応を超えて、荒川の心情などがわかるわけはないと思っていたが、それでも聞かずにはいられなかった。
意識はしていなかったが、自分も相当焦っていたのかもしれない。
答えなど得られないと思っていたが、ばあさんは深いため息をついて口を開いた。
「…あいつが出てきたら、アンタは会いに行くんだろうね」
「まあそうだな」
「じゃあよろしく伝えておいておくれよ。アタシくらいはあの子の帰りを待っててやりたかったけど、流石に潮時だね」
『あの子』という言葉に親しみ以上の情を感じて、足立はハッと顔を上げる。
「関西の連中には我慢ならないし、この街もすっかり変わっちまって。田舎に帰ろうと思ってたとこでね」
乾いた声でそう告げて、足立の目をピタリと見据える、その迫力。
「…あいつは、荒川のアキレス腱どころじゃない。心臓だよ」
あの言葉があったから、足立は春日のことを徹底的に調べた。
警察組織に所属しているお陰で、紙面上の経歴はいくらでも調べられた。出生記録、非行歴、裁判記録。更にはツテを頼って刑務所の面会記録まで。
淡々と文字にされたその生い立ちは、刑事として色々な人間をみてきた足立からしても特殊で壮絶で、どんな男なのかまるで想像がつかなかった。
春日の知る荒川組は、今では東城会ですらなく、主だった者は関西にいる。実家の桃源郷は、廃墟になっている。
そんなことを何も知らない男が出所するその日を調べ上げて、迎えに行った。
刑務所の扉を出るなり、周囲を確認することもなく、深々と頭を下げて、渡世の親への謝罪を述べて、これからまた仕えることの出来る喜びを口にする。
18年間、一度も面会に来なかった相手に。
自分を誰かの身代わりにした男に。
こんな真っ直ぐで馬鹿な男に、足立は会ったことがなかった。
不覚にも胸を打たれた思いで、こんな男をこんな目に遭わせた荒川への苛立ちもあって、憎らしげに声を掛けた。
あれが全ての始まりだった。
「買ってきたぜ〜」
長い足で階段を段飛ばしで駆け上がってきた春日が、何の衒いもなく笑いながら扉を開ける。
「おう。早かったな。ちょうど出来上がったぜ」
それに笑い返して、足立は適当に切って焼いた魚肉ソーセージを雑に皿に盛り付けた。
「しっかし足立さん、もうちょっとマトモなもの食えばいいだろ。タカシ君の仕送り必要なくなって、金は多少あるんだろ?」
小さなちゃぶ台の上に、ビールとソーセージ、気を利かせて買ってきた枝豆を並べながら呆れたように春日が言う。
「ねえよ。こないだまで無職だぞ」
「でも今は指導員とかやってんだろ?退職金だって、出ることになったんじゃなかったのか?」
春日のいう通り、国を揺るがす事件の後、念願であった警視総監の堀ノ内の汚職を明るみにして、足立の懲戒免職の処分は見直されることになった。しかし、そうは言っても建造物侵入などは事実であったし、退職金についても前例のないことで揉めに揉めているらしく、いまいち処遇ははっきりしていない。
そんな中でもご機嫌取りなのか、嘱託職員としての臨時採用という形で、よくわからないまま警察組織の末端の末端に属することにはなっていた。
「退職金はまだわかんねえよ。お前と神室町のビルに不法侵入したのは事実だしな」
「う…わりい…」
そこで申し訳なさそうな顔をするあたり、春日は本当に人がいい。
そもそもは足立が言い出したことだし、春日はあろうことかその後に荒川真澄によって撃たれているのだ。
「まあ金なんざあっても使っちまうだけだからな」
そう言ってビールの缶を差し出すと、春日は苦笑しながら乾杯と言って、自分の缶を軽くぶつけ、勢いよく飲み干す。
「く〜ッうっめ!」
早くも2本目にいきそうな春日を笑って、足立もビール片手に魚肉ソーセージをつまむ。そもそも春日が帰って来なければ、これで夕飯を済ませるつもりだった。
「足立さんてデカだった頃、張り込みとかしてたのか?」
「あ?まあ、そんなしょっちゅうじゃねえけどな」
「じゃあ、やっぱああいう時って牛乳とアンパン食ったりすんのか」
そう聞いて、春日は小さくいただきますと呟き、魚肉ソーセージを摘む。
「なんだこれ、うめえな」
びっくりしたように呟いてひょいひょい箸で摘んで食べる姿に足立は笑う。
「焼いた方がうめえんだよな。…で、なんだった?張り込みの飯の話か?」
「おう」
「アンパンは糖分補給になっていいが、牛乳はねえよ。ありゃ大昔のドラマの話だろ。常温に置いとけねえし、人によっちゃ腹下るからな。そんなんじゃ張り込みもクソもねえ」
「確かになあ」
「まあ俺は、だいたいこの魚肉ソーセージと水だったな。カフェイン入ってると便所が近くなってダメだったからな」
「へーえ」
「基本は常温で傷まないものだ。いつ食えるかなんざ、わかんねえからな」
忙しすぎて目が回りそうだった刑事時代を思い出すとうんざりするような気もするが、懐かしくはあった。
「ただいま〜。あれ、足立さん来てたんだあ」
呑気な声で扉を開けて入ってきたのは、春日のお待ちかねの横浜流氓の元総帥、趙だった。
「よう、趙」
「おかえり、趙」
2人の返事ににこりと笑う顔は気のいい兄ちゃんのようだが、総帥時代から変わらない姿形には底知れなさが伺える。
黒く塗られた十指にはめられた指輪、瞳を読み取りにくくするサングラス、金のネックレスにブレスレット、両耳のピアスと、ゴツい革ジャンとブーツ。
刑事時代は流氓の総帥など写真でしか見たことがなかったが、その頃から得体の知れなさを感じてはいた。
ただ、奇抜な見てくれに反して、何をするかわからない狂犬のような印象は無く、頭の切れる男の計算高さのようなものを感じたものだった。
とんでもない形で直接対面した際も印象は変わらず、それどころか写真より繊細な印象を受けた。
線の細いおとがいには、とっくに成人しているはずなのに幼さが漂い、危ういような寂しさを感じた。
その感じは、春日に初めて会った時の印象によく似ていた。
「ウチの子がさあ、とうもろこしくれたんだけどぉ、見てよ二本しかないの。仮にも元総帥だよぉ、俺」
そう言いながら両手に皮付きのとうもろこしを持って近づいてくる趙に、春日が笑いながら手を伸ばす。
その手にとうもろこしを渡して、趙は手を洗いに行く。
それを子供のように目で追う春日に、足立は以前から思っていたことを聞いた。
「お前ら、付き合ってんのか」
「はぁ?まさかだろ。そんなんじゃねえよ」
間髪入れずに答えた言葉に嘘はなさそうだが、じわりと耳が赤く染まっていく。
「なんだよ、急に」
「いやあ?まあなんとなくだな」
はぐらかすような物言いをする足立に、春日は納得がいかない顔をするが、趙が戻ってきたので口をつぐむ。
「二本しかないから、春日くんと内緒で食べちゃおうと思ってたんだけどなあ」
「悪かったな、俺がいてよ」
悪戯めかした趙の言葉に足立が笑いながら返す横で、春日が落ち着きをなくす。
「ははは、嘘だって。あれ、なんかいいもん食べてるね。晩御飯?」
マフィアの総帥として、高級中華料理店のオーナーとして、いいものばかりを食べて来ただろう趙が、魚肉ソーセージを『いいもの』と呼ぶのに足立は苦笑する。
「小腹が減ったから適当に焼いて食ってただけだよ。こんなもん、飯のうちに入るか。なあそうだ、晩飯作ってくれよ、趙」
「ええ〜?」
「おい足立さん、趙だって疲れて帰って来てんだから…」
足立の遠慮のないお願いに、なぜが春日が困ったような声を出す。
「いいよ。あ、じゃあ、とうもろこし入れてご飯炊こうか」
機嫌よく了承した趙があっさりと言うと、春日の目がパッと輝いた。
「とうもろこしご飯?」
「うん。実の部分をバラバラにして、お米と一緒に炊くと甘くて美味しいよ。食べる前にバターなんか混ぜちゃったら最高だね」
「マジかよ…!」
「よしじゃあ、春日くんお米研いでよ」
「わかった」
身軽に立ち上がった春日と並んで、趙が台所に向かう。
「おかずどうしようか?あ、この前作った餃子の残り、冷凍してあったよね?」
「おう、下の冷凍庫に入れてるはずだぜ。ナンバが勝手に食ってなけりゃな」
「自分で焼くなんてそんな面倒なことしないと思うなあ…。足立さん、下の冷凍庫に餃子あると思うから、袋ごと持ってきてくれる?」
足立が夫婦かと思うような会話をぼんやり聞いていると、趙がくるりと振り返った。
「はいはい」
ゆっくり立ち上がって靴を履き、階下に向かうドアを開ける足立の横で、趙が春日にとうもろこしの剥き方を教えて、春日が素直に従う。ひげを掴んで一気に剥き下ろした春日に趙が弾むような声で上手だと褒めて、春日が嬉しそうに笑う。
「…なんか食う前から胸焼けしそうだな」
ナンバはいつもこれに付き合っているのかと呆れて呟くと、二人は揃って不思議そうな顔をしたので、足立は鬱陶しげに手を振って餃子を取りに階段を降りた。
とうもろこしを入れて米を炊いている間に、趙が手際よく次から次と餃子を焼いて、春日がそれをちゃぶ台に運ぶ。足立はすっかりぬるくなったビールを飲みながら、餃子を焼く趙にまとわりつく春日を見ていた。
先にちゃぶ台に並べられた餃子は大きさや包まれた具の量がまちまちで、いかにも手作りという感じがした。
「なあ、これ皮から手作りか?」
「ん?そう。包んだのは春日くんとナンバだよ」
「だろうと思ったぜ」
「なんでだよ」
不満そうに口を尖らせて、春日が追加の餃子を運んでくる。
そうしているうちに米が炊き上がって、趙が炊飯器の蓋を開けるとフワッととうもろこしの甘い香りが漂った。
「お、早炊きでも上手く出来たね。よかった〜」
「すげえ美味そうな匂いだなあ」
涎を垂らさんばかりの春日の嬉しそうな声に、趙は大盛の茶碗を手渡す。それを恭しく受け取って匂いを嗅ぎながら春日がちゃぶ台まで運んできた。
「いいねえ〜」
真っ白な米と、艶やかなとうもろこしの黄色の色合いが食欲を駆り立てて、足立は頬を緩めた。
「はい、バターと醤油はお好みでね」
醤油差しや餃子用の小皿などを持ってきた趙が腰を下ろすと、春日が待ち兼ねたように「いただきます!」と言う。
湯気を立てるご飯の上にバターを乗せて、醤油を回しかける。横から春日が「掛け過ぎんなよ、血圧上がるぜ」と心配なのか憎まれ口なのかわからないことを言うのを無視して口に運ぶと、とうもろこしと米の甘さにバターと醤油の塩味が合わさった絶妙な味に思わず唸る。
「あ〜、うめえ…」
「はは、よかった〜。春日くんは?美味しい?」
趙が聞いても答えないのを訝しく思い、足立が春日を見ると、ものすごい量を口に頬張って、頬を上気させて何度も頷いていた。
「誰も取りゃしねえよ、ゆっくり食えって」
「あはは、大丈夫だよ、おかわりあるから。たくさん食べなよ」
追加で冷えたビールも出てきて、餃子とビールという最高の組み合わせに喜び、小腹が減ってここに寄って思わぬご馳走にありつけたと足立は笑う。
そのうち話は足立の張り込みの話に戻り、趙の流氓時代の話や、春日の神室町時代に話になっていった。
「今は確かにコミジュルみたいに監視カメラの映像なんかがあるけど、それでも直接監視することで得られる情報ってのも多いからね。ウチだってよくやってたよ。春日くんだって、組時代はあったんじゃないの?シノギの相手とかさ」
「まあ、あったんだろうけどよ。俺はまあ向いてねえってんで、張り込みなんてほとんどやったことなかったなあ」
「ははあ、確かにじいっと隠れてるの苦手そうだもんねえ。でも、情報欲しいときどうしてたのさ」
「馴染みのたばこ屋の婆さんがいたからな。知りたいことは大体知ってたし。すげえんだよ、どこのキャバクラに誰が入ったとか辞めたとか移ったとか、ヤクザの出入りなんかもなんでも把握してたんだよな」
「ふうん。じゃあ、その人が春日くんの情報屋だったってことか」
「いや、うーん…なんか、身内みたいなもんだった、つうか。俺は半分あの婆さんに育てられたみたいなもんだしなあ…」
「…育てられた?」
話の成り行きを見守っていた足立が、思わず口を挟む。
「実家のソープとか、義父ちゃん忙しい時によく、あのたばこ屋に預けられてたんだよ。店の奥に3畳くらいのスペースがあって。そこでオムツ替えただのミルクやっただの、大人になっても言われたんだよな。出所して行った時には引退しててよ、どっかで元気にしてくれてりゃいいんだけどな」
少し照れくさそうに、懐かしい話をする春日の目が細められる。
「…田舎に帰るって言ってたぜ」
「…え?」
足立がボソリと呟くと、春日が不思議そうな顔をする。
「神室町で荒川のことを調べてる時に、何度か話してな。あの婆さんのおかげで、お前にたどり着いたんだ」
「そうだったのか…」
眉を下げる春日に、足立は躊躇いつつも、先ほど思い出したことを口にする。
「…お前によろしく言ってたぜ。『待っててやれなくて悪かった』ってな」
足立がそう言うと、春日の大きな目がぐらりと揺れた。
「なんで、今頃言うんだよ」
「忘れてたんだよ。それに…」
言葉を切って、足立は春日の顔を見る。
「お前がそういう顔するだろうってわかってたからよ」
「…なんだよ、どういう顔だよ」
ため息混じりに言うと、春日が不満そうに口を尖らせる。
「…お前がどこかに行っちまうんじゃねえかって、またナンバが心配するような顔だよ」
荒川親子のお別れ会の後の話を持ち出すと、春日がぐっと言葉に詰まり、趙はふっと息だけで笑う。
「…趙も、そう思うか?」
「んん?」
突然話を向けられた趙が、不思議そうに首を傾げる。
「俺が、突然いなくなりそうだって」
縋るような目をして、春日が横に座る趙を見る。趙は、その目線から逃げることなく受け止めて、考えるように一瞬目を伏せた。
「うーん…。まあ俺は、君がいなくなったら、どんな手を使ってでも見つけ出して、地獄の果てまで付いていくよ」
冗談めかして言った言葉とは裏腹に、趙の顔つきはマフィアの総帥だった頃のそれで、裏社会を知り尽くした深い闇のようなものを湛えた目が春日を捉える。
春日の方もその言葉と視線を受けて、複雑な虹彩の目の奥に昏い光が灯るように見えた。
足立はそれを見て、やはり自分がこの二人は似ていると思った直感に間違いはなかったなと改めて思う。
「なあやっぱりお前ら付き合ってんだろ?」
「はあ?」
呆れたような足立の言葉に、二人が声を揃えて聞き返す。
そんな様まで似ていて、足立は声を上げて笑い、不恰好な形の餃子を口に放り込んだ。